2-2:先にお風呂っ!
第8話 健康ランド・ジャパリバス★
“汝、樹の果を食いしによりて、汝は面に汗して食物を喰い、終に土に帰らん。其は其の中より汝は取られたればなり。汝ら、塵なれば塵に帰るべきなり”
――『旧約聖書』創世記第3章19節
「ようやく着いた……」
「おお~っ! これはすごい『いえ』ね!」
「家じゃないよ、カラカル。これは銭湯だよ」
「うーん……アタシたち、この『せんとう』を目指して来たワケだけど……結局のところ、『せんとう』ってナンなのよ、ハナコ?」
「お金を払ってお風呂に入れる建物……って言って、この説明で分かる?」
「ぜんぜん分からん」
時刻は夕刻……。我々サバンナ地方のフレンズ一行の目前には、赤い夕暮れの空を背景に、黒いシルエットがそびえ立っている……。瓦とトタン葺き屋根の、重厚な和風の建造物……。3階建てほどの高さで、屋根から長い煙突が飛び出しているのが大きな特徴だ。
先ほど、この煙突からもくもくと煙が昇り始め、それを遠くからでも認めることができた。
どうやら夕方から営業開始というわけらしい……。しかし、ヒトはとうの昔にこの地を去り、荒廃したジャパリパークのことだ。中に従業員がいるとも思えないのだが……。
「『せんとう』には細長い火山がついていますね! 『お風呂』と言うのは、下の火で上の水が熱くなるものって聞いたことがありますから、小さな『海底火山』でしょうね!」と、ヘビクイワシが言う。「風呂」は知らないのにそういうのは知っているらしい。
海底の熱水噴出孔のうち、硫化鉱物が沈殿して円筒状になったものを「
このジャパリ銭湯は、神社仏閣の本殿を思わせる千鳥破風の大屋根に、丸い唐破風つきの屋根を持つ入り口を備えた
しかし、木材やトタン、レンガなどの近代的な建材もそこかしこに使われていて、昭和モダンを思わせる和洋折衷の建築となっている。
比較的新しい建物――築十数年ほどに見えるけれど……ヒトがいなくなると、建物というのは急速に老朽化・廃墟化するもので、外観だけでは正確な築年数は分からないな……。
これは、あえてレトロな雰囲気を狙って建てられたのだろうか? 熱帯草原に突如として建つ例の昭和スタイルの一軒家「サバンナ屋敷」といい……ジャパリパークは「超巨大サファリパーク」をメインテーマとしつつ、日本の伝統文化の保存という観点も兼ね備えた、総合文化的レジャーランドなのかもしれない。
にしても「サバンナ地方」の大湿原、広大な
まあ、この湿地帯ならば、水の確保には困らないという利点もある……。実際、このへんの乾季でも涸れない河川から水源を確保しているようで、道中、大型の貯水タンクや浄水処理場のような施設が目に入った。
「……そういえばアタシたち、なんで『せんとう』に来たんだっけ?」
ほかのフレンズが興味しんしんに銭湯の周辺を調べる中で、カラカルひとりが私に近寄って、だしぬけに聞いてきた。
「い、いや……なんでって……そりゃあもちろん、お風呂に入るためだよ」
「……どうしてハナコは、そんなにお風呂に入りたいのよ?」
「……どうしてと言われてもな……だって見てよ、私はこんなに汚い格好をしているわけだし……」
パークに生まれてから数日経つが、その間に色々な出来事があって、衣服は泥や土埃や、自分やフレンズ達の汗や血でひどく汚れている。セルリアンの攻撃を受けたり、止血用に包帯として切って使ったりしたから、ところどころが千切れてボロボロだ。
「毛皮をキレイにしたいのなら、水浴びするとか……こうして舐めたりとか」
カラカルはそう言うと……猫が日常的にそうするように、ひどく突然に私の服を舐めてきた。
「うわッ!! や、やめてよ、汚いしっ!!」
「あ……ゴ、ゴメン。ハナコは舐められるのが嫌いなフレンズだったのね……」
「い、いや……そういうわけじゃなくて、突然だったから……」
「それじゃあ……アタシの舌が汚かったかしら……う~ん、そうでもないと思うけど……」
「ち、違うって!! 私の服――毛皮のほうが汚いからって意味だよっ!!」
「……それにしても、なんでハナコは毛皮が生えてこないのかしらねぇ……サンドスターが足りないのかも? もっとジャパリまんを食べないとダメよ」
……そりゃいったい何の話だ?
