03-25 『ナギ』が選んだ未来


 弥生の死体が、そこにあった。


 今にも動きそうな程に、であればまだ希望はあったかもしれないが、肩口から見える傷は死を思わせるには十分すぎるほどの致命傷だと感じる。


 ……死んでるね。


 ナギはその目の前の、意識がすでに飛び立った塊を見ながらため息をつく。


 ぱちんっと指を鳴らすと、火之村が体を震わせた。


「わ、私は……?」


 目の前に映る景色が変わっていたことになのか、それとも先程まで恐怖を感じていたナギの姿にか、火之村は驚嘆の表情を浮かべていた。


「執事君。残念ながら、弥生は死んでたよ」

「なっ……」


 死んでから数十分程度か?

 まだ、体には熱はありそうではあるが、それも急速に失われている。

 間もなく、死後硬直が始まる頃合いと言ったところかな。

 これだと、確かに町に連れていっても助けられないね。


 ナギは左目の赤い瞳に表示される弥生の診断結果を見ながら弥生に近づきその冷たくなった頬に優しく触れる。


 かたかたと、今も左目に流れる結果は、十分すぎるほどに弥生の死を物語っていた。


 君が死ぬと、未来が他の凪と同じ道になっちゃうじゃないか。


 そう思いながらも、不確定要素があるため、同じ結果にはならないだろうとも思う。

 だが、大きくずれることもなさそうだと感じながら自分が宿る凪の未来を案じていた。


 火之村が、力なく横たわる弥生を見て愕然とし、へたりと座り込んだ。


「私が……もう少し上手くやれていれば」



 その火之村の言葉に、ナギは考えを巡らせる。


 火之村は、弥生の傷の具合を見ていた。


 ここに放置すれば死ぬことは分かっていたはずで、どちらかをとるならと命を天秤にかけ、人類のことを考えて凪を選択した。


 その天秤には、凪を助けることで弥生も助ける道もあるかもしれないという一縷の望みもあったのだろう。


 ただ、それは、時間がかからなければの話ではある。

 一軒家に再突入して、ギアと死闘を繰り広げたとき、間違いなく火之村は弥生は死ぬことが分かっていたはずだ。


 だが、それは自分の選択によることで発生した事象であることは、直面するまでは信じてはならないことであったとも思える。


 もっとも、火之村が傍にいることで弥生が助かった保証は勿論ない。


 自分の選択によって人が死ぬことに直面したくなかった。


 そうとも捉えることが出来る。


 どちらかの命を助けるなら、という、二択の中で、凪を選んだのは、ナギとしても喜ばしい判断ではあるが、ナギがいたから凪は死ぬはずがなければ、あの場にナギがいなくても凪は生きていた。


 しかし、他の凪から得た情報がなければ、そうは思えない状況であり、火之村も葛藤もしたのであろう。

 だが、選択としては誤った選択であるとも言える。


 凪にとっても、人類にとっても。


「私はまた、選択を……」


 人はいずれ死ぬ。

 それが早いか遅いかの違いであるが、火之村は知人を失った数が多いのであろう。


 だからこそ、一緒に行くことを選び、若い命を守りたかった。


 このように、人は考えて、苦悩して選択して。

 結果によって一喜一憂し、哀しみ、互いを尊ぶ。


 だけど。

 弥生が死んだ姿を見た時に、僕の心を揺さぶったこの感情が、皆が感じているものと一緒なのかと問われれば違うのだろう。


 ……間違いなく、ギアにはない感情だ。


 なんと、人は美しいのか。

 だからこそ、凪の選択に興味を持ち、凪の行動に楽しみがある。

 更に僕に見せて欲しい。



 僕のためにも、知らない物語を。















「ま、どうとでもなるからね」



 凪の世界を。凪の新たな選択から派生する物語を。

 こんなちっぽけな、たった一人の人間の死で、同じように終わらせるわけにはいかないのさ。


「『接続コネクト』」


 ナギの体から紫の光が立ち昇った。


 ⇒『観測所からの不可逆流動ドライブを開始』


「奪い取っておいで。彼を、観測所ポートから」


 ⇒『観測所から、この世界の弥生の記憶を選別します』


 弥生の体に触れた手から、紫の光は弥生へと移り、弥生の体に灯った紫は炎のように燃え上がる。

 弥生の周りの湖も、その光に触れて蒸発するように消えていく。


「水原君!? いくらなんでもこの場で燃やすなんてっ! それに、何を――」


 目の前で急に起きた事態に慌てた橋本が騒ぎ出す。


「君等、人のルールなんて知らないさ。じゃあ、どこで彼を燃やすんだい? どこでならいいんだい? 誰かに見せて、死んだと満足させてから、受け入れさせてから火葬場ででも燃やすのかい? だったらまだ、人知れず燃やして、存在を消して行方不明としたほうが、まだ生きているという希望を持たせてあげられ、悲しまなくてすむんじゃないかい?」


