第二十幕  生きている実感



「はい、なんでございましょう」

 耳を寄せてくるエレアの丁寧ていねいな言葉づかいに、気味の悪さがく。

 理解不能な対応をされたものの、今は無視むしして悠真は告げる。

「あいつはもう、治癒ちゆできない。なら……攻撃反射か攻撃する秘術しかない。でも、普通の速度じゃ、攻撃反射に変わって、やられる。だから、お前がやるんだ」

 目をいたエレアの腕をつかみ、悠真は途切とぎ途切とぎれになってでも続ける。

「あいつが、攻撃の秘術を、詠唱えいしょうしたら……お前の雷属性の、秘術で切り裂くんだ。シャルが、言ってた。雷鳴らいめいのごとき速さ、なんだろ」

「そ、そんな……私には無理でございます」


「それでも、やるんだ!」

 悠真は気力を振り絞り、ぎこちなく立ち上がっていく。

 魔導生命体もまた、気力を振り絞ったかのように動き始めた。

なさけない話、俺はもう力を使えない。だから、お前がとどめを刺せ」

「悠真さん、無理は……」

 シャルを手で制したあと、悠真はひざに手を置いて中腰の姿勢をたもつ。

「いいか、これが最後だ。俺がここでおとりになる。あいつの死角からやれ」

「でも、私は…」

 不安そうなエレアに、悠真はやさしく微笑みかけた。


「大丈夫。見返してやるために、凄い訓練くんれんしてんだろ。お前の手を見てわかった」

「えっ――」

「そんな必死に、剣術をみがくお前が、秘術の訓練をしないわけがない。だから俺は、お前を信じてやる。そんでお前は、努力をした自分自身を、もっと信じてやれ」

 エレアは戸惑とまどいを浮かべ、顔をせ、そして覚悟を決めた面持ちで前を向いた。

「わかりました」

 言ってから走るエレアの後ろ姿を、悠真は見送る。

 実際、成功するかどうか未知数ではあるが、ここは彼女を信じるほかない。あとは自分が上手うまく、魔導生命体の意識を引っ張れるかにかかっている。


 悠真は、そばたたずんでいるシャルに視線を移した。

「シャル、あぶないから離れててくれ」

 シャルは不機嫌ふきげんな顔で、首を横に振った。

いやです。エレアノールさんの補佐を……私がおとりになります」

「ちょ、待て、シャル」

 悠真の制止を振り切り、シャルはエレアと反対方向へ駆けていく。

 後を追おうとしたが、足が想像以上に動かない。悠真は足がもつれて倒れ込んだ。

「エレアノールさん。魔導生命体が、攻撃系統の秘術を私に当てたときに……秘術を発動して切り裂いてください。必ず、私が一瞬でも動きを止めてみせますから」


 シャルの言葉に、悠真は耳を疑う。

 地にした姿勢で、ってでも進もうとこころみる。腕に力がまるで入らない。

 進めなかった悠真は、腹の底から声を絞り出す。

「何を言ってんだ、シャル!」

 シャルが目を閉じたあと、今度は力強い眼差しで魔導生命体側をにらんだ。

が母との契約により生まれし、親愛しんあいなる光の精霊と水の精霊よ――」

 シャルの体から青いつぶと白い粒のようなものが舞い始める。シャルの前方に深海しんかい彷彿ほうふつとさせる青色と、けがれ一つない純白の紋章陣が同時にえがかれていく。

「我が秘力をかてとし、その姿を現したまえ」


 二つの紋章陣が強く輝き、そこから二体の見覚えのある存在が登場した。

「なっ――」

「やあ、シャルお姉ちゃん」

 ヨヒムが満面の笑みで言った。隣にいるニアは、不満げな顔をしている。

「だからここには近づくなって言ったのに!」

「ご、ごめんなさい……」

 シャルは気まずそうに、うつむき加減で謝罪した。

「まあ、今はそれどころじゃないね。早くしないと秘力がきるよ」

「わかっているけど、言わずにはいられないでしょう。もう!」


 ヨヒムとニアが手をつなぎ、シャル側へ残ったもう一つの手をかざした。

 シャルの体のところどころに、二つの紋章陣が撃ち込まれていく。

 ヨヒムが悠真のほうに顔を向け、にっこりと笑う。

「悠真お兄ちゃん」

「シャルお姉ちゃんを、よろしくね」

 そう言ったニアが、微笑みながら小首をかしげた。

 どちらも、空気にけるようにふっと消える。

 悠真は、訳がわからない心境だった。

(ヨヒムとニアが、精霊……?)


