5話 「俺悪くない……」

 奈月にチョコレート菓子をすべて食い尽くされた日から一夜明けた。今日からまた実習がスタートするのだが、それぞれグループごとにまた学ぶものが変わる。

 俺たちの班は生物→物理→化学という流れなのでここから三週間は物理ということになる。

 俺としては一番精神的にしんどいジャンルだと思っているやつである。

 ほかの子は当然解剖とかがある生物がつらいかもしれなないが、俺の言っている物理の辛さはまた別のところにある。

 なぜつらいかというと、この物理が一番数字を細かい数値まで正確に計算や作業を行わなければならない。

 どれくらいかというと基本的に少数点以下2桁3桁(0.01、0.001)など当たり前できついときはもっと下の値も取らないといけないことが多い。

 当然、こんな細かいところまで調べる作業となるとやり直し率も格段に上がる。これがめちゃくちゃつらいのである。

 先月のスケッチの件がトラウマになっている俺からすると、俺が実験に失敗して夏帆まで一緒に居残りさせられるという光景が嫌でも浮かんでしまっている。

 その上に実験を行うにおいて、一番器具を壊しやすいのが物理だと思う。ピペットとか壊れやすい精密器具使うからね。

 ぶっちゃけ器具をわざと壊していないのであれば、別に減点されるとかそう言ったことは多分無いと思う。ただ壊した時に名前を書かされたり、先生の目を付けられるとしんどいので気を付けないといけない。

 気合でどうにかなることではないので、集中力をマックスまで高めてやるしかない。

 「ただ、このジャンルに関しては週二日で済むのは助かる……」

 生物ジャンルは火曜~木曜まで三日間みっちり実習があったが、物理と化学に関しては全員拘束されるのは火曜と水曜だけで木曜は今まで成績が芳しくない生徒に向けての補講で対象になっていない俺たちは木曜日は実習がなくなる。二日でいいとなるとかなり気持ちが楽である。

 「健斗君と一緒に居られる時間が二日になっちゃうの私は寂しいですけどね」 

 実習が始まる前にそう言う話を夏帆としていると、夏帆はそんなふうなことを言った。やだ、可愛すぎません? 空いた時間に一緒に勉強して色々教えてもらおうかな。

 まぁしかし、昨日俺の隣に居る人がすごく機嫌を悪くしたのでちょっと考える必要はあると思うけど。

 夏帆とそんな話をのんびりとしているとあっという間に実習が始まる時間がやってくる。いやぁ、奈月先輩と話しているときより体感三倍くらい早いですなぁ。

 生物ジャンル同様にテキストを配られるので、それに目を通す。予想通り計算がみっちりとあるといったところか。夏帆は前回とは違って内容に特に驚くこともなく目を通している。

 「早速実験内容の話になりますが、今日は各班指定されたアスピリンを測り取ってアスピリン溶液を作って発色し液を混ぜて吸光度測定してもらいます。Excelを教室の端に用意したパソコンで開いてあるので、調べた数値を入力して検量線を製作していただきます。教員が確認してダメだったらやり直しでーす」

 やり直しでーすって軽い感覚で言わないで欲しい。その検量線をExcelで製作するまでの間の実験にかかる時間は普通に二時間以上かかる。やり直しになると一体何時に帰れることやら。

 「あ、前回のグループでは約5班ほどやり直しになって夜8時くらいまでかかったので、みんな頑張りましょー」

 あ、ダメだ。この実習の緊張状態で8時までとか死んでしまう。絶対にそれだけは避けらねばならない。

 どこのジャンルもそうだけど、緩い口調でえげつないことを言うのをやめて欲しい。多分体感が違うんだろうけど。

 「じゃ、早速アスピリン精密に500mg量り取って実験スタート」

 物理の実験における”精密に”というのはちゃんとした意味があって書かれていて、ただ丁寧に量ればいいということではない。

 デジタル上皿はかりで重さをはかった後に化学はかりと俺たちは言っているが、分析用電子天秤という物があって、風などの空気の動きさえも影響させないように密閉空間で重さをはかって細かい数値を測るという作業をする。はい、そこ寝ている君はちゃんと起きなさい。

 「俺がアスピリン取ってくるよ」

 「じゃあ私はその後の作業で使う器具だしたり、準備しておきますね」

 もう当たり前のように夏帆との自然な作業分担。なんだろう、分かり合っているような感じがしてこの雰囲気が俺は好きである。

 俺は薬さじと、薬包紙を持ってアスピリンの入った容器と上皿はかりのある実験机に向かう。すでにほかのたくさんの班が量り取る作業に取り組んでいる。

 少し持つと、目の前にいた人が量り終わったようで自分の実験机に戻っていったので俺もアスピリンを量り取ることにした。

 「えーっと500mgはgにすると……」

 さすがに誰だって分かるだろう。0.5gである。上皿はかりでその値になるまでアスピリンをすくって薬包紙の上に出す。

 「……よし」

 俺は量り取ったアスピリンを薬包紙で折りたたんで包んで夏帆の待つ実験机に戻ろうとした。その時だった。

 「……あれ?」

 俺の隣で同じようにアスピリンを量るある生徒。上皿はかりの示している数値は0.05g。

 まだ入れ始めたのだろうと最初は思った。しかし、その隣の生徒はその数値を見るとそのまま持ち帰っていった。

 「????」

 あれ? 俺まさかmgとgの変換すらできていなかったっけ? さすがにそれはまずい。この段階ならまだやり直せる。

 俺は実験机に戻って夏帆に聞いてみることにした。

 「……あのさ。めっちゃ初歩的なことを聞くんだけど、500mgって0.5gだよな?」

 「え? そうだけど、どうかしたの?」

 「いやぁ……俺の隣りで量り取っていたやつ0.05g量り取っていたからさ……。俺が間違っているのかなって思っちゃって」

 「そ、それどこの班の人!?」

 その夏帆と俺の話をたまたま巡回していた教員の一人が聞いたらしく、俺のすごい勢いで尋ねてきた。

 「い、いや……。ちょっと顔までは見てないです。ただ、自分もあんまりこういう実技をしていないし余裕がなくてミスしているかと思ってましたし」

 「た、大変だ! 早く探さなくちゃ!」

 この俺と夏帆の話を聞いた教員が、焦ってほかの教員にも連絡して大騒ぎで0.05g班の捜索が始まった。

 「誰なの?」

 「いやだから僕はその人の顔見てませんって」

 その後も何度も俺は教員の皆さんに一体その人はどこの誰かを約10回以上は聞かれた。どんなに聞かれても分からないものは分からないんですけど。

 そんな俺が困り果てた様子を見て、夏帆はめちゃくちゃ楽しそうに笑っている。夏帆さんドSや。

 結局、教員の必死の捜索により何とか発見されたので良かったが、別に俺の落ち度でもないのに変なことに巻き込まれてめちゃくちゃ疲れた上に最後に教員に「そういうことがあったらちゃんと顔を見ておきなさい!」とかめちゃくちゃ怒られたんですけど。間違った班には何にも怒ってなかったのに。

 そしてそんな様子を見てまた夏帆はすごく楽しそうに笑っているし、奈月もそんな俺の状況を見てめちゃくちゃ腹抱えて笑っていてなんとも言えない気持ちになった。

 ま、夏帆が楽しそうなので良しとしよう。これで俺の実習の点数が減点になっていたら俺は世界を滅ぼすであろう。

 

 

 

 

 

 

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