第25話 初めての充実感

 片づけを終えてステージを降りると、琴さんが右手を挙げて待っていた。俺は荷物を左手にまとめ、無言で琴さんとハイタッチを交わした。京太郎もそれに続き、最後に玲が笑顔で手を叩く。

 そこでは、既に次のバンドがスタンバイしていた。


「お前ら、えげつねーわ」


 四年生の宏樹ひろきさんが、観念したような笑いを浮かべながら声をかけてきた。


「あれの後にるこっちの身にもなれっての。一年生たち、ビビっちゃうでしょうーが」


「会場、温めておきましたよ」


「お前なぁ……」


 宏樹さんは頭をボリボリと掻きながら、何かを言おうとして、やめた。


「まぁしゃあねえか。うっし、うちらはうちらで楽しくやろうぜ」


 そう発破をかけ、4人の一年生とステージに上がっていった。宏樹さんは、口は悪いが面倒見の良い先輩だ。だが、申し訳ないなどとは思わない。俺たちは、できる限りのパフォーマンスを見せただけなのだから。


「お疲れ様。どうだった?」


 ペットボトルの水を飲んでいた玲に尋ねた。すると、何も言わずに玲は抱きついてきた。


「ちょ、おま」


 俺は思わずたじろいだ。予想外のリアクションだった。


「ミスっちゃいました」


「え?」


「あんなに一杯練習したのに、ギターめっちゃミスりました」


 俺の胸に顔を埋めたまま、玲はモゴモゴと言った。そして次の瞬間、玲はガバッとこちらの顔を見上げた。


「でも、そんなの吹っ飛んじゃうくらい、めちゃめちゃ楽しかったです!!」


 その表情は、眩しいくらいに弾けていた。


「おふたりさん、何をいちゃついとるん」


 琴さんが呆れたような顔で近づいてくる。


「琴さんもお疲れ様でした。これはいちゃついてるとかではなくて」


「琴さーん!」


 玲はピンボールの玉の様に、俺の胸元から琴さんに向かって飛んでいく。


「どうどう」


 玲の頭を撫でる琴さんの姿は、まるで獣をなだめる飼育員だ。いや待て、この流れはマズい。


「お疲れ~」


「師匠~!」


「!?」


 近づいてきた京太郎に玲のハグが炸裂する。案の定、京太郎はそのまま卒倒。


「師匠? 師匠! 師匠~~!!」


 悪い予感が的中した。倒れた男の顔が実に満足気だったのが、せめてもの救いか。


 ライブは会場の熱が冷めないまま、最後の二組も盛り上がりを見せ、すべてのプログラムを終えた。談話室の蛍光灯が灯されると、非日常の空間だったその場所は、普段の雑然とした雰囲気を取り戻す。

 準備の時とは反対に、今度は機材を音楽準備室まで戻す作業をしなければならない。ライブ後の疲れた体にはしんどい作業だが、これをやらなければ、学生部から二度と談話室利用の許可を貰えなくなってしまう。


