第9話 脱柵

 あれから数日が過ぎ、私たちの生活の質も少しずつだけど向上していった。

 まずはシャワー。

 女子トイレや更衣室と同じように四方を囲んだだけのものだけど、プラスチック容器にいくつも穴を空け、それを上から吊るしてシャワー状にしてある。

 水もちゃんと焚き火で温めたものを使用する。

 おかげで、昨日はじめて髪を洗うことができた。

 なでなで、うん、いい手触り。

 くんくん、うん、いい匂い。

 次に寝室。

 これは四方を囲むのではなく、コの字型にしてある、すべての寝室は焚き火側が開いていて、風はあるていど防ぎ、尚且つ焚き火の明かりと熱が届くような造りになっている。

 あと課題もある。

 トイレも更衣室もシャワーも寝室もすべてに屋根がない。

 幸いにしてまだ雨は降った事はないけれど、いずれ必ず雨が降る時がくる。

 それに備えて屋根を設置する事が急務となっていた。

 まぁ、でも、排水溝を掘って、あとはビニールなり、旅客機の鉄板なりを被せれば防げそうではあるけどね。


「お魚捕ってきたよぉ」

「おまたせ」


 と、私と夏目はルビコン川の追い込み漁で捕った魚を手に調理室に入る。


「ご苦労様、ナビーちゃん、翼もお疲れね」

「わぁ、いっぱい捕れたねぇ」


 魚の入った籠をテーブルの上に乗せる。


「じゃぁ、さっそく捌いちゃいましょう」

「腸抜きからね」


 と、福井麻美をはじめとした生活班のメンバーが籠から大小様々な魚を手に取り調理を開始する。


「次は洋梨の収穫だね」

「そうね、ナビー」


 と、夏目を話しながら調理室をあとにする。


「野菜がもっとあればいいんだけど、どれが食べられて、どれが毒なのかわからないから手が出せないのよね……」

「基本的に動物が食べているものなら大丈夫だよ、これからはそれをよく観察するようにしよ、翼」

「うん、そうね」


 そんな話をしながら、またルビコン川に向かおうとすると、


「だから、もう一週間だぞ、いつ救助隊くるんだよ、こんな事やっていていいのかよ!?」


 そんな怒声が聞えてきた。


「有馬と清瀬に行かせろよ、あいつらも行きたいって言ってたんだからよ、いいトレーニングになるだろ、甲子園目指してるんだからよ!!」


 騒いでいるのは生活班の山本新一やまもとしんいちだった。


「だから、それは危ないって話だろ」

「こうやって待っているほうが安全って判断なんだろ、東園寺たちの」


 と、それを同じ生活班の安達一輝あだちかずき石塚航いしづかわたるがなだめる。


「俺はそうは思わないね」


 彼の焦燥感もわかる。

 救助が来るかどうかもわからない、さらにはここがどこかもわからない、手探りの生活、日々ストレスを感じていても何ら不思議ではない。

 まっ、私だけが、救助は来ないって確信しているけどね。

 それを教えたら、なんで? って、なって、私がハイジャック犯の武地京哉だってばれるから死んでも言わないけど。


「何を騒いでいるんだ……」


 と、東園寺公彦と管理班の数人がやってくる。

 その手には大量の薪を抱えられている。

 彼らは朝から晩まで薪拾いをしていた。

 今は飲料水の煮沸消毒だけではなく、調理やシャワーのお湯まで、その焚き火の炎を利用して作られていたからだ。

 当然、焚き火は一つでは足らなく、広場にはすでに10以上の焚き火があり、それぞれの上には鉄製のボウルが設置され、四六時中お湯を沸かすのに使われていた。

 なので、薪はいくらあっても足らない。

 木を伐採できれば、それも解決できるんだけどねぇ……。

 落ちていた数少ないナイフ類は優先的に調理に使う事になっていた。

 ナイフじゃ、どうしようもないけど……。


「もう我慢の限界だ、東園寺、やっぱり、救助を呼びに行くべきだ」


 と、山本が東園寺に詰め寄る。


「それは何度も言っているだろ、リスキーだ」

「リスキー? 本気で言ってんのか、あんた? ここで、生活するほうがリスキーだろ? 誰か病気になったらどうすんだよ? 怪我したら? オリエンテーションかなんかのつもりなんだろ? 頭おかしいんじゃねぇのか、あんた?」


