第2話術士と自由の行進


 私は森の中を必死に裸足で走った。


 整地されていない獣道をなりふり構わず走り続けた、整地されていないだけあって剥き出しになった石や木の根にもはや足はボロ雑巾のようだった。だがこの森を抜け海を泳げば他国へ行ける、そう思うことですり切れていく精神を僅かに支えていた。島国であるモリージェリーを出るにはその方法しかないのだ、幸いそれほど大陸とは離れていないと判断したので皆が浮かれている間にここまで辿り着いて来たのだ。




 自由の為に人として生きる為に。




 数時間も走れば視界が変わってきた、木々の間から青白い光がキラキラと輝いて見える、はっきりと耳に伝わる鼓動と密封された空気が鼻をかすめる「あぁ…!!海だ!!」生命の母と呼ばれる海なる物が私の瞳に映るのかとここまで来て初めて自由への希望が生まれた。だがすぐにそれは絶望へと変化した。




「えっ_」




 ただ海は広がっていた。


 何処を見ても青に埋め尽くされている、さして問題ではないがそこが重大な問題だった。ポケットから半分に折られた紙を開きあたりを見回した、地図には海を挟んだ所にバルンカ帝国と言う島国があるのに何処を見渡しても面影も何もないのだ、まさか偽物じゃないかと思うがそれは決してあり得ないだろう。




 自分達を買ったお金持ちが偽物をわざわざ買うなんて馬鹿な事はしない。




 ドサッ




 私は結局自由にはなれないのだろうか、膝から崩れ落ち小さく切った地図を握り締めた。奴隷と言う立場で一生人生を人ではなく物として使われるのか、両手で顔を覆い体が崩れ落ち肩をふるわせた。日が沈み始めたからなのか、半袖のワンピース一枚では寒くなってきた、それでも私は海を睨んでいた。




 このまま終われるか?




 終わらせない、そう思い頬をバチーンと両手で叩き気合いを入れた。何処までも泳いでやる必死に生きてみせる、その思いだけで自身を奮い立たせた。


「振り返らない」


 自分に言い聞かせて徐々に海へと入っていった、肌や服に当たる水の感触に不愉快と言う感情を抱く、すり傷などに激痛が走るだが一歩ずつ確実にバルンカ大陸を目指して歩いた水位が首までたっした時、周りが人工的な光で明るくなりとっさに後ろを見てしまった。






「ッ_!!」


「ッ_!!ッ!!」


「ッ!!ッ_!!」




 見たことの無い軍服のような物を着ている3人組に大きな声で何かを叫ばれた、私を捕まえる為に雇われた人達なのかも知れないと思った瞬間、胸、肺、喉に痛みが走る、水中の中なのに足がガクガクしてきた。


「モリージェリー人だ!!今すぐ海から出てこい!!」


「それは自殺行為よ!!」


「死ぬぞ!!」


 意味の無い私を心配する声に背き私は陸とは反対に泳ぎ始めようとした急いでいるため動作がおぼつかず溺れそうになると後から小さな女性の悲鳴が聞こえる。




 魚なのかわからない物が私の手や体に軽く触れる。傷口が痛むのか時々チクっとした痛みが腕に走る、感覚が麻痺したのかピリピリしてきた、その感覚に溺れそうになったとき耳を劈くような大きな声が聞こえた。




 何を言ってるのかは分からない、ただ感覚がよく分からなくなってきたのだけは、はっきりと理解できた。口を開くも言葉が出てこない中やっとのことで声にすると自分でも情けないと思うほど頼り無い声だった。




「…花?」




 水中に浮く四つの花びら…脳がそれを理解した瞬間何も感じる事が出来なくなった。






 一切の光もなくただ凍るような風が吹く新月の夜。


 まともに整地されていない道に石や木の根が剥き出しになっている、かすかに空気を震わす空洞音は枯れ果てた井戸からの音だった。少し壊れている無人の家で先程海に溺れていた少女と俺達は休息をとっていた、変色した壁や家具が長い間使われていない事を強調している、蜘蛛の巣だらけの隅を見て俺は眉を中央に寄せる、きしむ床と建物の錆た臭いが印象的な散らかった室内に赤髪の術士のウィンは木製の壁に背を預け、俺は床に腰を下ろし、黒髪の術士のユキノは気絶した少女の看病をしていた。


 イグルス森林の中にある小さな村は奴隷狩りにあったのか数多の家は崩れ落ち柱などには深い傷がついている、悲しいことに今の時代そんな事は珍しくない。静寂が広がる中ただ少女の痛ましいうめき声だけが聞こえた。




