第22話 初めての本音
新歓ライブ当日の午前10時、俺と玲は渋谷のスタジオに来ていた。本番前の最後のあがき。もとい、これが本当に最後の練習だ。
「声の調子はどう?」
「この前よりはだいぶ。でも、まだどうしても手元に意識がいっちゃう時があります。難しいコードを押さえる時とか……」
「よし、それなら最後の練習はこうしよう」
俺は椅子に腰かけ、ベースを構えた。
「話をしよう」
「話?」
「あぁ。でも、ただ話をするだけじゃない。お互い楽器を弾きながら話すんだ」
「な、なるほど。でも何を話せば」
「何でもいいよ。友達のことでも、家族のことでも、これからのことでも」
「むむぅ。わかりました。やってみます」
向かい合って椅子に座り、玲はゆっくりとギターを弾き始めた。最初に比べると、驚くほど滑らかにコードの和音が響く。これだけでも、この短期間での玲の努力が見て取れる。
「改まって、話そうと、すると、何だか、緊張、しますね」
玲のギターに合わせ、俺もベースの弦を爪弾きはじめる。ドラムがいないためリズムが取りにくかったが、玲を引っ張るためにリズムキープに努めた。
「玲はさ、この先どんな音楽がやりたい?」
「そう、ですねぇ。やりたい、音楽と、言うか、私、サラダに、入って、もっと色んな、音楽に、触れてみたい、なって、思うように、なりました」
「琴さんはそんなの気にしなくていいって言ってたけど」
「それは、そうなん、ですけど……やっぱり、朔さんたちが、話してる、時に、自分だけ、全然、わからない、っていうのは、寂しいです」
玲はギターのリズムに気を取られ、話が途切れ途切れになっていた。
「じゃあ今度オススメのCD貸してあげるよ」
「やった! 私、CDって、買ったこと、無いんです」
「マジで?」
「お父さんが、たくさん、持ってるんで、家には、あるんですけど」
「今までどうやって音楽聞いてたの?」
「配信、サイトで、ダウンロード、したり、動画、サイトで、MVを、見たり」
「これがジェネレーションギャップか……」
「あはは、一歳しか、変わらない、じゃないですか」
楽曲配信サイトが便利なのは知っている。最近はそちらが主流になっていることも。けれど、所有物としてCDを手にすることの楽しみというものがある。壁に飾りたくなるようなジャケットのデザインだったり、歌詞カードを読むワクワク感だったり、そういうものを感じられない配信と言う形態に、何となく手を出せずにいた。
「朔さんは、どんな音楽が、好きなんですか?」
「どんなって言われると難しいけど、一番好きなのはやっぱりJone Jett’s Dogsかな」
「JJDって、やつですよね」
「そう、それ。俺がバンドを始めたきっかけだし」
「私も、聴いて、みたいです」
「ロックンロールな感じだけど、いい?」
「もちろんです」
お互いに楽器を取り合って、歌う訳でもなく、ただ話をする。雑誌で読んだギターボーカルの練習法なのだが、その非日常感に、話をすればするほど、なんだか不思議な気持ちになっていた。
「バンドってさ、楽しいんだよ」
「はい。私も、楽しい、です」
「でもここ最近、何かつまらないって感じる瞬間があってさ」
「朔さんが?」
「うん。何て言うのかな、楽しいだけで終わることに飽きてきたって言うか、楽しいんだけどつまらない、みたいな。あぁ、自分でも何言ってんのかわかんないな」
ベースのリズムが少し乱れた。玲は黙って話を聞いていた。
「とにかく、そんな風に思っていた時に、玲の歌を聞いたんだ。そしたらさ、この子と一緒にバンドができたら何かが変わるんじゃないかって、一緒にバンドがやりたいって気持ちになって」
「それで部屋に、乱入してきたと」
「はは。そういう訳。だから、今こうして玲とバンドが組めて、しかも玲が楽しいって言ってくれることが、すごく嬉しいよ」
