終焉の地

富田敬彦

 視界の右側には、無人の美しい海岸線が、延々と続いていた。

 はげしい夏の日光に照らされながら、私たち二人を乗せた自動車は、かれこれ二十分近く走り続けていた。緩やかに曲がりくねりながら、道路は海岸に沿って、広い岬の先端へと伸びている。途中で小さなドライヴインを通り過ぎてからは、もう人家も何もなく、ただ雑草や背の低い樹々の繁茂する丘だけが、海を目の前にして続いている。管理地と書かれた看板が、その所々に建てられていた。

 ハンドルを切る私の隣で、真梨まりは座席に深くもたれ掛かり、じっと前方を眺めやっている。余りに静かなので、眠っているのではないかと疑われるほどだったが、彼女は一眼レフのカメラを大事そうに脚の上に載せ、地図を広げて、澄んだ目を確かに開いていた。その黒く艶やかな髪は、肩から流れ落ちて、地図を押さえた両手の甲に触れるほどに長い。ワンピースの短い袖から伸びた細い腕の、薄氷の下にあるかのように静脈の青い色がほのかに窺われる白い肌と、その黒色は美しい対照を成していた。

 真梨は黙りこくっている。別に不機嫌になっている訳ではなく、これがいつものことなのだが、こうして男女二人でドライヴをしているのだから、もう少し会話があっても良さそうなものだと私は思った。しかしそうは思っても敢えて話し掛けることはせず、私もまた無言でいた。冷房の効いた車内には沈黙が満ちていた。

 彼女の性格については、私にもまだ理解し難い点が多かった。彼女は大学の写真部の中でも、変人として通っており、部員でありながら積極的に他の部員と会話しようとはせず、元々規律や活動時間の緩い部であったこともあったが、定まらない時間にふらふらと現れては、気が付くとまたどこかに消えているような奇妙な存在だった。時々、ふいに頓珍漢なことを言っては、部員たちの間に笑いの渦を起させた。折々に開かれる呑み会には、一度も参加したことがなかった。それでも他の部員との間に軋轢あつれきを生むようなことは今のところなく、関係は順調に行っているようではあったが。

 私と真梨が初めて会話をしたのは、部内で行われた小さな作品展覧会のときで、私は彼女の写真を見て、丁度そばにいた撮影者本人に、

「随分と暗い写真ばかりを撮るんだね」と正直な感想を述べたのだった。

「そんなに暗く見える?」

真梨は笑みを浮べて振り返り、壁に展示されている自分の写真を眺めた。

 彼女の撮る写真は、他の部員とは少し違っていた。その全てが風景写真であったが、彼女は打ち棄てられたような汚い路地裏やゴミ捨て場、ラッカースプレーで落書きされた橋脚などの、頽廃的たいはいてきな風景ばかりを撮影していた。まるでこの東京という街の、多くの人が見ずに通り過ぎていきたがる暗部ばかりを、敢えてえぐり出そうとしているかのように。

 こんな陰惨な、頽廃的な写真は、私の好みでは決してなかった。そもそも写真に限らず、私が好んで鑑賞したいと思う作品は、健康的なものや明るいものに限られていて、心を暗くさせるような陰鬱な映画やら、音楽やら、小説やらを好んで鑑賞する人間の気持は、全く理解できないのだった。

 何故、わざわざ陰鬱な作品を鑑賞して、暗い気持になろうとするのだろう。そんなものは普段の生活で味わえば充分ではないのか。意図的に作品上に作り出された、他人の悲しみや怒りを、敢えて追体験する必要があるのか。映画を見るときや音楽を聴くときぐらい、憂鬱から逃れたいと思うのが普通ではないのか。個人の好みといえばそれまでだが、それならば何故彼らの好みはそうなのだろうと、私は屢々しばしば、考えてみるのだった。それでも結論は出なかった。

 だから写真部の活動でも、私は明るい写真、例えば可愛い女の子が花束を抱えて笑っているような、そんな写真ばかりを撮っていた。肖像写真ポートレートを撮影するのが私の得意で、特に若い女性を撮るのが好きだった。部員たちからはよく、どれも似たような写真で多様性がない、などという評価を受けていた。確かにその評価は的を射ていて、私自身が自覚しているところでもあった。肖像写真を撮ることをやめるつもりはなかったが、もっと異なった、別の趣向の写真に挑戦してみようと、私は思い始めた。そんな折の、真梨との初めての会話だったのである。

「私ね、廃墟を撮るのが一等好きなのよ」と真梨は言った。

「廃墟?」私は驚いて問い返した。彼女は頷いて、

「そう、撮るというよりも行くのが好きなのかな。今までにもあちこちの廃墟へ行ったわ。工場とか、鉱山とか、廃校とか、廃村とか……」

「そんなに色々な場所に、一人で行くのかい」

「ええ。だって誰も付き合ってくれる人などいないもの」笑いながら真梨は言った。「他の人と一緒に行った方が、心強いとは思うけれどね。それに私、まだ運転免許を取っていないから、電車やバスでしか行けないのよ」

 その頃の私は、もう免許を持っていた。彼女さえ良ければ親の車かレンタカーを借りて、連れて行ってあげてもいいと思ったが、それと同時に名案が浮んだ。それは行き先の廃墟で、彼女に被写体になって貰い、写真を撮るというものだった。そんな場所での撮影はしたことがなかったが、何だかこれまでとは異なった、新しいものが撮れる気がした。勿論、廃墟などに私は行きたくはなかったが、この女性と一緒にドライヴができて、同時に写真も撮らせて貰えるとなれば、それぐらいのことは全然問題ではなかった。

 そして私がこの計画を提案すると、真梨は喜んで承諾したのである。

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