03-24 望まない未来
ギアが暗闇の中へと消えていき、俺は火之村さんの肩を借りながら階段を上がりきっていた。
大きな扉までの階段には幾つものギアが二つに分かれており、火之村さんが戦いながら降りてきていたことを物語っていた。
歩く度にじゃりじゃりと、がりがりと足の踏み場もないためギアの破片を踏み抜きながら歩いて地上へと。
あまりにも足場の悪い場所でよくここまで火之村さんは戦えるものだと感心した。
分厚い扉の先には新鮮な空気は勿論なく。
廊下に出るとあの匂いが薫り、吐き気を催した。
いや、催すだけでは飽きたらず、きらきらした虹が俺の口から放出された。
吐き出す度に痛む体に鞭打って家屋から出ると、やっと木々が排出する新鮮な空気を吸えて安堵した。
安堵して、俺の目の前はブラックアウト。
そこから先は、覚えていない。
ぱちっと目が覚めた。
目を覚ますといつもの見慣れた天井が目に入った。
シミひとつない、木目調の天井だ。
木目調なのであればシミではなくて木目模様があるわけだが、それはシミとしてカウントはしないだろう、となぜか起きて早々天井について考えてしまった。
なんだか、妙に長い長い夢を見ていたようだ。
こんなことを前にも思ったなと考えながら、体を動かそうとするが、動かず。
むしろ俺は、この天井をいつも見ているはずなのに、なぜこの天井のシミを数えたいと思うのだろうか。
……そう言えば、シミを数える間に終わると言う言葉を聞いたことがある気がする。
何を終わらすのかは忘れたが、多分それを言った人じゃないほうがシミを数えさせられるのだろう。
うん。誰が数えるのだろうか。
……数える人、俺に現れるのだろうか。
事が進んでいるなら数える人、一人減ってるな。
欲求不満なのかと思いながら、体を動かそうとするが、ぎぎぎと錆びた鉄のような音がしそうな体は思うように動いてくれず。
動かない体と、ほんの少し全体に感じる痛みに、あれは現実にあったことだと感じる。
俺がこの家にいるということは、全て終わった後なんだろう。
今は、ナギを信じることしかできない。
目が覚めたら。
弥生が、無事であるように。
俺の選んだ選択に進んでいることを願って。
俺は、また眠りについた。
・・
・・・
・・・・
――森林公園 一軒家の前――
「水原様!?」
がくんっと、電池が切れたように急に動きを止めて地面に倒れ込みそうになった凪を、火之村はすぐに抱き抱えた。
抱き抱えた体は冷たく。
急速に冷たくなっていく凪に危険を感じた。
ここで死なせる訳にはいかない。
水原様はこの世界を変える新たな英雄とも言える方なのだから。
人具の使い方を変え、人が今まで複数人で戦い一体倒せるかといったギアとの戦い方さえも変え、その圧倒的なまでな強さを見せたこの少年は、必ず歴史に名を残す英雄となろう。
ここで大量のギアを撃退したことが知られるだけでも、英雄として扱われるには十分すぎる程なのだから。
「必ずや、町まで――」
「――君が、抜刀術で戦っていた執事さんか」
火之村の決意に溢れた声を遮るように、凪から、声が漏れた。
「水原……さま?」
冷たさは消えないが、意志が宿り、何もなかったかのように体を起こして、先程まで支えられないと歩くのさえやっとだった凪が、数歩、しっかりと地を踏みつけ歩き出す。
「初めまして、だね」
違和感のあるその言葉。
初めて? 先程まで会話をしていた私を?
確かにあまり会話もなく知り合ったばかりではあるが、初めてと言うには濃密な時間を共に過ごした私のことを忘れている?
