「私は夢見ただけだったろうか」
──人生は、おおむね最高だ。
〈ミリオポリス争乱〉──メディアではこの呼称で統一されることとなったあの一連の事件から数ヶ月が経った現在。陽炎はMPB遊撃小隊
何年もの間、この都市に根深く巣食っていた犯罪者共を、徹底的に一片の慈悲もなく一掃したにも関わらず、未だ〈ロケットの街〉の不名誉な愛称を返上するには至らず、毎日のように起きる凶悪事件を捜査/逮捕/鎮圧の繰り返し。
さらには自らも痛手を負ったMPBの電撃的な復興と新体制をアピールすべく、平時よりも入念に行われる市民への広報活動。
何より、小隊長として後任の特甲児童の指揮・指導までこなさねばならない。〈
──そんな地獄の日々にも、ごほうびの瞬間は訪れる。
MPB本部ビル12階、女性隊員寮、朝5時。いつもなら起床すら困難な時間だが、陽炎はしゃっきりと目覚めていた。
激務のせいでいつもの数倍カオティックに散らかった部屋の中から、着替えと道具一式を引っ張り出して素早く身支度を済ませると、ポケットからチューインガムを一枚取り出し、包みを剥いて口に放り込んでから部屋を出る。
んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、んぐと正確な八拍子を刻みながら、人がまばらな本部ビル1階の正面エントランスを抜けて、外へ。
本部前の道路に、ファイブドアのセダンが一台止まっていた。ドアにもたれかかってる男の姿を見とめて、陽炎の歩調とガムのリズムが早くなる。
「よう、
男の、低いがよく通る声が自分の名前を呼んだ瞬間、陽炎の体温が1℃上昇した。
「おまたせしました、ミハエル中隊長」
ミハエル・
「いや、ちょうど今着いたばかりだ。……ふむ、なかなか様になってるな。腕によりをかけてコーディネートした甲斐があるというものだ」
そう言いながら、ミハエルは陽炎の服装を上から下までしげしげと眺める。
でかでかとトラウトが刺繍されたキャップに偏光サングラス。カーキ色の長袖シャツの上からレインコートとフローティングジャケット。ウエストまでのウェーダーにフェルト底のシューズ。そして釣竿のケースとショルダータイプのツールバッグ。長い赤髪は束ねて結わえて帽子の中に押し込んでいる。
「恐縮です、中隊長」
キャップのつばを下げて謝意と照れ隠しを同時に行う陽炎。
「まるで今すぐにでも大物を釣り上げてみせんといった気概が全身に満ち満ちているが、あいにく俺たちの戦場はだいぶ先だ。今から消耗しないよう、車の中では装備は外しておけよ」
キャップと偏光サングラス越しにこちらの空回りを見透かされたようで、今すぐにでも消えてなくなりたい衝動をこらえながら、陽炎は真顔で答える。
「了解しました、中隊長」
「いい返答だ。
呼べるか! 内心叫びたいのを押し殺して言い訳を口にする。
「いえ、オフでも休職中でも上司と部下の関係は変わりありません。私にとってミハエル中隊長は、いついかなる時でもミハエル中隊長です」
私のバカ。照れ隠しからの反動でつい今までの関係性に逃げてしまう失態。そうじゃないだろその先に進まなきゃダメだろ。あげく”彼女は彼とどうなりたいの?”と6000万光年の彼方から問いかける声まで聞こえてきた。
「では、中隊長の命令なら、どうだ?」いたずら気な笑みで返すミハエル。
勘弁してくれ。 こちらの防御の隙間を的確に撃ち抜くクリティカルヒットに、陽炎はもはや返す言葉も浮かばず、たじろいでしまう。
「はっ、いえ、あの──」
「悪かった、冗談だ。さ、お詫びに荷物を持とう。車に積み込んだら出発だ」
そう言ってミハエルは呆然としている陽炎の手から荷物を受け取り、車のハッチバックを開ける。
その仕草を、陽炎はどこか現実感の無い様子で見つめていた。
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