第3話 あなたの気持ちを聞かせて

「……いつでも歓迎するとは言ったけど、まさか昨日の今日で来るとは思わなかったなぁ」

「えへへ、誰かの家に好きなときに遊びに行っていいって言われるの、はじめてだから嬉しくて。来ちゃった♪」

「運が良かったね、もう少し早かったらちびっ子達に囲まれてゆっくり話をするどころじゃなかったよ。今は母さんーーシスター達と散歩に行ってるんだ」


 そう言ってコップの水を口に含むエリカ。

 少し遅めの朝ごはんを食べて、またも授業を受けずに城下へ飛び出した。

 向かう先はもちろんエリカから貰った住所の孤児院。

 はじめ私のことをどう説明しようかと迷っていたけれど、エリカが直接出てきてくれたので無用な心配だった。

 大きなリビングらしき場所に来ても孤児院と言う割には静かだな……と思っていたけれど、たまたま人がいない時間に来ただけだからみたい。


「エリカは行かなかったの?」

「なんだかリーゼが来そうな気がしたから待ってたんだ。……まさか本当に来るとは思わなかったけど」

「そうなんだ。……あ、あれって」


 庶民の家も見る機会が全くないに等しいのに、更に数の少ない孤児院という空間が気になる私。

 キョロキョロと部屋の中を見回していると、テーブルの上に沢山の小さい子達とエリカ、そして二人の年を召した女性の姿が写った写真を見つけた。


「うん。ここにいるみんなの写真」

「みんないい笑顔。もちろんエリカも。……素敵なご家族なのね」

「……っ! ……ありがとう」


 本当に幸せそうな笑顔で見つめてくる子ども達。エリカもなんだか幸せそうな雰囲気で写っている。


「……こんなところにいるのに、どうしてあなたは穏やかな笑みを浮かべて話しかけてこれるの? 今まで来た人はみんな早く帰りたそうな顔をしていたのに」

「うん? 何か言った?」

「ううん、なんでもない」


 エリカが何かをつぶやいた気がしたけれど、気のせいだったみたい。

 写真から目の前に座るエリカに視線を戻し本題に入る。


「あのさ……良かったらお昼一緒に食べない? 美味しいサンドイッチを出すカフェがあるんだけど、一緒に行きたいな……なんて」

「……っ! ……その申し出は嬉しいんだけど、この家を見てくれたら分かる通りお金に余裕がなくて。だからーー」

「ううん、これも一昨日のお礼」

「でも昨日ペンダント貰ったし」


 全力で首を左右に振りながら両手も同時にダメダメという仕草をしてくるエリカ。

 どれだけ謙虚なんだろうこの人は。エリカに助けてもらったこの身の恩は返せないくらい大きいのに。


 突然、私の直感がこの胸の内に渦巻く熱い感情を露わにするなら今だと叫びだした。


 その心の叫びに押されるように口を開く。

 ……予定より早くなっちゃうけど、まあいいや。


 人生初の経験。私は覚悟を決めてエリカの目をじっと見据え、ひんやりと冷たいエリカの手を両手で包み込みながらゆっくりと話し始めた。


「私ね、エリカみたいに強くないからさ、もしあの時にエリカが来てくれてなかったらどうなってたか分からないんだ……。改めてあの時の状況を思い返してみると、夜寝れないくらい怖くなる」

「……そっか」


 私の声と指先の震えが伝わってしまったのだろうか。私の手の中にあるエリカの手がピクリと反応する。


「でもね、そんな時にエリカの事を考えてみるとね、怖い気持ちが吹き飛んで穏やかな気持ちで寝れるの。何かあったらまたエリカが助けてくれるから大丈夫、そう思ってね」

「わたし、さすがに助け続けるのは無理だよ」

「それはもちろん分かってる。でも、考えるだけで違うんだ。エリカの事を想い浮かべるだけで」


 心がぽかぽかする。

 リラックスして安心できる。

 そして何よりずっと一緒にいたくなる。


 エリカに助けられるよりも前、お姉様と比べられてばかりで誰も私を見てくれなくてつまらない日々しか無かったあの時と比べて、私は今。すっごく輝いているのを実感する。

 だって、エリカはお姉様じゃなくて私を助けてくれた。

 今私の言葉を聞いてくれている。

 私の事をお姉様の妹としてじゃなくて、私として。リーゼロッテとして見てくれている。その事が嬉しくて。


「……だからこれからもあなたの事を思い出させて。これから先、あなたと一緒にいさせてほしいの。あなたは私を暗闇から助け出してくれた。そのお礼がしたい」

「……でもわたしは」

「エリカ」


 エリカの言葉を遮って、遂にこの想いを口にする。


「助けてくれてありがとう。私はあなたの事が大好きみたい」

「なっ……!?」

「言ってしまえば一目惚れだけど、昨日今日とまた会って確信した。ずっと心の中でモヤモヤしていた不思議でふわふわとした気持ちの名前が分かったの。……これは恋。エリカへの恋、だよ」