 そう。僕が先ほど感じた人の感情は、恐らくはこれなんだろう。


 悲しみ。


 凪の中で一緒に共有した記憶と、その中で、あたかも彼と過ごしていたかのように生きている彼を見ていただろうか。


 ⇒『……獲得成功。一部記憶の消失が発生していますがよろしいですか?』


「構わない。その記憶はまだこの中にあるからね」


 恐らくは、凪の記憶と感情に、意識していなくても僕も毒されているのだろう。



 これもまた、貴重な体験だ。

 だからこそ、僕に更に先を見せてくれるはずのかけがえのない相棒は――


 ⇒『続いて、先に救助サルベージされた液体を精製します』


「いいよ。適度にね」


「ナギ様……何をされて……?」

「ん? これかい?」


『これ』と言われて、紫の光に燃え上がる弥生の体が、ナギの指の動きに合わせて宙に浮く。


「彼に死なれると困るからね。ガワだけでもいいかなって思ってたんだけどさ……」


 弥生の体は、少しずつ小さく、紫の光に溶け込むかのように端から消えていく。


 ⇒『精製終了しました』


「練成」


 ⇒『開始します』


 ――ガワだけだと、相棒が、悲しむからね。


 ⇒『錬成終了しました』


「注入」


 ⇒『構築とともに注入開始します』


「……さて。君達は、人が死ぬと、ほんの少しだけ、軽くなるのは知ってるかい?」


 ナギは自分の背後で、紫の光に燃えていく弥生に涙を流すことしか出来ない、硬直したままの二人に声をかける。


 何をしているのか分からないのであろう。


 それは人にとっては禁忌の所業。

 ただし、人はすでに、その禁忌に触れている。


「その軽くなったモノというのはね。君達を形作り、意識を持たせる、魂さ」


 紫の光によって溶けて消えた弥生の体は、球体となって浮かんでいた。


「その魂がもし。消えずに体に残っていたとしたら?」

「それは……」

「体は死んでも、まだ、生きている、と?」

「正解。彼は、まだ生きる意志があった。つまり、魂はそこにまだあったのさ」


 だから、その魂を救い上げ、滅んだ体を新生すれば。


 人は、何度でも、『個』として生きることができる。



 さあ。

 凪との約束を守ろう。



 紫の光に包まれた球体は、歪み、形を作っていく。


 ⇒『終了しました』


 まるで赤子のような小さな塊が、紫の光の中に。

 水の中に揺蕩うように塊はふよふよと浮いている。


「定着」


 ⇒『魂に合わせて促進します』


「創造」


 ⇒『意識の集積と観測所から獲得した個体の記憶を融合します』


「さあ……目を開けな。

 ……御月神夜の記憶と力を持たない『S』の受胎者――」


 ⇒『完了しました』


「夜月弥生」


 ばしゃっと、紫の光の底が割れ、中に溜まった水が破水し、中の肉が地面に落ちる。


「げぼっ……げほっ」


 落ちた肉は、硬い地面の衝撃に地面を抱くように這いつくばり目覚め。


 赤い湖の中ではなく、透明な湖の中にぽつんと。



 ずぶ濡れになった夜月弥生が、口から水を吐きながら、そこに――



「あ……あれぇ……?」



 間抜けな声と共に、いた。



「初めまして」

「……ぇ? 何言ってるの? 凪君」

「そして、しばらくお別れだ」


 巫女を凪に寝取られないようにね。


 そう呟けたのかは怪しいが、もしその言葉が聞こえていたのなら。

 後ろで戸惑う、今、二人が見た『新生』が何か。


 説明せずに丸投げされて、仲のいい三人に質問攻めに合う凪も、見てみたい。


 だけど、彼のためにやることがある。


 そう思いながら、ナギもまた、凪と同じように意識を手放した。



 その意識は、不可逆流動ドライブの、流れの中へと、落ちていく。


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