03-04 小さい頃の記憶

 暗闇から、ゆっくりと景色が色づき広がっていく。


「ねぇねぇ凪様、なーぎーさーまー」

「だから、何度もいうけど、僕は様付けされる謂れはないよ」

「凪様は凪様です。私の大好きな凪様です」


 そんな小さな子供達の声に、また記憶の世界に来たのかと気づく。


 目の前は、セピア色に染められた俺の部屋だった。

 まだ色んなものが新しく、神鉱を削るために使う、いまだ名前のわからないあの機械もまだまだ新品同様に輝くようだ。


 その機械でごりごりと神鉱を削る小さい頃の俺がいる。

 まだまだ机のほうが大きく感じる体格で、必死に神鉱を削る姿は、なんというか、子供特有の可愛さがある。

 ……自画自賛だが。


 その凪に、手持ち無沙汰なのかベッドに腰掛けぶらぶらと足を揺らす少女が声をかけていた。

 つまらなそうではあるが、背中を向けて作業をする凪を、にこにこしながら邪魔しないように見ている。


 恐らくは、前に見た小さい頃の記憶より後なんだろう。

 机の上には、お世話になったノートもあるし、祐成も傍にある。


「凪様は、大きくなったら何になるですか?」


 まだ言葉がしっかり発音できないのか、少女が凪に声をかける。


「お嫁さんかな」

「ちゃんと、まーじーめーに、きいてくださいなっ」


 少し話すのが億劫そうな凪が、ため息混じりに作業を中断すると、くるりと椅子を回して少女と対面する。


「なんだよ。急にそんな話して」

「だって、凪様が将来何をするのか気になりますもの」

「気になるって言われても……やっぱりお嫁さんでいいでしょ」

「そーもーそーもーっ! お嫁さんになるのは私で、凪様ではありませんっ」


 ベッドから立ち上がって少女は諭すように立てた人差し指をくるくる回しながら凪の前へと進む。


「見ればわかると思うけど、父さんと同じ神鉱技師しんこーぎしだよ」


 自分の机の上に乗った機械を指差しながら真面目に答えてみたものの、少女の求める言葉ではなかったようで……。


「こう言うときは私の旦那様になるって言うものですよ、凪様」


 求める言葉の指定とともに、少女は凪へと近づいていき、凪の顔を覗き込む。


「真面目に答えたのに……」とぼそっと不満を告げる凪だが、少し顔が赤い。


「はいっ。言ってみてくださいっ凪様」


 わくわくと期待する少女とは正反対に、心底嫌そうな顔を浮かべながら、くるりと椅子を回転させて元の作業へと戻る凪。

 ぶすっと少女が頬を膨らます。

 妙な気配を感じたのか、ぶるっと体が震えて、諦めてため息をつく。


「はいはい。将来は朱ちゃんの旦那様になるよ。これでいい?」


 恥ずかしそうにごりごりと鳴る音にかき消されるほどの声を、見事に聞き取った少女が輝くかのような笑顔を見せる。聞けたがいざ言われると恥ずかしいのか、頬を赤らめて体をくねらせるまでがセット。


