進むは覇道の迷宮喰い

雨木シュウスケ/ファンタジア文庫

短編

 昔、師匠に天下を取るのに必要なものを聞いた。

「天の時、地の利、人の和だの」

「なにそれ?」

「機会を得、場所を得、そして人の協力を得た者が天下を取るってことじゃよ」

「それは、僕にもあるのかな?」

「ううん? そうだのう……というか、坊は天下を取りたいのか?」

「うん!」

「なぜじゃ?」

「だって……悔しいから」

「ああ、そうか。知ってしもうたか。まったく誰が教えたのかの」

「誰でもいいよ! そんなことより、僕はあいつらをやっつけたいんだ。それで見返してやるんだ」

「見返すために国を取るのかの?」

「うん!」

「それで多くの人が犠牲になってもいいのかの?」

「うん!」

「それは正しき人の王が進む道ではないとわかっていても、するのかの?」

「うん!」

 迷いのない返事が心地よくて、師匠は大いに笑った。

「ならばよし! じゃの。ただしここにはさっき言った三つの全てがない!」

「ええ!?」

「機会も奪われ、場所も奪われ、そもそもここにはすでに人がおらん。それでも坊は天下を取りたいかの?」

 確かに……。問いかける少年の前にいたのは髑髏どくろだった。かつて人間だったかもしれないが、この状態ではとても人間とは言えないだろう。

 だがそれでも、少年は諦めなかった。

「大丈夫だよ! だってここには……がいるんだから!」

 少年の答えに、師匠は髑髏で器用に呆れた雰囲気を作った。

 そしてその後に、大声で笑った。

「カッカッカッ……カカカカカカカカカカカッ! なるほど! なるほどの! おぬしがこれを人の和と見るならば、なるほど勝ち目はあるかもしれん」

 師匠の明るい笑い声に少年は褒められたと思って顔を赤くして喜んだ。

 そのときから、少年の夢は変わらないまま、いまに至る。


      †


 イズマタル迷宮が復活した。

 そういう噂が流れ、討伐隊が編成されるのにそう時間はかからなかった。

 迷宮は駆逐せねばならない。

 なぜならば……。

「時間凍結術式、五番から三番までの崩壊を確認」

「対抗処置進行中、状況は芳しくありません」

「有視界化した結界の向こうに迷宮の仔ラビリタスを確認。迷宮生命体ラビリンスの活性化は確実です」

「軍師、迷宮の仔の鑑定は?」

 複数の魔術技官が上げてくる報告に、将軍は軍師に尋ねた。

 軍師と呼ばれた男はグラスを幾つも重ねた眼鏡で問題の場所を見る。カシャカシャと勝手にグラスが重なったり戻ったりして軍師の視界を切り替える。

 空間に投影された術式を意図的に排除するフィルターグラスがかかり、軍師の視界で迷宮の門が鮮明に映る。

 それは古びた石造りの門であり、そして拘束を毛嫌いして暴れる野獣の顎でもあった。

 それは一見すれば無機質な建築物であり、だがその内部は悪意を放つ生物だった。

 その口から迷宮の仔と呼ばれる異形の生命体が吐き出され続ける。それらは門とその周囲に展開した時間凍結式存在固定術式によって行く手を遮られ、外へと出ることはかなわない。

 自由を阻害する怒りの爪牙が空を掻き、術式への干渉を示す火花が散る。

「ゴブリン八、鋼狼こうろう五、ジャイアント・スパイダー七……さらに増加の兆しあり。時間凍結術式が全て破壊されるまで待っていれば、迷宮の仔の数は百を超えることになるかと」

「どうする?」

「時間凍結術式をいますぐに解放するべきです」

「むう……」

 その場を任された将軍は判断を迷い、唸る。

「時間凍結術式はすでに失われた魔術だ。解放すれば、もはや再現はできない」

「ええそうです。ですから、イズマタル迷宮は今度こそ殺さねばならない。どちらにしろ術式の崩壊は時間の問題です。ならば迷宮が内部を仔で満たす前に突入部隊を差し向けるべきです」

「そう……だな」

 軍師の強い説得に将軍はついに頷く。

「時間凍結術式、三十秒後に全解放。同時に討伐隊は迷宮に突入するぞ、準備を進めろ!」


 将軍からの命令が聞こえ、その少女は体を震わせた。

 それに合わせて小麦色の髪から覗く耳が揺れる。

 人間の耳ではないし、その位置も違う。髪と同じように垂れ下がる長い耳はウサギの中でもロップと言われる種類のそれに似ている。

 獣人と呼ばれる種族だ。

「マ、マスター」

「落ち着け」

 懇願のように視線をなげかける獣人を、マスターと呼ばれた少年は冷たく突き放した。

 それでも獣人はマスターから離れようとはしない。

 まるで自分の居場所がそこにしかないかのように。

「だ、大丈夫ですよね?」

「なにも心配はいらない」

「なんだ、ここに来てぶるっちまってるのか?」

 二人の会話を聞いた戦士風の男が笑う。

「装備もしょぼいしな」

 それはマスターと呼ばれた少年も、そして獣人の少女にしてもそうだ。

 物々しい装備に身を包んだ討伐隊の面々の中では、確かに二人は軽装だ。少女の方はぞろっとした飾り気のないワンピースを着ているだけだし、少年の方も安っぽい革製の胸鎧と剣を帯びているのみだ。

 彼らが討伐隊の戦士たちから浮いているのはその若さと装備の安さだけではない。

 二人のアンバランスさも関係している。

 獣人の少女の垂れ目がちな大きな瞳に覇気はなく、おどおどとしている。可愛らしくはあるが戦いに慣れた雰囲気などない。

 対して少年の方は違う。

 逆だ。血生臭すぎた。

 目付きは鋭く隙がない。装備こそ安っぽいものの、迂闊に近づけば痛い目を見るのはこちらだと予感させるなにかがある。

 場違いな少女と異質な少年。

 その一組の正体を周囲が判じかねている間に突撃の命令が下った。

 時間凍結術式が解除され、迷宮生命体の動きを止めていた力が弾け飛ぶ。

 解放されたことで迷宮の仔たちが飛びだしてくる。

「オラ行くぞっ! 皆殺しだ!!」

「おおっ!」

 討伐隊隊長の号令に戦士たちが応え、戦いが始まる。

 鋼と見紛うばかりに硬い毛を持つ鋼狼が先んじて飛びかかってくる。

 重装の戦士たちが大楯で突撃を受け止め、反撃でとどめを刺そうとするが、振り上げた武器は突如として引っ張られ、宙に飛んだ。

 ジャイアント・スパイダーだ。高所を取った大蜘蛛たちは糸を放ち、捕らえたものを容赦なく宙に放り投げている。

 武器を取られただけならばまだ良い。中には体を掴まれ、そのまま悲鳴とともに空へと解き放たれた者もいる。

 乱れた隊列を切り分けるのはゴブリンの仕事だ。

 大人の腰ほどの背丈しかない緑肌の怪人、それがゴブリンだ。粗末な武器と鎧を纏ったゴブリンたちは小回りを利かせた動きで鋼狼に翻弄される前列の隙間を抜け、戦士たちの足を斬っていく。

