水族館

富田敬彦

水族館

 わたしはふらふらと歩きつづけていた。ここはどこなんだろうとあたりをみわたす、澄みきった青い空のした、ほこりっぽく、くたびれた町なみ。家々のかべや屋根はくすみ、ひびがはいり、庭は荒れはてている。つよい日光が町なみとわたしに照りつけている、ああそうか今は夏なんだっけ、わたしが着ているのは白いワンピースだった、すずしいところで休もうかな、わたしはへいの陰にそって歩く。

 やがて正面にあらわれたのは、おおきなぼろぼろの建物、かざりもなにもないコンクリートのかべはひびだらけで、黒くよごれ、ずっと長いあいだ手いれもされていないのかしら。それにしてもおおきな建物ね、入口のふるびたとびらも、みあげるほどにたかかった。

 とびらは開けはなされている、だが中はまっくらで何もみえない、入口にちかづいてひんやりとした空気がながれでてくるのを感じた、ふとみあげると、とびらの上のかべにおおきく、かすれてほとんど消えかかった、魚やイルカやカメやイソギンチャクのペンキ絵。それでもこれが何の建物なのかわからなくて、入ってもいいのかしら、だれもあたりにはいない、ただ真夏のつよい日ざしと、やみにとざされた空間とのさかいめにわたしはいる。


 そっと足をふみいれてみる、タイルのしかれた床がこつんと鳴る、やがて目は慣れて、みれば二階までふきぬけになったひろく天井のたかい部屋に、巨大な水槽があり、青いひかりが水槽の上部からさしこんでいる、でも水はなにもなく、水槽の中はかわききっていた。ちかづいてのぞきこんでみる、魚のすがたなどどこにもない、死体すらなかった。ごつごつした岩だけがほこりをかぶりたたずんでいて、水槽の上部からだれかがなげこんだのだろう、いすやつくえがそのまわりにこわれてちらばっていた。

 さらにおくへとすすんでみる、ふりかえると入口のひかりがしろく切りとられたようにやみのなかにうかんでいて、それもだんだん遠くなる、おおきな水槽の青いぼんやりしたひかりも、やがてみえなくなった。

 ろうかのような天井のひくい部屋に入った、水槽が一列にならんでいる、やはり水も魚もない。だがいちばんおくにある水槽だけが青くひかっていた、「こんにちはお嬢さん」およいでいた魚がしゃべる、こんにちは、わたしはことばをかえした。だいだいいろと白のしまもようが入った、みなみのうみにいそうなきれいな魚。なぜあなただけがのこっているの、尋ねると、「機会をのがしたからだ」つづけて、まよいつづけた結果がこれさ、みなさっさとでていくことをえらんでしまった、のこっているのはわたしとタコぐらいだ、ふと魚の視線のさきをみやると、うすぐらい水槽の中、のんびりと歩くタコのすがた。

「わたしたちは退屈ということをしらぬし、さびしさもかんじない、そしてこうして苦もなく生きながらえている、だがこの選択で正しかったのかとかんがえることはあるさ、なにせみながでていったのだから」どうしてだれもえさをやらぬのに生きることができ、水槽もよごれないのだろう、わたしはおもったが、ふと口をついてでたことば、「わたしがつれていってあげましょうか」魚、とくに感謝のいろもなく、「じゃあそうしてくれるかい」あたりにちらばる備品の中、鉄のバケツひろいあげて、水槽のうらにまわり、水とともに魚をすくいあげる。「タコさん、きみはどうするんだ」魚よびかけ、バケツにタコを入れる余裕などないわ、こまったが、タコは「いい」とこたえ、ああよかった。


 おくへすすんでくれ、魚のことばにしたがってすすむ、左右のかべには水槽もなく、ここは通路らしいけれど、どこへつづくのかしらとかんがえる。やがてあらわれた重い鉄のとびら、バケツを床においてなんとか開け、中へ入ると、そこは喫茶室、なぜかぼんやりと明かりがついていて、みれば室内のあちこちにおかれたランプ、木のタイルがはられた床を照らしている。おくからすっとでてきた老婆、「さあさ、すわりなさい」でもお金などもってないわ、すると心みすかしたように「お代はいいからね」ならばとおそるおそるソファーの一つにすわってみる、バケツはむかいの席においた。この部屋もまどはなく、ランプがなければまっくらだったろう。