 ダラダラと片付けが進む中、サラダボウル会員の会話の内容は、二組のバンドに集中していた。奈々子さんたちのバンドと、俺たちのバンドだ。


「今回あの二組やばかったよな」


「ほんと、新歓であんなレベル高いの初めて見たよ」


「奈々子バンドのギター良かったよな~」


「あんな気合入ってる奈々子さん初めて見ました」


「モリクマやってたボーカルの子、玲ちゃんだっけ? あの子ギター初心者ってマジなの? ってか花見来てたっけ?」


「なんか、朔がどっかから連れてきた子らしいよ。ギターは先月買ったばっかりって言ってた」


「それであの雰囲気かよ。すげぇな。歌もめっちゃ良かったし」


 俺はそんな話声に耳を傾け、鼻を高くしていた。本当は話の輪に入って、玲の歌の凄さを熱弁したかったが、安っぽく思われそうで自重した。


「何をひとりでにやけてんの。気持ち悪いわぁ」


 片付けになっても、琴さんは相変わらず何も持っていない。いや、ボールペンを3本握りしめていた。何も持ってないわけではなかったか。


「気持ち悪いとか傷つくんですけど……なんか皆が話題に出してくれるのって、嬉しいじゃないすか」


「当然の結果。と、言いたいところやけど、思った以上に奈々子たちが仕上げてきよったからなぁ。話題を独占できんかったのは業腹ごうはらや」


 言葉とは裏腹に、琴さんはスッキリとした表情を見せていた。


「でもまぁ、まだまだこれからですよ」


「ほーん。ま、何にせよ続きは打ち上げで話そか。もう喉がカラカラや。はよ行かな干からびてまうよ」


 お茶でも飲めばいいのに。とは言えなかった。果たして、打ち上げの席でまともに話ができるのだろうか。琴さんがよくても、こちらの身が無事である保証はない。


「お手柔らかにお願いします」


「琴姉さんは何事にも本気やで」


 琴さんは笑いながら手を振ると、別のサラダ会員と話を始めた。本気で片付けも手伝ってほしかった。


「打ち上げは駅前の沖楽園おきらくえんだから、準備できた人から向かってくださーい」


 ケンさんが会員たちに声をかけ、徐々に談話室から人がいなくなっていく。この時点で、時刻は22時を過ぎていた。通常の飲み会なら、三次会が始まっていてもおかしくない時間だ。


「朔さん、打ち上げ行きます?」


 玲がトコトコと駆け寄ってきた。


「もちろん。そのためのライブだったと言っても過言ではないと言えないこともない」


「あはは、良かった。朔さんいなかったら寂しいですし」


「玲は時間大丈夫なの?」


「今日は琴さんの家に泊めてもらう約束をしてるので、大丈夫です」


 玲はグッと親指を立てる。


「飲み会の後の琴さんか……大丈夫なのか?」


 そんな不安が頭をよぎったが、さすがの琴さんも未成年の一年生女子相手に無茶はしないだろう。そう信じよう。


「やばい、遅くなっちゃったな」


 ケンさんと一緒に、最後に学校を出た俺と玲が店に着くころには、既にテーブルに飲み物とポテトフライが運ばれていた。


「おっそーい! もう待ちくたびれちゃったよ。座って座って」


 奈々子さんのテンションが高い。どうやら全体の乾杯の前に飲み始めていたようだ。待ってないじゃないか。


「賢一と朔ちんはビールね。たまもっちゃんはウーロン茶でいい?」


「ありがとうございます」


 3人がドリンクを受け取ると、その場にいた全員の視線が注がれた。


「それじゃあ朔、あとはよろしく」


「え? ここは会長のケンさんが」


「野暮なことを言うもんじゃないよ」


 俺はケンさんの言葉の意図を察した。そう言われてしまったら、今回ばかりは応えないわけにはいかない。この手の掛け声に慣れていなかったため、何を言えばいいのかわからなかったが、皆は開始の合図を待っている。早く飲ませろ、浴びさせろと、耳元で囁かれているような気さえした。


「ふぅ……よし」


 こうなったらアドリブでやるしかない。俺は右手に持ったジョッキを高く掲げた。


「今日はぁ! お疲れさまっしたぁ!!」


「お疲れっしたぁ!」


 まるでライブのコール&レスポンスだ。


「新入生の皆、サラダへようこそ。新歓なのに、今日は目立っちゃってごめんね」


「やりすぎだったぞー」


「自重しろよなー」


 野次が飛んでくるが、いちいち気にしていられない。


「だがしかぁし! 今日あの場所にいられた皆は幸せ者だ。なぜならぁ」


「なぜならぁー?」


 あぁ、何だこれ。ちょっと楽しくなってきた。


「伝説の始まりの、目撃者になれたからだ!」


「うおおお! ぉお??」


 ただのサークルのライブで伝説とは何事か。盛り上がる準備をしていた会員たちは一瞬困惑した。隣にいた玲は、少し気恥しそうな顔をしていた。俺はまだ素面しらふだったが、ライブ終わりの疲れた体を、無理やり飲み会のテンションに引き上げたためか、ナチュラルハイの様な状態になっていたのだろう。


「そんな幸せ者たちと、一緒に酒が飲める俺もまた、幸せ者だー!」


「うぉおおおおおおお!」


 勢いに任せて声を上げると、皆がそれに応えてくれた。


「かーんぷぁあああい!!」


「かんぱーーい!!」


 ジョッキが割れんばかりの勢いで乾杯をした後、ビールを一気に飲み干した。すると、即座にピッチャーから追加分が注がれる。もう止まれない。俺は周りを見回した。その場にいた誰もが笑っていた。その光景は、とても幸せなものだと感じた。

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