 言ってしまったことへの後悔はない。

 むしろやっと言えたことに安堵し、どこかスッキリしている。


「友達にも聞いてみたんだ。この気持ちはなんだろうって。アドバイスを貰って、考えてみた。エリカのことを考えると、これが『好き』っていう気持ちなんだってはっきり分かったんだ。あなたは私に大きなきっかけを与えてくれた。あなたと一緒ならば、私は何だって出来る気がするの」

「でも、わたしは!」


 声を荒げたエリカに向かって私は勢い良く立ち上がると、ギュッと抱き付いた。

 腕を背中に回して思いっきり密着する。

 そして偶然か私の口もとにエリカの耳がきていたので、そっと小さな声で囁く。

 私の気持ちがちゃんと伝わるように心を込めて。


「私はあなたがどんな身分であってどこに住んでいてどこの出身であっても気にしない! そんなのはどうだっていい‼ ……大切なのは、私があなたが好きって事だけだから」

「リーゼ……」

「私は周りがなんと言おうともあなたが好きだし、好きでい続けられる」


 そして少しだけ抱き寄せる力を緩め、今度は目と鼻の先にまで迫ったエリカの目を見つめながら問う。


「エリカの気持ち、聞かせてくれる?」

「わたし……わたし、は……」


 震える声。目尻に浮かぶ小さな涙。

 私は決して目を逸らさずエリカを見つめ続ける。

 エリカの全てを受け入れるよという想いを伝えるために。


「わたしは、ずっと人を好きになっちゃいけない、って思ってた。……わたし、生まれたときから親の顔を見たことがないんだ。気付いたらここにいて、大きくなって、小さい子たちの面倒を見て。ずっとそれだけだと思ってた」

「うん」

「孤児だから、誰かに深く関わっちゃいけない。そう教えられてきた。街で普通に接してくれていた優しい人たちも、わたしが孤児だと知るとみんな態度を変えるんだ。関わったらその人が不幸になる」

「そんなこと、絶対にない。わたしはそういう事は気にしない」


 何かを思い出したのかな? 涙を堰き止めていた心の堤防が次第に崩れ去ったかのような、固かった表情から一変して可愛らしい顔を歪めて一気に涙を滴らせている。

 私はポケットからハンカチを取り出して、そっと頬や目尻の涙を拭き取ってあげた。


 暫くして落ち着いたのか、ぽつりぽつりとエリカが話し始める。


「弟、妹たちが街で虐められているのを見て、強くなろうと思ったの。それてここにあった本で魔法を勉強したんだ」

「すごいじゃない」

「……全然すごくない。今ではここにいる家族みんな以外みんなわたしを見ると避けていく。ただの居ては迷惑な存在。家族を守ろうとしたのに逆に家族を危険に晒してしまっているかもしれない。そう考えると怖くて……。わたしの心は申し訳無さと情けなさしかない。ずっとひとりぼっちなんだ」


 何故だろう。全く違う境遇のはずなのに、どこか私とエリカ、重なるところがあるように感じる。


「……私もね、出来のいい姉と比べられてばかりで、自分自身を見てもらえてなかったの。そういうのが嫌で、一人の時間が多くなった」

「……リーゼも?」

「うん。何をしてもお姉ちゃんと比べたら。お姉ちゃんは良くできていたのに。お姉ちゃんを見習って。そればかり」

「そうなんだ……。ねぇ、一人って辛い?」


 この言葉はきっと、エリカ自身の辛さと私の辛さを重ねて、この痛みを正当化しようとするものなのだろう。

 私はこれに頷いてはいけない。

 そう思って全身全霊の想いを乗せて返事をする。


「辛くないよ」

「……ぇ?」

「辛くないよ。……だって、エリカと会えたんだもの」

「わたし、と……?」


 一瞬の落胆。しかし続けられた私の言葉に悲しみも涙も忘れ、きょとんと私を見つめてくる。


「そう。ずっとひとりぼっちで、嫌なことばかりあった気がする。何をしても楽しくなれないし、笑顔も忘れた事もある。でも、今こうしてエリカと出会えて私は変われた」

「でも、まだ初めて会ってから二日だよ?」

「日付なんか関係ない。今まで生きてきた経験を遥かに超すくらいの感じたことのない未知の感情をこの二日で受け取った。……あなたが好きだというこの気持ちも感じることが出来た。私とエリカは運命によって出会ったのよ」

