第23話 初めてのライブ

 ライブ当日となる土曜日の夕方。サラダボウルの会員たちは、会場となる談話室1まで、音楽準備室から機材を運んでいた。これが中々の重労働で、ベースアンプのキャビネット部分なんて45kgもあるものだから、台車に乗せるだけでも一苦労。だが、こういった肉体労働を共有した仲間同士というのは、不思議と距離が近くなったりするものだ。

 サラダボウルでは、特に下級生がこき使われるようなことは無く、ライブ出演者たち全員でこの作業を行っている。


「Marshallのアンプは真空管が入ってるから、特に慎重に扱ってね。あと電源リールは必ず伸ばし切ってから使うこと。火事になっちゃうから。あ、そのスピーカーはフロアモニター用だから、そっちじゃなくてこっちに置いておいて」


 ケンさんがテキパキと指示を出す。不慣れな新入生は、そんな頼もしい会長の姿を羨望の眼差しで見つめている。男女を問わず、頼り甲斐のある年上というのは魅力的に見えるものだ。


 サークルが所持する台車は2台しかないので、俺はベースアンプのヘッドを、玲はドラムのフロアタムを、京太郎は照明用のライトを、琴さんは……何かケーブルのようなものを数本運んでいた。


「琴さん、楽してないっすか」


 京太郎が茶々を入れる。


「か弱い乙女に何てことを言うんや」


「いや、だって玲ちゃんだって頑張って運んでるのに。ドラマーなんだからせめてタムのひとつぐらい」


「みんなが気張って運んでくれる言うてんのに、ウチが出張ったらかわいそうやろ。男を立ててこその、ええ女っちゅーもんや」


「そういうもんですか」


 俺や京太郎の知らぬ間に、琴さんのファンクラブ的なものが一年生を中心に出来ているという話を聞いた。確かに、スラリとした美人で話せば京言葉、性格もサッパリしていて、容姿とのギャップが激しい力強いドラミングとくれば、人気が出るのも頷ける。特に、方言に対して免疫のない首都圏出身者にとっては、憧れの対象にもなり得るだろう。新入生男子の間では、琴派か奈々子派かで、意見が対立しているという噂まである。


「腑に落ちない」


「何か言うた?」


「いえ、何も」


 着々と設営が進んでいく。ライブ会場とはいえ、元は単なる大学の一教室だ。音響環境は言うべくもないが、それでも談話室1は広さ、音の反響などの面でかなりマシな部類と言える。いつも溜まり場にしている談話室5は、広さが足りないのか、まるで風呂場のような残響音で、まともに演奏が聞ける環境ではない。


「SE用の音源がある人はPA卓まで持ってきてくださーい」


 音響を担当する幹部の呼びかけに、各バンドの代表者がぞろぞろと集まる。今回俺たちのバンドから向かったのは京太郎だった。何やら登場SEにはこだわりがあるらしい。


「あいつ何か変なこと企んでないといいけど」


「え、朔さん何を流すか聞いてないんですか?」


「本番までのお楽しみ、だってさ」


 そんな会話をしているうちに、時刻は18時となった。いよいよライブ開始スタートだ。

 談話室内の蛍光灯はすべて消灯され、赤・青・黄・白のセロファンを付けたライトがステージを照らす。ライブハウスなどに比べれば稚拙なものだが、それでも普段の談話室とは表情が大きく変わり、非日常感が演出されていた。


「い、一番手をやらせてもらいます! よろしくお願いします!」


 最初にステージに登場したのは、ドラムの正人さんを除いて全員が初心者の一年生というバンドだった。ボーカルを担当する女の子は、ずいぶん緊張しているのか、挨拶の声が少し裏返っていた。


「がんばれー」


「かわいいよー」


 客席の上級生から生ぬるい声援が飛ぶ。正直、誰も演奏のクオリティなど求めていない。フレッシュな一年生が、伸び伸びとライブを楽しんでくれればそれで良い。誰もがそう思っていたからだ。ただ二組のバンドを除いて。


 演奏が始まると、やはりその演奏は拙い。だが一生懸命さは伝わってきた。最近売り出し中のガールズバンドの曲を3曲演奏しきると、メンバー同士ステージ中央で手を取り合い、まるで舞台演劇のフィナーレのように、深々と頭を下げた。


「いやー、なんだか懐かしい気持ちになるな」


 俺が初めてバンドでステージに立ったのは、高校生の頃の文化祭だった。きっとあの時も、演奏自体はボロボロだったんだろう。それでも自分たちの達成感は凄まじく、観客に対して大袈裟に頭を下げたものだ。


 二組目は、一年生2人と二年生1人のスリーピースバンド。一年生はどちらも経験者で、演奏するバンドは、一昔前にメロディック・ハードコア(所謂メロコア)の代名詞として一世を風靡した日本人バンドだった。上級生にもこのバンドのファンは多かったからか、一組目に比べて観客のテンションが高い。


「よろしくぅお願いしまーっしゅ!」


 シャウト風に一年生のベースボーカルが声を上げると、飛び跳ねながら演奏を始めた。観客たちも、ノリ良くそれに応える様に飛び跳ねていた。

 演奏は荒々しいが、やはり経験者だけあって、しっかりまとまっている。特にドラムの1年生は、持ち時間一杯、ハイテンションな曲を5曲叩き切り、そのスタミナと手数の多さが目を引いた。


「あの子けっこうええやん。もっと色んな音楽聞いて欲しいけど」


 琴さんは後ろの方で四年生の女子たちとライブを眺めていた。せいぜい2~3歳しか年齢は変わらないのだが、若いノリにはついていけないと言わんばかりの落ち着いた空間がそこには作られている。ちなみに、マダムっぽいと言うと皆怒る。


