03-36 内密な話


旅行ドリフトについては俺もよく分かっていません。いませんが、俺の記憶では、あなたには娘がいます」

「あ、当たり前でしょ! 朱がいるんだから」

「いえ。違いますよ」


 まだ俺が別世界の人間だったということに頭の整理が追い付いていないのか、狼狽える貴美子おばさんに、俺は更に混乱させるような話をし始めた。


「あなたには、『碧』がいます」

「碧……?」

「あちらの世界での、あなたの娘です」


 誰?

 そう思っているのは間違いないだろう。

 だが、知ってもらいたい。

 碧がこの世界に来た時に、そっくりそのままの母親に、ナオの時のような態度を取られないためにも。


「あなた……何を?」

「あなたは、向こうの世界でも、華名だ。華名貴美子。華名財閥の娘で、財閥の研究施設で父さんを雇っていた。……だけど、この世界とは違うことがかなりある」

「お兄たん……?」


 ナオが不安そうに俺の名前を呼び、そろそろとソファーから立ち上がった。

 そんな話を何で今するの?と言いたげな顔だった。

 立ち上がったのも、不可解な話をする俺の邪魔にならないように出ていこうとしたと感じる。


 いやいや、ナオさんや。

 今から話すことにお前がいないと。

 何のために話すのかわかんなくなるから。


 俺も立ち上がってナオの頭を撫でながら、安心させるためにも笑顔を向ける。


 知ってもらうべきなんだ。

 いや、貴美子おばさんは、知っていなきゃいけない。


 でないと、ナオが、碧が。

 二人が、可哀想だ。


「あなたは、水原貴美子。あちらでは俺の義理の母親だ」

「みず――私が?」

「父さんの再婚相手ですよ。最も、籍を入れていたのも一年くらいでしたけど」


 俺の言っていることが理解できない貴美子おばさんに、「二人の結婚式にも参加しましたよ」と追加で情報を伝えておく。


 あの結婚式は、さすがに忘れられそうもない。

 あんな公の場で、父さんと義母さんの同僚達から酒を勧められてぐだぐたになったあの日は……

 俺達の、幸せな家庭の始まりは。忘れられることはできない。


「だから、義母さんと呼んでもいいって言われた時は、内心かなり動揺しましたよ」


 本当は、俺のことを知っていて、あえて隠しているのではないかと思った。

 それであれば、どれだけ嬉しかったか、どれだけ心強かったか……。


 でも、その前に――顔を合わせた時に、気づいてしまっていた。

 あの辛さは、忘れられない。

 忘れられないけど、俺よりも辛い想いをした子が、ここにいる。


「そのあなたの連れ子が、俺の義妹の碧です。……俺の、大切な人です」

「私が、その碧って子を……?」

「ええ」


 いきなりこんな話をされてすぐに納得できる人なんていないと思う。

 でも、貴美子おばさんはしっかりと話を聞いてくれて、理解しようとしてくれた。


 それこそ、旅行ドリフトを俺より知っていて、より知りたいという意思の表れではないだろうか。


 そうであれば、より、俺が今から行うことは理解してくれるだろう。


 ぽんっと、ナオの背中を押してやる。

 ナオが、急に俺に背中を押されて、ふらつきながら貴美子おばさんの座るソファーに倒れ込む。

 いきなりの行動に、慌てた貴美子おばさんがナオをしっかり押さえてくれたので、今は二人は抱き合っている状態だ。


 ……やっぱり、ナオ。お前はそうやっているのが正しいんだよ。


「もう一人。あなたには子供がいますよ」

「……まさか」

「ナオ。水原直。あなたと、父さんの子供です」

「私と……基大さん……の?」


 俺の言葉に、貴美子おばさんはナオの顔を見た。

 ナオも、俺と貴美子おばさんを交互に見て、俺がやりたいことに気づいたようだった。


「お兄たん……」

「ナオ。いいんだぞ」


