01-08 夢の中のストーカー 2


 背中に、誰かが軽くぶつかった気がした。

 少し遅れて、背中の脇腹辺りに何かが侵入してくる感触を感じる。

 侵入してきたそれは、冷たい感触を伴いながらも、少しずつ肉を分け入り侵入してくるたびに周りに熱さを感じた。


 本来であれば繋がったままのその肉が、無理やり引き裂かれていく感触。

 歯医者などで、麻酔を打たれて感覚がなくなっている時に、ぐいぐいっと歯肉を裂かれ肉を引っ張られているような感触が背中で起きている。


 その侵入がある程度までで収まったときに、これは強烈が痛みが来るときに周りの動きがスローモーションに感じる現象なのではないか――実際秒にも満たない瞬間の出来事なのだろうと思った。


 そして、その考えが終わるかどうかのところで痛みが襲い掛かってきた。


 一瞬の間に体全体に駆け上がってくるその痛みに強く目を閉じ歯を食いしばる。

 刹那、断続的に発生する痛みへと脳が痛みの度合いを切り替えた。


「――っ」


 脳が痛みを検知した瞬間、すぐさま碧を突き飛ばすと、驚いた表情を浮かべて碧が地面に尻もちをついた。


 碧を突き飛ばした時に相手と俺の間の密着に隙間が生まれる。突き飛ばした時に生まれた反動が一層の刺激を脳に与えてくる。

 相手の手が、俺の体に侵入していた何かを手放した。


 ぐりっと、体の中でひねられたそれは俺に更なる激痛を与えるが、痛みが体を駆け巡る前に俺の体は勢いよく振り向き相手を自分の正面に見据える。


 見据えたのは一瞬。

 相手が俺と同じようにブレザーの制服を着た男であろうことは捉えることができた。


 ワンテンポ遅れて、振り向いた勢いを殺さないように放たれた俺の蹴りが、相手の左頬にヒット。

 ぐにゃりと頬が歪む感触が伝わるが、そのまま足を振り切った。


 激痛に変わった痛みもあって、踏ん張りを効かせられない。

 効果は半減していることはすぐに分かった。それでも相手の頬から割れるような音が聞こえたことから、頬骨をヒビ割ったか、折ることには成功したようだ。


 相手も顔面を蹴られるという反撃は想定していなかったのか、無様に廊下を滑り倒れた。


 蹴り終わった動作が止まると、はためいていたブレザーが遅れて俺の背中を隠す。


 隠れたところで意味がない。

 そっと、隠れた背中の激痛を伴う箇所に手を添えてみる。

 そこには持ち手があった。その先は俺の肉を引き裂き、内部へと侵入している。


 持ち手の大きさの形状からして、100均で売っていそうな包丁であろう。

 その包丁の先が、根元まで内部へと侵入していた。

 刃渡りとしては長くはないのか、脇腹辺りが殺傷箇所ではあるが、背中から腹部に刃が飛び出してはいなかったのが救いだった。


「……っ!っ!」


 痛いのは当たり前だ。

 あまりの激痛に、目の前がちかちかと明滅し、廊下に膝をつく。


 添えた手にどろっとした液体がまとわりつく。それは刺されたことがやっとわかったのか、止めどなく溢れ出し、俺のシャツを冷たく濡らしながらズボンを伝って廊下に垂れ落ちる。


