第78話 かひなくたむけ

 アーベントロート。

 それは、地平の彼方に沈んだ太陽の光によって、山肌や雲が赤く染まる現象をいう。

 別に珍しいものではなく、晴れた日ならば毎日見ることが出来る。

 そう、いつものこと……。

 だからこそ誤認した。


「雲が赤い……」


 あの雲の赤さはアーベントロートによるものだと思っていた。

 でも、日没から一時間以上、あの雲の赤さは異常だ、あれはアーベントロートによるものではない。


「燃えているな」


 東園寺も私が見ている雲を見ながら言葉を発する。


「ええ、燃えている……、しかも、盛大に……」


 と、相槌を打つ。


「どのあたりだ?」

「おそらくヘルファイア・パスの向こう、でも、確証はない、もしかすると、そのずっと手前かもしれない」

「そうか……」


 彼が目線を落として思案する素振りを見せる。


「どう見る、人見……?」


 人見彰吾に意見を求める。


「山火事だろうが……、敵襲の可能性もある……、が、なんとも言えない……」


 歯切れが悪い。

 まぁ、それも当然か、情報が少なすぎる。


「か、火事、かな……?」

「うん、真っ赤だね……」

「うちの花火も大丈夫かな?」

「たぶん大丈夫、飛行機のとこの広場でやってるから、燃えるものなんて何もないよ」


 と、みんなが顔を見合わせて話す。


「よし、一度、ラグナロク広場に戻るぞ、祭りは中止だ」


 と、東園寺が手を叩きみんなに指示を出す。


「うん、そうね、山火事だったら大変、何か対策を講じましょう」


 女性班の班長、徳永美衣子も同じように手をパンパンと叩いてそれに追随して発言する。


「やっぱり火事かな……」

「うん、なんか怖い、禍々しい感じ……」

「とりあえず広場に戻りましょう」

「うん、急ぎましょう」


 みんなが踵を返しラグナロク広場の方向に歩きだす。


「はぁ……」


 溜息が出る。

 これはただの山火事ではない……。


「公彦、偵察を出したい、せめて、プラグマティッシェ・ザンクツィオンに見張りを置きたい、なんなら私が行ってもいい」


 プラグマティッシェ・ザンクツィオンはルビコン川の向こうにある現地人との交易用の市場の名前だ。

 うん、割と普通なナビーフィユリナ記念市場になりそうだったから私が名前を付けた。

 なんか、かっこいいよね、プラグマティッシェ・ザンクツィオンって、意味は、知らない、綾原が世界史の授業で言ってた、語感がいいから記憶に残ってた。


「駄目だ、おまえも広場に来い」

「公彦」

「じゃぁ、俺が行くよ、エシュリンのことが心配なんだろ、ナビーは?」


 なおも食い下がろうとしたら秋葉がそう助け舟を出してくれた。


「おまえは惨殺対象だろ……」


 と、聞えないように小さくつぶやく。

 惨殺対象、つまり、捕虜にしないでその場で処刑する対象のこと。

 狙撃手や火付けなどがそれにあたる。

 処刑もただ殺すのではなく、可能な限りの苦痛を味あわせてから殺す。

 それほど狙撃手と火付けは憎まれているのだ。


「なんだ? エシュリンがどうした?」

「いなくなったみたいなんだ、ナビーがずっと探してた」


 秋葉蒼は弓兵、それも遠距離、高所から狙うスナイパー、十分惨殺対象に成り得る。

 私が敵なら、投降してきても許さない、捕虜にしない、その場で射殺する。


「そうか、ならすまんが、秋葉、おまえが行って見て来てくれ」

「ああ、わかった、東園寺、見て来る。念の為に弓でも持っていくか、護身用にな」


 と、秋葉はプラグマティッシェ・ザンクツィオンではなく、ラグナロク広場に向かって走りだす。


「よし、俺たちも行くぞ、ナビーフィユリナ」

「う、うん……」


 私たちは列の最後尾を歩き、ラグナロク広場に向かう。


「まずい……」


 そう思わざるを得ない。

 エシュリンがいなくなった時点で確定なんだよ、敵の襲撃は。

 なぜなら、あれがただの山火事なら彼女は真っ先に私たちに報告するから。

 現地人であるエシュリンなら見間違うはずがない。

 さらに言えば、想定外の敵襲、例えば帝国軍の襲撃であったとしても同じこと、すぐに知らせにくる。

 知らせずに消えたということは、すなわち、それは彼女が意図したということを意味する。


「あいつが敵を招き寄せた……」


 状況証拠すべてが、それを示唆している。


「外患誘致は極刑以外にないんだよ……」


 あの時、殺しておけばよかった。

 ナスク村で虚偽通訳した時、殺すべきだった。

 昔の私なら迷わずそうしていた。


「うーん……」


 額に手を当てる。

 額がひんやり冷たい。

 手が熱いのかな……。


「うーん、うーん……」


 額に手を当てたまま目を閉じる。

 エシュリンか……。

 白い民族衣装のようなチュニックとスカート、色とりどりのビーズのネックレスやブレスレット類を身に着けた女の子。

 亜麻色の、長く軽くウェーブがかったさらさらした髪、その頭にお花の冠をのせて……。

 顔は幼く、まだ少女のようなあどけなさ……。

 いつも、その大きなエメラルドグリーンの瞳で、微笑みながら私を見つめていた。

