カワルミライ

 何処からか鼻唄が聞こえた。

 辺りを見渡すと、一面真っ白の世界が広がっている。

 決して雪が積もっているわけではない。

 色が抜け落ちた世界にいるみたいだ。

 モノクロではない。白色という色の世界。

 もしかして、今起こったのは夢なのかもしれない。

 そうだ、今日はまだ十一月二十二日の修学旅行初日だ。

 まだ家を出る前なんだ。

 ほっとした俺は、辺りを見渡した。

 一面、真っ白の世界。

 どこか遠くから誰かが歌っている声が聞こえる。

 柔らかく、聞き覚えのある声。

 ついさっきまで一緒にいた東條さんの声。

 その声のする方に進んでいくと、小さな扉があった。

 この先から声がする。

 どうしてだろう。

 夢なのに、期待している自分がいる。

 今日は十一月二十二日のはずなのに。

 こんなにも満ち足りた気分になっているのは何故だろう。

 その答えは、この扉を開けたらあると何故か確信している。

 ドアノブに手を触れる。瞬間、真っ白な光に包まれた俺は、そのまま消えた。




 頭に感触があった。誰かが頭を撫でているみたいだ。

 真っ白の世界で聞こえていた美しい旋律が、俺の耳の中を通り抜ける。

 ゆっくりと目を開けた。


「えっ……」


 言葉が出てこなかった。目の前には、いつもと変わらない笑顔の東條さんがいたから。


「おはよう。秋山君」

「と、東條さん! 怪我は? どこか痛いところとかない?」

「うん……私は大丈夫。それより、ずっと看病してくれてたんだよね。ありがとう」


 身体を起こした俺は、隣のベッドに視線を移す。


「山中さんは?」

「さっきまでいたんだけど、何処か行っちゃった。お手洗いかな? それにしても遅い気がする」


 山中さんの足。昨日の様子だと、松葉杖で行動しないといけないはず。そんな状況にも関わらず何処か行くなんて。山中さんはやはり不思議な人だ。


「そっか。ちょっと、探してくるよ」

「うん。行ってあげて」


 そのまま俺は病室を後にした。





 昨日、救急車のサイレンと共に目を覚ました俺は、東條さん達と一緒に救急車に乗って市内の病院に向かった。そして、二人の治療を直ぐに施してもらった。

 東條さんは幸い頭を軽く打って気絶していただけらしく、安静にしてれば目を覚ますと医者から言われた。その一方で、山中さんは足を骨折していたらしく、簡単な手術を行うことになった。

 山中さんの手術の間、病院のある部屋に呼び出された俺は、駆けつけてきた新一と飯島先生と一緒に、警察から事情聴取された。

 飯島先生は事故に遭った生徒がいることに相当ショックを受けている様子で、動揺を隠せずにいた。そのせいもあって受け答えに覇気がなく、警察の方々も困惑していた。

 そんな飯島先生のサポートをしたのが新一だった。新一は俺達の班の今後の予定について、全て警察に話してくれた。六時過ぎに清水寺集合だったこと。それから七時までに宿に向かう予定だったこと。氷山高校の生徒は全員自由行動をしていたということ。

 警察の人が俺達の行動予定について、どうして詳しく聞いてきたのか。俺にはわからなかった。だけど、新一は目の前の警察の方々に俺達は悪くないと呆れるくらい語ってくれた。

