03-46 ナギと凪と、凪


 凪様の様子がおかしい。


 そのことに私が気づいたのは、あの砂名家の彼が現れて私に声をかけてきた時。


 なんだか、凪様がどこかへ行ってしまいそうな気がして。


 私は凪様を掴んで離さないように必死にしがみついた。

 でも、凪様は私を無理矢理引き剥がす。



 凪様は気づいていないのです。


 あの方々を見ている時や、ナオちゃんをちらっと見たときの表情が。


 無機質の機械が、興味なさそうに。

 ただの餌として見ているような表情をしていることに。


 だめ。

 だめですの……っ。


 凪様は、そんな目で表情で、ナオちゃんを見てはいけないのですっ!


 だから、だから、凪様。

 早く、早くいつもの凪様に戻って。

 戻ってくださいな……っ!





 そんな私の想いは一瞬で消え。


 凪様が目の前から消えたと思ったら、


「守護ノ光カ。――イマイマシイ」

「は――ひゅぐっ?」


 凪様の腕が人を貫き。


「――え?……ぎ――おゃべ」


 腕を千切り、壁まで飛ばし。


 そして。


「トオクニ イクト 


 左腕が、聞いたこともない音を立てて伸びていき。


「違うっ! やめろぉぉぉーーっ!」


 悲痛な凪様の叫びと壁に左腕が突き刺さる轟音が響き、凪様も荒い息を立てて崩れ落ち、誰に聞かせるわけでもなく、ただ、自分に言い聞かせるように、また叫び。


「俺は、俺は……ギアじゃないっ!」

「凪さ……ま?」


 凪様が私の声に体を震わせ、振り向いてくれました。


 泣きそうな、今にも壊れてしまいそうな表情がちらっと見え、私を見た凪様は、酷く悲しそうな顔をして。


「違う……違う。俺はギアじゃないっ!」


 そんなこと。

 そんなこと分かっております。


 近くに行って今すぐ慰めて差し上げたい。

 そう思って、私は凪様に近づこうと走る。


 後少しで凪様に辿り着ける所まで来たときに。


 かくんっと。

 凪様の顔が急に項垂れ、すくっと、何事もなく立ち上がった凪様が伸びていた左腕を元に戻して振り返り。


「初めましての人が多いかな?」


 先程見せて頂けた白い光ではなく、酷く畏怖や威圧を感じる紫の光を纏う、いつもと違う笑顔を見せる凪様が、皆様に聞こえるように、告げますの。


「僕はナギ。カタカナで、ナギだ」


 凪様ではなく、ナギ、と。



 ・・

 ・・・

 ・・・・



「あー。なんかごめんね。散らかしちゃってるなぁ」


 そう言うと、ナギはきょろきょろと周りを見渡しながら朱を通りすぎて弥生達の前へと歩いていく。


「な……ナギ様……」

「やぁ。あの時の執事君じゃないか。あのうざったい橋本って人は……ああ。子供がいるのか。君は初めましてだね」

「は、はひっ!?」

「はひって……なんだい?」


 くすっと、笑いながら、だが少し寂しそうな笑顔を浮かべながら、ナギは弥生の前へと歩き、立ち止まる。


「神夜……ああ、弥生だったかな? どうだい? 体の調子は」

「君が、凪君の言ってた……ナギ?」

「そうだよ。こうやって話すのは君も初めてだね」

「ありがとう。おかげで今もこうしていられるよ」


 その言葉に、ナギは驚いたような表情を浮かべた。


