第八幕   心から溢れる笑顔



「ここが戦場で僕にその気があれば、悠真君の人生は終わっていたぞ」

 思考停止していたのに気づき、悠真は聞き終えてから大きく離れた。

 気をゆるめていたわけではない。見下していたわけでもない。

 それでも、絶望的な戦力差を痛感させられた。

覚悟かくごが足りない。命は常に死の隣にあると思え。命をすとはそういうことだ」

 たしなめるように言い放ち、ディアスは再び剣を構えた。

 覚悟が足りない――確かに、その通りなのかもしれないと思う。

 聖印せいいん騎士団の団長と戦ったときは、死ぬ覚悟でのぞんでいた。それが今は地下迷宮で戦った、ダルシオと似たり寄ったりであったのはいなめない。


 悠真は目を閉じ、そっと深呼吸をする。

 エレアの兄だとか、もはや関係ない。一人の敵として、悠真は心を改めた。

「よし。やってやるよ」

「うん。いいだ」

 悠真は半身はんみになりながら右拳をあごそばえ、左拳を腹の付近に置いて構えた。

仕切しきり直しだ。ディアス、本気で行くぞ!」

 ディアスは口許に笑みを張りつけ、剣を横に差し出した。

 悠真はまずいと瞬時に判断して、ディアスと距離を縮める。

烈風れっぷう暴門ぼうもん


 ディアスの剣の前に、瑞々みずみずしい若草の色をした紋章陣が描かれた。

(間に合わねぇ!)

陽気ようきな妖精よ、激しく舞い踊れ」

 紋章陣がくだけ散るや、目視できるほどの風がディアスの剣にまとわりついた。

 すでに詠唱えいしょうを終えている彼に、悠真は拳を放つ。

 落ち着いた様子で、ディアスは地面に剣を突き刺した。台風を思わせるような強い風が吹きれ、悠真の拳がディアスへと届く前に吹き飛ばされていく。

 素早く受け身を取ってから立ち上がり、悠真は左手を胸にえる。

「闇の精霊王。黒きやいばとなり虚空こくうを突き抜けろ!」


 まばゆく輝いた左手を前に出すと同時に、黒き紋章陣が浮かんだ。それを右の拳で突いて砕くと、漆黒の光芒こうぼう――光の筋が、ディアスめがけて勢いよく飛んでいく。

 本来、悠真には秘術的な詠唱など必要がない。精霊が扱う精霊術は秘術とは違い、無詠唱むえいしょうで放てる。精霊を体内に宿す悠真も、実際のところ願えば無詠唱で扱えた。

 それでもとなえたのは、マルティス帝国の皇女こうじょアリシアの教えによるものだった。

 漆黒の光芒こうぼうを切り裂いたディアスが、またたく間に間合いを縮めてくる。

 少し生命力を失ったせいで息切れしながら、悠真はまた左手を胸に添えた。

(闇の精霊王、お前の精霊術だけ貸せ!)

 せまるディアスを前に、悠真は光る左手から黒き紋章を生み出した。


 意表いひょうをつかれたように、ディアスの顔が驚愕きょうがくに染まっていく。

「おせぇ!」

 黒き紋章を打ちくだくや、漆黒の光芒こうぼうがディアスに直撃する。

 派手に粉塵ふんじんが舞う中で、悠真は動きを止めない。かすかに見える彼を目指した。

烈風れっぷう暴門ぼうもん。大空を羽ばたき勇猛ゆうもうに振る舞え」

 口早に詠唱され、若草色の紋章陣から風の矢が飛んで来る。

 咄嗟とっさに両腕で身をまもったものの、殴られたような衝撃を体中に感じた。強大な力にあらがえず、護りはやぶられ後ろへ吹き飛んだ。今度は受け身すらも取れなかった。

「つ……つつ」


 激しい疲労感と体中に広がる痛みをかかえながら、悠真は強引ごういんに体を起こしていく。紅髪べにがみをかき上げるディアスの姿が見え、悠真は目を疑った。

 直撃したと思ったが、彼は傷一つすら負っていない。

「かなり驚かされた。まさか詠唱もなく……とはな」

 アリシアの教え通り、確実に相手の意表をつけていた。それでも対応された。

 信じたくはない事態に、悠真はディアスを強くにらんだ。

「しかしそれならば、もっと引きつけておいたほうがよかったな。あと一瞬でも遅く発動していれば、僕も反応はできなかっただろう」

 ディアスの言葉は正論だった。これは経験のなさによるもので間違いない。


「それにしても、その真紅しんくの瞳――君は、本当に不思議だな」

 ディアスが、ぼそりとつぶやいた。

 そんなことを考えられるだけの余裕よゆうが、彼にはまだあるのだとわかる。

「くそ……」

 舌を打った矢先、激しい轟音ごうおんが鳴り響いた。

 音から、エレアが超高速剣技の秘術を発動したと思われる。

清泉セイセン蒼門そうもん無垢むくなる抱擁ほうようで外界を断ち切れ」

 マリアベルの周囲に空色の紋章陣が発現し、そこから大量の水がき出した。

 エレアの姿が消えるやいなや、なぜかエレアのいた後方で粉塵ふんじんが巻き起こる。


 まったく関係のない場所に思えたが、よく見ればそこにエレアがいた。

 制服がぼろぼろになっており、傷だらけになっている。

「エレアノール。その馬鹿ばかの一つ覚えのように扱っている秘術は、欠点けってんだらけなの。秘術を発動さえすれば……超高速なのだから、対応できない者には打つ手がないわ。でも、対応できる者にとっては、あまりにも脆弱ぜいじゃくな秘術でしかないのよ」