「……前にも言ったけどさ、私は『お墓参り』をしたいから……体や服を洗ったりしたいんだよ……。こんな汚い格好じゃね……。それで、サバンナ地方の『お墓』に、この前のセルリアンに
「……『お風呂』もよく分からないけど、『お墓』ってのは、もっとよく分からないわね~……どうして、死んじゃったものを、そのまま放っておくのがイヤなわけ?」
そうカラカルが尋ねる。人間基準で考えたら、子供でも尋ねないような、ふざけているような質問だが……彼女はもちろん、茶化しているわけではないのだ。
真剣な面持ちで、私の顔を覗き込んでくる。日中は細長い形をしていたその瞳孔は、日が落ちかけて暗くなったせいか、より多くの光を取り込めるように、いくぶんか丸い形になっている。
あるいは、驚いたり、不快感を感じているのであろうか? ネコの瞳孔は、ネコの気分を気分を反映することもあるそうだから……。
その丸く大きな深淵の漆黒の瞳は、タペタムが反射するように黄緑色に光り、その光の中を覗き込むと、私の顔が映し出されている……。
土に生まれ、土に還る……それはたしかに獣のルールではあるが……あなた達は獣ではなくて、フレンズなのだろう? ヒトである私の気持ちを、わかってくれないのか……?
フレンズ達は死を悼むことはあっても、死んだものを「埋葬」するという概念が無いのであろうか。どうにも、私の動機を説明しにくい……。
いや、あるいは……自分のことよりも、野生動物の死にこれほどまでにこだわって執着や未練を感じている私の方が異常なのか……?
「……なんていうか……さっきのひどい死に方をしていたスイギュウだって……身体にサンドスターが溜まっていたワケだし……もしああして死ななかったら、将来、
「そんなこと言ったって、もう死んじゃった子じゃない。しょうがないわよ。もう動物じゃなくて、動物の形をした骨や肉なのよ。それをどうこうしたって……それでどうなるっていうのよ?」
……カラカル、あなた、意外と冷たいことを言うんだな……。キリンも以前に似たようなことを言っていた気がするけど……。
あまり彼女らを責めることはできないか……。なにしろ、そのかわいそうなスイギュウの角や腸を切り裂いて、平然と武器を作ったりしていた私が一番冷たい心の持ち主なのかもしれないのだから……。
「もうっ! ハナコ、また暗い顔してるわねっ!」
先ほどまで神妙な面持ちをしていたカラカルが、いきなり元の明るい顔に戻った。
「あのねえ……べつに私は、『死んだけものなんて、どうでもいい』って、言いたいわけじゃないのよ」
ゆっくりと話すカラカル。彼女のこういう話し方は、大事なことを伝えようとしている証拠だ。
「死んじゃったものはどうしようもないし……そう言うアタシたちだって、明日は死ぬかもしれない……だから、生きてるアンタやアタシ、他のフレンズ達や動物達といっしょに……今を楽しく生きよう!……って、そう言いたかったの」
ラテン語に
また、旧約聖書と新約聖書にも「食べて、飲もう。明日は死ぬのだから」という意味のことばがある。
かつて、現代よりも「死」がより日常的であった時代の、ヒトの言葉だ。
私は「死」を見つめるばかりで、表裏一体であるはずの「生」への考えを忘れていたのかもしれない。
……ヒトである私は、フレンズ達よりも「生と死」を深く見つめているのだと……無意識に、そう思っていたのかもしれない。
「カラカル、ごめんね」
「うん? なんで謝るの?」
「
「え? いきなし何の話!? ……あと、ハナコって名前つけたの私じゃないわよ。アンタが自分で考えたんじゃない」
「あ、あれ? そうだったかな?」
「そうよ。アタシは『といれちゃん』って名前がいいんじゃないかな!って言ったじゃない」
「そ、そういえば、そんなヒドイ名前だったっけ……」
「なんだとうっ!! ヒドイ名前とか言ったなぁ!! フシャァーッ!!」
そんなに全身の毛を逆立てて、ネコみたいな声で怒る事はないだろ……。
いや、ホントにネコだものな、アナタは……。
……さて、今日はせっかくのお風呂だ。存分に「楽しむ」としよう。
気を取り直して、『ジャパリ銭湯』へと入っていくカラカルと私。
アフリカニシキヘビやナイルワニなどは、喜びの奇声をあげながら、早々と銭湯の中へと突撃していってしまった。
「あの子ら、変温動物だから。こういう暖かくて湿った場所が、とっても好きなのよね」
「大丈夫かなぁ……もし中にセルリアンとかいたら……」
「心配いらないわよ。あのふたり、実はけっこう強いのよ」
そりゃそうだろうな。大型のヘビとワニのフレンズなんだもの。
植木がぼさぼさに伸び放題の生け垣を抜けていく。唐破風造りの出入り口に近づくと『ジャパリ
入口の唐破風に施された飾り彫りである「
短いのれん(これは関東式。関西では「長のれん」が定番らしい)をくぐって、鉄製の丈夫そうなドアを押して内部に入ると、石畳の土間になっている。入口の脇には「松竹錠」と呼ばれる木札の錠前つきの、下足箱と傘立てがある。そして正面には、銭湯の料金所である番台が鎮座しているのだが……なんとその番台に鳥のフレンズが座っているではないか!