 戦闘は迷宮の仔たちに翻弄される形で始まってしまった。

「くそ……やはり、迷宮の仔への経験が足りんな」

 混乱する兵士たちの様子に舌打ちする将軍だが、そんな中で目に留まる者がいた。

 門前で渋滞せぬように距離を保つ討伐隊の中で後方に控えていた少年だ。傭兵の多い討伐隊ゆえに装備の質に統一感がないのだが、その少年とそれに従う形で走る少女は戦いに相応しいとは思えない格好だった。

「なんだあの子供は」

「はっ?」

 将軍の言葉に副官がその視線を追って必死に記憶を探る。

「……ザザの街で合流した部隊にいた者たちですね」

「名前は?」

「名前ですか?」

 将軍の質問の意図が読めないまま副官はリストを引っ張り出して調べる。

「少年はマイアス、少女はヒメリアですね」

「マイアスにヒメリア……だと」

 少年と少女の名を将軍は何度も繰り返していく内、将軍の顔色が変わっていった。

「まさか……」


 背中に視線を感じながらマイアスは戦士たちの隙を抜け、門に向かって走っていた。

 その背後ではヒメリアが付いてきている。走りにくそうなワンピースだというのにマイアスとの間に差は生まれない。

 同じ距離を維持したまま、前を行くマイアスに付いている。

「マスター、どうするんですか?」

 不安げな瞳はそのままだがマイアスに続いて戦士たちの隙を抜けていく動きに迷いはない。

「決まっている。このまま奥まで行くぞ」

 そんなヒメリアの問いにマイアスも迷うことなく答え、戦闘中の前線に飛び込んでいく。

「なっ、お前らっ!?」

 後方から突如として現われた少年少女に戦士たちは戸惑うが、二人はそんなものは無視して走り抜けていく。

 その動きを邪魔しようとゴブリンたちが動く。

 そんな迷宮の仔たちに下された運命は苛烈だった。

 一閃。

 マイアスの手が腰の剣に伸びたかと思えば、瞬く間に刃は空を閃き、ゴブリンを両断する。

 斬殺したマイアスだけならばともかく、背後に従うヒメリアも速度を緩めることなくゴブリンの死体を越えていくことが、それがただの偶然でないことを示していた。

 そんな二人に向かってジャイアント・スパイダーの糸が襲いかかり、鋼狼の牙が追いすがろうとするが、その全てをマイアスの剣が断ち、あるいは見事な体術でかわしていく。

「その二人を行かせるな!」

 将軍から怒号のような命令が飛ぶが、もう遅い。

 二人の姿はすでに門を越えて迷宮へと突入しており、戦士たちは少年少女が作った隙を利用して体勢を整えるのが精々だった。


「よし、入ったな」

 マイアスは無愛想な顔を変えることなく呟いた。

「だが、まだまだ安心するには早いぞ」

 その声はマイアスの服の内側から聞こえてくると、それがいきなりするりと現われた。

 それは、青い炎に包まれた髑髏だった。

「師匠」

 マイアスが髑髏をそう呼ぶ。

「坊よ。迷宮生命体の攻略はここからが正念場じゃよ」

「ええ、そうなんですか?」

 師匠の言葉にヒメリアが嫌そうに声を上げる。

「当たり前じゃろう? ほれ見よ」

「え? ……ひゃあっ!」

 師匠に促されて迷宮の奥を見たヒメリアが悲鳴を上げた。

 門前の戦いなど相手にならない数の迷宮の仔がそこから殺到してきているのだ。

 いままで封じられていた圧から逃れるように門へ向けて迷宮の仔たちが殺到している。

「マスター、こんなの本当に辿り着けるんですか?」

 殺気を通路一杯に満たして迫ってくる骸骨兵の群を見て、ヒメリアはそんなことを言う。

 空っぽのはずの眼窩がんかの奥で赤い光が灯り、それが薄暗がりの通路の中で夜を舞う光虫のように揺れ動き、そして波濤はとうのように迫ってくる。

「心配するな」

 迷うことなく骸骨兵へと向かって剣を振りながらマイアスは答える。

「すでに経験済だ」

「そ、そうかもしれませんけど」

「うむ、この程度でへこたれるような修行はさせておらんからな」

 師匠が我がことのように誇らしげに頷く。

「坊はわしが育てたからの」

「ええ……」

 それでもおどおどし続けるヒメリアにマイアスは呆れた。

「……まったくなんでお前はそんなに臆病なんだ」

「だ、だってしょうがないじゃないですか、怖いんですから!」

「心配するな、お前の方が怖いから」

「そ、そんなことないです!」

「ほれっ、いい加減にせんか、来たぞ」

 呆れる師匠の言葉でマイアスは剣を抜いて骸骨兵の群に向かっていった。

 マイアスの放つ一閃が骸骨兵をまとめて薙ぎ払う。

「剣の担当はわしではないが、まぁ……よく育ったものよのう」

 骸骨兵の攻撃をものともせず、むしろマイアスの剣撃は迷宮の仔たちが持つ武器さえも両断して破壊していく。

 その師匠の言葉が気になってヒメリアは首を傾げた。

「それなら、お師匠さんはなにを教えたんですか?」

 足下に転がった骸骨兵の頭から逃げ、ヒメリアは尋ねた。そのとき、二つの骸骨の違いについて思いを馳せたことは黙っておく。

「色々じゃ。一般教養に政治学に軍学。為政者となるために必要なあれやそれじゃ」

「戦いでは役に立たないんですね」

「ばっ! バカにするではないわ! 兵法というものだってある。多対一での戦いの肝要というものもここにはあるのじゃ。たとえば地形を利用して数の差をなんとかする方法じゃな」