 山本がくってかかる。


「ふぅ……」


 東園寺がひとつ溜息をつき、手にした薪を地面に降ろし、その仕分けをはじめる。

 難しい判断になるね、彼、山本新一の発言もある意味正論だと思う。


「それは今日死ぬか、明日死ぬかの違いでしかない。俺は今日生き抜く事を選択した、おまえは明日以降の事を心配している。確かにおまえの言う事は理にかなっている、しかし、今日を生き抜かなければ、明日病気になろうが怪我をしようが、そんなものは関係なくなる。とにかく今日を生きろ、その為に何をすべきか考えろ」


 焚き火に薪を放り込みながら淡々と話す。


「な、なんだ、おまえ、東園寺……、いつからそんな人間になったんだよ、なんで怒らないんだよ……、前はあんなに傲慢で偉そうだったのに、いつも番長気取りで俺のクラスだとか言ってさ、それがなんで、急にそうなるんだよ、お、おかしいだろ……、それに、なんで、そんなに、ここに留まる事に固執するんだ……? ま、まさか……」


 と、山本が数歩あとずさる。


「さ、さては、おまえ、東園寺じゃないな……?」

「なに?」


 東園寺が作業の手を止め、眉をひそめて山本を見る。


「自縛霊か? 俺たちをここに留めて置くために東園寺に化けているのか……?」


 尚も山本はあとずさっていく。


「い、いや、違う……、俺たちは、やっぱりもう死んでんだよ、ここがあの世なんだよ、なんか、おかしんだよ、みんなやたら落ち着いているし、冷静でさ……、おまえも、おまえもさ……?」


 さらに、安達や石塚からも距離を取る。


「な、何を言っているんだ……?」

「ど、どうした、山本……?」


 ああ……、山本がおかしくなった……。

 いるんだよね、軍隊でも、ああいうやつ。


「い、いや、違う、俺は死んでない、死んでるのは、おまえらだ……、本当は、おまえら、あの飛行機の中で肉塊になってんだろ!? お、俺を騙してんだろ!?」


 非常事態が起きると、人はかえって冷静になり、頭が冴えてくるもの……。

 生存本能だよね。

 逆に非常事態が起きても、そのままパニックを起こして大騒ぎするやつは異常。

 そういうやつは鬱やPTSDなどの精神疾患を患いやすい。

 私が山本の上官だったら、今すぐ部隊から彼を外すね。


「お、落ち着けって、そんなわけないだろ」

「山本、話せばわかる」

「うわわぁあああ!? お、俺に近寄るな、この化け物、幽霊め!!」


 と、山本が森に向かって走り出した。


「あ……」

「いっちゃった……」


 私と夏目は彼の後姿を呆然と見送る。


「お、おい、山本、どこ行くんだ、待てよ!!」

「ど、どうする、とりあえず追いかけよう!!」


 と、安達と石塚が山本のあとを追う。


「あいつら……」


 東園寺が立ち上がり、彼らの走り去った方角を見る。


「ねぇ、公彦、脱柵は許しちゃ駄目だよ、士気に関わるから」


 私は彼の上着の裾をちょんちょんと引っ張って忠告する。


「脱柵?」


 おっと、つい、専門用語が……。

 えっと、でも、なんて言うんだろう、逃亡? 脱獄? 違うなぁ、なんだろうなぁ、やっぱり、脱柵だよ、これは……。


「そ、その、追いかけて連れ戻したほうがいいよ、私、心配、新一も頭に血が登ってるだけだと思うから、ちゃんとお話をして……」


 と、うつむいて、泣きそうな声で言う。


「そうだな、連れ戻すか……」


 東園寺が私の頭をぽんぽんと叩いて少し笑う。


「管理班、追うぞ、山の形は頭に入っているな? 方角を見失うなよ」

「うっす、公彦さん」

「大丈夫っす」


 と、彼らが山本たち入っていった森に向かい駆け出していく。


「翼、私たちもヘルプに行くよ!!」

「え、でも、迷子にでもなったら大変……」

「違うよ、翼、彼らが迷子にならないために行くの、目印とかつけながら、声の届く範囲にいて道標になるのよ」

「そういうことなら、私たちも手伝うよ」

「うん、行こう、山本が心配だしね」


 と、生活班の調理をしていた女子たちが手伝いを申し出てくれる。


「じゃぁ、行こう!!」

「「「おう!!」」」


 私たちも彼らのあとに続いて森の中に突入していく。

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