第7
「僕はB定食を頼んだのに、なんでA定食を持ってくるんだい、ケンハートくん」
「これは、わたしのです」
「僕のは!?」
「これからもう一度食堂に行って、持って来ます。片手にひとつづつ、同時にA定食とB定食を持つなんてできませんから」
「じゃあ、一個でいいからせめて片手で持ってきなよ」
「それは……命令ですか?」
「人聞きの悪い。こうした日常の中でも、バランス力を磨く機会を与えてあげてるんじゃないか、いつまでたってもヘタレでいたいなら構わないけど、いちいち昼休みが減るよ?」
「こんな食堂から離れた庭で食べるのも?」
「コツを教えよう、手首だけでバランスをとるんだ。腕は体につけない。落とすのが怖いからと脇をしめたら、体の振動が伝わって余計に揺れて危ない、さあ、行っておいで」
「ぅぶぅぅ……行って、来ます……」
「……人前でしごかれるのを、避けたつもりなんだがなあ。……無事に昼メシにありつけるかな、僕は。その前にA定食が冷めちゃうね。ん? だから、僕のを後にしたのか? それとも、先に食べ終わらせないためか、何も考えていないか……?」
「ローラ、君は入局当初は、魔導部で教育を受けていたね。理由は、属種がバンシーだからかい?」
「もぐ……そう、です」
「属種は遺伝かね?」
「……もぐもぐ」
「? 申請書には覚えているだけの親類を記すよう、求めていたはずだが、君のは白紙だ」
「もぐもぐ……」
「口にものを詰め込み過ぎ」
「……先生、は、記憶を二つ、持っていますか……?」
「ふたつ? 二つとは、同じことがらに対して、記憶がふた通りあるような、ダブるって意味かな?」
「……?」
「うーん? 家族や属種に関わりのあることなら、聞かせてもらうよ」
「……両親と小さな弟や妹と暮らしていたような、気がするんです……でも、家計は苦しくて、私は役立たずで、とうとう食いぶちを減らすために、家を出されてしまい、さまよい歩いてたんだと思います」
「あやふやだな」
「はい……行くあてがなくて、道を歩いてたはずなんです。気づくと赤い沼みたいな場所に出ていて、そこで、鬼のような恐ろしいものに、捕まりました……い……い……」
「?……聞いてるよ、ちゃんと」
「痛くて、……は……
「ローラ? ローラ女史?」
「ぁぁああっああんな場所、現実じゃないのに、感触も熱さも痛いのも固いのも苦しいのも、どうにもならないっ、本物で、叫んでも誰にもとど、届かないのに、たくさん誰かが見てる、こんなに苦しいのに、こんなに苦しいのに、わたしの、わたし、の、絶望をぉぉぉお思い知ればいいのに、」
「ちょっと、ケンハートくん? おうっ!?
「ぃぃいいやぁぁああああ」
「ケンちゃんたら、完全に自分の能力制御できてないじゃない……ん?」
「おれはもうダメだっ、おれがダメなんだっ、キミを不安にさせるおれがいけないんだっ、おれなんか、おれなんか、ただのゴミクズだっ」
「……え……誰?……」
「あなたがゴミならっ、あたしはクソよっ、あなたをゴミにしてしまったのは、あたしがこんなゴミ以下のクソ女だからよっ」
「ねえ……近所の茂みのバカップルが
「ギャッ」
「もう一本いっとくか?」
「なな……ひ、人の頭をフォークで突き刺さないで下さい」
「ミートソースは
「えええらそうに……」
「能力を暴走させておいて、何を言う。止めた僕はエライだろうが。……それから? ローラ、君はどうなった」
「わたし、……わたし、は……それ、から、そ、ぁぁああ」
「おっと、話す度に叫ぶつもりかい? ローラ、いいかね、僕の両の手のひらには口がある。こうして君の頭を挟んだまま、力を削ぐことができる、話す気力くらいは残してやろう、そうされたいか? 僕は聞くつもりだ、聞かせるつもりがあるなら、この手を離しても、感情をコントロールしてみせろ」
「……ぅぅうぅぅう、それ、から、手が……爪で体を引き裂かれました、っく、こまかい関節からねじ切られて、なんで、わたしの苦痛が誰にもどこにも伝わらないのか、叫んでも、空気を震わせるだけじゃ足りない、声を通じてあの赤い世界を壊せたら、壊れてしまえばいいと思ったのに、わたしは、食べられていくことが、おぞましかった。にく、肉塊になっていくのが、みじめで、悲しくて、情けなくて、憎悪しながら嫌悪しながら、抑えきれない笑い声が込み上げてきて、笑っていました……醜く辱められながら、おかしくないのに笑ってた……私は、死んだはずなのに、でも、生きてるんです」
「――――」
「家に帰ると、そこには違う家族が住んでいました。でも、ずっとそこに住んでると言うんです。家族の数や見た感じの年齢は合っているのに、どう見ても知り合いではなくて、行くあてがなくなりました。それから、なんとか仕事を見つけても、ささいなことで感情が高ぶると、周りを巻き込んでしまうようになって、どこでも長続きしなくて、転々としているうちに、退治局の募集を見つけたんです。自分がバンシーだと知ったのは、ここに来てからです。家族がどこに行ったのかも、属種も、まったく知りません」