「? 何か変なこと言ったかな?」

「君は……いや、うーん。……お礼を言われたりしたこと、あまりないからちょっと驚いちゃったよ」


 ぽりっと、頬を掻いて照れたように笑うナギに、弥生の近くにいた巫女がナギから溢れる紫の威圧感に当てられ、ぺたんっと座り込んだ。

 弥生が震え始めた巫女に気づき、介抱を始めた。


 どこか遠くへ連れていかれそうな、何かがそこから生まれそうな。言い様のない不安感に駆られるその光に、弥生も近くで話してはいたものの、怖かった。

 巫女を介抱することでそのナギから目を離せることは、恐怖を和らげるためにも必要で、心底ほっとする自分に弥生は気づく。


「それは、凪に言うべき言葉じゃないかい?」

「凪君には嫌がられるほどお礼は言ったよ」


 ナギはそのようなことには何も気づいていないように話をしており、弥生もそれに返す。

 二人が笑いながらぎこちない会話を重ねる、その中で


「い、田舎者が、何をしたぁぁ!」


 急に砂名さなが、怒声をあげ始めた。


「ああ、そうだ。君の傍にいる女の子が、巫女かい?」

「え? そうだけど、ナギ君? あの、後ろで――」

「はー……君が巫女かぁ。会ったのは初めてなのに、僕は君のことをずっと前から知っている気がするよ」

「え? え? なに? なんで?」


 混乱しているかのような巫女を見て笑うナギは、おもむろに左腕をぐるんと回す。

 ひゅんっと音がして、ナギの左腕が急に伸び始め、弧を描き、まだ凪の変貌に追い付けていない固まったままの朱を、くるりと包んだ。


「――ああ、ごめんね。怖がらせちゃって。これから凪ともども、仲良くしてくれると嬉しいよ」


 いきなり伸びた左腕にびくっと怯えた巫女に謝りながら、左腕はしゅるしゅると、朱の悲鳴と共に元の長さへと戻っていく。

 辺りに渦巻く威圧感も、ナギが辺りに撒き散らしていたことに気づいたのか、ふっと消えた。


 元の長さに戻る前に宙にひょいっと投げられた朱の悲鳴が空から地面へと。

 地面に到達する前にばちんっと音と共に左腕は元の長さに戻り、ナギはその左腕で朱を捕まえ、朱は胸元へと引き寄せられる。


 抱き締められるように引き寄せられた朱が、いきなりの空中浮揚に閉じていた目を開くと、ナギの顔が至近距離にあり、また固まってしまう。


「君が、朱かな?」

「は、はい……凪様……?」

「凪の中にいる別の凪だと思ってくれないかな?」


 この手の説明を何度すればいいのかと、ナギは苦笑いを浮かべた。


「き、きさま……田舎者が、俺を無視するなんて――」

「君が朱かぁ。ふむ? 何か、君……」


 ナギはそう言うと、じぃっと、自分が写る朱の瞳を見つめ始める。


 朱は、凪ではないと頭の中で整理してはいるものの、凪にここまでじっと見られたことがなく、自分を見通すように見つめるナギから目が離せない。


「あ、あの……私が、何か……?」


 凪様ではなく、ナギ。

 凪様がこのように私を見つめてくれていたのであれば、どんなによかったか。

 そう、朱が思い始めた時。


「んー。『碧』に全然似てないね。なのに、惹かれてる。んー……なんだろう、不思議だね」

「み、ど……り? それは誰です、の?……凪様が私に惹か……え?」


 みどり……誰ですの?