「でも、ここでそれは意味ないですよね?」

 隠れることのできない、しかも広い一本道でマイアスは骸骨兵の群を悠々と押し返している。

 その技倆ぎりょうと破壊力は凄まじいが、しかしそこに立ち回りによって優位を維持する兵法が生きているかというと疑問だ。

「…………」

 さすがにそれがわかって髑髏も黙る。

「あの……」

「やかましいわしが育てたんじゃいっ!」

「ひゃあっ!」

 いきなり大声を上げた師匠に、ヒメリアはびっくりするのだった。


 背後でそんなやりとりがされていることに気付きながらも、マイアスは無視し、戦い続ける。

 その手に握った剣は一つも刃こぼれを起こしていない。

 一見すればそこらで安売りされていそうな長剣であり、名のある鍛冶師がよく観察してもやはり弟子が練習で打った剣の方がマシだと言うぐらいに普通の……いやもしかしたらもっと質の悪い長剣なのだが、それを握ったマイアスが起こしていることは、どんな達人が見ても目を疑いそうな事象の連続だった。

 斬り倒した骸骨兵の数は数十に及ぶ。それだけの数を倒せば、どんな達人でも、そしてどんな名剣でも刃こぼれを起こすだろうが、マイアスの持つ剣にはそれが起きていない。

 では、その長剣が実は世に知れた神剣、魔剣の類なのかと言えば、そんなことは決してない。

 瞠目すべきは、そんな剣で超絶の戦いをするマイアスという少年の技倆にあろう。

「ヒメリア、どっちだ?」

「ええと、こっちです。……たぶん」

「たぶんを付けるな。不安になる」

「うう……そんなこと言っても……」

「それがわからないなら連れてきた意味がないな。……戻すぞ」

「や、やめてください~」

「なら、どうなんだ?」

「うう……それっぽい匂いがこっちでしてますから、こっちです」

 泣きそうな顔になるもののヒメリアが意見を翻すことはなかった。なので分かれ道は彼女の示した方向に進む。

 骸骨兵の群を突破しても、迷宮の仔の出現は止まらない。重武装のオークたちが通路を満たし、槍を構えて行く手を阻む。

「わずらわしい!」

 吐き捨てると、マイアスは壁を蹴って槍衾やりぶすまを抜け、オークの隊列を中から切り崩す。

 瞬く間に全滅の憂き目にあったオークたちだが、新手が救援に現われたことで少しばかり持ち直すことになる。

 その中に蔓のようなものでできた球状のものを頭の代わりにしたような存在がいた。

「マインド・レイダーじゃっ!」

 蔓頭を見た瞬間、髑髏の師匠が叫んだ。

「あやつ精神攻撃を使う、気をつけよ!」

 しかしもはや、遅かった。

 ボロ布の下から覗く枯れ枝のような手が振るわれ、人の精神を喰らう不可視の牙が放たれる。

「ぐっ!」

 さすがのマイアスも避けきれずに精神を暴かれる不快感に呻いた。

 動きが鈍ったマイアスにオークの槍が襲う。さらにその後から現われた別のモノたちがのしかかりマイアスの姿は圧倒的物量の前に消えていくしかなかった。

 迷宮の仔の前では、さしもの超絶の剣技を持つ少年の運命もお終いになってしまうのか。


     †


 そんな無数の怪物たち迷宮の仔を生む存在、迷宮生命体とはなんなのか?

 その真実の一端が、将軍たち討伐隊の前で形をなそうとしていた。

「顕現化が始まります!」

 観測を続ける魔術技官の報告に将軍は舌打ちする。

「申しわけありません」

 迷宮内部への突入に失敗したことに軍師は責任を感じているようだった。

「かまわん。お前の言う通り早いか遅いかの違いだけだ。それより、こうなってはこいつを外から破壊するしかないぞ」

「わかっています。魔術技官たちに拘束と解体を行わせます。討伐隊は迷宮の仔への対処を続けてください」

「それしかあるまいが、早めに頼むぞ」

 そう言って、将軍は立ち上がろうとする迷宮生命体を見た。

 それは当初、時間の流れに置き忘れられた石の門に過ぎなかった。

 だがいまは、違う。

 石の門はその古びた石材をばらして繋ぎ直して巨大な円を作り、そこから迷宮の仔を次々と吐き出している。

 石の円は宙に浮き、その周辺に魔術式に似た光の線を描き、自らの新たな形を作ろうとしている。

 あるいは元へと戻ろうとしている。

 光の線が引かれた場所にレンガに似た色の石が現われ積み重なっていき、なにかを作る。

 その姿は不格好な城壁のようであり、そして人の形のようでもあった。

 だが、城壁に手足は必要ない。中央にそびえる塔が顔のように見えるはずもない。

 しかし、ここに現われたものはそうとしか見えない。

 城の部位によって構成された人体。

 そのようなものがいま、ここでできあがりつつあった。

 これを人間が再現しようとすれば、形だけは似たものができあがるかもしれない。

 魔術技官たちの手による無機物の兵隊たちゴーレムなどはこれに近いだろう。

 だが、迷宮生命体と魔術による駆動物は本質的に違う存在だ。

 迷宮生命体は生きている。

 人やその他、この世界に大多数存在する動物や昆虫とは違う理屈、違う理、違う法則によって存在する生命……それが迷宮生命体というものだ。

 それらはまるで、この世界に紛れ込んだ……あるいは食い込んだもう一つの世界だと言わんばかりに迷宮の仔と呼ばれる怪物たちを生みだし、世界に解き放つ。

 この世界を自らのはらの内と同じにせんとばかりに。

「そうはさせるか」

 将軍は噛みしめた歯の内からその言葉を漏らす。

 いまなお生み出される迷宮の仔たちに討伐隊が立ち向かう。すでに最初の混乱から立ち直り、組織的に対処することに成功している。

 そして、そんな討伐隊に守られた魔術技官たちが迷宮生命体に対処すべく、魔術式を宙に幾重にも描く。

 同じ図形が幾つも描き出され、そこから生まれた鎖が立ち上がろうとしていた迷宮生命体の四肢を束縛し、地面に縛り付ける。

 周囲にあった木々が倒れ、土煙が立ちのぼる。

 そんな自然の現象をものともせず、魔術式はその存在を主張するかのように迷宮生命体の周辺を囲い、その体を形成しようとしている光の線を阻害し、逆に喰らい尽くそうとする。

