03-44 アレとモノホシの君
人類は俺の敵。
俺は間違いなくそう思っていた。
つい先程までは。
これは、なんだ?
何で俺がそう思う?
聞いたことがある。
確か、母さんのことを父さんがそう呼んでいたことが一度あった。
俺もその刻族だ。
なのに、俺自身が忌むべき存在?
何を、俺は何を考えていたんだ?
そんな刹那に過った俺の考えは、怒声によって掻き消える。
「――あなたは、何を考えてるのっ!」
何を考えているのか。
そう怒鳴られ思わずびくっと震えた。
しかし、その怒声は――貴美子おばさんの怒りの声は俺に向けられたものではなかった。
電話が終わった貴美子おばさんが目の前のアレに言い放ったものだ。
「なにを、とは?」
「修練場前の華名家の護衛を、殺してここに来たようね。……
「構いませんよ」
「……あなた、自分が何を言ってるか分かってる? あなただけの問題ではなく、財閥同士の繋がりさえも消えるという意味を」
「分かっていますよ。お義母さん」
ぴくっと貴美子おばさんの眉が動いた。
「俺が、華名を――いや、俺の朱と結ばれればそんなこと、どうとでもなりますよ」
「……は?」
言っていることが理解できない。
それは貴美子おばさんもそうであり、その場にいた皆がそう思ったことだろう。
「何を言っているの? あなたは所詮候補にも上がれなかった、砂名家の汚点でしょ」
「ええ。そんなこともありましたね。あれは俺を理解できない、俺の言う通りにしない奴等が決めたことだ。気になりませんよ。お義母さんもその一人だ」
何かがおかしい。
そう思ったのか、火之村さんと白萩が貴美子おばさんを守るように傍に寄った。
弥生は巫女を自分の背に隠すように。達也もナオを守るように。
俺は座り込んだまま、隣で震えて座る朱の肩に手を置いた。
ぎゅっと、すり寄るように朱が俺の制服を掴む。
巫女やナオに比べて、酷く朱はアレへの怯えが激しい。
過去に何かあったのだろうか。
少なからず、俺は前の世界でアレに刺されているので思うところはある。
「我が儘を通そうとする駄々っ子に、誰が一人娘を渡すとお思い?」
貴美子おばさんは、先程の話振りから、警備を呼び寄せていて、その時間稼ぎもしているのだろう。
外ではどうやら、人が死んでいる。
それが目の前のアレが起こしたことであれば、警戒するに越したことはない。
「そこですよ。俺の言うことを聞かないというのは。砂名家という、財閥の中でも優秀でサラブレッドのこの俺に、逆らうことがおかしい」
「それなら華名家も財閥ね。悪いけど、砂名家に比べれば格が違うわよ。井の中の蛙のお坊ちゃん」
貴美子おばさんの怒りは収まらない。
負けじとよくわからない発言を返すアレは笑い出した。
「ははっ。ご冗談を。」
「それにね。財閥の、という言葉を使うなら、あなたよりその言葉に相応しいのは凪くんよ。あなたじゃないわ」
うんうん。と白萩と火之村さんが頷いた。
……? 何の話だ?
「彼こそ、私の娘に相応しい相手はいないわ。それに、彼のことを娘も慕っている。どこにあなたが入る隙があると?」
「隙なんていらないさ。そこの力のない守護人気取りの田舎者より――」
言葉を切ると、アレは大袈裟に自分を指差す。
「こんなにも素晴らしい力を手に入れたんだ。それこそ、この力を持つ俺に、朱は相応しい」
「あなた……何を……」
「お義母さんには後でたっぷりと理解してもらうことにしますよ。それよりも今は」
そう言うと、アレは大袈裟なジェスチャーで諸手を挙げるその手を、俺の傍で震える朱に差し伸べるように、誰かが飛び込んでくるのを待つように両手を前へ。
「さあ、朱。そんな田舎者は捨てて、本来いるべき場所へ、おいで」
そう、言い放った。
……こいつは、馬鹿なのか?