「ぐぅぁぁぁぁっ!」


 片膝立ちのポーズのまま、包丁の持ち手をぐっと握りしめ、一気に引き抜く。

 周りに見せびらかすように高々と上げられた包丁には俺の真っ赤な体液が糸を引くかのように弧を描いて周りにまき散らされる。

 栓の代わりになっていた異物が抜けたことで、刺さった場所から血が漏れ溢れ、廊下を赤く染めていく。


 包丁を荒々しく投げ捨てると、かつっかつっと音を立て、廊下を滑っていった。

 誰かに当たる可能性もあったが、そんなの気にしていられない。


 包丁を抜いた手は真っ赤になっていたが、その手を刺さっていた箇所の止血のために押しつける。

 俺の声を聞いた下校途中の学生たちが俺の惨状を目のあたりにして悲鳴をあげる。

 その悲鳴をバックミュージックに、俺は俺を刺した相手を睨みつける。


 男は俺に蹴られた際にやはり折れていたのか頬を抑えながら左右にのたうち回り、痛い、痛いと叫び声をあげている。


「痛い、のは……っ! こっちのほう、だっ!」


 たかが頬を蹴られただけで、まるで自分が被害者かのように泣き叫ぶ男に痛みで掠れ掠れに絞り出した大声で怒気を浴びせる。

 その声を聞いた男が頬を抑えながら、周りに飛び散った血を見て怯えたような表情を浮かべて俺を見る。

 信じられない。そんな顔で俺を見ているが、今この状況を作り出しておきながら、こんな痛い思いしている俺のほうが、そんな顔をしていられるこいつが信じられない。


 なんなんだこいつは。なにがしたいんだ。

 なんでこんなことが平気でできるんだ。

 なんでやっておきながら被害者面してるんだこいつは。


「何が、したかったのかわ、かんねぇけど……っ! いきなり後ろから刺して、おき、ながら……っ 自分が悪くないみたいな、顔、してんじゃねぇよ!」


 痛みで自分が何を考えているのかもよくわからない。思っていたことをそのまま喋ってしまう。


 痛い。声を出すだけで痛みが背中から駆け巡ってくる。息を吸い込むだけでも痛みが走る。過呼吸のように小刻みに早いペースで息を吸っている。鼻息もかなり荒いだろう。


 だけど、俺は喋ることを続ける。

 痛みを少しでも和らげたくて、このまま喋り続けないと一気に意識を持っていかれそうで。


「自分が――自分がなにやったかわかってんのかっ! ぁあ!?」

「お、お前が……お前が――」

「俺が、なんだよっ!」

「お前が悪いんだっ!」

「……はぁ!?」


 こう言い合っている間にも押さえた背中からは手の隙間からぴゅっと血が飛び散っている。

 俺の何が悪くて、死んでもおかしくないほどの痛みを与えられ、行動をとられ、恨みを持たれたのだろうか。

 これは、本当に、死んでもおかしくない。


 ――もっとも、俺ははないのだが。


 そもそも、俺はこの男を見ても、だれかがさっぱりわからない。同級生ではないことは確かだ。

 髪は俺に蹴られたせいか乱れに乱れぼさぼさにはなっているが、元々はオールバックのような髪型であったのであろう。目は少し垂れ目で、眉はそれとは正反対に吊り上がっているようだ。赤く腫れあがった頬とは反対側の、怪我一つない顔面の半面を見ても、こいつが誰なのかがわからない。


「うぉっ!? 凪!?」

「あっ! あいつ、あの時のストーk――え……なに、これ……」


 騒ぎを聞きつけたのか、神夜の驚いた声が聞こえた。

 驚いたような巫女の声も聞こえた。周りに飛び散る血を見てか、当初の声から少しずつ声から力が消えていった。


「お前が! お前がお、俺の碧ちゃんに手をだすからだっ!」

「ぁあ!? 誰がお前の碧だっ!」

「碧ちゃんはお、俺に笑いかけてくれたんだよ! なのに、碧ちゃんはお前と仲良くしてっ! それでも碧ちゃんは俺のことが好きだから、碧ちゃんが困ってたからお、お前を――」


 こいつが……こいつが例のストーカーか。

 こんな、こんな馬鹿げたやつが碧の周りをうろついてたのか。


 自分が何を言っているのかちゃんとわかっているんだろうか。

 何意味わからんことを言ってるんだ。

 碧が誰を好きだって? 誰が手を出したって?


 あまりの馬鹿な発言に目の前が真っ赤になった。


 碧が困っていた? お前が困らせていたんだろう。


 こんなことを平気でする男に付け回されて、どれだけ碧が怖かったか、何するかわからないから誰にも相談できなかったのか。


 そうだとしたら、その辛さがどれだけのものか、こいつはわかっているのか。


「――ふざけんなっ!」

「っ!?」

「俺は、碧の、――だっ! ――の、何が悪いっ! 言ってみろよ!」

「あ、待て! 落ち着け凪っ!」


 止めようとする神夜の声が聞こえ、俺の肩を誰かが掴んで後ろに引っ張る。

 だが、その時には、俺の足は――気づけば俺は立ち上がりストーカーの前に立っていたようだ――ストーカーの顎をサッカーボールを蹴るかのように蹴り上げていた。


 ストーカーの顔面が上を向く。どこか切ったのか、霧のように血が舞った。

 ふざけるな。誰が、だれの碧だ。

 碧は、碧は、俺の――

 そこで、俺の意識は一気に落ちていった。




 次に意識が覚醒したとき。

 俺は自分の部屋で横になっていた。

 目を覚ます原因となった、携帯の着信音がうるさい。


 「……ああーっ……」


 ……俺、あの時、なんて言ったんだ……?

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