「のこされたのはわたしだけではなかったのだな」魚いう、そうねとわたしこたえつつ、あの老婆はほんとうに生きているのだろうかとかんがえていた。やがて老婆、ちゅうもんもしないのにはこんできたコーヒーとケーキ。ケーキのいただきには魚のかたちをしたクッキーがのっていた。たべおわって席をたつ、老婆はもうでてこなかった。


 おくにあった木のとびらをおしてつぎの部屋へと入った。また水族館らしいコンクリートのはだざむい部屋。まどからひかりがさしこんでいた。部屋のまんなかにぽつんと一つだけ、青くぬられた台座の上に水槽がおかれているが、中はからっぽだった。それを一人の男の子がじっとのぞきこんでいる。わたしとおない年か、もしくは年したにみえた。

「何をしているの?」尋ねると、「ここにはまえ、にじいろの魚がおよいでいたんだよ」にじいろの魚、それはきれいだったでしょうね。「うん、でもどこかへいっちゃった」どこへ?「わからない」またその魚に会いたい? 「うん」男の子、わたしをみあげる。ついでバケツのなかをのぞきこんだが、「ゲンロクダイか」魚はだまっていた。


 わたしはつぎの部屋へと入った、なぜかこれがさいごのとびらにおもわれる。まっくらな部屋だった。しばらくとびらをあけたまま目を慣らそうとしていた、やがてうかびあがったのはふきぬけでこそないが天井のたかい大きな部屋。かべの一面ははしからはしまで水槽になっていた。黒い水がそこにどっぷりとたまっている。

 ぬっとあらわれたのは、くじらだった。くじらがこんな水槽の中にいるわけがない、おもったけどやはりそれはくじら。じっとこちらをみつめる、その目はやさしかった。

「きみはどこからきたの?」わかりません、とわたしはこたえた。「きみのなまえは?」わかりません、とわたし。「その魚は?」みなのところへつれていくためにもっています。

 くじらはわらっているようなやさしい目でこちらをみていた、が、つぎの瞬間、その巨体はうねった。水がしぶきをあげ、めのまえのガラスが、すさまじいおとをたててくだけちった。黒い水がどっとながれでてきて、バケツはわたしの手から離れた、「ありがとうな」魚わらいつついう、くじらや魚とともに、わたしはもといた男の子の部屋までおしもどされた。男の子のすがたはすでになく、だが台座のうえの水槽には、ひかりかがやくにじいろの魚が、はげしくおよぎまわっていた。いすやテーブルがごうごうとながれてくる、わたしはテーブルの一つにしがみついた。だが黒かったはずの水はいつのまにか澄んでいて、もしかしたらわたしは水の中でもへいきなのでは、ためしにもぐってみた、水にはんぶんまでみたされた部屋。わたしは水のなかでも呼吸ができた。

 ああ、わたしは魚。青いひかりの中をおよぎまわって、やがてはうみへかえってゆくのよ。おひれを水のながれにたなびかせるの。だれもわたしをとめられないわ、わたしはいまこそ自由なのだから。水をける、水をかく。わたしのからだは、おどろくほどに思いどおりにうごいた。

 いつのまにかたくさんの魚があたりをおよいでいた。すでにすべてのとびらが開けはなされていたので、わたしはいっちょくせんにさいしょのふきぬけの部屋までもどった。巨大な水槽は水でいっぱいだった、みたこともないようなきれいな魚たちがたくさんいる。あおいひかり。天から、あのたかい空からさしこんでくるひかりのはしら……。


 きがつくとわたしは入口のとびらのまえにすわりこんでいた。からだのあちこちをさすってみたが、水にぬれてなどおらず、あたりもかわききっている。ふりかえってみると、とびらにはいたがうちつけられ、かたくとざされて、中のようすをうかがうことすらできなかった。

 ふと、ワンピースのポケットがいっぱいになっていることにきづく。手をつっこんでみると、魚のかたちをしたあめ、クッキー、そしてかいがらがいっぱい。

 わたしはわらった、たちあがる、さあおうちへとかえらないとね、夏休みは始まったばかりだけれど。

  

  ――二〇一五、一一、一四――

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