「それは、いつ頃の体験だね」
「……七年前です」
「混沌期のさなかの出来事は、口にしないという暗黙のルールがあるんだよ」
「そんなルールは知りません。先生は、私が見たものが何かわかるんですか?……」
「ルールがあるのは、何も証明できないからだよ。今、現在のルーツを過去に遡って求めることができないんだ。すべて混沌期という壁に阻まれてしまう。だから、口にしない、つまりね、なかったことにするしかないんだ」
「???」
「薔薇の魔女にこのことは話したかい」
「……オルガ長官とは、ほとんど話す機会がなかったので言ってません」
「そうか。君は自分の身に起きたことを知るために、退治局に入ったのかい? それとも……君が見た鬼を駆逐するため?」
「……最初は働く場所を見つけるため。怖い記憶を思い出す暇がないくらい、忙しく働きたかっただけです。……でも、ここには私が泣いても巻き込まれない人が、いました。先生方もそうですし、八神やトムもなんともないんです。だから、私はここで働きたいんです」
「でも、君は魔導部から外されるような態度を示し、魔導の素質があるバンシーの能力に、背を向けたわけだな?」
「泣いたり笑ったりすれば、あの光景と、乱れた自分の姿を思い出します。……あんな本性を知りたくなかった。あれは私の中の欲求が見せた夢なんでしょうか。私は自分のこともバンシーの力も、し、信用できません、頼りになんてできない」
「混沌期が何かについては、ブラックボックスなんだけど、そのことも踏まえて、講義はしたんだ、局員としては必要な知識だからね。クソビッチなローラは爆睡こいてたけどね」
「ご……、ごめんなさい」
「そのポンコツの脳みそには、正攻法は似合わないようだから、弟子らしく君には僕の解釈を飲んでもらおう。裏事情ともいう」
「裏事情……?」
「君が体験したのは『赤い記憶』という。混沌期の特異点で起こる現象のことだ。二次元と三次元は混ざり合い、各地での時間進行はバラバラだった。ある場所では逆行したし、ループもした。ゆえに、混沌期では何でも起こった。乱暴な表現だが、もっともわかりやすい説明だ」
「????」
「現在と混沌期でつじつまの合わない事実がある時、それを混沌の赤い記憶と呼んでるんだよ。君にとってその出来事は真実だけど、現在においては、事実じゃない。死んでないという事実がある以上、君の体は食われてないし、犯されてないし、殺されていないことになる」
「……」
「でも多分、何かがその時に書き換えられて、君はバンシーになったんだろう」
「!?……っ」
「だけどね、何度も言うがそれは証明できないんだ。僕たちは混沌が収束した時に、横一列に並ばされて、同じ時間の中でスタートを切らされた。その時に、混沌で生息していたのに、不文律が合わないからと、なかったことにされた存在が、数えきれないくらいいる。僕や君が今ここで生き残ったという実感がないように、ほとんど誰もそのことを覚えちゃいない。それほどの改変があったんだよ」
「……私が見たものは、夢じゃないけど、夢のようなもの?」
「僕の言葉からローラがそう感じたのなら、そう解釈すればいい。言えるのは、みじめでも不信感でいっぱいでも、バンシーとしてあるいはローラ・ケンハートとして、君がここにいることがすべてだ、ということだ」
「先生も……何かあったんですか?」
「!……混沌期は楽しかったよ」
「オルガ長官に会ったのは、そこでですか?」
「オルガはあの頃、獣魔駆除局の技士だったからな、賞金稼ぎの僕とは敵だったね」
「賞金稼ぎ?……」
「あら? みんなには印象悪いから言ってなかったっけ? まぁ、でも、実際に魔女殿を見かけたのは片手ていどだな。あの人現場主義じゃないから」
「……」
「なんだい?」
「さっきは、ありがとうございました。……オルガ長官に紹介してもらって。忘れられていたことは、いいんです。慣れてます。先生は、私のことであんな面倒なこと、もうしないで下さい」
「ローラ、君、僕に気を遣ってるのか?」
「……だって。今も、さっきも、二時間前も
、三時間前も、もっと前から、ずっと迷惑かけ通しで……わたし、わたしは、ほんとにダメな、ぁ、ぁぁああ」
「いいかげんにしろよ」
「っ……」
「僕が教鞭をとった生徒の中で、やむを得ない事情もなく、落第したのはキミだけだ、要領が悪い、飲み込みが悪い、やる気がない、なまけ者。どれだけ最悪かなんてことは僕の方が思い知ってる、オルガに紹介したことも、身の上話に耳を傾けることも、全部、君を教育するために決まってるだろう」
「……私に、先生の弟子は、向き、ません」
「もう遅いよ。ここを辞めたくなければ、君は僕についてくるんだ。向いてないなら、向かせるだけだ」
「先生……」
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