「……これで後は、解体が終わるのを待つだけですね」

 事がうまく進んだことに軍師がほっと息を吐く。

「その時間がどれだけかかるか、だがな」

 将軍はまだ油断していないことを口にし、軍師の弛緩をそれとなく注意した。

 だがしかし、将軍も軍師も迷宮生命体と戦うのはこれが初めてではない。ここまで型に嵌めれば勝利が待っているというところまで持ち込んだ自信が、軍師にはあった。

 だからふと、序盤に起きたことを思い出した。

 迷宮の仔たちに先手を取られて混乱した討伐隊を、少年たちの行為が立て直した。

 そのまま迷宮の中に飛び込んでいったのは無謀でしかないが、見た感じ腕が立つ様子でもあったし、あるいはもしかしたら……。

「……そういえば、中に入り込んだあの少年たち、彼らがうまく本体に到達することができれば、もっと早く戦いが終わるのですが」

 そんなことはありえないだろうと思いつつも軍師はそんなことを言ってしまう。

 それぐらい、なにかを感じさせる少年だった。

「いいや、奴にはあの中で死んでもらわなければならぬ」

 思わぬ言葉が将軍の口から零れ出た。

「将軍?」

 軍師が訝しむ。半ば以上、冗談だったその言葉にそこまで真剣な返答がくるとは思っていなかった。

「もしや、ご存じの者だったのですか?」

「……で、なければ良いのだがな」

 そう言いながらも将軍の顔からは険しさが消えることはない。

 それは眼前に聳える脅威に対して油断していないから……だけではないだろう。

 迷宮生命体の胎の奥へと消えた少年がまさか本当に生きて戻ってくることがあると、それを案じているかのように軍師には見えた。

「あんな子供が迷宮の奥から戻ってくるなど、あってはならんことなのだ」

 その言葉の意味を判じかね、軍師はそれ以上、その部分に踏み込むことをやめた。

 いまはただ、眼前の脅威に対抗する手段を考えるだけだ。


     †


 赤ん坊の泣き声が聞こえる。

 やめろと、マイアスは強く念じた。

 これはマインド・レイダーによる精神攻撃だ。

 そんなものにかまうな、眼前の脅威に対処しろ。

 そもそも、お前がその泣き声を覚えているはずがないのだ。

 マイアスは強く自らに念じる。

 なぜならば……。

「本当に、入れてしまうのですか?」

「仕方あるまい。それが命令だ」

「しかし、この赤子は……」

「やめよ。すでに決まったことだ。なにより、ここがどこか貴様は知っているのだろう」

「はっ、はい……」

 ゴツゴツとした篭手の感触が柔布越しに体に伝わる。

 自身の小ささ、思い通りにならぬ体の感覚にもどかしさが爆発してしまいそうだ。

 そして全身を震わせるこの泣き声。

 泣くことでしか己の存在を主張できない弱々しい存在。

 赤ん坊とはすなわちマイアス自身だ。

 これは覚えているはずのないマイアスの記憶だ。

 あるいは引き出せるはずもないほど深くに存在する赤ん坊の記憶を、マインド・レイダーは掘り出しているというのか。

「ハリティアーナの迷宮。※※専用の牢獄だ」

「牢獄などと……ここに入ってしまえば」

「出られぬ、だろうな。いや、出てはならんのだ」

「しかし、それではあまりに」

「貴様、※※の命令が聞けぬというのか?」

「そのようなことは」

「では、命令のままにせよ。我らにできるのはそれだけだ」

「……は」

 逃れられぬ言葉によって赤ん坊のマイアスが運ばれていく。

 鎖状結界を抜け、奥の見えぬ洞窟の前に設置された台座の上に赤ん坊のマイアスは置かれた。

 男が去っていく。

 待て、と言いたかった。

 置いていくなと。

 だが、そんなことを赤ん坊は口にできない。ただ、なにもわからずに台座の冷たさと堅さを嫌って泣くだけだ。

「すまない」

 か細い声でそう言われ、鎧姿の男が鎖状結界の外へと出る。

 その足取りは、まるでなにかから逃げるかのようだ。

 赤ん坊を置いていく後ろめたさからか?

 違う。

 恐怖が洞窟の奥からやって来るからだ。

 生ぬるい風が吹いた。洞窟の奥から。それは声とともに。声に押し出されるように。内臓の奥から空気が逆流してくるかのように。

 不快な臭気を伴った風は、恐怖をそこに運んできた。

「そそそそそそそそそそそ、それはそれはそれはそれは赤ちゃんあかちゃんアカチャン赤ちゃああああああああああああん!!」

 引き裂くような高音の叫びとともに現われたのは乾ききった死体だった。光に透かせばほんのわずかに金の名残を見せる白の髪、水分を失って萎みきり、黒く淀んだ色を浮かせた肌。

 そんな主人にはまるで不釣り合いな、輝くばかりの刺繍が施された絹のドレス。

 それは洞窟の奥から狂喜を迸らせながら宙を滑ってやって来た。

 吐き出される言葉に偽りはなく、台座に置かれた赤ん坊のために。

 洞窟を抜ける。

 が、その瞬間、鎖状結界が発動する。

 入り口周辺に敷き詰められた鎖状結界は全て、その乾燥した貴婦人に向かい、その動きを縛った。

 赤ん坊に届くか届かぬか、その寸前で貴婦人の手が止まる。

「赤ちゃん! わたしの、赤ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 切なげにさえ感じられる声が赤ん坊を求める。指先が震える。限界まで引かれた鎖は魔術式の光を散らして貴婦人を縛る。