 それが、凪様の、想い人の……。


「ナギたん」

「な、ナギたん??」


 急に今まで無言だったナオがナギに近づき話し出した。

 きっかけは、碧という名前だろう。


「お兄たんの中にいるナギだからナギたん」

「あ、ああ……君が妹さんかな?」

「妹で嫁なの」

「それは無理が……」

「碧お姉たんのこと、教えるの」


 ずいっとナギに問い詰めるようにナオが近づき見上げてくる、

 威圧感もなく、顔を寄せられているようにしか思えず、その猫のような可愛さにナギの顔が赤くなっていく。


「ナオちゃん。碧さんという方を……御存知ですの?」

「知ってる。重要なこと。ちょと朱お姉ちゃんは黙ってて」


 やっぱり。碧という方が、凪様の……。


 確信する朱を余所に、ナオは更にナギを問い詰めようと言葉を紡ぐ。

 やっと見つけた碧への手掛かりに、ナオも必死だった。


「碧お姉たんは、どうなったのか教えるの」

「生まれ変わったよ」

「うま――?」

「色々あってね。彼女も凪と同じ世界に行きたかったみたいだけど」


 その言葉を聞いて瞬時に。

 ナオの表情が凍り付いた瞬間を、朱は見てしまった。


「なので、別の人物として産まれると思うよ」

「別の……? 碧お姉たんに……もう、会えな……い?」


 急激にナオの顔が青ざめ、ふらっとよろめき力なく座り込む。


 碧を知る相手にやっと会うことができた。

 その相手から伝えられた、生まれ変わったという一言。


 ナオの心を絶望が支配していく。


 ナギではなく、自分の本来の兄に会った時になんと伝えればいいのか。


 お兄たんが知っているわけがない。

 知っていたら、あんなに実姉お姉たんのことを求めて、あの白い世界から救いたいと想い続けているわけがない。


 姉に会いたい。救いたい。それは、兄と同じくらいその気持ちがあることは確かだった。

 前の世界で愛してくれた記憶もある。

 でなければ、自分の体を捨ててまで自分を救ってくれるはずもない。


 なのに今。

 目の前にいる、兄の体で兄の声で話すナギから伝えられたその言葉に、瞬時にナオは悟ってしまった。


 「ありがとう」とお礼を言えなくなった。

 体をくれた実の姉に、会えなくなった。


 そう、ナオが脳内で辿り着くと、自然と両目から涙が溢れ出していく。


 そんなナオに驚き朱はすぐさま動いた。

 ナギを突き飛ばし離れ、放心しながらうわ言のように言葉を呟き始めたナオを、必死に呼び止めるように名を呼び続ける。

 だが、その呼びかけにナオの反応は悪く、抱き締めてあげることしかできなかった。


「んー……ごめんね。何か、悪いこと言ったのかな……。ちなみに、巫女の子供として産まれるよ」

「……へ? 私の!? 誰が!?」

「……巫女……?」

「いや、いやいや! 違う! 私妊娠してないからっ!」


 弥生が巫女のお腹を見ると、ぶんぶんと両手を振りながら巫女は否定する。


「ああ、言葉が足りなかったね。……別の世界の、神夜と巫女の子供だよ。……というわけで、朱」

「は、はいな……」

「だから、ライバルはもういないよ? 頑張って凪の心を掴まえてね」


 言われたその卑劣な言葉に、思わず朱はナギを睨み付けてしまっていた。


「あ、あれ? 嬉しくないのかな?」


 睨みつけられ、狼狽え始めたナギを見て、このナギという凪ではない何かが、他意もなく、善意で言った言葉だったのだろうと朱は気づく。

 だが、よりたちが悪い。


 話を聞いていた限り、碧という女性が水原兄妹にとってどれだけ大事な人物なのか、どれだけ二人に愛されているのか分かってしまい、悲しさもあり、敵わないことにも気づき、その女性が羨ましかった。


 だが、いなくなったと聞いて、それを喜べるわけもなく、喜びたいとも、朱は思えなかった。

 こんな状況で、人の隙間に入り込んで心を掴みたいとも思えない。

 こんなことを平気で凪の声で、姿で言うナギという人物が、人の感情が分からないのではないかと、まるで、自分の知識をひけらかそうとする小さな子供を相手にしているような錯覚さえ覚えてしまう。


