第三話 ここは天国か、それとも……
鷲津零とは、小学校中学年からの付き合いだった。薮木と鷲津。同じクラスになることが多くて、名簿順では前後で並んで座ることがほとんどだった。
彼は子供の頃から中性的な容姿で、新年度は決まって周りの注目を集めた。だが、すぐに彼は孤立した。協調性が無い、どころではない。
社会不適合者。零という人物を表すには、最も適切な言葉である。
「独り暮らしだから、好きなように寛いでいて良いよー」
「……お邪魔、します」
零に引っ張られるがまま、俺は彼の家に転がり込むことになってしまった。海から少し離れた十階建てのマンション、そこの六階の一室が彼の今の
バブル期に建設されたこのマンションは、古びてはいるが作りは頑丈で入居者も多い。学生の頃は、ここに住んでいる友人も結構多かった覚えがあるが。
「あー、お腹減った。そうめんでも茹でようかな、ケーゴも食べる?」
「え、あ……ああ」
クーラーを付けてから上着を脱いで、零がごく自然な様子で台所に向かった。いや、確かに腹は減ったけど。このまま食事なんてしている場合なのだろうか。
だって、相手は死んだ筈の人間だぞ。もしかして、地元に見えて天国とか地獄とか、そういう場所だったりするのだろうか。
俺……実はもう死んだ?
「あの、さ。零、テレビ……点けても良い?」
「良いよー」
テーブルの上に置いてあったリモコンを取り、テレビを点ける。チャンネルを回せば、丁度見覚えのあるワイドショーが始まるところだった。
『こんにちは、八月八日の水曜日ですね。いやー、本日も暑いですね』
『ええ。平成最後の夏は記録的な猛暑となりそうです。テレビの前の皆さん、水分と塩分補給を忘れずに、少しでも体調の不調を感じたらすぐに空調の効いた部屋で休むようにしましょう』
知っているアナウンサーとタレントが交互に話している。俺がトラックに撥ねられたのは、八月七日だった。
一日経っているが……今の状況を解明する手掛かりにはならなそうだ。
「ここ、本当に零の家なのか?」
あまりジロジロと見るのも気が引けるが、後ろめたさを無視して隅々まで観察することにした。流石に築四十年の歴史を感じるが、それ以外は特におかしなところは見つからない。
むしろ、どこを見ても彼らしい家だ。派手な装飾は取り払われ、落ち着いたシンプルなレイアウト。そこにすっきりと整理された本棚やコンポ、ソファにラグ、テーブルなど。隣の部屋は、彼の趣味である絵やプラモデルなどのアトリエとなっているようだ。
こいつ……完全に独り暮らしを謳歌してやがる。
「……あ」
不意に、アトリエの中の本棚にそれがあるのを見つけてしまった。海を模したデザインが表紙の、星坂中学校の卒業アルバムだ。
零が卒業アルバムを保管しているなんて意外だ。つい本棚に歩み寄って、それを見ようと手を伸ばそうとした。
でも、それも遮られてしまう。
「出来たよケーゴ……うん? どうしたの」
「え! い、いや……何でもない」
零に呼ばれると急に罪悪感が大きくなってしまって、結局そのまま見なかったことにするしかなかった。出来るだけ平静を取り繕いながら、促されるままにローテーブルの前に腰を下ろした。
「……零って、料理出来るのか」
「昔から自炊してたし、独り暮らしが長いからね。麺茹でて、つけ汁を作っただけだから、料理って呼べる程のものでも無いけど」
いただきます。行儀良く手を合わせる零に、俺も倣う。まさか、死んだ友人と一緒に食事をすることになるとは。
恐る恐る、一口分のそうめんをとってゆっくり啜る。あ、いつも食ってるものより上等なやつかも。しかもつけ汁は市販の麺つゆではなく、自家製のようだ。しかも具材としてごま油の風味がついた豚バラと茄子、ネギが入っている。
「……零のくせに、普通に美味い」
「凄い言いよう。僕ってそんなに不器用だと思われてるのかな」
「不器用だとは思ってないけど、お前って昔から面倒なことが嫌いだっただろ」
「あー、それは否定出来ないね」
つるつると綺麗に麺を啜る零。そう、彼は昔から極度の面倒臭がりだった。それも、特に嫌がったのが人間関係だった。
遠足や修学旅行、運動会に合唱祭。クラスの仲間達と一緒に、力を合わせて頑張る。そういう場面を、彼はいつも避けていた。拒絶していた。
クラスに一人は、そうやって格好つけたがる天邪鬼は居るものだ。しかし、零のそれは決して格好つけの類では無い。
他人に自分を合わせることが出来ない。自発的な行動ならばまだしも、誰かに自分の時間や自由を奪われることが、彼にとっては何よりも嫌悪すべき事柄なのだ。
「零、お前……仕事とか、してる?」
「平日の真昼間から、酒飲みながら海を眺める人間が仕事なんてしてると思う?」
「はは、だろうな」
思わず、苦笑してしまう。そうか、彼は大人になっても変わらないのか。今までずっとざわついていた胸中が、少しだけ安堵する。
「でも、それならどうやって生活してるんだ?」
「一人だからねー。株とかFXで生活費くらいは稼げるよ。このマンション古いから、間取りの割に家賃も安いし」
「へえ……でも、おばさんには何も言われないのか? 働けとか結婚しろー、とかさ」
確か、零の家は母子家庭だったような。小さな一戸建てで、母親と二人暮らし。父親はどうしたのか、俺は知らない。
貧乏ではなかったが、裕福とも言えない家庭環境だと思うが。
「関係ないし、どうでも良いよ。母親だろうがなんだろうが、僕以外の人間なんて他人だし。他人に強制されること程、馬鹿馬鹿しいものは無い」
「わー、言うと思った」
「そうやって流してくれるのは、ケーゴくらいだよ。他の誰かにこう言おうものなら、あれこれ材料やら根拠を探してきては必死にマウントを取ろうとするからね。鬱陶しいったらないよ」
ごくごくと麦茶を飲みながら。会った時はビールを飲んでいたが、散歩の途中で気が向いたから買っただけで、決してアルコール中毒というわけではないらしい。
「ていうかさぁ、ケーゴは僕にこう言って欲しかったんじゃないの? 昔みたいに、自分より酷い人間が存在することを確認して、安心したかったんだろ」
「んぐ!? ゲホッ、ゲホ……な、なんでそうなる!」
驚きのあまりに、啜っていたそうめんが変なところに入ってしまい盛大に噎せた。あはは、馬鹿っぽーい。零が暢気に笑いながらティッシュを箱ごと渡してきた。
それを受け取って、何とか大惨事を防ぐ。
「だってさー。ケーゴ、なんかすっごい老け込んだし。さっき首から下げてた名札って、どこかの企業のでしょ。社会人って、苦労するんだねー。誰かを見下して優越感に浸らないと、やっていけないんじゃない?」
「ごほっ……お前、そういうところマジで変わらないな」
「きみは変われたよ、ケーゴ。凄いねー、偉い偉い」
「バカにしてんのか」
「してないって、本当に凄いなーって思ってるよ。特に、その指輪」
すうっと細められた視線が、俺の左手薬指に注がれる。彼に指摘された途端、恥ずかしいとも息苦しいとも言えないような感情が溢れそうになって、思わず拳を握って零から隠そうとしてしまう。
今更、無駄なのに。そんな俺を見て、零が小さく笑った。
「人間嫌いなきみが、結婚指輪を嵌められるくらいに変われたなんて。僕は心の底から凄いって思ってるんだよ」
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