第103話 花の色あせつつ

 どうする、和泉、勝算はあるのか……。

 ない……。

 そう思わざるを得ない。

 基本的な体格がそう、和泉と全長3メートルを超える巨大な虫、ガルディック・バビロン、両者の体重差は数十倍にも達するだろう。

 それに、あれほどの巨体、和泉が手にするバスタード・ソードでいくら斬り付けたところでダメージにはならないだろう。

 私は再度、席から立ち上がり、砂の上で嘔吐を繰り返す南条の元へ歩み寄る。


「大丈夫、大河……?」


 と、しゃがんでその背中をさする。


「ああ、ちょっと、落ち着いてきた、もう、大丈夫……」


 彼は笑顔を覗かせる。


「ううん、大河、あなたはこのまま、ここで吐いてて」

「え、なんで……?」

「ハルは必ず、魔法を使う、それも強烈なやつをね……、その時、大河、あなたはなんとかしてそれを覆い隠して、ここで吐いているふりをしてね……」


 彼の背中をさすりながら言う。


「あ、ああ、わかった、そういうことなら……」


 私はネックレスを取り、くるくると回す、すると、松明の明かりを反射してキラキラと光る。

 その反射を見て、和泉がこちらをちらっと見る。

 私は彼に向かって大きくうなずく。

 南条もうしろには見えないように、和泉に向かって小さく親指を立てる。


「ハル……」


 気付いただろうか……。

 私はネックレスを元に戻してその場を立つ。


「よろしくね、大河」

「ああ……、お、おう、おえええええっ」


 と、南条は嘔吐するふりをしてくれる。

 それを確認して席に戻る。


「あの男、大丈夫か?」


 席に戻ると、ザトーが南条をアゴで指し示す。


「あんな化け物を見せられたら、誰だって吐きたくなるわよ……」

「それもそうじゃの、ふぉっふぉっふぉ」


 と、白いアゴ髭を撫でる。

 視線を闘技場の中央、和泉とガルディック・バビロンに戻す。

 おそらく、そんなに長くは戦えない。

 初撃、若しくは二撃目が勝負、時間が経てば経つほどこちらが不利、それは和泉もわかっているらしく、後方に下がるのではなく、一歩前へ、足を踏み出すような形で剣を構える。