……座っていると言ったが、それはいささか不正確な表現で……なぜか彼女は番台の畳敷きの座席ではなく、番台の頭上にある木枠のほうに足をのせて立っているのだった!
「こ、こんばんは……。私はサバンナハナコと言います……。あなたは何のフレンズさんですか?」
私はとりあえず挨拶した。
「うむ、くるしゅうない。もっとちこう寄れ。
その鳥のフレンズは時代がかった口調で言った。
彼女は
頭に翼が生えているから鳥類だというのは分かるが、いったい何の鳥なんだ?
「余は『ホオジロカンムリヅル』でおじゃる。……そちは耳も尻尾も無いのう。羽も無ければ、頭のものは『ふーど』とも違うのう。何のフレンズか分からんが、その小汚い身なり、おぬしは『のうみん』じゃな?」
カンムリヅルのフレンズは上から目線で、たいへん失礼なことを言った。
カンムリヅルか……アフリカのツルの仲間だと聞いたことがあるな……。
こうして水辺を好むのはともかく、高い所に立つツルとは珍しい。なにしろ、日本のツルは完全に湿原に適応していて、足の指で木の枝を掴めないのだから。もしツルのような鳥が高所にいるのを見かけたならば、それは実はコウノトリの見まちがいなのである。
「ちょっと! 失礼ですよ! ここにおわす御方をどなたと心得ますか! 恐れ多くも、ヒトのほも・さぴえんす、ハナコ先生にあらせられますぞ!」
「ハナコさんの御前でありますよ! 頭が高いです! ひかえおろう! ひかえおろう!」
ヘビクイワシとアードウルフが憤慨している……だが、なぜあなた方までいきなり時代劇口調なのだ?
「ヘビさん、アドさん、もう良いでしょう」
時代がかった言葉で
……あれ? 私も口調がうつってないか?
「ほう。おぬしはあの伝説の『ヒト』であるか? まあでも、余のナーバリである、この『おしろ』では、『とのさま』である余が一番えらいのじゃからな。『博士』も余のこのカンムリは、ヒトの世界でも偉いコトを表していると言っていたしのう~。ゾウだろうとヒトだろうと関係ない。この水辺では、余が一番偉いのじゃ」と、カンムリヅルは自身の頭上の「カンムリ」を指さして、得意げに言った。
なんだかフレンズ特有の勘違いをしているように見受けられるな……。あと「カレーのカラス博士」だっけか……その博士のフレンズの認識が間違っているか、説明がいい加減なのかもしれないけど……。
「だがおぬしらは、せっかくの客人である。まー、せまいところであるが、余の『おしろ』で、存分にくつろぐことを許そう。ささささ……どーぞどーぞ、ごゆっくりぃ~」
あ、偉そうかと思ってたけど、いきなり意外と腰の低い態度を見せるカンムリヅル……。
あるいは、さっきヘビクイワシとアードウルフを怒らせてしまった事への、この子なりのお詫びなのかもしれないな。
では、お言葉に甘えて銭湯のロビーを探索するとしよう。
番台の下には、ガラスの割れた陳列ケース……通常はカミソリやセッケン、タオルなど売り物が入っているところだが、陳列されているのはガラス片と埃ばかりで、たいしたものは残っていないようだ。
セッケンなんて、フレンズには使い道は無いと思うのだが……ネズミやカラスがセッケンを食べて脂肪分を補給するように、食べ物としてフレンズが持って行ってしまったのかもしれない。
あ、カミソリの替え刃が残っているな。油紙に包まれたフェザーの両刃カミソリの刃。これは刃物としても、それ以外の使い道でも役に立ちそうなので、拝借していくか。
……ちょっとマテ。なんか今、ナチュラルに物を盗ろうとしたけど……以前に比べて火事場泥棒が板についてきたな、私……。