 ナオは何度も貴美子おばさんと顔を合わせている。

 でも、初めて会ったあの時から、言ったことがないんだ。


 体は碧からもらったから俺と見た目はさほど変わらないけど、本当は、産まれてからまだ二年の幼児なのだから。


 だから――


「母さんって、甘えさせてもらいな」


 ナオにそう伝えると、ナオはびくっと体を震わせた。


「貴美子おばさん。ナオは、あなたの娘だ。だから、俺が言ってることが理解できなくても……ナオだけは、あなたの娘だって、認知してあげてください」


 これが、俺が貴美子おばさんに内密に言いたかった話だ。


 さすがに、財閥当主に隠し子がいるように思われて醜聞が立つのも悪いので、いつも周りに皆がいるときには話せなかった。

 理事長室に呼び出されたのはちょうどよかった。

 内密にしたかったし、ナオだって本来なら母親が傍にいなければダメだ。


 見た目が大人の姫を傍に置いていたのも、あんなことがあって話もできないから、気を紛らわせていただけなんだ。


「私と……基大さんの……子供……」


 うわ言のようにそう呟く貴美子おばさんは、何かを感じ取るようにナオの顔に触れ、やがて、それを認めたように涙を溜め始めた。


 貴美子おばさんは、俺が今まで話した少しの内容と、知っている知識をフル動員して至ったのだろう。


 という事実に。


 でなければ、森林公園に行く前に、俺に探りを入れるように、母さんが「消える」と言ったり、先の話で、「本当に知らないのね」なんて言わないはずだ。


 違和感があったはずなんだ。

 いきなり姿を現した俺が何も知らないし、本当に俺が自分の知っている凪なのかさえ疑われていた可能性もある。

 だからこその、初の出会いの時に、あのようなきつい言葉を投げかけていたのだとも。


 俺の考えすぎでなくて、本当によかったと思う。



「お……おかあ……さん……」


 ナオも、溢れだした涙を拭うことなく、じっと貴美子おばさんを見続けている。


 貴美子おばさんとの最悪の再開から、俺がどうしてもやりたかったことの一つが、今、目の前で始まろうとしていた。




 ゆっくりと、俺は理事長室の扉を閉め、外へと。


 かちゃっと、理事長室の扉が控え目な音を鳴らして閉まった後。

 中から、ナオの幼児のような泣き声がうっすらと聞こえた。


「お疲れ様です。御主人様」


 扉の前。

 誰もいない静かな廊下に、姫が一人。


「お前、知ってただろ」

「はい。ナオ様から聞いております」

「……まあ、やっと。ナオのことでスッキリできたよ」


 この世界に来て、ナオが傍にいたから、ナオを父さん達の代わりに育ててあげなければと思ったから、今までやってこれた。


 やってはこれたが、やはり、俺は、ナオの母親代わりにはなれない。

 あくまで、兄止まりで、父親代わりになれるかどうかと言ったところだろう。


 やっと、その母親がナオを見てくれたことに、ほっとしたからだろうか。

 肩の荷が降りたような気分に溢れ、どっと疲れが押し寄せてきた。


 いや、あの天使を逃がすわけでもないし、これからも一緒にいるにはいるが、気持ちの問題だ。


「あー……もう、家でゆっくりしたい」

「……御主人様は、よろしいのですか?」

「ん?」

「ナオ様だけでなく、御主人様のほうが、当主様とは面識があるかと」

「あー……」


 俺からしてみれば、実の母が観測所にいる。

 だから、俺は特に、ナオが貴美子おばさんにこれから優しくしてもらえるなら、思うことはない。


「ま、今はナオだろ」


 少し遅れたけど、やっと会えた母親に自分を見てもらえたんだ。

 ナオが幸せになれればそれでいい。


 ……だけども。

 やはり、胸の中には、そんな輪の中に俺もいたかったとは、確かに思った。


 これは、ナオが俺以外の家族にこれからもずっと会えることが羨ましいからだろうか。


