イルカ的地球征服過程
星浦 翼
第1話 現る
「おはよう」
誰かが花村浩太に挨拶をした。
この声は誰だろう。浩太は考えるが、いまだ中学生の浩太に大人の知り合いは少ない。父ではないし、学校や塾の先生とも違う。
目を開くと、正面に白い壁が見えた。そこは白に囲まれた空間で、壁や天井と床、あとは蛍光灯であろう白い光しかない。その簡素な部屋に浩太は見覚えがなかった。
寝違えたような痛みに視線を向けると、自分の体が縛られていることに気付いた。体がパイプ椅子に縄で固定されている。無理に立ち上がろうとすると、身体が軋んで意識を覚醒させた。
「気分はどうかね?」
背後から声がして、浩太は反射的に叫ぶ。
「お前は誰だ!」
浩太の声に、背後の人物は溜息をつく。
「興奮状態はニューロンの誤作動か。やはり電脳物質が足りなかったのではないか? あれほど実績のないものを使うなと言っただろう。脳波シンクロ率は60%を超えていたはずだが?」
「どちらも規定範囲内です。この暴力的な反応は、固体の特徴として考えられるのではないでしょうか」
背後には何人かいるらしく、彼らはせわしなく会話を続ける。彼らの話は理解できないが、自分は彼らに拉致されたらしい。その事実は浩太の不安に拍車をかける。
浩太は恐れに耐え切れず、またしても叫ぶ。
「隠れてないで姿を見せろ!」
「おっと、失礼した」
彼らは軽く言い、回り込んで浩太の前に現れた。
浩太は目の前の光景を信じられなかった。
浩太の目の前には、3匹のイルカが立っていたからだ。
3匹揃って浩太を見下す彼らは、尾ひれで器用に直立している。丸みを帯びた身体は背面が青く、腹が白い。その肌は湿っており、触ったらぬめりとしそうだ。直立しているだけでも驚きなのに、彼らは一匹ごとに個性的な姿をしていて、それも浩太を驚かせた。
中央に立つイルカは、浩太の知る一般的なイルカだ。直立さえしていなければ、水族館にもいそうな愛くるしい姿をしている。しかし、右側に立つイルカは眼鏡をかけていた。前ヒレに分厚いファイルを持っており、神経質そうに浩太を見つめている。また、左側に立つイルカは、横腹に竜のような刺青があり、サングラスをかけていて、まるでヤクザのようだった。耳も無いのに、どうやって眼鏡やサングラスを支えているのだろう?
「安心してほしい」
真ん中に立つイルカがリーダー格なのか、横の2匹を制して口を開く。
「我々は危害を加えない」
イルカの声は成人男性そのものだ。それに合わせて動くイルカの口が、どうしても声と噛み合わない。ファンタジックな光景は、クオリティが高いほどホラーに変わった。二の腕に伝わるパイプ椅子の冷たささえも、浩太は信じられない。
「そもそも、我々が君に危害を加えるのは不可能なのだ」
「ど、どういうことだ?」
「これは夢の中なのだから」
肩透かしをくらう。
これはやはり、夢だったのだろうか。
「我々は超音波により対象の脳波を変調する技術を得た。これにより対象の夢を操ることができる。対象の夢を操ることができるといっても、この世界は夢の中に他ならない。我々が君に外傷を与えても、それを現実世界に持ち越すことはない。意固地にならず、我々との対話を楽しもうではないか」
頭を軽く押さえられ、浩太は眉を寄せる。
ヤクザ風のイルカが、浩太の頭に前ヒレを乗せていた。
「つまり、夢だけど、夢じゃないってこと?」
まるでアニメのような台詞だったけれど、浩太にはそれが精一杯だった。
状況を受け入れられない浩太に不満なのか、リーダー格のイルカはため息をつく。
「我々はイルカ人といいます」
浩太の問いには、インテリ風のイルカが口を開いていた。