「そうだハリティアーナ。それは今日からお前の赤ん坊だ」

 マイアスを運んだのとは別の男が、貴婦人にそう言った。

「くれてやる。だから決して、そこから出すな」

「赤ちゃん!」

 男がなにかを合図すると台座が魔術式で光り、ほんのわずか、貴婦人に近づいた。

 その手がついに赤ん坊を掴んだ。

 まさしく骨張った手だが、そして煮えたぎる執着に押し出された指だが、赤ん坊を掴む動きそのものは優しかった。

 だが、即座に胸にかき抱くその動きは、もう二度と、絶対に、離すものかという強烈な思念が迸っていた。

「決して、洞窟から、出すな」

 そして、男もまた毒を吐くように念を押す。

「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ…………」

 そんな男の言葉など聞いていないのだろう。

 胸にかき抱いた赤ん坊の感触に酔いしれながら、貴婦人は結界の鎖によって洞窟内部に引き戻される。

 目的の物を手に入れた以上、それに逆らう必要などないと洞窟の闇へと吸いこまれていく。


 ああ、母よ。

 あなたの狂おしい愛をおれは忘れることはないだろう。


「だからさ、この程度!」

 マインド・レイダーの精神侵蝕を噛み破り、マイアスは現実を目に捉える。

 長い過去視だったような気がしたが、実際は時間はほとんど過ぎていなかった。

 だが、その停止の間に無数の槍が頭上から振り下ろされようとしている。少し遅ければ全身の骨を砕かれるか、頭蓋が割れていただろう。

 その運命が下される前にマイアスはさらに身を低くし、オークたちの足の間を抜ける。降り注いだ槍の後に他の怪物たちが襲いかかっているが、それらは全て無駄足となった。

 そして、マイアスはマインド・レイダーの前へと滑り出る。

「止まっているわけにはいかないんだよ!」

「っ!」

 突然のことに驚いているようだが、残念ながらマイアスはマインド・レイダーの表情を理解することはできない。

 再び精神侵蝕の牙が襲いかかってきたが、今度はわずかも惑わされることはない。マイアスの剣は止まらずマインド・レイダーを斜めにたたき斬った。

 顔をなしていた蔓が解け、体を覆っていたボロ布が力なく地面に落ちる。まるでそこにはなにもなかったかのような死に様だ。

「マスター……」

 残心のまま息を吐いていると、背後からヒメリアが駆けてくる。

 振りかえればそこにいたはずのオークや他の迷宮の仔たちの姿はなく、やや現実感の欠けた雰囲気を持つヒメリアが情けない顔で近寄ってくるだけだ。

 ただ、こちらに辿り着くまでヒメリアは口元を隠すような格好をしていた。

 それがどういう意味を持つのか、マイアスはわかっている。

「どうだ?」

「う、うん。大丈夫。できました」

 自信なさげに頷くヒメリアだが、その結果はオークたちの消失という形で表われている。

「それより……大丈夫なんですか?」

「なにが?」

「だって、マスター、苦しそうだったから心配で……」

 視線を避けて少しうな垂れたヒメリアの頭にマイアスは手を伸ばした。

「マスター……」

 頭を撫でられると思ったヒメリアがうれしそうに見上げてくる。

 だが、その手は彼女の頭に置かれたまま動かなかった。

「誰が、心配しろと言った?」

「え?」

 ギリギリ……と指に力を込める。

「い、痛い痛い痛い!」

「調子に乗るなよ、お前は目的を果たすための道具だ。おれの役に立つことだけを考えればいいんだよ。わかったか?」

「……わ、わかりましたぁ」

 涙目でヒメリアが何度も頷いたのを確認して解放する。

 頭を押さえてその場に座り込むヒメリアをしばらく眺め、マイアスは「ふん」と視線を前に戻しつつ、それを彼女に放り投げた。

「わわっ……」

 ヒメリアが慌てて受け止める。なにかが入った紙包みだった。

「マスター?」

「口直しだ」

 言われて紙を開いてみると、そこには細長い焼き菓子が入っていた。

「え?」

「いらないのか?」

「い、いります!」

 慌てて一口齧る。見た目よりも柔らかいそれは口の中でほろほろと崩れ、バターと干しブドウが練り合わさった塩味を帯びた甘さが口の中で広がっていく。

 思わぬ幸せの味にヒメリアは全身を震わせて喜びを表現した。本来なら垂れて動かない耳が上下に動くぐらいの歓喜が走ったのだった。

「こ、これ、どうしたんですか!?」

「……街で買ったに決まってるだろう」

「…………」

「なんだ!?」

「貧乏なマスターがあたしのためにお菓子を?」

「……黙れ、ただの携帯食だ」

 そんなわけがないのはヒメリアにだってわかる。

 世間に疎いヒメリアだが、彼女のマスターであるマイアスもとある事情で負けず劣らずの世間知らずなのだ。

 そのためにお金にはとても苦労している。

 そんなマイアスがヒメリアのためにお菓子を買ってくれていただなんて。

「へへへ……」

 なんだかうれしくて、また耳が動いた。

 そんなヒメリアからマイアスは苛立たしげな顔で目を離している。

 それでも、彼女がそれを味わって食べるのを止めたりはしなかった。


 うれしげにお菓子を食べるヒメリアを見て、マイアスも内心では満更でもない。

 だが、それを顔に出すのがなぜかためらわれてしまう。

 どうしてだろうか?

 昔はもっと素直に笑ったり喜んだりできたはずなのに。

 ……いや、他の者を相手にすればもう少しうまくできるのだ。実際、街であれこれ情報収集をしたりこのお菓子を買ったりしたときだってヒメリアを相手にするよりはマシな対応をした自信がある。

 それなのに、なぜ?

(うーむ)

 自分でもよくわからない。

 ヒメリアと出会ったのは旅を始めてすぐのことだった。

 とある理由で動けなくなっていた彼女を、マイアスは自分の仲間として迎え入れた。

 そのときからマイアスはヒメリアに「マスター」と呼ばれるようになった。

 彼女と出会ったとき、この世には自分の知らない苦しみが存在することを知った。

 それはマイアスにとってとても重要なことだった。

 だからこそ、彼女には自分の名前の半分を与えて「ヒメリア」と名付けたのだから。

「……使命感故にあいつには厳しくしてしまうということか」

「そういうことではないと思うがの?」

 なんとか納得のいく答えを見つけたと思ったのに、側にいた師匠に呆れられてしまった。

「なんだ、師匠?」

「なんでもないわい」

 髑髏の師匠がため息を吐く理由がわからず、マイアスは首を捻るのだった。


 奥へ進めば進むほど、迷宮の仔の強さは増していく。

 しかしそれでマイアスの剣が鈍ることはなく、むしろ一層に冴え渡っていくほどだった。なまくらにしか見えない剣は次々と迷宮の仔を屠っていき……。

 そしてついに、深奥へと辿り着く。

 そこに在る扉には記憶を刺激する紋様が描かれていて、マイアスは顔をしかめた。

 あるいはこれは迷宮生命体というものに存在する共通点なのだろう。将軍たちが戦っている外側が肉体だとすれば、迷宮内部は臓腑と考えることもできる。迷宮生命体が人間と同じようにできているとは考えにくいが、しかし同種同士ならば似通うところはあるのだろう。

