19話 「そろそろ限界だった」

 夏帆を家の近くまで送った後、俺は明るい街の中をふらふらと歩いて自宅まで戻っていた。

 「一人で歩くだけで辛い場所って消えちまえばいいと思うんだ……」

 周りでは夜になって仕事終わりの社会人が集まって飲食店に入って行く姿や俺のような学生らしき若いカップルや友達と集まってカラオケなどに入って行く軍団ばかり。周りで俺のように一人でほっつき歩いているのは俺だけである。

 そんな苦痛を感じているせいか、夏帆とさきほどまで話して楽しかったからだろうか一人で帰る道は先ほどの何倍も長く感じる。

 長時間の実習で疲れ切っていてあんまり足を早く動かすこともしたくないのもあるかもしれない。実習も3時間超えるならどこかで10分くらい休憩をください。特に常に手を動かしたり気を張らなくてもいいから休憩しなくてもいいだろって思うかもしれんけど、ちょっと教室出て外の空気吸うなり伸びくらいはしたい。

 そんなことを思いながら夜の繁華街を歩いていると、やはり怪しげな男が若い女性ばかりを捕まえて何か声をかけている。それを聞いている女性の顔は困惑している。

 「夏帆を家まで送って正解、だったな」

 そんな様子を見ていると、すぐに私服を着たほかの男が声かけてしている男に詰め寄っていく。どうやら街の見回りにバレたようだ。

 最近はこう言った声掛けやスカウトというものにかなり警察や公安の目が厳しくなったとはいえ、絶対に絶滅することなくしぶとく活動を続けている。

 くれぐれも若い女性は気を付けて欲しいといつも思う。

 「夏帆だけじゃなく奈月のやつも気を付けるように言わんとダメかな」

 これからバイトを始めようかという彼女だ。今のところだと彼女と一緒のバイトをする、という話では進まなさそうなので少しくらい言っておいた方がいいかもしれない。

 「不安要素しかないからな、あいつ……」

 酒は飲めると言っても、酔ったらあのざまだ。ほかの男の前でそうなったことを想像しただけで寒気がする。それ以外にもあいつ意外とメンタルもろい面があるからな。俺が言えたことじゃないが。

 ああいった呼び込みの言うセリフには、ちゃんと女性の心を揺さぶるためのテクニックがたくさん入っている。

 それはもちろん褒めるということもあるし、あるいは脅しや相手を悲しませてメンタルを弱らしにかかって判断力を落とさせるものもある。拷問ややばい宗教のやり口である。

 「こういうのに関して梨花なら心配一切ないんだけどな」

 ある意味マイペース過ぎるし、感情の変化を俺以外の他人にほとんど見せることなどないので相手もかなり掴みどころがなくてお手上げだろうしな。

 そんなことを思いながら足を進めていると、やっと繁華街を抜けて俺たち学生が主に利用しているマンションの近くまで来た。ここら辺は大学やマンションを管理する企業が学生を守るために大量に雇った警備員さんたちがいる。