「我々こそが地球第3世代の支配者なのです。地球支配者の第1世代は恐竜という爬虫類でした。彼らは一生命としては強大な力を得ていましたが、隕石の衝突により姿を消します。それは彼らが宇宙を〝知覚〟することも出来ない知能だったからです。第2世代は人間という哺乳類でした。彼らは道具を創り出すことで地球を手中に収めることに成功します。しかし、彼らは自分のためにしか道具を使えない哀れな種族でした。人類は目先のものしか生み出せず、資源を食い潰し続ける人間は、自らの首をゆるゆると絞めていき絶滅するでしょう。ですから、その前に。地球という資源がなくなるよりも前に、我々が地球を支配することにしました」
インテリ風はゆっくりと説明するが、浩太には全体の3割ほどしか伝わらない。
「信じられねぇのも無理ねぇよ」
次に口を開いたのはヤクザ風だ。
「人間は何も知らないからな。自分達が地球を牛耳っていると本気で信じている種族だ。それに比べて俺達は頭が良い。俺達は宇宙人の遺伝子に頼らずとも、尾ヒレでの2足歩行を可能にしたんだからな」
「……なんだって?」
疑問だらけの浩太に、ヤクザ風はやれやれと首を振る。
「時間が惜しい。本題に入ろう」
リーダー格の言葉に、2匹のイルカが頷いた。
2匹はリーダー格に場を譲るようにして1歩ずつ後ろに下がる。
「日本が海洋プレートと陸地プレートに挟まれているのを知っているかね? 我々の技術があれば、海洋プレートを押すことで、人工的に地震を作り出すことができるのだ。我々の目的は1つ。我々にも陸地を分け与えて欲しいのだ。我々は頭が良いが、その頭の良さにも限界がある。なぜなら、水中には酸素がないからだ。酸素は細胞を活発化させ、脳の働きを潤滑に行わせる要素の1つだ。息を止めた際に頭がくらくらとするのは、脳が最も酸素を必要とするからである。酸素さえあれば、貴様ら人間など我々の敵ではない。よって、まずは程度の良い島国の日本を渡してもらいたい。しかし、我々は野蛮な人類とは違う。話し合いにより地上を明け渡して欲しいのだ。日本人として、我々の要求をどう思うか話してくれないか?」
浩太は首をかしげる。
真面目に考え始めたくせに、考えれば考えるほど〝俺は夢の中で何を悩んでいるんだ?〟と自暴自棄に陥ってしまう。そもそも、日本を渡せるはずがない。浩太はそこから説明することにした。
「人間の国は、渡そうと思って渡せるほど簡単じゃないんだ。日本人は日本に住んでるから、日本以外に住める場所が無いんだよ」
浩太は結局、最初に思いついた言葉を口にしていた。
「だから、日本を渡すのは無理だ」
浩太の否定的な言葉にリーダー格は頷くと、
「確かに、無理であろうな」
2匹のイルカからも「そうだそうだ」と声が上がる。
「野蛮な人類とはコミュニケーションが難しいですね」
「当初の予定通り、武力行使で頂くべきだ」
野蛮な色を帯び始めた会話に驚く。
浩太の動揺を他所に、リーダー格はにやりと笑った。
「浩太君の協力に感謝する」
それを聞いた途端、浩太の体が揺れ始めた。
パイプ椅子の足が床と擦れて音を立て始める。揺れているのは体ではなく、部屋全体だと気付いた時には、すでにイルカ達の姿が無かった。部屋には浩太だけが取り残されている。増大していく揺れに、浩太は命の危機を感じた。浩太は椅子ごとジャンプを続けて向きを変える。
扉の1つぐらいあるだろうと考えていたけれど、背後にあったのは白い壁だけだった。その間にも揺れは増大し、天井にイナズマ形のひびが入るのを浩太は見た。
その驚きが油断に繋がった。
一段と激しい揺れに重心がずれる。浩太は細い悲鳴を上げながら、パイプ椅子ごと横倒しに倒れていく。
椅子と床のぶつかる音が部屋に響いた。
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