 その扉の奥にあるのは人に例えれば心臓か脳か、あるいはその両方か。

 扉はなんの抵抗もなく開き、深奥にまで辿り着いた二人を招き入れた。

「何者か?」

 そう尋ねた声はよく通る涼やかさを備えていた。

 扉の向こうにある空間は広く、太い柱が幾本も並んで天井を支えているが、それ以外は特になにもなかった。

 その広間のほぼ中央にそれは立っている。

 こんななにもない空間でそれは一体、なにを考え続けていたのか?

 マイアスの知る母のことを思うと信じられない光景だ。

 その女は白い独特な衣装を着ていた。前で合わせる形の服であり、袖が異様に膨らみ垂れ下がっている。赤い紐が袖や各所に縫い込まれ、その白さを際立たせていた。

 黒い髪は広間の光を艶やかに照り返し、長い睫は瞳に憂鬱げな影を落とす。

 夢にも見られないような神秘的な美女がそこにいる。

 ただし、上半身のみ。

 下半身は蛇だ。

「答えよ、何者か?」

「お前をもらいに来た」

 マイアスは剣を手にしたまま言い放つ。

「ハリティアーナの庇護の下、マイアス・グラッカランが宣言する。我は汝を喰らう者なり」

「世迷い言を」

 マイアスの言葉を女……迷宮生命体イズマタルは笑った。

「あのハリティアーナが迷宮に取り込んだ者を逃がすはずもない」

「なら、おれの言葉が妄言かどうか、試してみるんだな」

「愚か」

 イズマタルは静かに呟く。

 その瞬間、マイアスはイズマタルのとぐろがほどけていることに気付いた。

 咄嗟にしゃがむのと背後から強風が駆け抜けたのはほぼ同時だった。

 蛇の尻尾が先端を立てて突きを放ったのだ。

 先端はすぐに戻っていく。マイアスは即座にそこから跳びのいたのだが、後一歩遅ければ尻尾の連続突きによって肉体は穴だらけにされていただろう。

 それを証明するように石畳の床が爆砕した。

「愚か」

 再び聞こえるその声と次なる気配の察知は同時だった。振り向き様に放った一閃は、なんとすぐ側に迫っていたイズマタルの手によって掴まれた。

「なんと」

 その結果に驚いたのはイズマタルの方だった。

 見れば、剣を掴んだ手から血が零れている。

「我が身を裂くか。その剣、ただの鉄ではないな」

「さてな」

「ふふ、興味が湧いたぞ」

「っ!」

 咄嗟の判断で剣から手を離し、その場から退避する。

 やはり今度も尻尾の突きを寸前で避けることに成功した。

「ハリティアーナの愛し子を食べるのは面白かろう。その肉は喰らい、血は啜り、脳は丹念に舐め溶かしてやろう。それで本当にあの凶母の愛し子かどうかわかるというもの」

「……勘違いするな。お前を喰らうのはおれの方だ」

「ふふ、どうやって?」

「どうやって?」

 その問いにマイアスはむっつりとしていた顔を動かした。

 まさしくそれは『にやり』と呼ぶに相応しい表情だ。

「なに?」

 その瞬間、いままで微動だにしなかったイズマタルの表情が険しく歪んだ。

「気付いたか?」

 涼やかだったイズマタルからそれは剥がれ落ち、いま浮かんでいるのは間違いようのない焦りだ。

 その視線はマイアスから離れ、なにかを探すように目まぐるしく広場を巡る。

「貴様……」

 そしてついに、それを見つけた。

「あっ……」

 視線が合ってしまったヒメリアが気まずげな声を漏らす。その声とともに彼女の小さな口から白いカスのようなものが零れ落ちる。

 そしてすぐ近くには、彼女の頭と同じ高さの部分が大きく抉れている柱の姿があった。

「……なにをしている?」

「…………」

 怒りに肩を震わせるイズマタルに対し、ヒメリアは慌てた様子ながら口元を隠して頬を動かす。

 いまにももぐもぐという音が聞こえてきそうなその様子に、イズマタルの黒い髪が逆立った。

「なにをしている!?」

「おれが喰らうと言ったが、おれの口で喰らうとは言っていないからな」

 いまにもヒメリアに飛びかかりそうな迷宮生命体にマイアスは笑いかけた。

「貴様……そういうことか」

 どうやらイズマタルはマイアスの言葉を理解したらしい。

「なんと、恐ろしい真似を」

「恐ろしい? なにが?」

 イズマタルの言葉が理解できない。

「なにが恐ろしい? 己の世界を無秩序に吐き出すお前ら迷宮生命体がなにを恐ろしいと言う? たかがお前らを喰らうぐらいのことで?」

「人間であろうが」

「ああそうだ。やることを見つけた人間だ」

 迷宮を出て、国を手に入れる。

 それがマイアスの目的だ。

 そのためには凶母の愛が邪魔だった。

 ハリティアーナの迷宮から脱出するためには、どうしても彼女をなんとかしなければならなかった。

 たとえそれによって捨て子の自分を育ててくれた恩を仇で返すことになろうとも。

 そのための方法が……。

「喰らうな!」

 こんなことをしている間にもヒメリアは次々と柱を齧っていく。小さな口からは信じられないような速度で柱が天井と床との繋がりを失い、その役割を果たせない姿へと変えさせられている。

 それを止めようとイズマタルは蛇体を跳ねるようにしてヒメリアに飛びかかろうとした。

 だが、できなかった。

「行かせるか」

 飛びかかろうとした勢いは思わぬ制止がかかり、自らの力で蛇体が引きちぎれるような痛みを味わうこととなった。

 その原因は蛇体に突き刺さった剣にあった。

 剣は蛇体ごと床に深く突き刺さり、イズマタルをその場に針止めしている。

 だが、奪われたはずの剣はいまだ彼女の手にあった。

 ならばこの剣は、どこから?

