??-?? 幸せの一瞬を胸に


「さて」


 直がいなくなった白い世界で、ボクと茶髪の綺麗な女性が残った。


 ふよふよと、ボクだけが上下に揺れて浮かぶ音だけが響く静かな世界。


「ここから出れなくなったあなたには」


 女性がおもむろに丸いボクに触れると、ボクの体が元に戻った。

 でも、服を着てない。


「私からの頑張ったご褒美っ」

「……あなたは、誰?」

「私? 私は、みこと。


 水原命みずはらみこと


 あなたの大好きなお兄ちゃん――


 なっくんのお母さん」


 そう名乗った、先程と変わらない笑顔の命さん。


 お兄ちゃんの、お母さん?


 だって、お母さんは死んだって――

 あ。お父さんが生きてるって。


「で、ね。あなたは、誰?」

「ぼ、ボクは……碧。水原碧。お父さんの再婚相手の――」

「さいこんんんっ?」


 キッと、またボクの後ろを睨む命さん。

 だから、ボクの後ろになにがあるの!?








 俺はただ、じっと、直が消えていくのをみていた。

 直がどうしてあんなに急に大きくなって俺の前に現れたのか、今分かった。


 どうやったのか、ここがなんだか分からないが、直は死んで、碧の体をもらったんだ。


 ……馬鹿だ。

 碧は馬鹿だ。


 直が生きてくれていたのはすごく嬉しいし、俺の傍にいてくれて、本当に救われた。

 でも……と、丸い球体になった碧を見つめる。


 目の前で球体となって浮いている碧を今すぐ抱き締めたい。

 お礼を言いたい。

 でも、碧。

 碧だって、一緒じゃないと、ダメだろっ!


 そう思ってふよふよ浮いている俺と、さっきからちらちら睨んでくる、小さい頃の記憶で見たことのある母さんと、再度目があった。


 母さんが指を鳴らすと、丸い球体だったはずの俺が、勝手に形を変え始めていつもの体が出来上がる。

 ……裸だが。


 驚いて母さんを見ると、ぱちっとウインク。


 すぐさま意味が分かって駆け出した。





 ボクの後ろになにがあるの!?


 そう思って振り返ろうとすると、急に後ろから誰かに抱き締められた。


 この、優しい感覚は知っている。

 この、優しい香りは知っている。


「碧。会いたかった」


 ぐっと力強く抱き締めるこの腕は知っている。

 その声だって、知っている……っ。


「お兄ちゃん……」


 そっと腕に触れる。この温かさだって、覚えてる。

 今、一番会いたかった人。


「お兄ちゃん。会いたかった……っ」


 お兄ちゃんが少しだけ力を緩めてくれて、ゆっくりボクは振り返る。


 涙でぐちゃぐちゃな顔のお兄ちゃんがそこにいた。

 ぐっと引き寄せられて抱き締められて。

 ボクも、ぎゅっと抱き締め返す。


「離したくない」

「離れたくない」


 お兄ちゃんが、ボクの唇を奪っていく。

 もっと、もっと。

 お兄ちゃんと、触れあいたい。


「こほんっ」


 そんな幸せの時間は咳払いの声で。

 はっ、と、二人して。もう一人ここにいる命さんを思い出して、終わった。





 咳払いの声で母さんがいることを思い出して、一気に恥ずかしくなった。

 それと同時に、むにゅっとした二つの感触が俺の意識を持っていく。


 ああ。柔らかいこれは、その、アレ、か?

 意外とご立派な……いや、たゆんたゆんに比べたらこりゃまた控えめな――


 うおおっ。

 意識しちゃダメだ!

 母さんの前でアレがアレになるとかしゃれにならん!


 神鉱いしだ!

 あれを思い出すんだ!

 ごりごりごりごり一人寂しく砕いたにっくきあいつ!

 憎くて砕いた訳じゃないけども! 砕いて詰めて、砕いて詰めて、詰めたらあら不思議。まんまる柔らか二つのぽっち。


「ちっがぁぁぁぁーうっ!」

「わわわっ! なに? なに!?」


 叫んだ俺に驚く碧の向こう側で、見事にジト目な母さんとまた目が合う。


「なっくん。……ここ、心の声駄々漏れだからね?」


呆れながら、「でも、なっくんが可愛い女の子を拾ってきたから許す」と、碧を見ながら近づいてくる。

 待て待て待て。心の声が駄々漏れ?


 じゃあ、碧のお胸様にほにゃららしたとか、聞こえていた、とか?


「成長したねっ! お母さん嬉しいっ!」


 びしっと、握り拳に親指たてて。

 その親指が人差し指と中指の間に潜ってまた飛び出す。


「さいっていだな!」

「うわぁ……」


 碧がお胸様を隠してもじもじ。

 待て。隠されるとより破壊力が。

 俺のアレがナニしてこんにちわになるっ!


「隠すとって……? あれが、何? こんにち?――わわわっ!? お兄ちゃん最低っ!」


 いや、裸のお前も大概に変態だからな?

