05-09 がじがじ
あまりの登場に、その場にいた全員が言葉を失った。
もぐもぐとキッチンで俺が作ったケーキを両手に持ち、美味しそうに食べるその女性。
この場でその女性を知るのは何人いるだろうか。
本来であれば俺と同じく茶色なはずのその髪は、艶やか黒に。光を吸い込み反射し、天使の輪はその光を頂点に携える。
そんな女性と言えば……
「ん~! なに使ったらこんな美味しく作れるの? なっくん、料理上手くなってるんじゃない!?」
そんなことを言い、口にケーキを頬張りながら歩いて俺まで近づいてくるその女性。
あまりの自然体に、開いた口が塞がらないとはこのことだ。
「ん?……なっくん? どうしたの?」
間違いない。
この女性は、母さんだ。
母さんだが……
なんで。
なんでここに。
キッチン?
なんでキッチンから??
観測所とキッチンは繋がってるとでも? いやいや、そんなわけ。
冷蔵庫? まさか冷蔵庫が……?
……んなわけない!
どういう状況だこれ。
あまりにも突然すぎて、驚きを通りすぎて妙に冷静になっている自分がいる。
うきうきと擬音が見えそうな程にゆっくり近づいてくる母さんを見ながらそう思う。
そんな、とことこと、擬音がつくようにスリッパをはためかせて俺に近づいてくる母さんの前に、すっと間に人が入った。
「失礼ですが。いきなり現れて御主人様を、な……なっ……なっくんと、軽々しく羨ましく呼ばれる貴女様をすんなりと近づかせるわけには参りません」
姫だ。
姫が警戒心を露に、殺気さえ漂わせて俺の前に立った。
その姫が「なっくん……なっくん……ああっ、凄くいい響き」と悶えているのはなんでだろう。
「……とにかく。私の御主人様には近づけさせません。お引き取りを」
姫がすっと手をリビングの外――玄関に差し出し丁重に出ていけと意思表示する。
姫も混乱しているのだろうか。
俺を守るために前に出たはいいが、敵意もない為どうしたらいいか分からないのかもしれない。
あまりにも出現の仕方が怪しすぎて、よくそれで終わらせられるとも思う。
やっぱよく出来たメイドだなぁと思っていると、ケーキを食べ終えた母さんが、楽しそうに笑った。
「メイドさんなんか傍に置いて、随分と楽しそうねぇ」
ぴしりと。
身体中に寒気を感じた。
姫がいきなり漂ったこの気配に、すぐさま臨戦態勢を取り出した。
駄目だ。
これはかなり怒っている。
なぜ怒られているのかわから――あ。姫に自分の家なのに出ていけと言われているからか。
「
「ち、ちが――」
「姫ちゃん! 落ち着いて、お兄ちゃんのお母さんだよっ!」
碧が立ち上がって姫に声をかけ、姫が急に立ち上がった碧の発言に驚く。
「あら……
更に冷たい冷気が俺を襲う。
違う。姫に知らない人認定されたからじゃない。
これは俺への怒りだ。
なんだ、俺が何をしたと……。
……あ。
母さんは、俺が碧のことを好きだって知っている。
でも、碧はここにいない。
なのに戻ってきたら碧じゃない姫が傍にいて御主人様呼ばわりだ。
メイドを傍に置いているという発言から、何か勘違いしている節がある。
そして、碧を朱と呼んでいる。
つまりは……現状にまったくついてこれていない!