「貴様っ、やはりか……」

 イズマタルが確信と怒りを込めた目でマイアスを見る。

迷宮生命体われらを喰ったな!」

「だから、最初にそう言った」

 答えたマイアスの手には新たな剣が握られている。

 見たままの安物の剣、どんな腕のいい鍛冶師が見てもその評価が変わることはないだろう。

 だが、こう付け加える者がいるかもしれない。

「これは、本当に人間の作った物なのか?」と。

 さらなる剣がイズマタルの左手を柱に縫い付ける。

 再び無手となったマイアスだが、次なる剣はすぐに現われる。

 彼の背後で紫の渦のようなものが現われたかと思うや、そこから現われた手が剣の柄を差し出す。

 それを掴んで引き出せば、新たな剣となった。

「ハリティアーナ!」

 紫の渦……迷宮生命体の門から現われた手を見てイズマタルが叫ぶ。だが、渦から現われた手はイズマタルの声に応えることはない。

 むしろ、マイアスが剣を掴んだとき、そっと彼の手を撫でる様は愛しげでさえあった。

 それを見て愕然とするイズマタルの右手もまたその剣で柱に縫い留められる。

 痛みに悲鳴を上げたイズマタルは、すぐさまそれを呑み込み睨み付ける。マイアスの手には新たな剣が握られ、彼を叩き潰さんとする蛇体を避け、剣で縫い付ける作業に移っている。

「凶母の愛を、喰ろうて一つにすることで逃れたか!」

 縫い付けられた剣が抜けることは決してなかった。ただ刺さっているわけではない。貫通した部分は肉や床と同一化しているかのような不可解な抵抗感がある。

 この剣はただの剣ではない。迷宮生命体が生み出す迷宮の仔であり、そして迷宮生命体を捕縛するための特殊な武器ということになるのか。

 迷宮生命体を喰らう者。

「そんな者……聞いたことがない」

「あろうがなかろうが関係ない。おれがそうだ」

 最後の剣が尻尾の先を刺し、イズマタルの動きは完全に封じられた。

「ヒメリア」

「はっ、ふぁい!」

 マイアスがウサミミの獣人を呼び寄せる。その口からいまだに柱のカスを零す姿ははしたないが、それを見てイズマタルは理解した。

 ヒメリアが柱を喰らったことでマイアスの中にある迷宮にその材質が送られているのだとしたら、すでにこの迷宮はマイアスとの同一化が始まっているということになる。

 イズマタルを縫い留めた剣が、この迷宮の素材を利用しているのだとしたら?

「我の素材を使って我を縛るか」

 では、このヒメリアという獣人の少女はなんだ?

 迷宮を喰らう口を持つ少女、喰らった迷宮を利用する少年。

 運命共同体以上の繋がりが存在するこの二人は、何者なんだ?

「貴様らは……なんだ?」

 そんなイズマタルの疑問にヒメリアは相変わらず口元を隠したまま一度、小首を傾げるとにこりと微笑んだ。

「きっと、一つになればわかりますよ」

 少女が無邪気な笑みでそう告げると、ヒメリアは迷宮生命体の脳や心臓である人身蛇体の女性に近づいた。

 片手で隠していた口がイズマタルの視界に晒される。


 それは……そこに広がるそれは……はたしてそれは…………なんなのか?


     †


 将軍たちの見守る中、魔術式による解体は順調に進んでいる。

 城壁の巨人という姿を取ろうとする迷宮生命体と、それを防ぎその存在を解こうとする魔術技官による静かなる戦い。

 それを邪魔しようと迷宮の仔が生みだし続けられ、それを討伐隊の戦士たちが迎え撃つ。

「まだか?」

「さて……いままで通りであれば、そろそろ拮抗が崩れる頃だと思われるのですが」

 将軍の問いに軍師は顎を撫でて答える。戦闘が始まった頃とは手触りが違う。無精髭が伸びたのだ。

「そろそろ、討伐隊の疲弊が限界になるぞ。そうなれば……」

「撤退しかありませんな」

「その余裕が残っていればいいがな」

 迷宮の仔が自由になれば魔術技官が解体に集中できなくなる。

 となれば勢いの天秤は迷宮生命体に傾き、それを押し戻す余力がこちらに残ることはないだろう。

 撤退の可能性を危ぶんでいたそのときだ。

 迷宮生命体が突如として抵抗をやめた。

 迷宮の仔の出現までもが止まった。

 だけでなく、すでに出現し討伐隊を相手にしていたものたちまでが動きを止め、そして突然に姿を消した。

 光の粒となって形を崩し、そして石で作られた穴の中へと吸い込まれていった。

「なにが……」

 見たことのない現象に将軍も思わず足を止めた。

 次なる変化もすぐに訪れた。

 周辺の空気が軋んだかのような音が響いたかと思うと、迷宮生命体が形作っていた城壁の巨人が突如として崩れ、それを描いていた光の線が再び現われたかと思うやさらなる速さで別の姿を描いた。

 それは人身蛇体の女性の姿だった。

 長い髪を振り乱すかのように上半身を仰け反らせたその姿は、絶命の様子を克明に模写したかのようであり、そして断末魔の悲鳴のような高い音が一際長く放たれたかと思うと、その姿もかき消えてしまった。

 後に残されたのは、当初存在していた石の門のみ。

 いや、そこに一組の少年少女の姿があった。

 粗末な革の胸鎧を着けた目付きの鋭い少年と、場違いな気弱さを隠そうともしない少女。

「ぬう……」

 将軍は少年の姿を見ていた。

 少年は髪もまともに整えていないような惨めな姿だが、そこに存在する特徴が将軍を戦慄させる。

「マイメリアス……」

 思わず口に出た言葉を将軍は慌てて呑み込んだ。

 それは口にしてはならない名前だ。

 少年がその名前を持つ者であるはずがない。あってはならない。

 ただの思い込みだ。

 だが、そうであったならばどうする?