 夜遅くまで見回りを続ける警備員さんたちは疲れているにもかかわらずに、俺を見ると優しい笑顔で挨拶をしてくれる。本当にお疲れ様です。

 「あ”ー、さすがにめちゃくちゃ疲れた……」

 家に帰って荷物を下ろして俺が完全に脱力してベッドに倒れこんだ時には、夜の8時をすでに回っている。

 「こんな調子で社会人になった時に残業とか出来るんかなぁ……?」

 出来る気が全くしない。多分、やらないといけないってなったら意地でもやるんだろうけどそれが何日も続くのが当たり前になるとか今から考えるだけでも嫌すぎる。

 そんな大変な中で稼いでくれているおかげで大学に通えていることを改めて親に感謝しつつ、俺はいつも通り夜ご飯を食べるために冷蔵庫と冷凍庫を開けるのだが。

 「はぁ……」

 奈月の料理を食べてからというものの、何度も奈月には「もうお前は私の料理を食べてしまったから自分の料理では苦しくなる」といつも言われてきたがここ最近本当にきつい。

 最初からきついきついとは言っていたものの、まだ何とかなっていた。しかし、俺の作る作り置きのメニューは確実に奈月の作るものより何もかもが一段下である。

 いつも通り必要な分だけ皿に出した作り置きをそのままレンジであっためたり、温める必要のないものはそのまま出す。そして机に適当に並べてそのまま食べ始める。

 「……」

 別にまずいわけではない。しかし、どうしても食べているとため息が零れ落ちる。

 「むかつく。大学内だけじゃなくて家の中でも存在感を発揮しやがって……」

 ただでさえ大学では嫌というほどあいつと一緒にいて自宅くらいは一人でいられると思ったらこれである。

 「ちくしょう。……また作って欲しいな」

 みんなどうあれ大学生ならある程度料理を作れと言われたら作れるだろうが、あいつはすでにあれほどのクオリティで作れるのだ。

 あいつに将来毎日ご飯を作ってもらえる奴は本当に幸せ者だと思う。性格はあれでも見た目もいいし——

 「って俺は何を考えているんだ……」

 あんな奴と一緒になればおいしい料理は食えても、毎日あんなめんどくさいノリに付き合っていかないといけない。

 そんなことを思いながら口をもごもごさせていると、いきなりスマホが振動立てて机の上をうごめき始めた。俺はすっかり気を抜いていたのでいきなりの事で少し驚いたが、そのまま気を取り直してスマホを見る。

 「そしてこういうピンポイントでかかってくるのがこいつなんだよなぁ……」

 電話主は奈月である。まるで狙っているかのようなタイミングである。

 「はい、もしもし」

 『おっと、今日もやり直しになって辛そうだった健斗さんや。どうもお疲れ様』

 そして開口一番いつもと変わらずに煽り立ててくる。

 「うるせぇぞ、お前だってレポート再提出の時に辛そうな顔して直してただろうが。それを可哀想だと思った俺がちょこちょこ教えてやったというのによ」

 『そんな記憶はないです』

 いつもと変わらないこの奈月の様子。疲れているが、この声といつものやり取りを聞くと少しホッとするものがある。午前中に散々聞いてうんざりしてたはずなんだけどね。

 『……なんかあったの?』

 「いや? 何にもないけど」

 『嘘だね。なんかちょっと元気ないじゃん、どうしたの? 私に言ってみるといいぞ。あ、あのかわいい子に振られたりした?』

 「なんで最後の一言だけそんな一段と嬉しそうに言うのか……。本当に何にもねぇよ」

 俺はそう言って、再び晩御飯に手を伸ばす。皿と箸が当たって小さな音を立てる。

 それを奈月が聞き逃すはずがなかった。

 『あ、なるほどぉ。散々強がっていたけど、そういうことだったかぁ。ついに自分の料理に辛くなってきたからテンション下がっていると?』

 「ち、違うわ……」

 とりあえず反抗してみるが、核心をつかれて特に言い返せる言葉がない。

 『声に勢いがないけど大丈夫かな? 正直に言ってみ?』

 「……奈月の料理、食べたいです」

 そう言った瞬間、奈月は高らかに笑い始めた。俺が改めて奈月の料理に完全敗北した瞬間である。

 『いいよ。またこの週末にでも作ってあげる』

 「マジ?」

 『その代わり、今度私の買い物に付き合ってよ。前回は健斗の服選びに時間かけすぎたせいで、どれほども私が気になっている物見れなかったし』

 「確かに……」

 前回の連休の時街に出かけた時は俺の服選びがメインの目標だったとはいえ、想像以上に時間をかけすぎたせいでそのついでに行こうとしていた奈月の行きたいところはほとんど行けずじまいになった。

 『だから今度その買い物に付き合ってよ』

 「いいぞ。いくらでも付き合ってやる」

 『ん。じゃあ、今週末は予定空けといてね』

 奈月からそう言われて電話は切れた。しかしその直後、俺は奈月に一番大事なことを聞くのを忘れていたことに気が付いた。

 「え、待てよ……。まさか何か買わされたりしないだろうな!?」

 最近金がないとか呻いていた奈月の姿を見ていたのに、なぜその可能性を先にうたがわなかったのだろうか。完全に不覚であった。

 荷物持ちや奈月が何かを見ている間、何時間でも待つということなら喜んで受け入れるが、料理を作ってやるんだから何か買えなんて言われたら……。

 急いで奈月に電話をかけなおしたが、その後一切電話に出ることは無かった。

 料理の誘惑に負けた俺は、明日奈月に会って確認するまで恐怖に震える夜を過ごす羽目になるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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