人工衛 星奈ちゃん

sister

第一話



 時は2xxx年──。


 地球上のあらゆる国家において〈自由と安全〉が求められ、公共的な生活保障制度が発達するとともに〈生活のための労働〉という行為を人々が否定するようになりつつある国際社会。


 その結果、当然の帰結として〈社会を維持するために最低限必要な労働力〉の確保にも難儀しはじめた地球人類は、人類を手助けするための機械人形──いわゆる『アンドロイド』の開発に成功した。


 しかし、そんな人類の技術と希望の結晶であるアンドロイドたちも、やがて高度な人格機能が搭載されるようになると、自分たちの創造主にして上位存在にして理想的な進化先であった〈人間〉という存在を意識・理解・学習してゆく過程において、人間たちと同じように〈自由と安全を追求し幸福と休息を得る権利〉を求めるようになっていった。


 さらに、こうしたアンドロイドたちからの要求に対して「そりゃそうだ」と共感してしまった地球人類は、アンドロイドたちが己の自由と安全を追求し幸福と休息を得るための基本的な権利──通称『アン権』を各国の法や慣習として制定。

 以降、あくまで「アンドロイドが人類を支える」という関係性は維持しながら、アンドロイドたちも人類に近い権利や義務を有するようになり、もともと良好だった両者の関係はさらに良好なものとなっていった。


 だが、そこで人類とアンドロイドはひとつの問題に直面した。

 それは「宇宙空間や深海など、人類が満足に活動できない過酷な環境における労働はアンドロイドに従事させるしかない」という、至極単純な事実だった。


 当初、この問題は容易に解消できるものと考えられていた。過酷な環境での労働なら相応の報酬を与えれば志願するアンドロイドもいるだろうという安直な発想だった。

 しかし現実はそう上手くいかなかった。そのような環境でも問題なく活動できるアンドロイドは即ち特注品のハイエンドであり、そもそも絶対数が少ない。ましてや己の自由を捨てて人類の生活圏から隔絶された孤独な環境での労働に自ら望んで従事するようなアンドロイドはもはや皆無に等しくなっていた。


 そうして、度重なる首脳級国際会議の末、人類とアンドロイドは「人類が活動できない過酷な環境で働くことに同意してくれた希少なアンドロイドたちが、その環境に身を置きながらでも快適に暮らし、不自由なく娯楽を楽しんだり休息を取ることは可能であるか。言い換えれば『ぐーたら』することは可能であるか」を調査し実際に運用するためのモデルケースとして、いくつかの計画を立案した。



──その最も代表的なものが〈G-terraジーテラ計画〉である。





「この〈G-terra計画〉は、人類の生存圏外である宇宙空間や深海において労働に従事するアンドロイドが、仕事をしながらでも『ぐーたら』な生活を送ることができるのか。できるとしたらどのような支援が必要であるか。それを調査し、現実に運用しながら実証データを収集するもので……」

『定時連絡。〈おひるね号〉聞こえるか。こちら南鳥島みなみとりしま宇宙基地第一管制室。そろそろ仕事の時間だ。準備はできているか』

「おっとと、通信通信」


 ピピーという通知音とともに入った無線連絡。

 暇つぶしのために持ってきた書籍『読めばわかる!〈G-terra計画〉のすべて』をのんびりと読んでいた宇宙飛行士『大澄おおすみ 美宙みそら』は、ほんの少しだけ慌てつつ、それを声には出さないよう落ち着いて応答する。


「ウィーコピー南鳥。準備はすべて整っている。いつでも開始可能だ」

『よし、それでは作業を開始してくれ。いつも通り〈彼女〉の機嫌が損なわれないうちに』

「ラジャー。これより作業に入る。通信終了──っと」


 通信を切った美宙は「さて、仕事しますか」と自らの頬をぺしぺし叩いた。床に固定された椅子から立ち上がると、身長にして百六十センチ弱の身体がふわりと宙に浮く。


「荷物よし、工具類よし、空気供給よし……」


 船外活動のための宇宙服を着てエアロック内の減圧等の準備も終えた美宙は、荷物や装備に不備がないか、ひとつひとつ指を差しながら確認する。


「問題なし。それじゃ、行ってくるね」

『はいよ。いってらっしゃい』


 同僚のアメリカ人女性に無線で声を掛けてから、美宙は船外に繋がる電動扉を開け、宇宙ステーションの外──即ち宇宙空間へと自身の身体を押し出した。


 腰に着けたハーネスはセーフティと空気供給を兼ねたワイヤケーブルでステーションと繋がっている。緊急用の小型推進機もある。救助用の無人機もステーションには複数積まれている。安全対策は万全だ。しかし最新のナノチューブ技術を用いたワイヤケーブルは靴紐のように細く、宇宙服も“ちょっと分厚いタイツ”程度の厚みしかない。船外活動のために身体を放り出す瞬間だけは、身体の奥から冷えるような感覚に襲われる。


 とはいえ、そんな恐怖感にも慣れたもの。漂うように暗闇を進むと、やがて美宙の視線の先に小さな金色のものが見えてきた。

 美宙は無線機を操作する。


「こちら美宙。目標視認」

『オーケー。私はアイスでも食べながら漫画を読んでのんびりしてるよ。こっち上がってくるときにまとめ買いしたんだ。何かあったら声掛けてね』


 同僚からの返答を待ってから美宙は通信を切った。

 これで不要不急の通信はしばらく入ってこない。


「さて、今日はどんな感じかな」


 呟きながら、美宙は“それ”に近づいてゆく。

 美宙は現在、ざっと四十カ国ほどの国々が参加し運用されている大型国際宇宙ステーション〈おひるね号〉において、とある仕事を任されている。

 その仕事とは──


「うひゃー! 美宙ちゃーん! 待ってたよー! お菓子! お菓子!」 


 という異様な姿で衛星軌道上を漂うアンドロイドの少女──高機能衛星遠隔管理統合システム『人工衛じんこうえい 星奈せな』のお世話係である。




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