 二組目のバンドが盛況のまま終わり、三組目、四組目のバンドがそれぞれの練習の成果を披露していった。どのバンドも初々しさを感じる。出来の良い悪いは別として、それはそれで見ていて楽しかったりするものだ。ただし、身内であるからという前提が着くのだが。

 玲は一年生のグループの中で楽しそうにライブを見ていた。その屈託のない笑顔からは、緊張で硬くなっているような様子はあまり見られない。


 そして五組目。暗いステージの上でセッティングをしていた4人が、一度ステージを降りた。会場内に流れていたBGMが止まり、一瞬の静寂が訪れる。その後、仰々しい英語の合唱曲が流れ始めた。


「God save our gracious Queen,

 Long live our noble Queen,」


God Save女王陛 the Queen下万歳。イギリスの事実上の国歌である。いや、そんなことより、誰が女王様だって?


「みんなー、お待たせー!」


 甘ったるい声と同時に、スポットライトがステージ上の奈々子さんを照らす。演出が凝っている。照明担当にまで、しっかりと根回しをしていたようだ。正直、やられたと思った。


「うぉおおおおおお!」


 野太い男の歓声が上がる。正直、二年生以上は奈々子さんのキャラクターを理解したうえで、ノリでやっているところが大きい。だが、一年生の中にはガチ勢が混ざっているようだ。前述したファンクラブ、いや、もはやそんな領域ではない。奈々子親衛隊と呼ぶにふさわしい熱狂っぷりだ。


「それじゃあ早速、始めよっか」


 奈々子さんがそう言うと、ギターのケンさんがイントロのリフを弾き始めた。ディストーションの効いた、小気味良いザクザクとしたその音色に、観客たちのボルテージが上がっていく。4小節目の最後にわずかなブレイクが入り、サブギター、ベース、ドラムが一斉に参加する。それと同時に、照明が最大級の明るさでステージを照らした。

 完璧な導入だ。オーディエンスのテンションも最高潮と言える状態だった。これは演出のうまさだけが要因ではない。演奏のクオリティの高さと、何より、自分というキャラクターを活かし切った奈々子さんの作戦勝ちと言える。


 俺はてっきり、一曲目はこの前ハコで聞いたYellow Signalだとばかり思っていたので、意表を突かれた気がした。奈々子さんたちが一曲目に選んだのは、「High Beams Driver」というロークレのデビュー曲だった。


 Aメロに入ると、演奏がクリーンサウンドの穏やなものに変わり、奈々子さんがしっとりと歌い始めた。

 うまい。やはり、以前よりも明らかに歌唱力が上がっている。それまでの奈々子さんは、愛嬌のあるルックスと奔放なキャラクター、それでいて歌の世界観に入り込む没入感のある雰囲気で人気を得るタイプだった。

 だが、今回のライブでは、そこに確かな歌唱力がプラスされている。


「もう聞こえないよ その声は光よりも速いから

 もう届かないよ 君の瞳に僕はいないから」


 疾走感のあるサウンドと対照的な、切ない歌詞を歌い上げる奈々子さん。最初こそノリで盛り上げていただけの上級生も、いつもとの違いを感じ始めていた。

 Bメロに入ると、ギターのリフが鋭く刻み込まれ、歌にも力強さが増していく。スネアとフロアタムがドンドンと期待感を膨らませて、サビで盛り上がりはピークに達する。


 もはや誰も、内輪ノリで楽しんでいる者はいなかった。ただ単純に、素晴らしい演奏に酔いしれ、体を揺らしていた。その完成度の高さにケチをつけられる者は、ここにはいない。


「今日は気合入ってるからね! まだまだいくよー!」


 一曲目が終わり、奈々子さんがMCでオーディエンスを煽る。「いつもは気合入ってないのかよ」と冗談交じりの野次が飛んだが、そんなものはもはやお構いなしだ。

 二曲目は先日も聞いたYellow Signal。相変わらずの迫力と完成度の高さに、会場はますます盛り上がっていった。最前列で頭を振っている連中など、すでに汗だくだ。


 俺は玲を探した。こんなパフォーマンスを見せつけられて、自信喪失してやいないだろうか。そんな心配をしていた。

 だが、玲は汗だくの最前列の中にいた。めちゃめちゃ声を張って頭を振っている。次自分の番だってわかってる? 心配は杞憂だった。だが、別の意味で心配だった。


「どうもありがとー! またねー!」


 三曲目にバラードを持ってきた奈々子さんたちは、完璧に会場の雰囲気を支配していた。オーディエンスに惜しまれながらステージを去るその姿は、この場にいた誰もが「女王」と認めるに違いない。


「奈々子さんたち、かっこよかったですね!」


 玲が興奮気味に近寄ってきた。


「あぁ、すごかった。でも、」


「でも、私たちも負けませんから!」


 先に言われた。そうだ。奈々子さんたちがどんなにすごくても、自分たちは負けない。そのために練習を続けてきたのだ。


「もちのろん!」


 俺がクソダササムズアップを決めると、玲もそれを笑顔で真似して見せた。


 奈々子さんはきっと、自分たちの勝利を確信していることだろう。あれだけの完成度の演奏をしたのだ。そうに違いない。だが、それでも今の玲は、微塵も臆する様子が無い。むしろ、良い刺激を貰ったといった風な、ツヤツヤとした晴れ晴れしい表情をしている。


「さぁ、次は俺らの番だ!」

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