恐らくは、誰もが思ったことだろう。
流石にそれなりの男がキザな台詞で言えば何かしら反応する女性もいるのかもしれない。
だが、アレは、そこまで顔もいいとはお世辞にも言えない風貌だ。
今は更に、朱へと向けられた垂れ下がった目が、にやつく口元が、間違いなく邪なことを考えているその表情と動きが気持ち悪さを醸し出し、言っていることも理解ができない。
自分に陶酔しすぎにも程がありすぎて、誰がそんな奴の傍に行きたいと思えるのだろうか。
いちいち相手の感情を逆撫でするような発言も、この男の意味不明の行動に拍車をかける。
事実、その表情を一心に受けてしまった朱は、ただただ体を震わせ、俺にしがみつくように服を握り締めて離さない。
もう、アレを見る気もないのか、俺の胸に顔を埋めて震えているだけだ。
そんな状況に、更に修練場に二人の男が現れる。
「あれ? 旦那。まだだったんですかぁ?」
「はー。……旦那は律儀ですなぁ」
手には血に濡れた赤黒い棍を持つ二人。
その棍は、俺がこの世界に戻って初めて作った人具だ。
名はない。なぜなら名を付ける前になくなったから。
その棍を持つユニットは、名を世間に知らしめた。
人具の復活を大々的に公表し、それを所持する守護者の復活を。
自分達を世間に知らしめた。
親しみを込めて、世間ではこう呼ぶ。
モノホシの君、と。
白萩が抜けて三人となったモノホシの君が、勢揃いだ。
だが、二人も様子がおかしい。
「明石、青山……」
「あぁ、裏切り者だぁ」
「白萩の人具は今は旦那の物となったぜ」
どちらが明石でどちらが青山かは知らないが、両手に棍を持つ男が恭しくアレに人具を渡す。
それを、朱から目を離さず受け取りながら、アレは、更に言葉を紡ぐ。
「今から目の前で、今まで守護人として他の害虫から自分を守ってくれていた田舎者が死ぬのだから、別れが必要だろ? 流石になかったら、俺の朱が可哀想じゃないか」
「あー、旦那は優しいねぇ」
「俺の朱を守ってくれていたのは感謝するよ。だが、田舎者。そこでお前はさよならさ」
前に俺はアレにこう言ったことがある。
「蛆でも沸いてんのか?」と。
本当に蛆が沸いたのだろうか。発言があまりにも、自分が正しいとしか思ってない発言だ。
「さあ、おいで。……俺の愛しい朱」
「……嫌です」
「……今、なんて?」
「何があろうと、貴方のことは好きになれないのです」
「好きになるさ。傍にいれば。いや、愛すことさえすぐさ」
「なれるわけもなければ、なりたいとも思いませんのっ!」
悲痛な叫びが響く。
やはり、朱とアレの間には何かがある。
「貴方はなぜそこまでして私に固執するのですかっ! 私は貴方に興味もなければ、この学園に来るまで一度も会ったこともなかったはずですのっ!」
……え?
何も、ない……?
朱の言葉に、思わず絶句した。
青ざめながらも、必死に自分の言いたいことを伝えるために、朱は俺に寄り掛かりながらではあるが気丈に振る舞い、相手を睨み付ける。
「あるさ」
だが、朱の言葉とは逆に、アレは関係性を示す言葉を紡いだ。
「ありませんのっ。私はお話ししたことも一度も、お会いしたことさえ……っ!」
「あるよ」
アレは朱の言葉を再度否定し、断言する。
そして、俺達にポケットから取り出した物を見せた。
それを見た時、気持ち悪さと嫌悪が走り、ぞわっと体に言い様のない、寒気のような震えが体に走ったのは――
「君は、何度も、俺に笑いかけ、話しかけ、愛を囁いてくれていたじゃないか」
――俺だけではないはずだ。
「ひっ」
巫女の、怯える声が聞こえた。
朱の動きが止まり、ただ、それを凝視し、固まった。
それは、ただの写真だった。
朱の笑顔の写真。何枚もの、写真。
ぱらぱらと、それが何枚も、ひらひらと地面へと落ちていく。
どれも、同じものはない。
角度や遠近、それぞれが違う、ただの写真だった。
「あ、あぁぁ……いや……っ」
顔面蒼白の朱が、限界を迎える。
気持ち悪さからか、地団駄を踏むように力が入らなくなった足を揺らす。
「いや……いやぁ……っ」
俺の服を掴む力が強くなり、びりっと服から音が聞こえ出す。
「ほら。だから、君は俺のことを愛している。だから、俺の傍にいないと。……そんな田舎者の傍にいないで……」
まるで自分が正しいとしか思っていない、そうであるべきと断じて疑わず、優しく、語るようにアレは朱を迎えいれようと、俺に向かって一歩足を踏み出す。
震える体はもう、止まることを知らない。動くことで、自分が感じる恐怖を体が必死に和らげようとしているようだった。
まさか、碧もこんなことをされていたのだろうか。
なまじ、ある程度自由の効く権力があり、財力があるからこそ質が悪い。
こいつは、ただの……
拗らせたストーカーだ。
だから、人は愚かなのだ。
相手を理解せず、相手を傷つける。
だから、人は滅ぶべきなのだ。
俺の脳裏に、言葉が浮かんできた。
人を呪う。人を恨む。
そんな感情が、ゆっくりと、表へと――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます