第91話 インシュアランス
「どう、どうどう……」
と、帝国軍、騎士長シェイカー・グリウムが馬をなだめるように、ぐるぐるとその場を旋回させる。
「それで、帝国軍の騎士長さまが私たちの何の用なの?」
戦いに来たのではない、そう言ってたような気もするけど……。
「騎士長……? はーはっはっはぁ、はーはっはっはぁ!」
と、やつが豪快に笑い出した。
「な、なに……?」
私はちょっと眉をひそめる。
「小娘、騎士長とはいつの話をしているのかな、はーはっはっはぁ!」
「う、うん? ち、違うの……?」
「そうさ、出世したわい! 今は晴れて、第四特務部隊の隊長さまよ、あのマヌケなマジョーライが下手を打ってな、その後釜ってやつよ、ラッキーと言えば、ラッキーだったな、はーはっはっはぁ!」
「そ、そうなんだ……、おめでとう……」
なんか知らないけど、私はこいつに苦手意識を感じている……。
「小娘」
と、シェイカー・グリウムが表情を引き締める。
「貴様と話をしたいのは山々なんだが、今は任務が最優先だ……、首魁、代表者を呼んでもらえるかな?」
「だ、代表者……?」
「そうだ、首魁、首長、領袖、呼び名はなんでもいい、とにかく、この集団の頭を連れてこい」
えっと、それだと、東園寺になるのかなぁ……。
いや、うちは誰が頭とかじゃなくて、基本的にみんなで話し合って決める合議制だしなぁ……。
「あいにく、代表者は不在だ、代理として、俺が話を聞こう」
と、私の肩に手が置かれる。
その手の主を見上げると……。
「ハル……」
それは、和泉春月だった。
ちなみに、和泉の言葉はすぐにエシュリンが通訳してシェイカー・グリウムに伝えてある。
「どこの言葉だ、貴様だ……、ワ・パース語もしゃべれんのか……、未開の野蛮人め……、まぁ、いい、貴様が代理なのだな? 女、こいつに伝えてやれ! ラインヴァイス帝国は貴様らとの会談の場を設けることにした! これを見ろ!」
と、シェイカー・グリウムが胸元から巻物を取り出し、それをバサッと広げて見せる。
「署名、捺印は辺境伯、ダイロス・シャムシェイド卿! 主催は千騎長、アンバー・エルルム!」
大声で叫び続ける。
「会談場所はアバーノ平原中央、そこに会談場所を設置する! 詳しい位置は追って連絡する、日時は5日後正午とする、それまでに出頭せよ!」
そして、最後に巻物を和泉に投げつける。
「わかった、検討してみる……」
和泉がその巻物を拾う。
「検討……? 馬鹿か、おまえは!? 俺は交渉に来たのではない、命令に来たのだ! 貴様らに選ぶ権利などないわ、思い上がるな、下郎どもがぁ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「決まったことだ、指定された日時に来てくれ、と言っている、ぷーん」
エシュリンが通訳して和泉に伝える。
「そうか……、だが、俺では決められない、善処はするが、期待しないでくれ、と伝えてくれ」
和泉の言葉に彼女が頷き、シェイカー・グリウムに向き直り、口を開く。
「失礼しました。なるべく、そちらのご要望通りにします。場所が決まり次第、連絡をお願いします。そう言っている」
と、エシュリンが通訳をする。
「うむ、わかれば、よろしい」
シェイカー・グリウムが満足げに頷く。
「では、用件は伝えたぞ、さらばだ!」
と、彼が手綱を引く。
「小娘! 本日はこれまでだ! また会おう、貴様の花嫁姿、楽しみにしているぞ! はーはっはっはぁ、はーはっはっはぁ!」
シェイカー・グリウムが部下を引き連れて森の中に消えていく。
「びっくりしたぁ、なんだったの、あれ……」
「武器とか持ってたよね? 怖かったぁ……」
と、笹雪と雨宮が感想を述べる。
「緊急事態だ、ラグナロクに帰ろう」
和泉の言葉に、それぞれが無言で頷き、帰り支度を始める。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
デフコンと云うものがある。
今、私たちの国は戦争状態なのか? それとも平和状態なのか? はたまた戦争と平和の中間なのか? それらを客観的に判定して国民に発表する指標がデフコンとなる。
明日から戦争! って、いきなり言われても心の準備ができない。
なので、その混乱を防ぐために、事前にデフコンという形で戦争への危険度を公表する。
国民はそれを見て戦争への準備を進める。
デフコン5 平和状態。
デフコン4 警戒態勢。
デフコン3 防衛準備状態。
デフコン2 防衛態勢。
デフコン1 戦争状態。
こんな感じで評価をする。
で、私たち、ラグナロクは今どの段階にあるかということだけど……。
あのシェイカー・グリウムの会談の申し入れによって、デフコン5、平和状態から、デフコン4、警戒態勢に格上げされたばかり。
今ままでも戦闘はあったけど、あれは、突発的な係争に過ぎず、継続的な危機とは言えない。
なので、デフコンは5のままでよかった。
でも、今回は違う、帝国との戦いが継続して反復して行われる危険性が高まった、つまり、デフコン4、警戒態勢にあてはまる事態となってしまったのだ。