朱が碧だってことさえ知らないから、朱と仲良くしてて傍にメイドも置いている。
そう言う認識だ。
これは、母さんの中で、俺はかなり優柔不断に映っているんではないだろ――ん? いや、合ってるな。
姫がわなわなと「お、お母様? 御主人様の、お母様……?」と震えている。
多分、顔面真っ青なんだろうなぁ。ギアだけど最近感情豊かだからなぁ。
「ち、違うのっ!」
「あら? 貴美子ー? 昔はすっごく丁寧なお嬢様だったのに、なんか変よー?」
貴美子おばさんは、いまだ固まって、けたけたと笑う母さんをずっと見ている。
どうやら、頭の処理が追い付いてないようだ。
……ですよね。
ずっと何年も探して、居場所が分かって助けに行きたいのに行き方分からないし、絶機と戦っていて危険な状況なはずの親友が、急にキッチンからぴょこんと現れたんだから。
俺も、もし
「あ。なっくんの後ろにいるの、ナオちゃんねっ。碧ちゃんの体の具合はどう?」
「ぁ……ぅ……?」
「碧ちゃんのことはごめんね。……ナギから聞いてると思うけど、助けるにはああするしかなかったのよ」
今はもう進むための障害となりえない姫の横を通りすぎ、ナオへと辿り着き頭を撫でる母さん。
あまりにも自然に。
あまりにも希薄に。
いつそこへ移動したのかと思えるほどにさらっと移動する母さんに、皆が固まり続ける。
姫なんて「私は……なんという……メイド失格……」と妙なことをぶつぶつ言い出し、今にもショートしそうに頭から知覚できる程に湯気を出し始めている。
碧に至っては先程まで目の前にいたはずなのにさらっと目の前から消えて、目を離してもないのにナオの傍に移動している母さんに、驚きのあまり、また固まった。
俺くらいだろうか。周りの状況をしっかりと見て母さんの動きを知覚できているのは。
「
そんな中、貴美子おばさんが立ち上がった。
ふるふると震える貴美子おばさんに、母さんも「なぁに?」と屈託のない笑顔を浮かべ、またさらっと貴美子おばさんの傍――碧と姫の正面に現れ、碧がびくっと、驚きとは違う意味で体を震わす。
ふらふらとふるふると、貴美子おばさんは母さんに近づき、両肩をがしっと掴む。
その行動に、母さんが「あっ」と、しまったと焦りの表情を浮かべた。
「あんたはぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!」
怒声。
発せられたその声は、怒声以外あり得ない。
「なにをっ! いきなりっ! 普通にっ! 当たり前にっ! いつもみたいにっ! なんでもないみたいにっ! 何事もなくっ! 急にっ!」
ああ。貴美子おばさんの言葉にならない言葉のすべてに同じ意味の言葉が接続しそうだ。
「ふらっと、現れてるのよぉぉぉぉぉーーっ!」
がくがくがくがくと。
貴美子おばさんの母さんを前後に左右に揺らす動きは止まらない。
「やーめーなー。きーみーこー。おばさんがやると破壊力半端ないー」
「なんの破壊力よっ!」
「若作り?」
「あんたが若すぎるのよぉぉっ!」
いや、貴美子おばさん……。
あんたも十分若すぎだ。
流石にこの場にいる女子高生でもある三人やイルと比べるとアレだが、そんな歳の子供がいるなんて思えないくらいの若々しさだし、なんなら、碧と並べば姉妹って思われてもおかしくない。
だが、そんな貴美子おばさん以上に、母さんは、若い。
まるで成長が止まっているかのようだ。
「凪くんがおばさんって言うからわかってるわよぉぉぉっ!」
「大丈夫よ、貴美子」
「……なにが大丈夫なのよ」
母さんを揺らすことを止めた貴美子おばさんの手に自分の手を重ね、まるで長年付き添った家族を慈しむかのように、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて貴美子おばさんを見つめる母さんが一言。
「人はね。歳を取るのよ」
「何のフォローにもなってないっ!」
俺の言う『おばさん』は、そのおばさんでは……。気にしてたのか。……だからお義母さんと呼べと?
悔しそうな貴美子おばさんが、がくりと項垂れ自分の席に力なく座る。
ちょっと涙ぐんで、色んなことごちゃ混ぜで何がなんだかわからなくなったようだ。
こんな貴美子おばさんを初めて見た場の皆が、かける言葉さえ失っている。
弥生や巫女なんて、もはや空気だ。
「さて。貴美子は倒したわ、なっくん」
倒していないが。
俺は別に倒してほしいとも思っていないが。
「んふふー」
じゅるりと出てもない涎を拭くような仕種をしながら近づいてくる母さんを見て、俺は一つ、嫌なことを思い出した。
「久しぶりなんだから、味確かめないと」
「は?」
ふらっと。気づいたら目の前にいたはずの母さんが俺の後ろに。
その動きは先程とは違いゆっくりと。
目で追える早さだが、誰もが言葉を失い、誰もが母さんの動きを目で追うことしかできない。
「いただきまーす」
かぷっと。
頭を、がじがじと齧られた。
犬歯がさくっと、頭に突き刺さる痛みを感じながら俺は思う。
一番動揺していたのは俺だってことと……。
母さんは、天然なんてもんじゃなく。
話といい。行動といい。
存在そのものが――
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