「あの、カンムリヅルさん、これもらってもいいかな?」
「うん? なぜそのようなことを余に聞くのか?」
「だってここは、貴女のナワバリだって言ってましたから……」
「むう。たしかにその通りじゃが、余のナワバリに落ちているモノが余のモノというわけではあるまいぞ。勝手に持っていくといいのじゃよ」
ヘンな話だなぁ……
「なにかしら、これ? これが推理小説でよく出てくるみっしつというものかしら……」
番台のそばのガラス冷蔵庫をキリンが見ている。
こちらのガラスは割れていない。比較的新しいもののようだが、稼働はしていないようだ。中にはいくつか飲み物が入っている。
私は扉を開いて、中を覗いてみた。
横では、なぜかキリンが「みっしつトリックの謎があばかれた!」などと言って驚いているが……なんのこっちゃ……。
冷蔵庫内部にあった飲み物のうちの……紙パックの「ジャパリフルーツ牛乳」のほうは……予想通りダメだな……。長い時が経ち、中のミルクは腐敗どころか、固型化して膨らんで、かちかちのチーズ……いや、もはや水分を失って、脂肪分が完全に変質し、ロウソクのようになっている……。
だが、いくつかある「ジャパリラムネ」のビンは、ビー玉によって栓がされているおかげで、まだ飲めそうな感じだ。これは砂糖や果糖ブドウ糖液糖を溶かして、香料を添加しただけの炭酸水なわけだから、賞味期限というのは無いだろう。
私はプラスチック製の「玉押し」で、ビー玉を押し込んでビンの栓を開ける。しゅわしゅわと音を立てて二酸化炭素の泡が湧き出てくる。容器が完全に密封されていた証拠だ。
「なにこれ! なにこれ!」
「すごいあわ!」
「甘い匂いがする!」
フレンズ達が興味を持って、まわりに寄ってきた。
中身の匂いを嗅いでみる。顔に冷たい泡が当たる。……ヤバい感じはしない。
試しに一口飲んでみると……おいしい。普通のサイダーの味に思える。
「みんな、飲んでみる? たぶん大丈夫だと思うけど……」
私はフレンズ達にラムネを渡した。
「なにこれ……すごくヘンな果物ねえ……外の皮は固くて透き通ってて、中にはしゅわしゅわ~ってする甘い汁……こんなの、アタシ初めて見た……おもしろ!!」
「わ、わたくしも……さっきの『ぽんっ』って音がして、穴を開けるのをやりたいですっ!」
「ぐ……丸いのが中で塞がって、みっしつになって……これじゃ中の甘い水が飲めないわよっ! くそう! かんぜんはんざいめ!」
「……こうして中のくぼんでいるところに丸いのを引っ掛けてから、飲めばいいんじゃないでしょうか、キリンさん?」
「おお! アードウルフ名推理!」
フレンズ達が炭酸飲料を飲みあっているあいだに、私は脱衣所のほうの探索を行う。「女湯」と書かれたのれんをくぐると……そこにはなんと……熱帯ジャングルの光景が広がっていたのだ!
つまり、脱衣所内には熱帯の観葉植物の植木鉢がたくさん置かれていて……明らかにこれは、日本で70年代に流行った昭和の「ジャングル風呂」の趣きなのである。おそらく浴室内も同様だと思われる。
サ、サバンナの銭湯にジャングル風呂とは、恐れ入ったよ……ジャパリパーク……。高い
っていうか、手持ちの地図によると、パークの「サバンナエリア」の隣には「ジャングルエリア」があるそうだから、そっちにジャングル風呂じゃダメなのか……いや、ジャングルの中にジャングル風呂だと普通すぎるか……うむむ、普通とはいったい……(哲学)
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