レネキス結晶

幕間四   舞い降りた最悪



 地下奥深くにある薄暗い通路には、多くの足音が反響していた。

 多種族たしゅぞく入り混じる一人一人が照明器具を手に持ち、ひたすら道なりを進んでいく。そのだれもが、同じ模様のある頭巾ずきん目深まぶかかぶっている。

(この世界は存在している価値などない。か……)

 セリス・ハルルは流れにしたがい、周囲に視線を巡らせながら心の内側でつぶやいた。

 この世には不平等ふびょうどうしかない。さちあふれる者がいる反面、不幸にまみれる者がいる。幸に溢れた者達には、不幸にまみれた者達など、きっと見えてはいないのだろう。

 普通に産まれ、育ち、過ごし、そしていつの日か死ぬ。ただそれだけの望みですらかなわない者達が存在していたとしても、何も思わない者達がいるのもまた事実だ。


 不公平――これは至極しごく当然のことであり、変えられない事実でもある。人の容姿がそれぞれ異なるのと同じで、人生もまた千差せんさ万別ばんべつであろう。

 だからこそ人は、自分なりの生き方を見つけ、人生を謳歌おうかしていくほかない。

 望む未来がつかめないからといって、世界の滅亡めつぼうを望むのはがすぎているし、ねたそねみをあらわにするのも、お門違いもいいところだとセリスには感じられる。

 今現在、セリスと一緒に歩いている者達にしろ、この先にいる者達にしろ、全員が勝手に世界をうらみ、にくみ、絶望し、滅亡を心のどこかで望んでいる。

(本当に、あわれな奴らだな)

 レヴァース王国の諜報員ちょうほういんであるセリスは、心の底から気のどくに思った。


 ただ、そういった者達の気持ちがまるでわからないわけでもない。さすがに世界の滅亡まで望みはしないが、セリスも不公平に関しては人並みに不満を持っている。

 だから本来、こうした〝あつまり〟に、とやかく言うつもりはない。

 それで心が満たされるのであれば、素晴すばらしいことだとすら感想を持つ。

(世をみだそうとする、過激かげきでもない限りはな……)

 薄暗い通路を抜けた先には大きな広場があった。奥のほうには巨大な二体の石像が立ち、前にある高座こうざには一人の年老いた男が、悠然ゆうぜんと腰を下ろしている。

 教皇きょうこうルクス・リーヴァイという名の老人で、長年ビアガネルス教団に潜伏せんぷくしていたセリスも、実際に姿を見るのは初めてであった。


 ここは悪神あくじん禁忌きんきの悪魔を信仰しんこうする最上の教団本部であり、かくでもある。この所在地を探り、つかむために、これまで身をけずるような思いをしてきた。

 努力が実を結び、セリスの地位は高い。それでも教団の本部どころか、教皇の姿を実際に目にすることさえ許されなかった。だが、事態は急変きゅうへんする。

 今回、くらいの高い教団員のみに招集のめいが下った。招集の理由は、禁忌の悪魔が光の聖女であったと、震撼しんかんせざるをない事実が世界中に広まったからだ。

 とはそばにいるだけでやくおとずれ、とどまった場所に災厄さいやくを振りく――

 だれもが小さなころからずっとそう聞かされ、教えられ、これまで生きてきた。それがまるで対極たいきょくに位置する存在だったというのだから、驚きをかくせるはずもない。


 セリスの任務はビアガネルス教団を監視かんしして、危険きけんな人物や団体の情報を秘密裏ひみつりに王国へ流していく。そして可能な限り、教団で高い地位をきずき上げることだった。

 しかし光の聖女騒動そうどうから、セリスの立ち位置は大きな変化をげる。

 軒並のきなみビアガネルス教団は解体へと追い込まれ、闇にひそんでいた過激かげき活発化かっぱつかし始めた。だがそれも、本日で終わりを迎えるのであろう。

 すでに現在地は王国側へと通達し終えている。ラスティア教団を筆頭に構成された各国の部隊が、もう間もなく投入される手筈てはずとなっている。

 セリスのこれからの任務は踏み込んでくる部隊と共闘きょうとうしつつ、ビアガネルス教団の内側から制圧せいあつしていく。今はまだ、その合図あいずだけを待っていればいい。


 教皇の護衛けいごを担当する側近が、一同の顔を眺めてからうなずいた。

 教皇はゆっくりと立ち上がる。振る舞いや雰囲気が妙な威厳いげんに満ちていた。

みなの者よくぞここまで足を運んでくれた。諸君しょくんらの心労に敬意けいいひょうす」

 しわがれた声で、教皇ルクスはしばらく挨拶あいさつの言葉を続けた。

 天井にある多様たような色で作られた硝子がらすから陽光が差し込み、どこか幻想的な空気感がかもされている。陶酔とうすいした者であれば、雰囲気と声で〝やられる〟に違いない。