「御主人様」

「ん?――んぉ!?」


 そう思って下を向いていると、姫が急に俺を引っ張り、俺は姫の胸元に顔を埋めることになった。

 そのまま、頭をがしっと抱き込まれ、ギアとは思えない柔らかいナニか、たゆん程ではないそのナニかを押し付けられ息が出来ない。たゆんのだったら確実に死ぬ。


 弥生め。

 こんな羨ましいことを毎夜毎夜と……。


 あまりの行動に、思わず弥生への恨みが募ってしまうが、明らかに自分が姫の行動に焦っていることが分かった。


「御主人様はもう少し、自分のことも考えたほうがいいですよ」

「いや……十分、考えてるよ」

「そうですか? では、今回頑張ったご褒美に、よしよし、と」


 胸にホールドされたまま、頭を撫でられるが、これは何のプレイなのかと思う。


「頼れる家族がいないのは、辛くないですか?」

「お前……」


 ……ああ。

 そうだよな。


 俺は、前の世界で家族を一度失った。

 また会えはしたが、それでも、今に至るまでは、ナオ以外、誰も傍にいない。


 でも、周りの皆はとにかく優しい。

 そんな皆が、俺の傍にはいてくれる。

 だから。そんな、皆が――


「凪様……と、姫さん……何を……」


 そんな声が聞こえて、ちらっと胸元から視線を声が聞こえたほうに向けると。


 俺と姫を見て、今にも泣きそうな朱が、そこにいた。




 ・・

 ・・・

 ・・・・



 姫にナオを任せて、俺は朱と廊下を歩いている。


 先程の一件は、朱は忘れてくれることにしてくれたらしく、話題にしてこないが、それはそれで怖い。


「凪様、お母様に何か言われました?」

「ん? いや? なんで?」

「少し悲しそうな顔してましたの」


 悲しい。

 そうなのかな。

 やっぱり、少しまだ引きずってのかもしれない。


「姫さんが慰めてたようなので……私がいたら、慰めましたのに……」


 ああ、話題にはするのね。


「凪様、お母様に何か言われたら私に言ってくださいな。お母様を倒して差し上げますの」


 笑顔でそう言う朱が少し怖い。

 倒すとか、何を想定しているのかと。


「なので、凪様」


 そう前置きすると、朱の腕が俺の右腕に絡んできた。


「もし、辛いことがあったら、私に相談してくださいな」


 覗き込むように上目に見つめてくる朱の笑顔がその言葉が、妙に俺の心に刺さる。


 このまま、甘えてしまいたい。

 それが出来ればどれだけ楽なのか。


 でも、今はまだ。


「……朱」

「はいな」

「その、俺の、答え……なんだけど――?」


 俺がそう切り出した時、朱の指が俺の唇に触れた。


「無理しないでくださいな」


 そう言うと、絡んでいた腕がすっと離れ、朱が俺の一歩前に立ち、俺と向き合った。


「凪様が、何か行いたいことがあることは分かっていますの」

「あ、ああ……」

「ですから。そちらを優先くださいな。

 ……私は。朱は、いつまでも、凪様の答えを待っていますの」


 そう言い、少し恥ずかしそうにはにかむ朱が、綺麗だった。


「それに……――すの」


 くるっと背中を俺に向けた朱が何か言ったような気がしたが、声が小さくて聞き取ることができない。


 ただ、俺は、耳に聞こえた声を、脳内で必死に変換してみる。


 ……まさか、な。


 まさか、「凪様は、必ず私を選んでくれますの」って、言っていたなんて。


 流石に空耳だろう。

 そう思ったが、歩き出した朱の背中を見ていると、やっぱり、俺のためにも早く答えを出してあげたいと、そう感じてしまった。


 ……俺、意外と自分のこと考えてると思うんだけどなぁ……。

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