 小さく、「様は余計ですわ」と呟きながら、


「よろしいのですそれで。ね、旦那様」


 無理矢理ではあるが、聞きたい言葉が聞けて満足したのか、凪に背後から抱き着く朱と呼ばれた少女。


「あ、危ないだろっ!」

「旦那様に抱き着くのは、奥さんとして当たり前ですわ」


 急に抱きつかれて焦る凪が、慌てて作業を中断。

 朱を引き剥がしつつ、くるりと椅子を回してくっつかれないように必死だが、朱のほうが一枚上手。正面から勢いよく抱き着かれて今度は椅子ごと倒れそうになっている。


 子供同士のじゃれあいだな、と微笑ましく思いながら、それが二人だけでの話なら、とも思う。


 なぜなら、部屋の入り口の扉が最初から少しだけ開いていて、そこには二人を見つめる六つの瞳があったからだ。


 扉がばたんっと勢いよく開く音に、凪が驚く。驚いた拍子に椅子から二人して転げ落ちてお互いに悲鳴をあげた。


「朱っ! 言質とったわねっ!」

「やりましたっ、お母様!」


 勢いよく現れて朱に声をかけたのは、最近見たことのある女性。


 華名家当主 華名貴美子であった。


 先に会った頃よりも若い。

 ただ、童顔なのは変わらないため、年齢不詳という言葉がよく当てはまる。


「あーあ。なっくん。ついに言わされちゃったねー」

「凪……そんな若い頃から人生の墓場の約束を……」

「基大さん。私と結婚したの、そう思ってたたのね……私の幸せを願えないのは旦那失格です」


 続けて現れた二人は俺の親だ。

 母さんの眼力が父さんを射止めて、父さんがしまったと言った顔をしている。


「さっ。これで、凪君は私の息子ねっ!」

「気が早いぞ華名。それを言うなら朱ちゃんがうちの嫁に来るんだから、朱ちゃんがうちの娘になる」


「私の家を潰す気?」と、父さんを睨み付けながら、自分の胸に飛び込んできた娘と抱擁をかわす華名家当主に、なぜあの時に、同じようにナオを抱き締めてあげれなかったのかと悲しい気持ちが溢れた。


 そんな温かい家族を見ていると、突き刺すような、恨んでいるような視線が向けられていることに気づいて視線を探す。


 鏡の前で、先程椅子から転げ落ちて座り込んでいた凪と、目があった。

 今のこの状況に、恥ずかしそうに顔を赤くして、鏡の中から一部始終を見ていた俺を、じっと見ている。


 思い出した?


 そう、凪の唇が動いた。


 思い出す? 思い出すも何も、こんな記憶は俺には――


「凪様、今の約束忘れないでくださいね? 私をお嫁さんにしてくださいな」


 少女が凪の頬に口づけをし、そう、満面の笑みで恥ずかしそうに伝えた。

 凪が恥ずかしそうに立ち上がり、「うがぁぁぁっ!」っと叫びだす。

 その一幕に、大人達の笑い声が重なる。



 もう、僕にはこんなことさえできないんだから、よろしくね。


 小さい頃の凪の声が頭に響き、目の前がブラックアウトした――





 ・・

 ・・・

 ・・・・




「――お兄たん?」


 ナオの声に現実に戻ってきたことに気づく。

 目の前のナオのどアップに驚いてベッドに倒れこんでしまった。


「なんか、変な目してたけど、だいじょぶ?」

「ああ、大丈夫だ」


 倒れこんだ俺に、追い討ちをかけるようにのし掛かって、猫のように至近距離まで近づくナオをどかして、再度上半身を持ち上げる。


 ナオさんや。

 さっきから妙にスキンシップが近い気がするのだが、パーソナルスペースというものをだね……


 改めて目の前の、心配しているような表情のお嬢様を見てみる。


(凪様、忘れちゃダメですよ?)


 あの記憶の少女がこちらを見て微笑んでいるような、そんな幻覚をみたような気がした。


「……あ、かね……ちゃん?」


 その声に、お嬢様がびくっと体を震わし俺を見る。


「あぁ……」


 名前を呼ばれたことに、歓喜の声をあげ、お嬢様は涙を溢れさせ――

 次の瞬間には、俺の胸へと飛び込んできていた。


「やっと……やっとお会いできましたっ!」

「あ、ああ……なんか、さっきまでは、ごめん」

「いえ、いいのです。……私の名前を呼んでい頂けるだけで今は」


 はぁっと甘そうな吐息を漏らしながら、まるで生き別れた恋人にまた出会えたかのような、涙で潤う瞳で俺を見ている。

 その瞳には俺が映っていて、俺の瞳にも朱しか映っていないのだろう。


「凪様……」


 切なそうに俺の名を呟き、瞳の中に映る俺の顔が近づいてくる。


「お兄たんお兄たん」


 くいくいっと、ナオが服を引っ張ってくる。

 その引っ張る揺れに朱が周りのギャラリーに気づいてすぐさま離れていく。


「ん? なんだ、ナオ」

「お兄たん。『はれっ?』って、なに?」


 ……え?


 何の話か知らないが、今それ聞くタイミング?


 そんな意味不明な質問に、思わず固まってしまった。

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