ちなみに、日本ではデフコンによる判定は行われていない。
じゃぁ、どうやって、国民が危険を察知すればいいのかって話しだけど……。
これは、意外と簡単、海上自衛隊の新造艦の命名をチャックすれば、おのずとデフコンがわかるような仕組みになっている。
ひりゅうとかそうりゅうとかきりしまとか、そんな名前だったら、デフコン5、平和状態。
いずもとかかがとかあかぎだったら、デフコン4、警戒態勢、危険が高まっているっていうメッセージ。
さらに進んで、むさしとかやまととかあきつしまだったらもうアウト、デフコン2、戦争前夜だと思っていい。
そんなことを考えながら、カップの水を覗き込む。
波紋が広がり、そのあとに私の顔が映り込む……、それを見てちょっと微笑む。
「会談の申し入れを受けるかどうかだが……」
ここは割と普通なナビーフィユリナ記念会館。
帝国からの会談の申し入れを受けて、急遽、班長会議が開催されることになった。
「当然、受けざるを得ないが……、自衛の措置も必要になってくる……」
東園寺が険しい表情で、テーブルの上の広げた巻物を見ながら言う。
「うん、殺されに行くようなものよ」
それに対して徳永が答える。
「身の安全が図られない限り、私は反対」
と、福井も徳永に追随する。
「だが……、会談の申し入れか……、意外だったな……、有無を言わさず攻めてくるものとばかり思っていたよ……」
人見が話す。
彼の顔を見る……、具合が悪いのか、すこぶる顔色が悪かった。
「やつらの狙いは魔法のネックレスだろう? それをエサに交渉すればいい、隠し通せるものでもないのだし」
和泉の言う通り、隠し通せないなら、思い切って交渉の材料とするのもいいかもね。
「馬鹿を言うな、和泉……、俺たちにやつらの工場をやれとでも言うのか……」
人見がすぐにそれを否定する。
「それは交渉次第だろ、その会談、俺が行ってもいい、もし決裂しても俺ならなんとか切り抜けられる」
「大層な自信だな、和泉? 如何なおまえでも、何十、何百もの兵士に囲まれたらどうしようもないだろう?」
と、人見がせせら笑う。
「いや、余裕だが?」
涼しい顔で返す。
まぁ、でも、実際、和泉ならやりそうなんだよね……。
私はカップの水をちびちび飲みながら二人の顔を交互に見比べる。
「会談など必要ない、攻めてくるなら攻めてくればいい、俺が返り討ちにしてやる」
と、人見が和泉との視線を外し乱暴に言う。
なんか、くんくんらしくないなぁ……、顔色も悪いし……。
「人見……」
東園寺が席を立ち、人見のところまで歩いていく。
「なんだ、東園寺……?」
「おまえ、やったのか……?」
「何をだ……」
「これをだ」
東園寺がテーブルの下に隠されていた人見の手を掴み、そのまま上に引っ張り上げる。
「ぐっ」
と、人見が苦痛に顔をゆがませる。
「きゃっ!?」
「ひ、人見くん!?」
掴み上げられた人見の手には厚く包帯が巻かれており、それでも、尚、赤い血が滲んでいるのが見て取れた。
「どういうことだ、人見、この手は……」
東園寺がジロリと人見を見下ろす。
「どうもこうもないだろ、東園寺……」
顔色の悪い顔で軽く笑う。
「許さんと言っただろう」
「今やらずしていつやると言うのだ? この危機を救えるのはヴァーミリオンしかないだろう、それは、おまえもわかっているはずだ」
人見の言う、ヴァーミリオンとは、ヒンデンブルク広場の飛行船の中にある人型兵器のことだ。
その人型兵器は動力に魔力を使う。
でも、通常の魔力ではほとんど動かない、動かせてもせいぜい1秒か2秒程度。
そこで、裏技、術者の手にナイフを突き立てて激痛を与えてやると、なぜか魔力が増幅、爆発して、ヴァーミリオンが活動するだけの魔力が得られるようになるってわけ。
おそらく、数十分単位で動くと思われる。
人見のあの手はそれをやったんだろうね……。
痛かったろうなぁ……。
「さすがに看過出来ない、謹慎だ、人見の班長としての身分を剥奪する。参謀班の指揮は、当分のあいだ綾原に執ってもらう」
「ふざけるな、東園寺、こんなときに……」
「ふざけているのは、おまえのほうだろう、人見」
東園寺が人見の胸倉を掴み上げる。
「何度言えばわかる、おまえが流すべきは血ではない、汗を流せ、おまえが流した汗の分だけ、俺たちがこれから流すであろう血の量が減る、俺たちがこれから流すであろう大量の血は、おまえが、今、流さなかった汗の報いだ、そのことを肝に銘じろ、ブレーンとはそういうものだ」
その言葉には凄みがあった。
「くっ……」
人見が視線を逸らす。
「ロッジに戻って謹慎していろ、その怪我が治るまで班長には復帰させん」
東園寺が人見の胸倉から手を放す。
「くっ、わかった……、今回は俺の負けだ……」
と、人見がのろのろと立ち上がり、部屋から出て行く。
「なんというか……、東園寺公彦、あなたがいてくれて本当によかったよ……」
誰にも聞えないようにつぶやき、カップに口をつける。
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