 そんな新一に加担するように、俺も警察に詳しい事情を話した。もちろん、事故に遭うまでの瞬間、経緯、行動について。俺が言える範囲のことはすべて話した。

 ただ、ひとつだけ嘘をついた。

 山中さんについて。どうして山中さんがあの場所にいたのか、俺にはわからなかった。だから警察には一緒にいたとだけ告げた。





 病院内をくまなく探したけど、山中さんは見つからなかった。あと探していないのは一ヶ所だけ。屋上につくと、ベンチに座って外の景色を眺めている人がいた。

 艶やかな髪が風になびいている。その漆黒の長髪は、風に揺られる度にキラキラと輝いていた。


「山中さん」

「…………」


 いつも通りの反応。それでも、なんだか懐かしい気がした。最近の山中さんとは会話ができていたからかもしれない。


「足の怪我、大丈夫?」

「……問題ない」

「そっか」


 ベンチの空きスペースに俺は腰をかけた。それでも山中さんは微動だにしなかった。そんな山中さんにむけ、俺は聞きたいことを聞く。


「あのさ、どうしてあそこにいたの?」

「……気になったから」

「気になった?」


 何が気になったのだろう。暫く待っていると、山中さんが口を開いた。


「未来を変えることができるのか。私にはわからなかった。だから、その答え合わせをしたくて。ずっと二人を監視してた」

「えっ。そ、それじゃ……こ、告白したところも……」

「……キスもしてた」


 ぷくっと頬を膨らませた山中さんは、何故かご機嫌斜めだった。


「いや、あれはたまたまっていうか、何ていうか……」

「…………」

「……東條さんが大好きだったので、告白しました」


 こうして振り返ると、すごく恥ずかしくなってきた。他人に見られていたなんて思ってもみなかったから。頬が熱くなっているのがわかる。

 そんな俺の反応を楽しむかのように、山中さんは笑みを見せた。


「秋山君」

「何?」

「結局、未来って変わったのかな?」


 風になびく黒髪を押さえながら、山中さんは京都の街並みを眺めている。

 今日は修学旅行二日目。もし未来を変えることができたのなら、皆で一緒に京都の街並みを回っていたはずだ。でも、できなかった。こうして俺達は病院にいる。

 それでも俺は。


「……変わったと思う」


 未来は確かに変わった。

 だって東條さんは生きている。


「山中さんが未来を変えたんだよ」

「私……」

「山中さんがいなかったら、東條さんは未来予報通りの結末を迎えていた。でも、東條さんは生きている。山中さんの強い意志と行動があったから」


 俺にはなかった。山中さんのような強い意志は。ずっとぶれていたんだ。言おうと思っていたことがずっと言えなかった。言うチャンスはいくらでもあったのに。後で言えばいいと思って、先延ばしにしていた。その結果、東條さんと展望台に行くことになってしまった。もし、行かなければこんな結末を迎えていなかったかもしれない。


「でも、未来を変えたことによって変わってしまったこともある」

「変わったこと?」

「うん」


 起こるはずがなかったことが、別の人に起こってしまった。


「山中さんが怪我をしたこと」


 怪我をするはずがなかった山中さんが怪我をした。東條さん以外の所でも未来は変わってしまった。


「俺、予知夢について少し調べたんだ。その時に知ったことなんだけど、未来を変えると、どこかで釣り合いをとる力が働くんだって」

「……全然釣り合ってない」

「うん。人の死と怪我を同じに扱っちゃいけない。同じ天秤にかけちゃいけないと俺は思う」

「それじゃ……」

「もしかしたら、未来予報の内容が先延ばしになっただけかもしれない」

「そんな……」


 瞳に涙を溜める山中さんは口に手を当て、何かを必死に堪えていた。

 また東條さんが危険な目に合う。誰も傷つけたくない。その思いがにじみ出ている気がした。誰かを守りたい。誰かを助けたい。そう思っている人はいくらでもいる。でも、行動に移すとなると途端に躊躇ってしまう人がいる。俺みたいに。

 でも、山中さんは違った。自分の命を投げ捨ててまで東條さんを救おうとした。自らの危険をかえりみず、無我夢中で東條さんの元に駆け寄った。その強く硬い甲鉄の意志は、本物の山中さんなのだと思う。だから。


「大丈夫だと思う」

「えっ……」

「もし、東條さんが亡くなる未来を見ることがあっても」


 ベンチを立ち上がった俺は、山中さんの方を向いた。


「また未来を変えればいい」


 山中さんや新聞部の人達、それに新一をはじめ生徒会のメンバーがいる。

 今まで山中さんはずっと一人で抱えてきたことかもしれない。

 誰にも言えず、もがき苦しんでいたのかもしれない。

 でも、周りを見渡せば必ず誰かがいる。誰かが。


「皆で協力すれば、変えられない未来はないよ」

「……うん!」


 山中さんは満面の笑みを見せてくれた。

 放送ブースで見せてくれた笑顔と同じだった。

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