04-31 それは遥かなる刻を越え
静かな南の場に、高笑いが響く。
「ふ……ふははっ!」
その声は凪様像から。
今はクレーターの真ん中に頭から埋まり、割れた腰部が天へと向けられているその場所に、奇妙な笑い声とともに。
そこに、南の新人類を取り纏めていた砂名が――
「朱……ああ。俺の朱。ついに、ついに俺の前に現れたね。やっと、俺の所に戻る気になったんだなっ!」
五体の新人類とともに。ただ一点、舐め回すようなねちっこい視線で碧を見つめ続けながら、そこに立っていた。
「ひっ――」
視線を一心に向けられた碧が、その存在を見て恐怖がフラッシュバックしたのか俺の左腕にしがみついてきた。
「……大丈夫だ。守るって言ったろ?」
「お兄ちゃん……」
しがみついてきた碧に、できる限りの笑顔を向け、頭を撫でながら言う。
これで少しは落ち着いてくれればいいが、まだ少し時間がかかるようだ。
碧を怖がらせる砂名を睨み付けると、別の意味で砂名もぷるぷると震えていた。
「……また。まただっ! なぜお前はそうやって俺の朱を苦しませるっ!」
どこをどう見たら、俺が碧を苦しませているように見えるのか。
苦しませているのは、お前の存在だというのに。
なぜ、こいつはここまで碧に付きまとうのか、なぜ朱に執着するのか。
砂名は怒りながら凪様像から飛び降り、こちらに近づいてくる。
その手には、俺が初めて作った人具の一つ、物干を。
人に仇なすギアと戦う為に作った決戦兵器は血濡れ、ギアを倒すという本来の使い方がされずに、赤茶けた色と肉が付着し、今は砂名の手にある。
「碧……ちょっとこいつは痛い目見ないと分からないらしいから、少し離れてくれ」
「ぅ……お兄ちゃん、怪我しないでね」
「怪我なんかしねぇよ」
心配してくれる碧が、離れてくれない。
そんなにも思ってくれる、頼りにしてくれるのは嬉しいのだが、今は少し離れて欲しい所だ。
「……碧?」
ぼそっと、俺と碧の会話に、砂名が反応した。
「朱ではなく?……碧……? 今、そう、言ったか?」
砂名の雰囲気が、急に変わった。
なんだ? 今まで朱と何度も呼び続けていたのに急に……碧という名前にこいつは何かあるのか?
「ふ、ふふふ……なるほど。……やはり、君は俺のことを愛しているんじゃないか。姿を変えてまで俺の元に来ようとするんだから」
含み笑いをするかのように笑う砂名が、不気味なことを言い出した。
流石に、勘違いがここまで来ると、恐怖だ。
ストーカーの勘違いは、どう正せるのか、全くわからない。
どう考えたらそういう結論に達するのか。
俺には、いや、俺だけじゃなく、周りの皆も理解ができないだろう。
「だが……しかし、だ!」
笑いは消え。
今度は俺を親の仇でもみるような殺意が籠った瞳で、怒りに満ちた表情で、砂名は俺を睨み付けてきた。
「あの時も、双子と門番ごときに邪魔され、やっと手に入れた碧を、奪われた」
奪われた?
何を言っている?
それに、今、こいつは『碧』と……
「あの時もそうだ! あの時も……俺から碧を奪おうと連れていこうとした。あれもお前だ、田舎者!」
聞き間違えじゃない。
「なぜだ! なぜ俺から碧を奪うっ!? 嫌がる碧をなぜ執拗に狙う! 俺に恨みでもあるのかっ!?」
こいつは今。
朱のことを、碧、と。
碧を、知っている……?
朱を、碧と認識している?
「お前さえあのクリスマス前夜に、俺の碧と……俺という旦那がいるのに、お前のようなどこの馬の骨とも分からない男と仲良くさせられている碧を見なければっ!」
クリスマス?
クリスマスで碧と仲良く?
碧を見ると、碧も不安な表情を浮かべながらも、砂名が言ったことに気になることがあるのか、不思議そうに砂名を見ている。
そんなはずがない。
こいつは俺のことを知らないはずだ。別の世界の俺や碧のことなんて、知らないはずだ。
『碧』は、この世界では『朱』だ。
俺は俺で、この世界には俺の代わりもいなかったのだから、俺のことを知っているはずがない。
まして、この世界で朱ともクリスマスを体験していないこの俺と。
こいつが、クリスマスに関係するわけがない。
「碧とクリスマスを楽しむ約束をしていたのに……お前が碧と無理やり手を繋いで嫌がっている碧を連れ出そうとしなければ……」
碧とクリスマス? 約束していた?
