??-?? 溢れる想い

「痛い、のは……っ! こっちのほう、だっ!」


 お兄ちゃんが押さえている腰からは、大量の血が流れ、それは瞬く間に廊下を赤く染め上げた。


 だめ。お兄ちゃんが、死んじゃう。

 誰か、お兄ちゃんを助けて。

 そうだ。救急車。

 すぐに呼ばないと。


 そう思ったけど、体は動かない。

 体はぶるぶると震えが止まってくれないし、怖くて今にも叫び声をあげたかったけど、声さえもでない。


「俺は、碧の、兄だっ! 俺の大事な――大切な女の子を守るのことの、何が悪いっ! 言ってみろよ!」


 お兄ちゃんが怒声を発して、倒れた。


 ――嬉しい。


 お兄ちゃんがそう思ってくれていたこと。

 不謹慎だけど、そう思った。


 でも、お兄ちゃんはぴくりとも動かなくなった。


 嘘。

 嘘だよね?


 涙が止まらない。何で、この人はお兄ちゃんを刺したの?

 ボクが、恋人にならなかったから? ボクが怖がったから? 話をしなかったから?


「みどちゃん、大丈夫!?」


 気づけば、涙目の巫女ちゃんにゆさゆさと揺らされていた。


「ああああっ!」


 急な大声に、二人してびくっと体を揺らす。


 お兄ちゃんを刺したあの人が、ナイフを持って暴れていた。


「巫女っ! 碧ちゃんを! 無月はあれを止めろっ!」

「うんっ!」

「にんにん」


 無月さんがいきなりどこかから現れて、あの人の前に立つ。

 騒ぎ続けてナイフを振り回すあの人が、無月さんにナイフで斬りかかるけど、無月さんが腕を振るうと、すぐにナイフが宙を舞い、廊下に突き刺さった。

 ナイフが宙に浮いてる間に、押さえ付けられて地面に叩きつけられるあの人が忌々しそうにお兄ちゃんを見て叫んでいる。


 なんなの? ボクは何度もあなたが怖くて逃げてたのに、どうして追いかけてくるの?

 なんで、ボクの大事な人を傷つけるの?


 でも、そんな恨めしい表情は、すぐに無月さんの首筋への一撃で白目に変わり、静かになった。


「さあて……ここからだ」

「ここからですけど、神夜、任せるよー?」

「任されたっ」


 御月さんも無月さんも何を? 何を言ってるの?

 早くお兄ちゃんを助けて。


「みどちゃん」


 ボクの頬に流れた涙を拭ってくれる巫女ちゃんが、悲しそうな顔して見つめてきた。


「凪君なら絶対大丈夫。でもね――」


 大丈夫? どこが大丈夫なの? だってあんなに血が出てるのに。


「凪君が暴れたら、もう、誰も止められないから」


 お兄ちゃんがゆっくり、立ち上がった。


 嘘。


 あんな傷で、立ち上がれるの?

 大丈夫なの?


「だから、少し神夜が乱暴するけど、許してあげてね」


「みドりを泣かセタのは、オマエ、カ?」

「あー……やっぱ、そうなるかぁ」


 お兄ちゃんの声が聞こえる。

 いつもの大好きな声だけど、少し聞き取りづらい。

 ボク達に背中を見せたままのお兄ちゃんが、項垂れたまま、一歩、歩き出す。


「あら、昔は巫女を~だったのに。今はみどちゃんなのね。好かれてるね、みどちゃん」


 そんな巫女ちゃんの軽い声に、何を言っているのかさっぱり分からない。


「『止まれ』」


 御月さんの声が聞こえた。

 お兄ちゃんに右手の掌を見せるようにして告げるように発せられた言葉は、まるで脳内で、言われたそれが正しいと思わせる不可視な、拒絶できない言葉として、体に染み込んでいく。