 シャルは魔導生命体との距離を縮め、目前で両手を広げた。

「私はここよ。秘術を撃ってきなさい!」

 シャルの信じられない行動に、今度は自分の目を疑う。

「な、何をしてるんだ! シャル!」

 魔導生命体が、蟹歩かにあるきでシャルを向いた。

 死角にいるエレアは目を閉じて、静かに集中しているようだ。時折ときおり、彼女の周囲に微量の稲光いなびかりが瞬間的にほとばしっている。

「えふん、えふん、えふん、えふぅん」

 魔導生命体の付近に、青い紋章陣が浮かんだ。


「エレア、急げ! シャルが危ない!」

 悠真はかすれた声をあげた。力を振り絞り、わずかながらっていく。

 エレアが秘術を発動するよりも前――魔導生命体がえがいた紋章陣が強く輝いた。

 強力な放水を思わせる青い光芒こうぼうが、シャルに向かって伸びていく。

 シャルの体を無残にも撃ち抜いた光景に、悠真は腹の底から叫ぶ。

「シャル――!」

 シャルの全身からまばゆい光がはなたれる。

 間近で閃光せんこうび、魔導生命体の腹にある二つの顔が一斉に目を閉じた。

 悠真がかろうじて目を細めて耐えたとき、エレアの声が飛んだ。


電閃でんせん雷炎らいえん刹那せつなを駆け巡り灰燼かいじんしずめろ!」

 激しい轟音ごうおんが響き、エレアが空中放電を思わせる稲光につつまれていた。

 エレアは剣を斜め下に構えて、魔導生命体のほうをじっと見据みすえている。一呼吸の間もなく、まとっていた稲光を残して彼女の姿が瞬時に消え去った。

(なっ……!)

