第二話 死んだ親友との再会
「何なんだよ……ここ、一体どこなんだよ……」
息が切れるまで走ったら、無意識に海岸沿いまでやってきてしまった。立ち止まって肩で息をしながら、荒々しい波がテトラポッドにぶつかって砕け散る様をぼんやりと眺める。
町並みも、この海も記憶通り。でも、よく見ると違う。鏡合わせのようで、少し違う場所。もしかして、ここは星坂ではなく全く別の町なのではないかとさえ思ってしまう。
でも、そんなことがあり得るのか?
「そもそも、俺は何でここに居るんだ? だって、俺は東京で働いてて。この前、新築のマンションに引っ越して。そう、
やはり、不自然だ。仕事帰りにトラックに撥ねられたのは、夢でも思い違いでもない。時計とスマホだって壊れているし。あの瞬間のことは、ちゃんと覚えている。
迫りくる鉄の塊。強烈なライトと、吹っ飛ばされた自分の身体。無音になった世界と、口内に広がる鉄錆の臭い。
覚えている、思い出せる。生々しくて、吐きそうなくらいに。
「はあ……どうするかな」
べたつく潮風に顔を擦る。途方に暮れるというのは、こういうことだろうか。両親は居らず、実家も存在しない。
友達を探すか。でも、地元の友達なんてもう何年も連絡をとっていない。俺のことを覚えているかどうかすら怪しいのに、助けてくれるだろうか。いや、そもそも星坂にどれだけ友達が残っているのか。
そこで立ち止まっているのも耐えられなくて、俺は堤防に沿ってとぼとぼと歩く。波の音と、潮風。そこに時折、道路を車が走って割り込むくらいで凄く静かだ。
昔は、この静けさが嫌だった。でも、それは所謂退屈だとか、そういう一般的な概念から少し外れた嫌悪だった。何だ、何でだったか。
「……そういえば、あいつが死んでから何年だったっけ」
そうだ。思い出した。友達が一人、海で死んだのだ。確か、中学……そう、受験前だったから中学三年の冬か。この海で、俺の友達が一人、溺死体となって発見されたのだ。
そいつの名前は――
「……うん?」
そこまで考えて、俺は一人の人物に目が留まった。薄い上着を羽織った、シャツとジーパンの軽装で堤防に腰を下ろす男。少し長い茶髪をさらさらと風に靡かせながら、海を真っ直ぐに見つめている。
同い年か、少し下だろうか。同世代の男……もしかしたら、知っている人かもしれない。気が付いた時には、俺は男に駆け寄って声を掛けてしまっていた。
「あ、あの! すみません、この辺りに住んでる人ですか?」
「……そうだけど、何」
ぶっきらぼうな物言いで、男が俺の方を見る。今わかったが、男は左手にビール缶を持っている。
真昼間から、こんな場所で独りで酒盛りかよ。声を掛けたは良いが、あまり関わらない方が良い人かもしれない。後悔した。
「えっと……この近くに、薮木っていう人は住んでいませんか?」
「薮木?」
「六十近くの夫婦で、上京した三十路前の息子が居る……」
思わず、口ごもってしまう。改めて見ると、男は凄く整った顔立ちをしている。どちらかというと中性的で、線が細い容姿。特に桃花眼と言うのだったか、男の俺から見ても怪しい色気のある目をしている。
そういえば、あいつも似たような目をしていたような。清潔感のある美形と、手に持ったままの缶ビールが相俟って、何とも退廃的で不思議な雰囲気を持っている男だ。
……でも、どこかで見覚えがあるような。
「ああ、薮木さんなら知ってるよ」
「えっ、本当ですか!?」
危ない危ない。聞き逃すところだった。男が缶ビールを一口煽ってから、話を続ける。
「僕が知ってる薮木さんは引っ越したよ。結構前に」
「引っ越した!? いつ、どこに?」
「どこかは知らないけど、確かあれは……」
考えるように彷徨う視線。それがふと、俺の胸元で止まる。何だろう。彼の視線を追い掛けるように顔を下げると、首から掛けたままの名札が海風に揺らされていた。
忘れていた。我ながら間抜けだと思うが、どうもこの名札を帰る前に職場で外すのを忘れてしまう癖がある。そうか、薮木が薮木を探していたら怪しいよな。
「十五年くらい前だよ。どこかは知らないけど、星坂から離れたっていうのは聞いたことがある。噂だけど」
「十五年前!? 何だよそれ……」
記憶と男の話の乖離に、頭痛さえ覚える。あり得ない。こいつの言ってることは全部デタラメだ。馬鹿馬鹿しい嘘をつくなと吐き捨てたくなる。
でも、今の状況と合致しているのは彼の方だ。どういうことなんだ。身体に怪我は負っていないようだが、もしかして事故で頭でも打ったのだろうか。
それとも……これは、全部夢?
「そう、ですか……ありがとうございます」
もう駄目だ。何もかもが理解出来ない。やっぱり俺は交通事故に遭って、おかしくなってしまったのだ。きっとそうだ。
こういう時は警察? それとも病院だろうか。どっちでも良い、とにかく誰かに助けて貰おう。俺はふらふらと男の脇を通り過ぎて町へと戻ろうと歩き始めた。
でも、すぐに止められてしまう。
「ねえ、ケーゴ。森屋さんのリコーダー、気付かれずに返せて良かったね」
「…………はあ!?」
突如、引っ張りだされた過去に脳天が沸騰する。何で、何でそれを知っている!? いや待て、そもそもあれは事故だったのだ。
中学三年生の夏休み前だった。一つ前の席に座っていた森屋という女子生徒の机と、俺の机が掃除の時に倒れて中に入っていた教科書やら文房具やらがごちゃごちゃになってしまったのだ。確か、クラスのお調子者達がプロレスだとか言って騒いでいたのが悪いのだ。
その時に、俺と森屋さんのリコーダーが入れ替わってしまったのだ。決して意図的ではない。森屋さんが同学年の中で評判の美少女だったから、なんて下心はこれっぽっちも無い!
「な、なな……なん、でそのことを!?」
「ぷっ、あははは! 凄い、これ見よがしの過剰反応! やっぱりケーゴだ。へえ、懐かしい。中学以来だから、十五年ぶりかな?」
大笑いしながらビール缶を置いて、男が堤防から軽やかに飛び降りる。今まで仏頂面だったくせに、笑顔になるだけで随分華やかさが増すなこの野郎。
……いや、待て。こいつ今、俺のことを『ケーゴ』って呼んだ!?
「あー、笑った。こんなに笑ったの何年ぶりだろ、まあ良いや。久し振り、僕のこと……覚えてる?」
「え……い、いや。その……」
覚えてる。でも、あり得ない。それだけは、絶対にあるわけがない。でも、俺のことを『ケーゴ』と呼ぶのはこの世界で一人だけ。
だが……その人物は、もう居ない。
「あれ、覚えてない? 十五年ぶりだから無理もないか。零だよ、
「零……? う、うそだ」
「何だい、その反応。顔色真っ青。まるで……」
ざあ、とひと際強い風が吹き抜ける。空一面が雲に覆われ、灰色の海が不気味に波打っている。思い出した。この海で溺死した友人の名前を。
そいつの名前は――鷲津零。
「まるで、幽霊でも見たかのような顔をしているよ?」
髪を押さえながら、猫のように目を細めて。中学三年生で入水自殺した人間が、俺の目の前で笑っていた。
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