「そのまま、『眠れ』」


 拒絶できない声がお兄ちゃんを縛り付ける。


「ミ……ドリ」


 くるりと、お兄ちゃんがこちらを振り向いた。振り向いたお兄ちゃんの瞳が、左目だけ、赤い。

 その赤い瞳が、瞼に隠され、そしてまた、お兄ちゃんは地面に倒れた。


「さて。ここからは私の出番」

「巫女、任せた。基大おじさんには連絡しとく」

「うん。任されたのです」


 巫女ちゃんが、お兄ちゃんに近づいていく。


 そこからは、あっという間。

 巫女ちゃんがどこかから出した針とか糸とか、色々な器具を使ってお兄ちゃんの腰の辺りにできた傷を縫合し、包帯を巻いていく。


「はい、出来上がりっ」と、最後はお兄ちゃんの頭をはたくと、ボクに近づいてくる。


「大丈夫よ。今までも凪君ってこういうことよくあったから。こんなことじゃ死んだりしないのですっ」


 巫女ちゃんが、そう言いながらボクの頭を何度も撫でてくれる。

 撫でられると、凄くほっとする自分に気づいて、そこで初めてお兄ちゃんが大丈夫って理解できた。


 諭してくれる巫女ちゃんが、本当に頼りになるお姉ちゃんに見えた。


 やっぱり、巫女ちゃんはずるい。


 こんな人に、ボクは勝てない。


 お兄ちゃんのことを、ボクより知っていて、助けられる巫女ちゃんが、羨ましかった。




 ・・・

 ・・・・

 ・・・・・



 二日経っても、お兄ちゃんは起きてこない。


 あの後、お父さんからお兄ちゃんを取り巻く秘密を聞いた。


 お兄ちゃんは傷を負ってもすぐに治る特異体質持ちだってこととか。

 実は御月さんが制限の無い超能力者だったとか。

 とんでもない力を持った御月さんを、抑制する力を持った巫女ちゃんと無月さん。

 それでも抑えられない御月さんの超能力を、物ともせずに互角に戦える、もう一つの抑止力のお兄ちゃん。


 聞いてると、どこのバトル漫画だろうと思った。


 そして、お兄ちゃんにも秘密がある。


 聞いた時は驚いたけど。でも、それを聞いてもお兄ちゃんのことが好きだってことは変わらなかった。


 うん。やっぱり、ボクはお兄ちゃんが大好き。


 でも、お兄ちゃんは起きてくれない。

 ボクのせいで怪我したお兄ちゃんに謝りたい。


 そう思うと、なぜかお兄ちゃんを刺したあの人の顔が頭にちらつく。

 厭らしい発言や目で見てくる、気持ち悪い印象しか持てないあの顔が、眠ろうとすると夢にまで出てきて眠れない。


 もし、あの人がボクにナイフを突き付けてきていたら。誰も傍にいないときに迫られていたら。

 お兄ちゃんが、助けてくれなかったら。


 頭の中で何度もぐるぐると考えは回り、眠れない。


「――うる――! もう――っ!」


 部屋で眠れず、お兄ちゃんのことを想っていると、正面の部屋――お兄ちゃんの部屋から声が聞こえた気がした。


「お兄ちゃん……?」


 かちゃっと、部屋の扉を開けて中を見ると、


「おはよう」


 そんな、いつも聞いていた、今すぐ聞きたい声が聞こえた。


 月の光を背中に受けてベッドに腰かけるお兄ちゃんが、笑顔で笑いかけてくれている。


 ボクの、大好きな笑顔で。


 それから。

 感極まって抱きついちゃったり、謝ると怒るお兄ちゃんが、ボクのほっぺたをつねってきたり。謝らせてくれないお兄ちゃんが、誕生日プレゼントに鳥の羽を象ったペンダントをくれたり。


「一緒に、寝てほしいの」

「ああ、わか……あぁ!?」


 思わず思ったことを口にしてしまって、内心焦ったり。


 でも、一緒に寝てほしかったのは本当の気持ち。

 頭にちらつくあの顔を、忘れたい。


 お兄ちゃんになら――


 都合よくお兄ちゃんを使おうとする自分が嫌になった。


 でも、お兄ちゃんは一緒に寝てくれて。抱き締めてくれて。撫でてくれて。


「……俺がいるから……安心して眠りな」


 幸せな気持ちにしてくれる。


 気づけば、頭の中はお兄ちゃんのことだけになって、あんな人のことなんて忘れて。


 お兄ちゃんは凄い。

 ボクが今一番して欲しいことをしてくれる。

 やっぱり、お兄ちゃんが大好き。

 ずっと、一緒にいたい。


 ……気づいたら、寝ちゃってて。


 起きると、目の前にはお兄ちゃんの胸。

 少し上を見上げると、寝顔のドアップ。


 慌てて起き上がる。


「お兄ちゃん……」


 まだ寝ているお兄ちゃん。

 今なら、何しても気づかれないよね。


 そう思った時にはお兄ちゃんの顔が、どんどんと近づいてくる。近づいているのは勿論ボク自身から。


「……碧。何やってるの?」


 と、唇に辿り着く直前で声をかけられて入り口を見ると、固まったお父さんと、お母さんがいた。


 ……やっちゃった……。



 色々聞かれて呆れられたり。

 応援されたり。


 あの……二人とも?


 一応、ボクとお兄ちゃんは、義兄妹、だよね?

 そう聞いてみたら、


「「問題なし」」


 そんな回答を頂いちゃったので、今度は二人に見られないよう、頑張ろうと思った。


 バレンタインデーで、それを達成できたので、ボクは満足。

 また抱き締められて大満足。


 高校に行ったら、お兄ちゃんと二人で暮らすことにもなったし、ボクがお兄ちゃんを襲わないか心配だけど、それはそれ。


 二人暮らし 初めて3秒 準備だけ



 そして、なぜかお兄ちゃんがずっと嫌がってた、家族旅行の日が訪れる。















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