 和泉の構えに呼応するかのように、ガルディック・バビロンの上半身の無数の腕がわさわさとうごめく。

 そして、飛び出す、和泉目掛けて腕が伸びるように飛び出した。

 その攻撃が意外だったのか、和泉は大きく横に飛び退くようにかわす。

 でも、踏ん張ったときに、砂に足を滑らす。

 そこを見逃さす、ガルディック・バビロンの伸びた腕が追撃し、和泉の肩辺りをかすめる。

 和泉の白いレザーメイルが引き裂かれ、そこから血が噴出す。


「ぐっ」


 と、反射的に肩を押さえる。

 でも、ガルディック・バビロンはその隙すら見逃さない、無数の腕が先程と同じように飛び出し、和泉を襲う。

 パシュ、バチンッ、と、その腕は刺すだけではない、ムチのようにしなって、激しく叩きつけてくる。

 和泉は防戦……、というか、勘、というか、運だけで致命傷を避けている……、いや……。


「ふぉっふぉっふぉ、しばらく振りの獲物を前にして、遊んでおるようじゃのう、やつは……」

「ええ、はしゃいでいますね、陛下」


 そう、わざと外している、その証拠に、通常の攻撃の命中率は低いのに、退路を断つ場合にのみ、やたらと高速で正確な攻撃を繰り出してくる。

 これは、もう、無理だ、人間にどうこう出来る相手ではない……。

 和泉が私を見、そして、そのあとに南条を見る。

 ついに、やるか……。

 風が舞う……。

 おそらく、これは南条の魔法だ。


「なんじゃ、風など、誰も指示しとらんぞ、すぐに止めさせろ、砂が舞う!」


 と、上の隙間から風が出ていると思ったのだろう、ザトーが大声でそう部下に指示を出す。

 和泉は砂が闘技場全体を覆うのを待つため、ガルディック・バビロンから距離を取ろうとする。

 でも、それを許さない、逃げれば、逃げるほど、ガルディック・バビロンからの攻撃は苛烈になる。

 白いレザーメイルが徐々に血で赤く染まっていく……。

 やつは直接、和泉の身体に爪を突き立てない、わずかにかすらせて、大きな裂傷を作って、出血を誘う。

 駄目だな、早くしろ、南条……。


「なんじゃ、この風はぁ!?」


 ザトーは目を凝らして身を乗り出す。

 やっと、視界が悪くなってきた。

 赤や白の花びらが舞う。


「エンベラドラス、殉教者の軍勢……」


 和泉が耐え切れず、魔法の詠唱に入る。

 その時、


「ぶヴぇヴぇヴぇぇえええ」


 と、ガルディック・バビロンが和泉に向かってあの黄色い液体を吐きだした。

 でも、数メートルの距離がある、かわすのは容易なはず……。


「おヴぇヴぇヴぇぇえええ」


 口が飛び出した、びょーん、って……。

 いや、口というより、歯茎全体というのか、それが勢いよく、和泉に向かって高速で伸びていく。


「ぐあっ!?」


 びちゃびちゃと、汚らわしい黄色い液体を撒き散らしながら、和泉の肩に噛み付く。

 よく見ると、本体の大きな口の中に今飛び出した小さい口のようなものが無数にあって、それがうねうねとうごめいていた……。


「お、お、おう、えええ……」


 南条も吐いた。

 それと同時に吹いていた風が弱まる。


「た、大河!?」


 私は叫び立ち上がる。


「うああああああ!!」


 和泉が悲鳴を上げる。

 ガルディック・バビロンから伸びた口が和泉の肩に噛み付き、それがぐるぐる回転しながらえぐっていく。


「うがあああああ!!」


 激しく血が飛び散る。


「大河、魔法!! いや、もう間に合わない、詠唱を続けろ、ハル!!」


 もう魔法はばれてもいい、一刻の猶予もない、和泉が死ぬ。


「ぐあ、ぐぁあ、死の絶望が……、汝を燃え上がらせる……」


 必死の詠唱を続ける。


「ハサヴィユヒト!!」


 東園寺がそう叫び立ち上がる。


「ま、魔法……?」

「星霧、星影、死色の空、メンフィティティス!!」


 さらに、そう叫びながらザトーに詰め寄る。


「な、なんと言っておるのじゃ、小娘……?」


 困ったような顔で私に通訳を求めてくる。

 ああ、そういう作戦か、クレームを入れているふりをして魔法を唱えるという……。


「森羅万象、創造の光よ、その身を焼き尽くせ!!」


 そして、怒鳴り散らすようにザトーに向かって呪文を唱え続け、魔法は完成する。


天元金鎖の円方灼炎リムロスチオウ!!」


 和泉に向かって腕を横に払う。

 その瞬間、ボワッ、という風とともに、砂煙が大きく舞い上がり、同時に私たちの視界を奪う。


「な、なんじゃ、何が起こった!?」

「へ、陛下!?」


 ザトーとアンバー・エルルムが砂埃から目を守るために両腕で顔を防ぐ。


「炎を纏え、双炎爆裂エゼルキアス


 そして、和泉の魔法も完成……。

 強烈な砂煙の中でも何かが赤く光るのがわかる……。

 それとともに、何かを斬る音、砕く音、さらには潰す音が響き渡る。


「な、なんだ、見えん、見えんぞ、何がどうなっておる!?」


 ザトーが喚き立てる。

 やがて、その戦闘らしき音も聞えなくなっていく……。

 やったか……? 

 徐々に晴れていく砂煙の中を、身を乗り出して覗き込もうとする。

 ゆっくりと砂煙が晴れていく……。


「あっ……」


 和泉が片膝をつき、えぐられた肩を手で押さえている。

 そして、折れた剣が彼の目の前に落ちていて、さらに、その前方には……。


「やったぁ! すげぇぇぜ、和泉!!」


 と、南条が歓声を上げる。

 そう、和泉の前には細切れになったガルディック・バビロンの残骸が散乱していた。

 そして、闘技場には緑や黄色の体液が至るところに付着し、その戦いが壮絶だったことを物語る。


「やったぜ、和泉!!」

「無事か、和泉!?」


 急に元気になった南条が飛び上がって喜び、和泉の元に駆け出して行き、そのあとを東園寺も続く。


「ハル……、よかったぁ……」


 と、私は椅子に深く座る。

 まぁ、和泉ならやってくれるよ、あのくらい、うん、私は信じてた。


「信じられん……」


 お? 信じられない人もいるみたい。


「はい、陛下……、こんなこと、聞いたこともありません……」

「そうじゃ、初めてのことじゃ、人間がガルディック・バビロンを倒したのはなぁ……、この千年間でぇええ!?」


 ザトーが血走った目で叫ぶ。


「どういうことじゃ、小娘ぇえ!? ええ!? 超常か、やはり超常の力を持っていたのか、えええ、言わんか、小娘がぁああ、ああ!? あと、あれは、あの風はなんじゃ、あれも、超常の力かぁ、ええい、教えんかい、小娘がぁああああ!?」


 と、ザトーが私の両肩を掴み、激しく前後に揺さぶりながら、泡を吹きながら大絶叫する。

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