「僕はナギ。カタカナで、ナギだ」
振り向いた凪の左目は赤く。
ギアのように赤い目が火之村を射抜いた。
「彼の体にいる、もう一人の凪だよ。説明は面倒だから、二重人格だとでも思って」
彼も知っていることだから、ね。
そう言って、けらけらと笑い自分のことを『ナギ』と呼ぶ、その凪の瞳を直視してしまった火之村は、全身から一斉に汗が噴き出した。
直感的に体を駆け巡り、脳に到達した想いはただ一つ。
――殺される。
宇多を持つ手に力を込めようとするが動けず。
今すぐこの場から逃げたいと叫ぶ脳は、足に逃げるための力を伝えず。
体は、すでに死んでいるかのように硬直し、かたかたと震える。
「ん? ああ、ごめんごめん。ちゃんと外をこうやって見るのは久しぶりだから。加減とか分からなくてね」
一歩、ナギが火之村に近づいた。
じゃりっと、聞こえるはずがないほどの、細かい砂を踏む音が鮮明に、自分の死が一歩近づいた気がした。
ぱきっと、落ちていた枯れ木を踏みつけて更に一歩。
自分の体も、あの枯れ木のように簡単に折られて千切れて、彼は何事もなかったかのように笑みを浮かべるのだろう。
「うーん。怖がらないで欲しいんだけどなぁ……時間もないから、ちょうどいいか」
ナギの挙動の一つ一つに恐怖を感じ、ナギが浮かべる笑顔に顔がひきつる。
何がそこまで怖いのか。
何も分からないから怖いのか。
怖いことさえ、分からなくなる。
「ねぇ。僕はね? 僕のためにも凪との約束を守りたいんだ。その約束は、君も聞いてるはずだよ?」
耳に聞こえたその言葉は、言霊のように脳を刺激し駆け巡る。
それさえも、人を死に至らしめる凶器のように思えた。
再度一歩近づいた凪の腕が死神の鎌のように持ち上げられ、死を覚悟する。
だが、その鎌は、ぽんっと、優しく火之村の肩に置くという行動のみだった。
死を覚悟し目を閉じた火之村は、まだ生きているのか分からない浮遊感とも取れる意識の感覚に揺蕩う。
肩に置かれたその手は、死体のように冷たく。
そこから凍結していくのではないかと思えるほどの冷たさとは反対に、恐怖に支配された火之村の体は、燃え上がるような熱さに、そのまま意識が途絶えそうになった。
「弥生を助けないと、ね」
体の隅々までに染み渡るようなその言葉に虚ろな目を開けると、目の前には死神が笑顔で立っている。
その死神の赤い左目に、先程までの恐怖は覚えず。
恐怖とは別の感情を火之村に与える。
「君も来るだろ? 弥生を助けに。来てくれないと困るんだよ。助けた後は凪に体を返さないといけないからね」
助ける……夜月様を、水原様を……
その言葉は、抗えない至上の喜びを伴い。
脳に伝わる一言一言が甘美な悦びとなって火之村を刺激し、慈しみ、悦楽を与え、恍惚を覚え、逆らえない言葉へと昇華していく。
ただ、普通の会話にも関わらず。
火之村が、ナギと言うこの『御方』に心酔するまで時間はかからなかった。
「仰せのままに」
執事らしく丁寧な礼で、その言葉に傅く火之村に満足げな笑みを浮かべ、ナギは歩き出す。
「弥生を助けた後は、この体は倒れるから。家まで引っ張っていってね」
軽やかに、歌うように歩くナギの後ろに、従者のように一歩控えて歩く火之村。
その瞳には、すでに感情は伴っていなかった。
・・
・・・
・・・・
「夜月様はここに」
森林公園から抜け出したナギは、火之村に弥生のいる廃屋へと案内されていた。
「水原君っ! 火之村さんっ!」
その場にはすでに先客がおり、廃屋の少し離れた芝生のような生えた雑草群に四つの重量のある何かに潰された後がある。
その潰された跡を目で追うと、黒いリムジンが停まっていることきに気づく。
車があるなら、運ぶにはちょうどいい。
ナギはこちらに気づいて走り出し近づく男を無視して廃屋へと向かう。
今更、廃屋に向かっても、遅いことは分かっていた。
約束は、すでに叶えられない状況だということは薄々分かっていた。と言い換えてもいいかもしれない。
廃屋から漂う陰湿な気配は、そう思わせるには十分すぎるほど異様で、走ってくる男が先程まで泣いていたのか、目を赤く腫らしていたのも、その気配を十全に理解させた。
「み、水原……君?」
通り過ぎた凪を不思議そうに見ながら立ち止まる男は、凪が通りすぎるときに見た赤い瞳に驚きを隠せず立ち止まって呆ける。
「君が橋本さんかな? 今は弥生を助けるのが先だから、後回しだね」
「ぇ……何その他人行儀……私だよ?」
「君だからだよ」
確かにうざい。
凪の記憶を辿りながら男――橋本をあしらいながら廃屋の中へ。
「火之村さん!? あんなに冷たい水原君初めてなんだけど!?」と叫ぶ橋本の声をバックに、廃屋の中の弥生を見据える。
辺りに漂う死臭は、ただ一つから発せられたもの。
「水原君……夜月君は、もう……私が着いた頃にはすでに……」
先程は無事だったことに歓喜が伝わる声を挙げていた橋本から悲しみが伝わる。
ぴくりとも動かず、そこに。
ぴちゃっと音が鳴るほどに、中心の肉の塊から辺りに湖を作る赤い液体は、全てが流れきったかのように。
黄土色な健康的だった肌は血色がなく、青みがかかった濁った色に変わり、いつも苦笑いで凪を理解してくれていたその表情は、静かに目を閉じられている。
廃屋の中に、静かにひっそりと。
弥生の、死体があった。
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