 水の球体をいくつもしたがえたマリアベルが、エレアのほうへ歩みながら続けた。

貴方あなたが進むと思われる道に、細い水の糸を張ればどう? あるいは、硬い水の壁を作ればどうかしら? 超高速がゆえに、自ら切断されに行き、自ら体をつぶしに行くのでしょうね。私は貴方が潰れないよう、柔らかな水の壁ではじいてあげただけなの」


 はっと悠真は息を呑んだ。マリアベルの指摘してきは正しい。

 打つ手がないと思い込んでいたが、信じられない弱点が浮き彫りとなった。

「本来は、それをおぎなうために停止と高速移動を繰り返し、相手の挙動きょどうのすべてを目でとらえ、世界の停止にひとしい感覚を持っているはずなのよ……そこに至るまでには遠くおよばないわ。はっきり言って実力不足もはなはだしいの」

「そんなの、お姉様に言われなくたって! わかっているから!」

 涙でれた顔をゆがめ、エレアは叫んだ。

「確かに、お姉様や、お兄様のようにはいかない! だけど、私だって、いつまでも出来損ないのままじゃない!」


「実力で証明しなさい。そんなぼろぼろになって、まだ奥の手があるのならね」

「あぁあああ――っ!」

 エレアは威嚇いかくをするような声をあげ、剣を大きく振りかぶった。

 マリアベルに斬撃を繰り出しているものの、すべて見切られてしまっている。

 マリアベルの周囲に漂っている水が、一本の細長い線へと変形した。それはまるでむちのごとくしなり、エレアをまた吹き飛ばしていく。

 力を振り絞るように、エレアがぎこちなく起き上がった。

「勝つもん……私が、優勝するんだもん」

 泣きながら言ったエレアの必死さに、悠真は視線をはずせなくなる。


 ふと、ある妙案を思いついた。しかしそのためには、いろいろと犠牲ぎせいにしなければならないものも出てくるのだが――悠真は目を閉じ、決心を固める。

観賞かんしょうはそれぐらいにして、こちらも再開しようか」

 ディアスの言葉に苦笑し、悠真は会釈えしゃくを交えて手で制しておいた。

「おい、エレア」

 きつくにらみつけてくるエレアに、悠真は歩み寄りながら伝える。

「うっかりしてたが……そういえばお前の目的は優勝だったな? いいか。五秒だ。だれにとっても短い、このたった五秒をどうするのかは、お前が決めろ」

「お前……」


「泣いても笑っても、五秒がすべてだからな」

 エレアが曇らせた顔をせ、つぶやいた。

「でも、だって……それは」

「勝ちたいんだろ? 俺一人じゃ無理だ。お前一人でも無理だ。だから、な?」

 しばらくなやんだ様子のエレアが、決意を宿した眼差しで立ち上がっていく。

 悠真はエレアの隣に並び、ディアス達を振り返った。

「と、いうわけで……一騎打ちはこれまでにしてさ、お二人の相手は俺一人がする。全身全霊、命をしてだったっけ? じゃあ、俺の本当の全身全霊を見てくれ」

「まさか――一人でも手が余る相手を二人同時に?」


 マリアベルがくすりと笑い、ディアスは楽しそうな顔をした。

「いいだろう。見せてもらおうか」

「たった五秒だけの世界を楽しんでくれ」

 悠真は胸に、そっと左手を置いた。

電閃でんせん雷炎らいえん――」

 エレアの言葉を引き金に、悠真は声を高らかに飛ばす。

「闇の精霊王ガガルダ! お前の力を貸せ!」

 黒いもやが悠真の全身をおおくし、視界が闇一色になる。

 体中がきしむような悲鳴をあげ、少しして黒いもやはじけた。


 甲冑かっちゅう酷似こくじしたつやのある肌、全身をつつみ込めるぐらいの大きな両翼りょうよく、すべてを切り裂けそうなするどい爪、二本のつのを生やしたかぶとにも見える輪郭りんかくの顔――歴史書にも克明こくめいに描写された、全身が黒一色でおおわれた闇の精霊王へ転化を完了させた。

