第102話 ガルディック・バビロン
ラグナロク広場から東へ約5キロの地点にある、水の枯れた旧河川敷。
そこには通常では考えられないほどの巨大な虫が生息していた。
その虫の大きさは全長1メートル前後……、セミの羽を取って、そのまま大きくしたような姿をしていた……。
また、知能もそれなりに高く、通常の虫の記憶方式リードオンリーメモリーだけではなく、魚類以降の生物が持つ記憶方式ランダムアクセスメモリーを獲得しているのは明らかだった……。
それは私たちの知っている虫の生態とは根本から違う……。
そして、今、私たちの目の前にあらわれた檻の中に入れられた巨大な虫、ガルディック・バビロンはその時の虫と比べてどうであろうか……。
体長は比べ物にならないほど、ガルディック・バビロンのほうが大きく、全長は3メートルほど。
姿形は、どことなく似ているけど、ひとつ決定的に違うところがある。
それは上半身……。
羽のないぶよぶよとしたセミのような茶色の下半身に、つやつやとした深緑色のカマキリにも似た形状の上半身を持っていた。
恐ろしく醜悪……。
でも、やはり、一番気になるのは、知能、記憶方式……、それによって戦い方がガラッと変わる……。
「う、う、うう……」
「大河、大丈夫……?」
苦しんでいる南条に近づき、その背中を優しくさする。
「ああ、ごめん、おぇ……」
また砂の上に吐き出す。
無理もない……、あれを見てしまったのだから……。
南条の背中をさすりながら、ガルディック・バビロンを見る。
別に南条はガルディック・バビロンを見て吐いたわけじゃない、やつの腕とか足の関節でうごめいている無数の黒い虫を見たから吐いたのだ。
この距離でもわさわさとうごめいて見えるということはそれほど小さくない、おそらく、5センチから10センチ程度の大きさはあると思われる……。
その虫が数百、いや、数千匹単位で密集してうごめいているのだ……、南条の吐きたくなる気持ちもよくわかる……。
「ふざけるな、あんな化け物と和泉を戦わせようと言うのか!?」
東園寺が激昂して立ち上がる。
「むぅ? なんと言っておるのじゃ、小娘……?」
言葉の通じないザトーが私に通訳を求めてくる。
「代表は、人間以外の者との対戦があるだなんて聞いていない、この戦いは許可出来ない、と、言っている」
少し考えてから通訳する。
「ほほ……、代表? こやつがおぬしらの代表じゃったのか? てっきり小娘が代表じゃと思っておったぞ、ふぉーっふぉっふぉふぉー」
「ですな、陛下……」
と、ザトーとアンバー・エルルムが笑う。
「まぁ、いい、質問に答えてやるか……」
と、少し真面目な顔をする。
「最初からわしは人間同士の決闘じゃとは言っとらんて……、貴様らの勘違いじゃ……、わしは剣闘士同士の戦いと言ったのじゃ、あのガルディック・バビロンも立派な剣闘士じゃ、のう、エルルムよ?」
「御意……、彼は帝国屈指の剣闘士でございます……」
二人がニヤリと笑う。
「この、くそじじい……」
仕方ないので、そのまま東園寺に通訳する。
「そんな馬鹿なことがあるか……」
彼は拳を握り締めて、闘技場のほうに向き直り、
「和泉、こいつらは、何がどうあっても、おまえを殺す気だ! もういい、終りだ、魔法を使え、
と、大声で叫ぶ。
それに対して和泉は肯定も否定もせず、ただ、軽く手を挙げ、笑って見せるだけだった。
「使わない気だね、魔法……」
私は南条の背中をさすりながら言う。
「あいつ、何を考えている……」
東園寺の言う通り、あれはゴッドハンドや南条の強化魔法程度じゃどうにもならない、強力な魔法無くしてまともに戦えない。
巨大な虫が入った檻はまだ開かず、それとは別に給仕たちが手押し車を押して闘技場内に入ってくる。
手押し車には草……、いや、木の葉だろう、てかてかとした照葉樹の葉が積まれていた。
それを石垣の内側に敷いていく。
南条が落ち着いてきたので、彼を元の椅子に座らせ、私も自分の席に戻る。
「やつが嫌う臭いじゃ……、あれにはおいそれとは近づかん……」
ザトーがお節介にもあの葉っぱの意味を説明してくれる。
「葉を敷き詰めるのを眺めてばかりじゃ退屈じゃろうて、何か話をしてやろう……、小娘はガルディック・バビロンとは何か知っておるか……?」
またか……。
「いいえ……」
と、ちらりとやつを見て答える。