 セリスは、教皇の言葉の一つ一つを胸にきざむ振りをしておいた。

「では、本題に入ろうか。すでにみなの耳にも届いておるのであろうが、信仰しんこうしてきた禁忌きんきの悪魔が光の聖女だというのは、まごうことなき真実である」


 教皇にはっきりと断言され、周囲がざわつき始めた。

 百年に一度だけ姿を現す、きり摩天楼まてんろうと呼ばれるところでの品――一冊の書物には真実のみを克明こくめいに記すとつづられており、しかも公平な商霊が認めた書物でもある。

 そこに禁忌の悪魔は光の聖女なのだと明確に記されていたのだから、疑う余地よちなど本来なら欠片かけらすらもない。しかし信者の中には、目をそむけ続けた者も多くいた。

(まあ、これに関しても気持ちはわからなくはないが……)

 この情報をたとき、セリスも信じられない思いを胸にいだいた。それこそ、最初は狂人きょうじん妄言もうげん程度でしか受け取れなかったのをよく覚えている。

 教皇は片手を胸の前にかかげ、信者達を制する。


「光の聖女を祭り上げたとして、みなの心に疑心がいた者もいるのであろう。怒りを覚えた者もいるのであろう。しかし、よく考えてみてもらいたい。光の聖女を禁忌の悪魔とえ置いたのは、我々われわれがもっともあがまつる悪神様ご自身なのである。その結果これまで幾人いくにんの光の聖女が、この世からほうむりさられた?」

 教皇とまでいたっただけのことはある。彼の声には、本当に妙な力があった。潜入せんにゅうで身を置くセリスですら、気を許せば『そうだ』と思わせる質の声をしている。

 脳にみ込んでくるような口調で、教皇はゆっくりと声をつむいだ。

「悪神様の苦心くしんを何者かの手でがされた現在、我々がすべきことは狼狽ろうばいではない。またにくき光の聖女を地の底へと――」


 教皇の言葉をさえぎり、硝子がらすくだけ散る音が盛大に響き渡る。天井から降りそそぐ硝子の破片はへんが、きらきらと輝いて見えた。

 咄嗟とっさに、セリスは制圧部隊が突入してきたのだと判断する。

 教皇の側近達が素早く戦闘の態勢を整え、同時に教皇をまも陣形じんけいを取った。そんな高座こうざ付近に――セリスは眉間みけんに力を込め、わずかに首をかしげる。

 背に黒翼こくよくを生やし、頭部に二本の黒いつのを持つ白髪の青年が、勢いよく降り立つ。容姿から魔人まびとぞくらしいが、セリスにはまったく見覚えのない者であった。

(単身……だと? いったいどこの国の部隊員だ)

「ふわぁあああ……」


 白髪の青年は大きく背伸びをしながら、呑気のんき欠伸あくびらした。

 徐々じょじょに黒い翼と角が縮まり、まるで人間族と変わらない姿となる。魔人族と思った青年は、どうやら人間族と魔人族との間に産まれた〝混族こんぞく〟で間違いない。

「な、何者だ、貴様きさま!」

 教皇の側近である男が剣尖けんせんを向け、声を大きくした。

 混族である白髪の青年はりをほぐしているのか、首をぐりぐりと回している。

「ここが悪神様の……っ!」

 剣を向けていた男の頭部がはじけたように見えたが、瞬時にそれは違うと否定する。消し飛んだと言ったほうが正しい。セリスの背筋に冷たい怖気おぞけが走った。


 側近の男の首から飛沫しぶきが盛大にき出し、どさっと倒れる。その生々なまなましい物音が広場内に響き渡るや、恐慌きょうこうに満ちた悲鳴が重なっていく。

「静まれぃ!」

 最上位である教皇が大音声だいおんじょうで場をしずめ、白髪の青年の前ですっとひざまずいた。

 セリスは異様いような光景にが目を疑う。邪教団とはいえ、教皇ともあろう人物が人に跪くなどそうあることではない。あるとすれば、それは――

「ご無礼ぶれいを、お許しくださいませ。私はルクス・リーヴァイと申します」

「おお、ああ……? リーヴァイ。なんじの声はわれの耳にも届いておったぞ」

 白髪の青年は自身の人差し指を口にくわえた。ぶちっといやな音が鳴る。


 セリスは信じられない想いをいだいた。噛みちぎったはずの人差し指が、もうすでに再生されている。白髪の青年は精霊に近い再生能力をめていた。

 白髪の青年は切り離したほうの指を、頭部が消えた男の首へとねじ込んだ。死体は傀儡くぐつを思わせる立ちかたをして、首から赤黒い液状のものがあふれる。

 液状の何かは男の全身をくまなくおおい、次第に獣と酷似こくじした姿に変化した。

 赤黒い液状がはじけ飛ぶ――そこには男の顔をひたいに張りつかせた巨大な狼が、悠々ゆうゆうと立っていた。なか茫然ぼうぜんとしていたセリスは、身が震えるのを必死にこらえる。

 白髪の青年の〝正体しょうたい〟が何か、やっと理解に達した。

馬鹿ばかな、まさか悪神あくじんなのか……? あれが伝承でんしょうにもあった邪鬼じゃきか?)