そこまで話したところで、曲が終わった。そして、俺は自分がとんでもなく恥ずかしいことを口走っていたことに気づいた。何だ今の話は。まるでこれから告白でもするみたいじゃないか。
「あは、あはははは、何言ってんだろうな、俺。次! ラブ&ビッグ・マフ、やってみよう」
玲は無言で頷くと、また綺麗な和音を響かせた。
「朔さん」
「はい」
「ありがとうございます」
「はい?」
「私をここに連れてきてくれて、ありがとうございます」
「何を改まって」
改まって言われると照れくさい。だけど、そのお礼は琴さんに言うべきだと思っていた。
「私、考えてたんです。何であの時、朔さんの誘いをあんなにすんなり受け入れられたのかなって」
「え、玲がそれ言う?」
「あはは、そうですよね。たしかに前のテニスサークルは、合わないなぁとは思ってましたけど、それなら普通、他のテニスサークルを探せば良かったと思うんですよね。学内だけでも何個かあるわけですし」
いつの間にか、玲の言葉はリズムに囚われることが無くなっていた。
「でも、朔さんに声をかけられた時、私はそれを拒もうとはまるで思わなかったんです。自分でも不思議でした」
「それは、自分が必要とされるのが初めてだったからって、前に言ってなかったっけ」
「最初はそう思ってました。でもそれだけで、これまでの経験を全部捨てて、未経験のバンド活動に挑戦してみようだなんて、あの一瞬では考えられないと思うんです」
俺がその時抱いたのは、その先が早く聞きたいような、聞くのが怖いような、そんな複雑な感情。玲はそれを知ってか知らずか、滑らかに話を続ける。
「それに、なんで私、ず~っと一人で、ヒトカラ行ってまで歌い続けていたんだろうって。人前で歌うことはあんなに嫌だったのに、何で歌うことはやめなかったんだろうって。でも、今その答えがわかりました」
玲は、手元に向けていた目線を朔に向けた。俺もそれに気づき、目線を合わせる。
「私、本当は誰かに、自分の歌を聞いてもらいたかったんです。自分が大好きな歌を、認めてくれる人に出会いたかったんです」
「玲……」
「だからあの日、私を見つけてくれて、連れ出してくれて、ありがとうございました」
玲はそう言って、少しはにかんだ笑顔を見せた。
この子は何を言っているんだろう。いくらもがいても真っ暗な海の底で、ようやく差し込んだ光のような存在の君が、何をこんなちっぽけな自分に感謝する必要があるのか。
玲の言葉を素直に受け取り、感謝の言葉を返したい。あの時、救われたのは自分の方なんだよって、そう伝えたい。でも、その言葉が浮かんでこない。喉から出てこない。
「どういたしまして」
それだけ言って、目線を自分の手元に戻す。もしかしたら、凡庸な自分と、才能に溢れる玲とを比べて、くだらない嫉妬心を感じていたのだろうか。だとしたら、本当に馬鹿げている。
「いや、そうじゃないな」
「え?」
「何でもない」
何となくはぐらかしてみる。まだ、玲みたいに素直な気持ちを口にするのは気恥ずかしかった。
「朔さん、一曲歌ってみてもいいですか?」
気づけば練習の残り時間はあと15分。片付けの時間を考えると、あと一曲がギリギリの時間だ。
「そうだね。やってみようか」
玲はギターを弾きながら、とても楽しそうに歌っていた。本当に、心の底から楽しそうに。
「やっぱ良いな」
「前よりずっとスムーズに歌えた気がします! 朔さんすごい!」
「この感覚を忘れずに、本番も頑張ろう!」
「はい!」
無責任に、彼女をここまで連れてきてしまったのだろうか。そんな思いと羨ましさが頭をかすめる。自分もいつか、あんな風にまっすぐ玲を見つめて感謝を伝えたい。そのためには、まだまだやるべきことがたくさんあるはずだ。その全てに、今は全力で取り組もう。
それが自覚できた今日は、大きな前進と言えるのかも知れない。
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