「見ての通り虫じゃが……、やつらはただの虫ではない……、その巨体という意味ではないぞ……、知能じゃ、やつらは非常に賢い……、ある時、人間の町を襲い、追込み漁をやりおった……、逃げる人間どもを半包囲しながら、足の速いやつ、遅いやつ、すべて計算して、袋小路に追込んだのじゃ……、そして、全員ひとり残らずむさぼり食った……、文字通り、皆殺しじゃ、女、子供、老人、見境なくな……、その食いっぷりは凄まじかった……」
給仕たちが照葉樹の葉を撒いていく。
特に、私たちの周囲には厚く敷き詰められ、そのツーンとした香りが辺りを漂う。
「やつらがどこから来たのかはわからん……、一説には北方の砂漠から来たと言われておるが定かではない……、なら、あれはどうやって捕らえたかというと……、卵じゃ、大昔から都の地下深くにて慎重に繁殖させておる……、そして、戦争や闘技会で使用する……、その戦闘力は凄まじく、幾度となく我が帝国に勝利をもたらしてきた……、そして、いつしか、人々は恐怖と畏敬の念を込めて、こう呼ぶようになった、地獄の門、ガルディック・バビロン、とな……」
ザトーが不気味に笑う。
「おお、その顔は! そうじゃ、そんな厳重に管理されたガルディック・バビロンの群れがどうして人の町を襲ったのかというとな、それはわしが命じたからじゃ、やつらを町に放せとな! うーきゃぁっきゃっきゃっきゃぁあああ!!」
ザトーが肘掛を叩いて狂ったように笑う。
「……」
こいつには言葉もない。
「どれ、終わったようじゃの……」
照葉樹の葉を撒いていた給仕たちが闘技場から出て行く。
「では……」
と、ザトーが立ち上がり手を挙げて指示を出す。
それを見て、兵士たちが厳重に巻かれた鎖をほどいていく。
やがて、鎖がすべて取れ、次に大きな錠前を外す……。
そして、両開きの扉を二人の兵士が開け、それを合図に回りの兵士たちが一斉に、全速力で闘技場の外へと逃げていく。
「ふぉっふぉっふぉっふぉ」
ザトーが愉快そうに笑う。
檻は開け放たれた。
ずりゅり、ずりゅり、と、不快な音を立て、ガルディック・バビロンが檻の中から出てくる……。
やつが檻から出た瞬間、嫌な臭いがしたような気がして顔をそむける。
「ふぉっふぉっふぉっふぉ、どうした、小娘、怖いのか、豪胆なやつじゃと思っておったが、なかなかどうして、小娘らしい可愛げのある反応もするようじゃのう」
私を見て笑う。
「くっ……」
視線を正面に戻す。
しかし、なんなんだ……、あの醜悪な姿は……。
カサカサと動く無数の足が、ずりゅり、ずりゅり、と、ぶよぶよとした茶色い胴体を引きずる。
そして、そのあとにはこれまた茶色い液体が砂の上に付着する……、よく見ると、その茶色い液体の中に動く黒い点々が……、ちっちゃい虫がいっぱいいる……。
「うわぁ……」
思わず声が出る……。
ちょっと待ってよ、これ、南条じゃなくても吐くよ……。
その醜悪な巨大な虫がゆっくりと和泉の元へ歩いていく。
でも、彼は涼しいか顔で微動だにしない、正面に巨大な虫を見据える。
そして、和泉との距離が5メートルほどになった時、ガルディック・バビロンの動きが止まる。
初めて和泉の存在を察知したのか、顔や触覚を細かく動かして確認しようとしている。
そして、その巨大な顔、ハエにも似た縦横1メートル以上もある大きな顔が正面を向き、その不気味な複眼が和泉を捉える。
そして、さらに……、その口がヌメヌメと開き……、黄色いネバネバとした体液が糸をひき何本も垂れ下がり……。
それを……。
「ぶヴぇヴぇヴぇぇえええ」
と、大量に和泉に向かって吐きつける。
「おええええええっ」
南条も吐いた。
虫から吐き出された体液を和泉は後方に飛んでかわすけど、わずかな飛沫がズボン、レザーゲートルに付着する。
和泉は鎧に付いた黄色い体液を見て不快な表情を浮かべる。
「終わった、決まりじゃ、あれは、やつにとってのセンサー、あの液体が付いたやつはどこにいようとも捕捉される……、地獄の底だろうとな……」
「ええ、もう逃げられません……」
「お、お、おえぇええ……」
ザトーとアンバー・エルルムは解説する……、南条は吐き続ける……。
「もう、やめて、頼む、もう、お願い……、おえっ、おえっ……」
と、南条は吐きながら涙をこぼす……。
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