 ふふ、そういえば、今日も自分が作ったりんご飴を褒めてほしくて、私が食べているのをずっと見ていたね……。


「ふふ……、情が移ったか……」


 二ヶ月近くも一緒にいれば情も移るよ……。


「いつまでも、私の味方でいてほしかったよ」


 目を開ける。


「でも、殺す」


 もう迷わない。

 あいつは危険だ。


「風向きってどう?」

「相変わらず西風、それほど強くない、チベコウ、サブハイだと思う」

「じゃぁ、延焼の心配はない?」

「今のところはね……」


 広場ではそんな会話がなされていた。


「班長は来てくれ、会議をするぞ!」


 と、東園寺が各班の班長を招集する。


「それ以外の者は中央広場に集合していろ、全員だ、欠けがないように点呼も取っておけ!」

「うっす、公彦さん」

「うん、じゃぁ、いこ」


 班長は東園寺のところへ、それ以外の人は中央広場に向かう。

 中央広場は文字通り、ラグナロク広場の真ん中にある石畳の広場だ。


「それぞれ班で集まって点呼取ってね、女性班はこっち」

「生活班全員おっけー」

「参謀班も大丈夫」

「管理班もいる」

「狩猟班は偵察のゲテモノ秋葉以外みんな揃ってる、あ、もちろんナビーもね」


 中央広場ではそれぞれの班が点呼を取っている。


「秋葉? なんで、秋葉が偵察?」

「エシュリンがいなくなったんだって」

「ああ、探しに行ってるのか、それなら、みんなでやったほうが早くない?」

「うん、私もそう思う、でも、東園寺くんの命令だし……」


 と、女性班の水野若菜が東園寺たちを見ながら言う。

 ちらりと彼らを見る。

 東園寺たちは中央広場の真ん中の大きなかがり火の前で班長会議をしている。

 そういえば、私も班長だったね、マスコット班の班長。

 私も班長会議に出席して、ぐずぐずしている暇なんてない、すぐに防衛体制を整えろ、って進言するのが無難だろうけど……。

 でも……。

 炎に照らされた東園寺の横顔を一瞥して方向を変える。


「ナビー?」


 そして、ロッジに向かい歩きだす。


「翼、ちょっと着替えてくる、水着濡れてて気持ち悪いから……」

「お着替え? ひとりで大丈夫? 一緒に行こっか?」

「ううん、ひとりでも大丈夫だよ、すぐだから」


 少し笑って見せる。


「そう? じゃぁ、いってらっしゃい、寄り道しちゃ駄目だよ」

「うん、わかった、ありがと」


 と、夏目翼に軽く手を振りその場をあとにする。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 暗いロッジの中で着ていた浴衣や水着を脱ぎ捨てて裸になる。


「下着はっと……」


 タンスはなく、衣類は木で作った簡素な棚に畳んで置いてある。


「どれ着て行こうかなぁ……」


 下着を履いて、洋服の物色を始める。


「このフリルいっぱいのワンピースかなぁ……」


 と、ハンガーを取って身体の前でワンピースを合わせてみる。

 くるくる回転。

 ひらひらいっぱい。


「でも、これ、背中ボタンだった、ぽいっと」


 ひとりで着れない。


「じゃぁ、こっちかな……」


 今度はフリルがいっぱい付いた赤いワンピースを手に取る。


「うーん……」


 おっきな胸パッドが入ってるやつ。


「いまいちだね、動きづらそう、ぽいっと」


 次は質素な感じの白いワンピースを手に取る……。


「これならいいよね」


 胸の前でワンピースを合わせて、くるくる回転してみせる。


「あはっ、いい!」


 と、大喜びでハンガーを取ってワンピースを頭から被り腕を通す。


「私って、世界一ワンピースが似合う女なのよね」


 なんか、上機嫌になってきた。


「ふん、ふん、ふん、ふふん、ふん♪」


 今度は結い紐で両サイドの髪を一つまみして結う、いわゆるツーサイドアップという髪型にしていく。


「いやぁ、幸せだなぁ……」


 ああ!? 


「池に入ったから、お化粧全部取れてるよ!」


 やっぱり、夏目にも来てもらうべきだった……。


「くっそぉ……、お化粧したかったなぁ……」


 まぁ、しょうがない、このまま行くか。

 と、ロッジをあとにする。

 扉を開けた瞬間に風が舞い込む。

 ワンピースの裾から入った風が身体を駆け上がり、それが襟から抜け、鼻先をくすぐりながらふわりと前髪を持ち上げ広げる。


「いい風……」


 そよ風を感じながらロッジの裏手に回る。


「あった、あった……」


 そこには巨大な剣が地面に突き立てられていた。

 刃渡り1メートルは優に超える大きな刀身……。

 それは分厚く片刃、背面、みねの部分は白いガードで覆われ、そこに青い魔法文字がびっしりと刻まれている……。


「ドラゴン・プレッシャー」


 柄に手をかけ、もう片方の手は胸のアミュレットに添える。


「行くぞ、ドラゴン・プレッシャー」


 渾身の力で大剣を引き抜き、そのままの勢いで一気に振り上げ天にかざす。

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