 今からモリージェリー王宮に行くには少し気がひける、それに森林の近くには〈魔物まがもの〉達のテリトリーがきっとある、今ここを抜けモリージェリー王宮に行くのは無謀だ、だが早めにこの任務を終わらせたいのは本心である、考えるほど頭はゲシュタルト崩壊していく俺は軍服の袖をもてあそび過剰に唾を飲み込んだ。


 やはり明るくなるまで待たなければならない。




 俺は少女を見て眉をひそめる、少女は胸の位置で自身のお世話にも綺麗とは言えないワンピースをぎゅっと掴んでいる、ユキノはそれを見てはっと息をのむウィンも目を見開きユキノと目を合わせた。




「私の声聞こえる?聞こえるなら右手を挙げて」


「今タオル持ってくる」


「シルバー!私の鞄から風邪薬とって」 




 弱々しく挙げられた右手を握るユキノは少し動きがぎこちなかった、俺は鞄からラベルに丁寧に風邪薬と書かれた瓶を渡す、わざわざラベルを書くとは、律儀な女だ。タオルを取ってきたウィンは少女の額に流れる汗を拭くために触れるとその体はこわばる、ユキノは少女の顎を前に出し気道を確保し呼吸をしやすくさせる、そして薬と水を飲ますとその顔は苦さを表すように歪んでいる。流石と言うかどの国でもこの薬はまずいらしい。




「やっぱりこの子を置いては行けない」




 痛みを訴えるように声が響いた。




 濡烏ぬれからす色の髪が動きに合わせて揺れる、黒色の瞳が映すのは目の前にいる少女なのか、それとも生きていたらこの歳ぐらいの流産で失ったウィンとの子供なのか、美貌の二文字が合うその顔はわずかに険しい表情で唇をぎゅっと結ばれ、不自然なほど押し黙り治療の手が止まる。




 またも沈黙する。


 欠陥した部分から冷たい夜風が入り天井からつるされたランタンが揺れ動く、ウィンはユキノの隣に座り体を引き寄せ自身の唇を強く噛みうつむく。胸が締め付けられるような気がした、自分はその出来事と一切関係無いはずなのに喉の奥が強く痛んだ。




「ん…」


 欠陥した天井から顔に太陽の光がかかり心なしか温度差で目が覚めると布が擦れるような音がした。起きたか、と思い俺は瞼を上げると少女は上体を起こし気落ちしたような表情が見える今の状況が分からないのか、その視線は一つに留まる事は無かった、鳩のようにキョロキョロと周りを見る少女はやっと俺が居ることを把握出来たらしく肩が数ミリ上がり、目を丸くした。




「起きたか?何か飲み物を持ってこよう」


「え?は?」


「おい、ユキノ!ウィン!起きたぞ」




 なかば少女を無視して台所からとても良い匂いが漂ってくるのできっと2人ともそこに居るだろうと想定し俺は二人を呼ぶと何処から持ってきたかよく分からない木製の茶碗を4つ持ってきた、目をこらさずとも見える湯気に食欲がそそられる。




「おそようさん」


「太陽はもう真上にあるよ?」


「昨日は色々あって疲れてるんだ、つまりウィンの寝相で何回か起こされた」


「は?え?」




 コトンと床にお粥が入ったお椀が目の前に置かれる、少女は口をポカンと開けてお粥を二度見し頭を傾けている、ユキノは少女に目線を合わせお椀を受け渡す。まだ頭がついてこないのか恐る恐るお椀を受け取りじっと見つめていた。




「あの…」


「まぁ話は後でにしましょ?熱を出していたから疲れたでしょ?ほらお食べ」




 ユキノは優しく少女の金髪アッシュブロンドを丁寧に撫でる。幸せそうな光景を見ながら黙々と食べていると右側の肩に違和感を感じ、その正体に気付いた。


 右側の肩を肘置きにされる俺の顔はきっと不愉快に歪んでいるだろう、それとは反比例するように俺の右側に座るウィンは気持ち悪いくらいにはにかんでいた。




「俺の妻、可愛いだろ?」


「任務中にのろけ話しすると死亡率上がるぞ、そして気持ち悪い」




 俺はお粥を食べながら、2人を見つめていた。ウィンの視線も必然と2人に向く、あぁ平和だ、幸せだ、こんな日が続けばと本当に思う、何の変哲も無い光景を見るといつもそんな事を思う、少女は一口恐る恐る食べるとその顔はみるみる花がほころんだようにはにかんでいく、誰かに盗られる訳でもないのに必死に急いで食べる姿を見て、お椀を持つ手の手首にある痣を見て胸や手足が重く感じるのは、胸が張り裂けそうなのはきっと勘違いだと無視できたらどれほど楽なのかと思った。

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