 俺? 俺は……もう、悟ったから。


「あははっ」


 笑いながら母さんが碧に背後から抱きつく。


「なるほどー。何となく分かったわ。あなた、貴美子の子供ね」


 そう言って碧の頭を撫で始める母さんが、あらかた撫でて「ふはぁ」と満足の声をあげた後、ぐるりと首が回り、俺をみる瞳が光った。

 笑顔が、怖い。


「で? 基大さんは、私と言う者がありながら貴美子とくっついて、直ちゃんができた。と?」


 なんだろう。

 ビリビリと、体に気迫が伝わってくる。

 で、なぜ。俺なのかと。

 それ向けるの父さんにだろう。


「あら、時間ねー。なっくん」


 母さんに自分の体を指差されたので見てみると、俺の体は薄くなっていた。

 さっきの直と同じみたいだ。

 恐らく、もうすぐ俺は夢から覚める。

 でも、ここは夢なんかじゃない。夢にしたくない。碧が、ここにいるから。


 ……ここは、なんなんだろう。


「ここはね。刻族って人種の世界。なっくんも私みたいに行ったり来たりは、そのうち出来るけど。まだまだ先。誰の力で来たのかは知らないけど。なっくんの力じゃないでしょ?」

「ここに、また。来れるのか?」


 来れないと、碧に会えない。

 だって碧は、もう……体がなくて、ここでしか。


「うん。だって、ここは。刻族が旅行ドリフトする時に通過する場所だから」


 旅行? どこに?


「並行世界の先から先にー」

「並行世界……」


 ああ、やっぱり。

 俺がいた世界はやっぱり、別の世界だったんだ。

 そりゃそうだ。

 じゃなかったら、あんなのいない。

 神夜とたゆんたゆんだって、俺のこと知らない意味が分かった。


「お兄ちゃん、まさか、たゆんたゆんって」

「違う! 巫女じゃないからなっ!」

「巫女ちゃんでしょっ! お兄ちゃんは巫女ちゃんのこと忘れられないんでしょっ!」


 碧が俺を指差しながら腰に手を当てて怒る。

 そんな碧の今までを見てきた俺は、何を勘違いしているのかと、言葉ではなく行動で返す。

 いや、正直もう、耐えられない。

 やっと、やっとまた会えた大切な――


「馬鹿だろ。俺はお前が誰よりも大切だ。だから、そんなこと言うのやめろ」

「……知ってる。お兄ちゃんはボクのことが大好き」

 ぐりぐりと、胸に頭を押し付けてくる。

 ……猫みたいだな。


「若いわねー」


 なぜか肌がつるんっとしていく母さんが常に邪魔をする。


「邪魔してないっ! 噛むよっ!」


 いや、知ってる。

 あんた、小さい頃どんな時でも噛んできてただろ。


「愛情表現」


 痛いだけだってのっ!


「昔はあんなに喜んでたのにー」と口を尖らせて不満を表現する母さんが、俺から嫌がらせのように碧を引き剥がす。


「嫌がらせじゃないよ? このままだと二人とも消えちゃうからねー。碧ちゃんは体ないし、なっくんはもう、ほとんど意識だけでしょ」


 体はどんどん薄れていき、今はもう、見えるか見えないかくらいに薄くなっている。

 周りが白いからなおさら見えない。


「それに。時間軸無視しすぎ。誰の力使ったの? その子、かなり辛いと思うよ?」


 時間軸?

 ああ、そうか。

 碧からしたら、ついさっき――


 考えがどんどん霧散していき、意識がどんどん失われていく。


「碧。必ず必ずまたここに来るっ! だから――」


 碧が涙で濡れた顔で俺を見つめる。

 碧はここから出れない。連れていきたい。


「お兄ちゃん――」


 お兄ちゃんが今にも泣きそうな顔で見つめてくる。

 泣かないで。

 ボクはここから出れない。でも、きっと。


「ううん。――『凪君』」


 碧が俺のことを、呼んでくれた。

 お兄ちゃんのこと、やっと凪君って自信をもって呼べる。


 だって。俺(ボク)達は――


「碧。愛してる」


「凪君。愛してます。



 だから、ずっと、待ってる。


   待ってるから。



  いってらっしゃい。凪君っ」


 いつも見ていた、変わらない、満面な、という表現がまさに似合う、「にぱっ」と擬音がでそうなほどの――

 俺が、大好きで見とれてしまった笑顔を見せてくれた。


 そこで、俺の意識は闇の中へ――




「さて」


 直がいなくなったときとまったく変わらない口調で命さんが言う。


 本当はもう少し凪君と話したそうだった命さん。

 ずっと、ここにいて、何かしてるのかな?


「暇だし。恋バナしよっか?」


 そんな命さんの向日葵の笑顔が、眩しかった。

 ボクもいつかあんな笑顔が出来たら。


 そう思いながら、凪君とボクの、この世界での出会いは終わりを告げる。

 次に凪君が来るまで。命さんから色々話を聞かないと。


 お父さんから聞いた秘密。


 凪君は、ってこととか。

 こととか。


 で何が起きてるのか、とか。







 なっくん。


 今度、あちらの世界で会ったら噛ませてね。


 あの、ギアが蔓延る、私と基大さんが出会って、あなたが生まれた、あの世界で――


 闇の中で、そんな母さんの声が聞こえた。



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