第67話 Re:Union
玲と二人で階段を降りていくと、休憩スペースにいたたくさんのサラダボウル会員たちが駆け寄ってきた。
「寝てなくて大丈夫なの?」
「も~、心配したんだから~」
「ねぇねぇ、何があったの?」
矢継ぎ早に声を掛けられた玲は、一度その場で頭を下げた。
「心配かけてごめんなさい。でももう大丈夫です。この通り、元気いっぱいですから!」
玲は右手で力こぶを作るポーズを取っておどけてみせる。人だかりの奥の方で、琴さんが手招きをしているのが見えた。その隣には京太郎の姿もあった。
「ちょいと失礼」
俺は人だかりを掻き分けて、琴さんたちのもとへと向かった。玲はまだ、みんなの質問攻めを受けていた。
「玲ちゃん、どないやった?」
「ショックは受けてたみたいですけど、多分大丈夫です。俺が思ってたより、ずっと玲は強かったみたいで」
「なら良かったわ」
「すごいな、玲ちゃん。あんなん、俺だったら三日は寝込む自信あるね」
「豆腐メンタルを自慢すんなし」
振り返ると、玲はみんなに囲まれて笑っていた。本当に、この短時間でよく笑えるまで持ち直したものだと感心する。
「朔」
「何ですか?」
「さっきは悪かったね。堪忍な」
「へ?」
思いがけない琴さんからの謝罪に、気の抜けた声が出てしまった。謝るなら、不機嫌な態度を取ってしまったこちらの方だと思うが。
「もうちょっと朔の気持ちも考えるべきやったわ」
「俺の気持ちなんて……謝るのはこっちですよ。落ち着いて考えれば、琴さんたちが言ってたことが正しいってちゃんとわかりましたから」
「……そっか。うん、ありがとうね」
何だか歯切れの悪い会話だった。琴さんが謝る理由なんてどこにも無いはずなのに。
「さっき琴さんと話してたんだけどさ、次のライブ、玲ちゃんは控室から出ない方が良いんじゃないかな」
「あぁ、それは俺もちょっと考えてた」
「チケット完売ってのはありがたいけど、あの感じだと変なのが来る可能性もあるし」
俺は最近テレビで見たニュースを思い出していた。地下アイドルの女の子が、ファンを名乗る男に暴行を受けたという事件。自分たちには何の関係も無いニュースだったはずなのに、あの時テレビに映し出された路上の血痕が脳裏から離れなかった。もちろん俺たちはアイドルではない。それなのにこんな不安な気持ちを感じるなんて、不特定多数の注目を浴びるということは、嬉しいことばかりではないと実感する。
「次のライブがどんな雰囲気になんのか、正直わからないし」
「そうだな。でもそれなら、琴さんも出てこない方が良いかも」
taku氏の写真が拡散された際、注目されたのは玲だけではない。琴さんも「美しすぎるドラマー」として大いに話題になっていたのだ。読者モデルをやっていることも、過去に白昼堂々というバンドを組んでいたことも、あっという間に特定されていた。
そこからマリッカとの関係についても、あることないこと憶測が飛び交っている。「白昼堂々の解散理由はマシューと琴の破局が原因」なんて、琴さんの耳に入ったらブチ切れられそうなデマまであった。元白昼堂々のファンを名乗る人にすぐに否定されていたのが救いだったが。
「玲を一人にするのも不安だし、琴さん一緒にいてもらえますか?」
「ウチはかまわんけど」
「幸い……って言うのも癪だけど、男の俺らは全然話題になってないっすからね。ライブ後の対応は俺と朔と、あとみはるんに手伝ってもらえばなんとかなると思いますし」
「みはるん何か言ってた?」
「有名人じゃん! ってメッセージ来たわ。何故か姫子からも全く同じ文面で」
「あはは。さすがみはるん。大物だわ」
次のライブは、何が起こるのかまったく予想がつかない。お客さんは経験したことが無い程たくさん来るだろう。でも、そのお客さんたちが何を求めているのかがわからない。冷やかしみたいな人もいるかもしれない。
ステージに上がった時、客席はどんな空気なんだろうか。歓声が上がるのか、罵声を浴びせられるのか、想像ができない。
でも、確かに強い風が吹いていることがわかる。それを追い風にするのか、向かい風にするのか、つむじ風にするのかは、俺たち次第なのだろう。
「琴さん、京太郎」
「ん?」
「どしたん」
「俺、はっきり言って怖いんです。このチャンスを掴めなかったら、話題になった分、色眼鏡で見られてもう這い上がれないんじゃないかって」
言葉にすると実感する。チャンスが来たというワクワク感ももちろんあるが、それを逃してしまった時のことを考えると、恐ろしくてたまらないのだ。
やるべきことが分かっていたって、怖いものは怖い。その気持ちを、二人には知っておいて欲しかった。自分がこれ以上立ち止まらずに済むように。