 セリスは、まるでゆめまぼろしにでもつつみ込まれたかのような心境だった。お伽噺とぎばなしの中へ連れ込まれたのだと言われれば、なんら疑いすらもしないほど茫然ぼうぜんとする。

 悪神は玉座ぎょくざへと向かう。教皇以外はすのが許されない玉座に腰を下ろした。

 生み出した邪鬼を玉座の前に移動させ、足置き扱いしている。

われが完全に目覚めた理由は、しっかり理解できている」

「はっ……」

 教皇は粛々しゅくしゅくとかしこまり、深々ふかぶかこうべれる。

「これまで、何人の光の聖女が人の手でめっされた?」

「私の知る限りでは、六人でございます」


「六人か……では、さほど時は流れていないのか」

「いいえ。悪神様の時代から、約四千年はっております」

「そうか、四千年か。そうか、そうか」

 悪神はすっと立ち上がり、両手を大きく横に広げた。

われ可愛かわいい信徒達よ。目覚めた我は、これより英気えいきを養う。その間、おのれの知りる情報のすべてを我に与えよ。いつの時代であろうと……情報とは必ず力になるのだ。おそれることはない。なんじらの望み通り、我がこの世に終焉しゅうえんをもたらしてやろう」

 つかの間の沈黙をはさみ、一斉いっせいに悪神をたたえる声があがった。

 悪神はそっと手をかざし、場を収める。


「それで、だれ禁忌きんきの悪魔を光の聖女に戻したのだ?」

「残念ながら、正確な正体しょうたいまではつかめておりません……ですが、悪神様。一つ確たる情報もございます。きり摩天楼まてんろう、今世紀の覇者であるのは間違いございません」

 悪神は腕を組み、天を見上げる。

「ああ、やはり霧の摩天楼が根源こんげんとなったか。当時のわれでも、あれを破壊するまでの力はなかった。それがやまれるな」

「これは、あくまでも予想の範疇はんちゅうでございますが――光の聖女の事実が広まる直前、商業都市と呼ばれる地で光の聖女と行動を共にしていた男が一人ございます。禁忌の悪魔の信徒だと言われていたそうですが、我々われわれの誰も知らぬ顔でございました」


 教皇は顔を上げ、自身の目を指差した。

真紅しんくの瞳を持った黒髪の青年でございます。真偽しんぎは知れませぬが、その青年が光の聖女に戻したと我々は踏んでおります」

「真紅の瞳を持つ黒髪の青年、か……くらいの高い精霊から寵愛ちょうあいを与えられた者だな」

「噂ではございますが、闇の精霊王から寵愛をさずかったと聞いております。クドウ・ユウマという名の人間族で、なんでも精霊そのものになれるとか……」

 悪神のほおが少しばかり引きつった。いぶかしげな顔をして小首をかしげる。

「……精霊そのものに? この時代に生きる者は、そんなことが可能となったのか」

「いいえ。私自身、耳を疑う話でございました。悪神様いかがいたしましょう?」


無論むろんすみすみまで調べておけ」

「はっ。かしこまりました」

 しばしの沈黙をて、悪神はれた硝子がらすのほうを見上げた。

「それはそうとだ。このかくの付近にちりがあった。われが掃除しておいてやったぞ」

「塵……ですか?」

 教皇は不思議そうな顔をした。セリスの脳裏のうりに、あるいやな予感が巡る。

 悪神が教団員側へ体を向き直り、両手を腰に置いて数歩だけ進んだ。

「やれやれ、が信徒にも困ったものだ。ここにもいくつかちりが混じっている」

 セリスは血が逆流する感覚に、身がすくむのをかろうじて制する。


 瞬間――悪神は姿を消した。

「外のちりは勢いあまって跡形あとかたもなく吹き飛ばしてしまったが……」

 悪神の声が背後から飛んできた。瞬間移動のごとき素早さで後ろに立たれた。

 セリスは瞬時に把握はあくし、肩越しに顔だけ振り向く。

 悪神の顔には、人とは思えない酷薄こくはくな笑みが浮かんでいる。

なんじらからは重要な情報を引き出せるだろう。そのかてとなるがよい」

「――っ!」

 セリスは心底から震え上がり、声にならない声をあげる。

 その日をさかいに――


 セリスを含む諜報員から、教団と各国への通達は完全に途絶とだえた。



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