 静かに驚愕する悠真は、目を疑いながらエレアの姿を探した。位置的にはシャルがいた少し先のほうで、彼女は魔導生命体に背を向けて悠然ゆうぜんと立っている。

 しかしそのシャルの姿は、もうどこにも見当たらない。


 少し遅れて、けたたましい落雷音らくらいおんが鳴り響く。魔導生命体の胴体でもある上半分がゆっくりと斜め下にずれ落ち、激しい稲妻いなづまつつみ込まれる。

 またたく間に全身が黒焦くろこげとし、やがて動きが完全に沈黙した。

「やった……できた。やった!」

 歓喜かんきに満ちたエレアをよそに、悠真は素直に喜ぶことはできない。

 エレアと同じく、シャルもどこかにいるのでは――そんな期待をいだいたが、やはりシャルの姿がどこにも見当たらない。跡形もなく消え去ってしまっている。

 まもってあげられなかった事実を受け入れられず、悠真は地面にひたいを落とした。

「シャル、ごめん……」


「はい。どうかしましたか、悠真さん」

 聞き覚えのある声に息を呑んだ。

 悠真は頭が真っ白になる。シャルが、真横でひざかかえて座っていたのだ。

「え? あ、はぁ? なん、で?」

「秘力、全部使い切ってしまいました。しばらくは、もう何もできません」

 シャルと会話がみ合わず、悠真は少しほおが引きつった。

「いや、そうじゃなくて……」

「撃ち抜かれた私が、見えましたか? ふふっ――あれはニアとヨヒムの精霊術で、本物の私はずっとここにいました。エレアノールさんはわかっていましたよ」


 悠真は眩暈めまいを覚えながらも、ゆっくりと体を起こしていく。

 へたり込むように、シャルの隣に座り込んだ。まだ体力が回復していない。たったこれだけの動作でも、かなりの労力をようした。

 悠真は自分とシャルに向け、どっと深い溜め息をらす。

「なんだよ、それ……先に言っておけよ。どれだけ心配したと思ってんだ」

「私だけですか? 悠真さんも心配ばかりかけるので――」

 やや上目に、シャルがいたずらな笑みを浮かべた。

「仕返しにやってみました」

 そのいやがらせに、悠真は苦笑するしかない。


「ねぇ! ねぇ、ねぇ、ねぇ。見た? 見ていた? 私、秘術を発動できたの!」

 子供みたいにはしゃぐエレアが、かろやかな足取りで近寄ってくる。

「やった、やったよ!」

 エレアが数歩先で立ち止まり、はっと息を呑んだような表情を見せた。素早くひざを地面に落としたあと、彼女は両手を祈りの形に組んだ。

 神妙しんみょうな顔で沈黙するエレアに、悠真は首をひねって見守った。

「失礼いたしました。今までの数々の御無礼ごぶれい、どうかお許しくださいませ」

 悠真はぼんやりとしながら問う。

「何やっとんの、お前」


「闇の精霊王に信頼していただいたおかげで……不肖ふしょうエレアノールではございますが、秘術をからくも行使こうしできました。精霊王のおみちびき、感謝いたします」

 悠真はそれとなく状況を呑み込めた。理由まではわからないが、どうやらエレアは悠真を闇の精霊王そのものだと勘違かんちがいをしているようだ。

 この展開を、悠真は少しおもしろく感じる。

「うむ。われなんじを信じておった。その働き、まことに見事なり」

 声を意識的に低くして、悠真はエレアをからかった。

 エレアは心の底からうれしそうな顔を見せ、再びせる。

「もったいない、お言葉でございます……」


 今までのエレアとはまるで違い、粛々しゅくしゅくとかしこまっていた。

 悠真は内心でにやにやとしながら、低い声で続ける。

「これからは、久遠悠真の言葉に全信頼をおくがよい。疑ってはならん、決してな」

「はい。心得こころえております」

「だが、我を侮辱ぶじょくした罪は果てしなく重い。ばつとして今後、飯を与え続けよ」

無論むろん、このエレアノール、どのような罰をも受ける所存しょぞんでございます」

「ぷぁっはっはっはぁ」

 耐えきれず、悠真はき出した。

 混乱に満ちた顔をして、エレアが右に左にと何度も小首をかしげた。


「マジかよ、お前。あの御貴族様が、すげぇ礼儀れいぎただしいじゃねぇか」

「えっ……は、なぁ?」

「俺が、闇の精霊王ガガルダそのものなわけねぇだろ」

 全身にきしむような痛みがあったものの、それでも悠真は腹をかかえて笑う。

 エレアは呆気あっけにとられたのか、口が半開きの状態で固まっている。

「マジ、笑ったわ。それ、どういった勘違かんちがいで生まれたんだ」

「だって、あれ、え、でも、闇の精霊王じゃ……」

「説明しづらいからあれだが……確かに、闇の精霊王とは無関係ってわけじゃない。でも、俺は久遠悠真だ。精霊王そのものじゃない。んなわけないだろ」


 エレアのほおがみるみる紅潮こうちょうし、金色こんじきの瞳が怒りに打ち震えていた。

「お、おぉ、お、おお、おぉ」

「はい、心得こころえておりますって? おう、心得ろ心得ろ」

「お前、私をたばかったなぁ!」

 半泣きの形相ぎょうそうで、エレアがむなぐらをつかんで揺らしてくる。

 悠真はからからと笑いながら、またエレアをからかっておく。

「お前が勝手に勘違いしただけだろ。しっかりと心得とけよ」

 シャルもくすくすと笑っているのが聞こえる。

 地球にいたころの自分には、想像すらもできなかった。


 こうして人と出会い、死ぬ寸前すんぜんの激戦をて、生きて笑い合っている。

 異なる世界に来て、悠真は生きている実感を強く感じているのに気がついた。

「くっ、くそぉおおお――!」

 本日二度目の、女が上げてはならない咆哮ほうこうをエレアは放った。



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