「リーダーが弱気でどうすんだよ。いつも通りやれば大丈夫だって」
「京太郎は怖くないのか?」
「怖くないね。昨日の肝試しの方がよっぽど怖かったっつーの」
琴さんの方にチラッと視線をやると、ものすごい顔で俺を睨んでいた。絶対あのことを話すなよと、口に出さなくても伝わってくる。
「琴さんもビビってなんか無いっすよね?」
「ウチは朔の気持ち、わかる気がするわ」
「あれ、琴さんならもっとキツイこと言うと思ったのに。このビビりにガツンと言ってやってくださいよ。琴さんがビビってるとか、らしくないっすよ」
「何言うてんの。琴姉さんは繊細で可憐な女の子なんやで? そらビビる時くらいあるわ」
「あ、はい」
琴さんはおどけていたが、俺は以前に聞いた白昼堂々の話を思い出していた。琴さんは一度、チャンスを掴み損ねて、全てを失っている。だからこそ、こういう場面で俺以上に恐れを感じていたって不思議じゃない。
「なんだよー。絶対大丈夫ですって。最近の俺らすげー良い感じだし。それに今回ダメだったとしても、それでこれから先も全部ダメになるなんてことは無いっしょ。不死鳥の様に蘇ればいいんすよ。二人とも、ナーバスになりすぎ。え、自信満々なの俺だけなの?」
能天気なのか何も考えていないのか、はたまたただの馬鹿なのか。あぁ、全部同じか。それでも、迷いの無い自信を持った京太郎の言葉は、妙に心強く感じられた。
「はは、豆腐メンタルのお前に激励されるとは。焼きが回ったかな」
「おうおう、ひでー言い草じゃねーか。でもさ、いつも通りやればいいと思うぞ。俺たちはまだ、悩むような段階じゃないだろ。小難しく考えたって、答えが出せるほど引き出し多くないんだから」
「京太郎のくせに生意気やな……と言いたいところやけど、この件に関してはあんたが正しいわ。確かに難しく考えんと、今まで通りとにかく全力でライブするしかできん。あとは悔いが残らんよう、練習するしかあらへんな」
これは、きっと試練なんだ。玲の言葉を借りるなら、バンド全体がレベルアップするための試練。誰も経験したことのない、不安だらけのライブをどうやってプラスに変えていくのか。それができれば、きっとcream eyesは一段上へ行けるはずだ。
「ありがとう、京太郎。でもそうなんだよな。俺たちなら、cream eyesならやれる。怖いけどさ。玲もそう信じて立ち上がってくれたんだ。俺も自分を信じてやってやるさ」
「うわくっさ!」
「てめぇこの野郎! 人が真面目に話してんのに!」
「ひぇ~」
トムとジェリーのように追いかけっこを始めた俺と京太郎を、琴さんは爆笑しながら見守っていた。京太郎のこういうバランス感覚には、いつも気持ちを掬われている気がする。
俺のフライングクロスチョップが炸裂してもつれ合ったところに、囲み取材から抜け出した玲が立っていた。玲は屈んで俺たちの顔を覗き込む。
「私、cream eyesを信じてますから」
そう言われてしまったら、たとえどんなに怖くたって、答えはひとつしかない。
「まかせとけ」
その日の夜、スタジオに入った俺たちは、新曲の「サマメモ(仮)」の制作に打ち込んだ。夏らしい爽やかなメロディに乗せて、感情剥き出しの歌が吐き出されていく。昨日合わせた時とはまるで別の曲のようだったが、これはこれでありだと思った。
「だいぶ溜まってる感じがするね」
「いいんです。これが私のサマメモ(仮)ですから!」
宿のスタジオは設備が古く、空調の効きも悪い。設定温度を18度にしてみても、発散される熱量には到底追いつかなった。玲は汗をまき散らしながら、絞り出すように、不安を掻き消そうとするように歌い続ける。喉が枯れようがおかまいなしに。
「玲、今何考えてる?」
間奏の途中で尋ねてみた。玲はギターを激しくストロークして、髪を振り乱しながら答える。
「今ですか? 私、怒ってます!」
やっぱり。でもその表情はすぐに明るくなった。
「でも、歌ってたら気持ちが晴れてきました! やっぱり私、歌が好きみたいです! あはは! くそー! 楽しい!」
「そりゃ良かった!」
俺も、玲も、琴さんも、ああ言ってた京太郎だって、怖いのは変わらない。でも今の俺たちには、それでも一歩を踏み出す勇気がある。この四人だから、できることがある。
待ってろよ、顔も名前も知らない誰かさんたち。cream eyesがただ可愛い女の子がいるバンドじゃないってこと、音楽で証明してみせるから。
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