「運命……」

「出会うことのなかったかもしれない私達が出会えたということ。あなたとこうして話ができているという事。そして、私もあなたが好きで、あなたも私が好きだということ、全部が運命」


 私もたった今口にした言葉を反芻させる。

 運命。辿り着くべき道筋によってゴールへと導く決められたルート。

 ゴールまで辿り着いても、そこはまだゴールじゃない。


 ゴールというのは、新たなスタートを切るためにあるもの。

 私たちが出会ったことが一つのゴールであったとするならば、これから私たちが二人で新たなスタートを切ればいい。


「私とエリカで、まだ見ぬ新たな運命を辿りましょ? きっと私とエリカの二人でだったらどこへだって行ける。運命とは、自分の手で創り出し、掴み取るものなんだよ」

「…………わかった」


 先程の自信なさげなものとは違う、決意を宿した瞳。


「わたしも、わたしもリーゼと一緒にいたい。知らないことを沢山してみたい。わたしを認めてくれる人を探したい! ……もう、一人で抱え込むのはイヤ‼」


 そう叫んだエリカは、まるで外敵や辛い環境から見を守るために固く閉ざしてきていた殻を破り捨てて産まれた、小鳥の雛のように見えた。


「エリカ、私と一緒に新しい世界を見に行きましょう?」

「うん。……うん!」


 抱きしめ合い、お互いの想いを噛みしめあう私たち。

 ……この日から私たちは、恋人同士になった。


 普通の恋人とはちょっぴり違うけれど、大切で大好きな恋人だ。



 * * *



「ふーん、最近毎日のようにリーゼロッテが何処へ行っているのかと思ったら。孤児院なんかに顔を出しているの?」

「はい、シャルロッテ様。どうやら孤児院の娘と仲を深めて居るようで、まるで恋人同士のような雰囲気で街中を歩いたり出かけたりしていました」


 丑三つ時に暗い、王都からほど近い街にある屋敷の一室で交される言葉。

 穏やかそうな声の高貴な身分の姫。しかし突然語尾を強めて立ち上がり、机の上の小物や書類を全て床へ薙ぎ払うと、ドンッ‼ と両手の拳を執務机に叩きつけると大声で恨み言を喚き散らしはじめた。


「そう。ふふっ、リーゼロッテもなかなか楽しそうなことをしてるじゃないの。

 …………わたくしの、わたくしのリーゼロッテを奪おうとするのは一体どいつなのよ!? 幼い頃から見守ってきたわたくしのリーゼロッテを横取りしようだなんて……! 許せない‼ わたくしへの憧れを上手く掴んでわたくしだけを見つめさせるように教育してきたのに。数年かけて城の者や教育係に言いつけてわたくしを褒めさせてわたくしへの憧れを育てる洗脳もしてきたというのに! それなのにそれなのにそれなのに‼ たかがぽっと出の親の顔も知らないような孤児に誑かされた……? ハハッ、ハハハハハハ‼」


 数分に渡って部屋中に響き渡る、狂ったような高笑い。

 普通の人であればまず出ないような低く唸るような声で呼吸を整えると、じっと黙って傍に立っていた近衛騎士に向かって突き進んでいく。


「いいこと? その小娘のことを洗いざらい調べて報告書としてこのことをお父様お母様に提出するのよ。決してわたくしが調べさせたと分からないように。……リーゼロッテ、あぁわたくしのリーゼロッテ。あなたはわたくしの手の中にいなくてはいけないのに。わたくしに可愛がられているのが幸せなのに。どうして逃げ出そうとするのかしら……? ふふっ、いいわ。これはきっと神様からのゲームなのよ。あなたを誑かした小娘からあなたを取り返すゲーム。小娘め……よくもわたくしのリーゼロッテを……。許さない。許さない許さないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない」


 ぶつぶつ呟き続ける主人を横目に、一礼した近衛騎士が止まっている部屋の外へと出て行く。

 そしてすぐに、馬の駆け出す音が響いて消えた。


 翌朝、国王夫妻の眠る隣のリビングルームの机の上には、昨日まではなかった重要な書類を意味する赤いリボンが巻かれた巻紙が置いてあった。

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