「ぅあぁ! いい加減にし――」

「うーん……何かダメだったのかな」


 そんな中、思い出したかのように再度の叫びを上げて砂名がナギに背後から飛び掛かってきた。

 ナギは、その砂名を見向きもせず。周りに飛び交う羽虫を払うように、左腕を振るう。


「――っ!?――!」


 左腕から放たれた紫の光が砂名を包み、喋ることさえ許さず激しい音と共に修練場の壁へと叩きつけた。

 奇しくも、先の凪が壁に突き刺した男の真横に、ぱらぱらと破片を落としながら下半身だけが出ている状態で埋まる。


「朱。少し、見させてもらうね」


 何事もなかったかのように、その砂名を吹き飛ばしたナギの左腕が伸び、朱の頭に手が乗せられた。


「……え――あぅっ!?」


 そのナギの手から、朱の頭の中にぷすっと何かが侵入した。

 低周波の電気を流されているかのように、びくびくっと体が勝手に蠢き、その度に朱の両瞳が明暗する。

 脳内を無数の細いケーブルがのたうち回るような、奇妙で不快しかない感触を、朱はしばらくの間ただ抵抗もできずに受け続けた。


「……ごめん。やっぱり、君達はまだ分からないや。凪なら、この感情がわかるのかな……今度聞いてみることにしよう」


 ナギの手が頭から離れ、頭からすぽっと抜けるような音が鳴り、朱は無防備に地面へと倒れ込んでいく。


「お、お嬢様っ! ナギ様何をっ!?」

「朱っ!」


 朱が倒れ込むその状況に、やっと体を動かすことのできた貴美子が走り、倒れた朱を抱きかかえる。貴美子が声をかけるも朱は反応なく、だらんと腕は力なくぷらぷらと揺れる。

 目は開いている。だが、体は動かず。意識もある。だがその意識や考えは言葉として発することができなかった。

 体を、別のなにかに支配されていくような、体の奥底から自分にとって有益な何かが這い上がってくるような不思議な感覚が支配していく。


「一時的に動けないだけだから安心して」

「安心してって……何をしたの!?」

「ちょっと力を流し込んだのと、君達がどんな感情を今持っているのか、知りたかったから脳内を弄らせてもらったけど……


 そう言うと、ナギは何かを思い出したかのように紫の光を開放し、その光がナギの体を宙に浮かせる。


「ああ、そうだ。そこまで時間もないんだった。……そろそろ凪に色々伝えなくちゃいけないことがあってね。僕の目的の為にも、この体は借りていくよ。悪いようにはしないさ」


 そうして、周りの感情が分からないと言うナギが、逃げるようにどんどんと空へと上がっていく。


 ――待って。

 待ってくださいっ!


 朱が、ナギではないと頭では分かっているものの、必死にナギに声をかけようとするが声はでず。腕を伸ばそうとするが体は動かない。


 そのままナギが空から消える姿を、見るだけしかできず。


 ――一人にしないで――


 叫びたいその言葉を最後に、想いが目から涙となって溢れて朱は意識を失った。



・・

・・・

・・・・



 まるで台風のように意味が分からないナギが消え、修練場が静まり返る。

 

 何があったのか、凪が何をしていったのか、ナギという人物が誰なのか。

 その場にいる一部を除いた皆は、意味が分からず立ち尽くす。

 分かっているはずの弥生や火之村でさえ、何があったのか、理解が追い付かず。


 凪がいなくなった。

 分かっていることは、それだけであった。


「爺……説明してくれる? あなた、何か知ってるわよね」

「話すと申されても。少しでよろしければ」

「その、少しが欲しいわ。凪くん……まさか……」


 意識を失った朱の髪を愛おしそうに、心配そうに撫でながら貴美子は火之村に聞く。


「――間に合わなかったか」


 火之村が貴美子へ恭しく頭を垂れた瞬間だった。

 そんな、先程まで聞いたことのある声が、皆の頭上から聞こえてくる。


 緑のフードを深々と被る男が、空から修練場にふわっと、先ほどまでナギがいた場所に降り立つ。


「……。巫女。今の状況を教えてくれ」


 フードをぱさっと、外し、現れたその男は。


 先程消えた、水原凪。その人だった。


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