そんな出来事はあり得るはずがない。
碧として覚醒したのはつい先日だ。まだ夏だ。碧として約束はできない。
それに。碧が俺のことを本当は嫌がっているなら無理やり、という部分は分からなくもないが、そんなことはないと思いたい。
そんな碧と、俺の視線が合った。
碧はふるふると首を振り、必死に、声も出せずに俺に「違う」と否定してくれた。
クリスマスに約束なんてしていなければ、この世界であればそれこそ、こいつが朱に近づけるわけもない。
それは、以前の貴美子おばさんや朱から見てとれる。
ならばこいつは……
やはり、拗らせているだけか? 修練場での出来事と同じように。ただの妄想をつらつらと並べているだけか?
「俺だって、常に碧から俺を引き離そうとする馬鹿どもから、碧を守るために持参していた包丁で刺して守ろうなんて、思わなかったさっ!」
包丁……っ
砂名の言葉に、うっすらと感じていたことがクリアに開けた。大切な前の世界での思い出が蘇ってきた。
『お兄ちゃん、今日はクリスマスイブです』
『うん?』
『出待ちが多そうです』
『さて、お兄ちゃんは、それを切り抜けることができるのかなぁ?』
『……できません』
『じゃあ、ボクがお兄ちゃんの恋人になってあげます』
クリスマス前夜の学校で、碧と手を繋いで帰宅しようとしたあの記憶を。
碧のことを想いながら、初めて手を繋げて幸せを感じた瞬間に、刺されたあの時を。
碧も、あの思い出に至ったのか、はっと、口を押さえて驚きの表情を浮かべている。
だが、あり得ない。
なぜ俺達だけの記憶を。
俺達だけがこの世界で知っているはずの思い出を。
「あの御月と七巳のバカップルだってそうだ! もっとも、あいつらには然るべき罰を与えてやったが。だが、俺に碧とまた出会わせてくれたんだ。そこだけは感謝している」
神夜と巫女。
……間違いない。
知っている。
こいつは、あちらの世界を知っている。
そして――
「あ……ぁあ……あぁぁ……」
碧が顔面蒼白だった。
この碧の表情から見て、間違いない。
こいつは、碧が神夜と巫女の子供として産まれるはずだった碧を――俺の知らない別の世界を……知っている。
……罰?
以前、碧は。
言っていなかったか?
『でもね。産まれなかった。何だか怖い人が巫女ちゃんからボクを取り上げて、冷たい液体に浸して――』
あれが、罰?
碧を殺したいわけじゃなく。手にいれようとして、奪い。
巫女達から、
それが……罰?
……違うだろう。
罰なんか与えられる二人じゃない。
ただ、誰かが起こした、悲劇だ。あいつらがどういう状況なのかは分からないが、誰かに恨まれて叩き落とされる程の絶望を味合わされる程に罰を受けるような奴らじゃない。
誰だ。
誰があれを起こした?
あれを、起こしたのは――
『ボクを……巫女ちゃんの赤ちゃんを殺したのは、サナって人』
「……お前、何者だ?」
「田舎者ぉ……俺に興味がないんじゃなかったかぁ?」
「ああ。興味はないな。だけどな……」
震えて目をぎゅっと瞑って震える碧の頭を撫でながら、俺は砂名を睨み返す。
「俺を刺すだけならまだしも。俺の大事なもんに、別のところでもちょっかいだしてるって聞いて、許すわけねぇだろ」
もう、我慢ができなかった。
碧を無理やり引き剥がして火之村さんへと突き飛ばす。
「お、お兄ちゃん……っ!!」
こいつは、間違いなく、碧にどこまでいっても付き纏う。
前の世界でも付き纏いクリスマスに俺を刺して碧を泣かせ。
「お前は」
こいつが、別の世界で、神夜と巫女の幸せを奪った。
自分が望んだことを無理やり正当化し、自分が正しいと思い込み。
相手のことを何も考えずに行動して。
その結果。
碧を、悲しませた。
碧を、殺した。
「生かしておけない。殺す」
殺意が、湧いた。
「殺す? 俺を? 誰が?」
「俺が、お前を、だ」
「出来るわけがない。私は、『ムイタ族』だ」
ムイタ族? なんだそれは。
だが、それが、俺がこいつを殺せない理由にはならない。
不敵な、何かを隠しているかのような砂名の笑みに、いちいちイライラが収まらない。
今すぐにでも、殺したい。
「時間さえも支配する、
砂名が言った単語に、反応してしまった。
殺意が、一気に掻き消えてしまう程のその単語。
……なぜこいつが、観測所を、知っている?
「どこの世界でも、現れることができる。どこの世界でも、碧と一緒になることができる。私はどの世界とも私と意識の共有ができる。だから、私は」
両腕を広げ、まるで世界が、自分を祝福しているかと言わんばかりに空を見上げて天に笑いかける砂名が、告げた。
「選ばれた存在なのさ」
ああ。こいつが自分をどう思っているかなんて話はどうでもいい。
だが、聞き捨てならない言葉が端々にあった。
その代表的な言葉。先程まで気にしていなかった言葉が脳内で響いた。
『ムイタ族』
ムイタ族……
選ばれた? 時間を支配?
時間……
タイム……?
刻、族?
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