 まるで画面越しを思わせる視界の中で、悠真は手のひらを前に突き出す。

「来たれ」

 腹に響く重みのある声をつむいだ。黒いうず虚空こくうに生じて、その中から弾丸のごとく奇妙な虫に似た生物達が、ディアス達に向かって突撃とつげきしていく。

 当てるつもりはない。あくまでも攪乱かくらんを目的としたものだった。

刹那せつなを駆け巡り灰燼かいじんしずめろ!」


 ディアスとマリアベルが奇妙な虫の対処をしながら、エレアの行動を阻止そししようとする動きを見せた。当然、悠真もそれは想定の範囲であった。

 エレアの秘術に対応ができるのだ。この程度で足止めできるわけがない。

 悠真は素早く両翼を羽ばたかせ、高く飛び上がる。

 黒い紋章陣を四つ横一列に生み出し、蹴りで一気に打ちくだいた。

 漆黒しっこく光芒こうぼうくうを貫いて、ディアス達の頭上へ降りそそいだ。宙に浮かんでいた青と緑の紋章陣を砕き、詠唱えいしょうの中断を余儀よぎなくさせ、さらには爆炎で視界をも奪う。

 翼をすぼめ、地に足がつく前に転化を解く。

 人の姿へ戻った悠真は、地に降り立った。


「ジャスト、五秒だ!」

 悠真は両足を広げ、ひざに手を置いて姿勢をたもつ。

 想像以上に、生命力をかなり消耗してしまったらしい。心臓が激しい動悸どうきを打ち、破裂はれつしてしまいそうな痛みが胸から全身へと広がっていく。

 息が上手うまく吸えなくなり、意識が朦朧もうろうとするような苦しさもある。汗が何度もほおを伝い、地面にしたたり落ちていく。かなりきわどい。限界寸前であったと自覚する。

《宝玉がうばわれました。今回の優勝者は、エレアノール組に決定です》

 終了を知らせる警告音と大歓声が重なり合い、大きく響き渡った。

 頬の汗をぬぐいつつ目を向けると、青い宝玉をかかげたエレアの姿が見える。


「なるほど……これは、確かにお手上げだ。あのアルドが落ち込むわけだな」

 ディアスが笑いながら言い、マリアベルがくやしげに小首をかしげた。

「もう一度やれば、対処できそうだけれど」

「あまり本気を出すと、優勝者のいないもよおしになってしまうだろ」

「それならそれでいいでしょう。打破だはできない水準の優勝者なんて不必要だわ」

 二人のやり取りを眺めながら、悠真は深く肩を落とす。

 どちらも、本気ではなかった。それどころか、どこが悪いのかアドバイスを目的としていたふしもある。そういう立ち回りをめいじられていたのかもしれない。

「まあでも、それでも勝ちは勝ちっすけどね?」


 苦笑交じりに告げると、ディアスがほがらかに微笑んだ。

「そうだな。でも、実戦ではこうはいかない。もっと鍛錬たんれんを重ねるべきだ」

「悠真ぁ! やったやったやったぁ! 優勝よ、優勝!」

 悠真は視線を移すと、ぼろぼろのエレアが子供みたいにはしゃいでいる。

 エレアが小走りに寄ってきた。うれしさのあまりわれを忘れたのか、まるで飛ぶようにきついてくる。かろうじて姿勢をたもっていた悠真は、地面に押し倒された。

「ちょ、おまっ……待て待て待て! 無理、今はきつい!」

「ありがとう、悠真。ねえ、優勝よ。優勝したのよ!」

「わ、わかったから、ちょっと降りろって!」


 ふと視界に入ったマリアベルが、いたずらな笑みを浮かべる。

「ふふっ。妹を、よろしくね」

「姉さんの考案した迷宮めいきゅうで、二人の距離も近くなったみたいだな」

 ディアスの言葉を聞き、悠真は絶句ぜっくする。エレアが上半身を勢いよく起こした。

 ふと、悠真に尋常じんじょうではないほどの羞恥心しゅうちしん芽生めばえる。これが大衆たいしゅうの面前だと彼女は理解しているのか、悠真の腰の上にまたがった形となっているのだ。

 エレアはまたがったまま、あわ気味ぎみに質問する。

「あ、あれ、お姉様が考案したのですかっ?」

宮廷きゅうてい法術士団副団長として、学生達に青春を送ってもらおうと思って」


「男同士の組み合わせもあるから、やめとけって僕は言ったんだけどな」

「でも、結果的にはよかったでしょう?」

 にこにこするマリアベルに、悠真はいったんはじみ殺して告げる。

「マグマとか電気とか、マジで死にそうなものがたくさんあったんだが……」

「いろいろ細工さいくしてあるのだけれど、それは全部ただの幻覚げんかくよ」

 不敵ふてきに笑うマリアベルの言葉を聞き、悠真は意識が遠退とおのきそうだった。

 顔を真っ赤にしているエレアが、おもむろに顔を向けてくる。

 少し見つめ合い、そして彼女は屈託くったくのない笑みに表情が変化した。

「本当にありがとうね、悠真」


 エレアの本当に嬉しそうな笑顔の中に、ほんの少しばかり照れも混じっていた。

 素直なエレアを見て、悠真は全身の力を抜いてから空をあおいだ。夕焼けに染まった異なる世界の空には、薄い雲があちらこちらに散らばっていた。

(まあ、いいか。とりあえず、なんかもう疲れたな……)

 何か大事だいじなことを忘れている気がしたが、今は疲れをいやしたいと心から思った。

 そう遠くない未来――

 すべてをやむ足音が近づいている状況に、悠真は気づいていなかった。



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