 リストにあった二つの名前が合わさると禁忌の名前が現われ出でる。それがどうにも将軍に嫌な予感を抱かせる。

 たとえ違っていたとしても、そんな偶然を持ち合わせてしまっているのが悪いのだ。

 そう決め付けて。

 だから、将軍は叫ぶのだ。

「あの子供二人を迷宮生命体に準ずる危険因子と断定する。排除せよ!」

 突然の状況の変化に全員が戸惑う。

 迷宮生命体は倒れた。

 それなのに子供を殺せと?

 そんな中で、誰よりも早く戸惑いから脱したのはすぐ近くで少年少女……マイアスとヒメリアを見ていた討伐隊の戦士たちだった。

 わけがわからないながらも、敵と言われれば殺す。

 すでに千変万化の迷宮の仔を相手にした後なのだ。子供に擬態した怪物がいたとしてもおかしくはないと、武器を手に襲いかかる。

 その殺意は本物だ。


 それを涼しげに受け止め、マイアスは肩をすくめた。

「やれやれ、おれを知っている奴がいるみたいだな」

「ど、どうするんですか?」

 迫り来る戦士たちを前にヒメリアがおどおどとマイアスを見上げる。

「どうするかだって?」

 その質問にマイアスは鼻を鳴らした。

「決まってる……こっちの準備はまだ終わってない。終わっていない内は秘密でいたいからな」

 そう言ったマイアスは左手を上げる。

 それに合わせて彼の背後では紫の渦が発生する。

「皆殺しだ」

 冷たい宣言とともに紫の渦からそれらは現われる。

 迷宮の仔たちが。

 ゴブリンやオークが部隊をなし、ハルバードを構えたオーガの武将が遠吠えを上げる。三つ首のケルベロスが炎を吐き、マインド・レイダーが悪夢を撒く。

 討伐隊の戦士たちが、さきほどまで善戦を続けていた戦士たちが瞬く間に薙ぎ払われた。

 突然の敗北に部隊は混乱する。

 将軍の命令を無視して逃げる足を止めなかった者はグリフォンの群が追いかけ、身を隠そうとする者はウェアウルフが見つけ出す。

 強く抗う者たちはデュラハンの大剣が迎え撃ち、魔術技官の攻撃魔術をレイスたちが結界で阻む。

 将軍は自らの軍が瞬く間に切り崩されていく様を見せつけられることとなった。

 そうしてついに軍師が目の前で斬られた。

「将軍、お逃げ……」

「いや、逃げられては困るんだよ。誰もな」

 斬り捨てた軍師を踏み越え、マイアスは将軍の前に立った。

「お前が誰かは知らんが、おれを知っているな?」

「……やはりそうか。忌み子め」

 吐き捨てられた言葉にマイアスは片眉を跳ねさせた。

「そいつの言葉の意味を知りたいんだが、喋る気はあるか?」

「あるわけないだろう。忌み子めが、貴様は人の胎を利用して生まれた悪魔だ。貴様に死ぬ以外の幸福などありはしない。あの迷宮牢でハリティアーナに養われるのが最大の慈悲であったというのに、貴様はそれを拒んだのだ!」

「……拒んじゃいない」

「なに?」

 怪訝な将軍の前で、マイアスの背後で紫の渦が湧いた。そこから二本の腕が現われ彼の首に巻き付く。

 そして肩から上も現われる。

「はぁ……マイアス」

 陶酔した顔で頬をすり寄せるのは金色の髪の女性だ。もはや乾燥したミイラではない。瑞々しい肉と肌を取り戻した麗しの美女がそこにいて、マイアスを愛しげに見つめている。

「まさか……ハリティアーナなのか?」

 信じられないと将軍はその女性を見つめる。

「母の愛は常にここにある」

「まさか迷宮を……取り込んだの、か。やはり、貴様は忌み子だ! 貴様などに生きる場所などどこにもない! この国にも、この世界にも……どこにもだ!」

 そんな将軍の態度に、マイアスの首に腕を回すハリティアーナが笑う。

「ほらっ、人はそんな冷たいことを言う。帰りましょうマイアス。この温かい迷宮に」

「そういうわけにはいかないから出てきたんだろう。母上」

「あん」

 ハリティアーナの手を払い、拗ねる彼女を渦の中に消した。

「この世界に生きる場所がない? この国にはない? 貴様は将軍だ。ならやはり、おれの本当の両親はこの国の王族か、それに近い地位にいる貴族ということだな?」

「…………」

 その沈黙がマイアスの予測が当たっていることを証明していた。

 やはりそうなのかと、口の中でのみ言葉を形にする。

 それを怒りで噛み潰した。

「この国がおれを拒むなら、おれの国に作り替えてやるだけだ。世界が拒むなら、世界さえもだ」

「忌み子めが!」

 マイアスが剣を振り上げるのを見ても、将軍はそう吐き捨てるのみだった。

「だから死ね」

 剣を振り下ろした。


「やれやれ疲れたな。師匠、最初の挑戦としては、どうかな?」

「まぁ、上々ではないかの?」

 マイアスの問いに髑髏の師匠はふらふらと宙を漂いながら答えた。

 戦場となった場所から離れ、夜の街道を進む。師匠を包む青い炎はちょうどよい明りとなっていた。

「そうか?」

「だが、こんなにうまく迷宮生命体と遭遇できることは少ないと思うた方がよいぞ。奴らは各所に封印されておるし、都合よく封印が弱まるとも思えん。それに坊の考える『人の和を超える迷宮の仔の和』をなすにはまだまだ力は足りんからな」

「なら、どうする?」

「しばらくは街に潜伏して情報を集めるしかなかろうな」

「ふむ……そうだな」

「ええ、街ですか?」

 その提案にヒメリアが嫌な顔をした。

「人が多いところは迷子になります」

「なんでだよ」

 迷宮の中を迷わず進んだヒメリアの言葉とは思えない。

 しかしたしかに、この前に街に入ったときにはそうなりかけていた。

「でも……」

「…………」

 と、やはり不安げなヒメリアに、マイアスはしかたないと空を見上げるとその手を握った。

「マスター?」

「街に入ったらこうしていてやる。それで問題ないだろ」

「は、はい!」

 うれしそうに表情を緩めるヒメリアに、マイアスはそっぽを向く。

「保健体育の授業もするべきかの」

 師匠のぼそりとした呟きは二人には聞こえなかった。


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進むは覇道の迷宮喰い 雨木シュウスケ/ファンタジア文庫 @fantasia

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