第43話 ハッサンの葛藤、ヴィクトルの自己嫌悪

『本当になんつーか命からがらの脱出劇って奴で? いやぁ良かったぁ。生きてるって素晴らしいっ!』


『何ぃ? 良かったぁ? ソイツはめでたい!』


『めでたい時にゃぁ飲むにかぎらぁな!』


『おう、飲むにかぎらぁな! なぁハイハイハイ』


 《タルデ海皇国》は港町の《メンスィップ》。これほど賑やかなのは、一徹が生きていたこと、そして最近とんとこの町とご無沙汰だった一徹が久しぶりに姿を現したからなのかもしれない。


『ングッングッングッ! プハァッ!』


『おぉ! 良い飲みっぷりじゃねぇか! ささっ! もっと行けもっと! ホレ誰か、酒を注げ酒を』


『アイサァッ!』


『……えっと、なので……せっかく拾った命なので、酒で殺そうとするのやめてもらっていいですか?』


『おぉっ!? 一徹お前! 俺の酒が飲めねぇってのか!』


『チョッ! ヴィクトルお助けっ!』


 酒瓶片手に押し寄せる《海運協業組合ギルド》メンバーたちに圧され、苦い顔を一徹は浮かべていた。

 今、一徹こそがこの宴の中心。


「やれやれ、愛されているねぇ一徹は」


 酒を進められヒィッ! と鳴き声を上げる一徹と、そんな一徹を面白がり爆笑弾けさせるメンバーたちを少し離れたところから眺めていたハッサン。


「そういえばエメロード嬢は?」


拠点ここの一室で早速お休み頂いております。肉体的にも精神的にもお疲れだったご様子。十八として酒も嗜む年頃でしょうが、疲れた体に良く回りすぎたか。あわや倒れそうなところ、旦那様がお部屋へとお連れになりました。」


「なるほど? ふぅむ……少し見なかった間に、随分一徹とエメロード嬢の関係は改善した様だ。さ……て?」


 柔らかな笑みを浮かべたかと思うと、一つ大きく息を吸い、吐き……憮然な表情をした対面に座るヴィクトルに意識を向けた。


「私のこと、怨んでいますかヴィクトル殿?」


 単刀直入の一言。

 だが、その問いは正しい形のはず。


 ハッサンは、ヴィクトルが実はハッサンに対し、感情を爆発させることなんとか抑えていることを感じ取っていたし、そうなる理由についても良くわかっていたからだった。


「私に謝るおつもりか?」


「その必要はあると思っています。この一、二ヶ月、私は相当にヴィクトル殿を振り回した。そのうえ、一徹を私の代理として仮面舞踏会に参加させては、彼を命の危機に……」


「それについて言及しません。旦那様のこと。戦えないハッサン殿より戦える自分があの場にいたこと、生きて帰ってこれたこと、結果オーライとし、謝罪は受けないでしょう」


「なんとも彼らしい。フム、でも困ったな。ヴィクトル殿、最後まで私に言い切らせてくれませんか? 話を上から塗りつぶすとは、それほど私と言を交えたくありませんか?」


「どうか勘違いをなさらないで頂きたい。ハッサン殿を怨んでいるわけではない。怒っているわけでもありませぬ。私は、私に怒っているのです」


「ヴィクトル殿自身に?」


「えぇ、貴方の口車に乗せられてしまい、何が自分にとって一番大切なのかはき違え、旦那様を窮地に立たせた私自身に対してです。貴方を前にして、再び己に対する怒りが沸き上がった」


「それはつまるところ……私への怒りじゃないか」


 直接的な非難はしてこない。だが、その怒りを自分のものとしてヴィクトルは口にしながらも、聞いているハッサンから見ればそれは大いなる皮肉。

 さすが微笑をポーカーフェイスとする《笑顔の貴公子》たるハッサン。表情こそ笑顔のまま眉一つ動かないが、口から流れ出る感想と、ため息は内に秘めた感情を匂わせた。


「旦那様を仮面舞踏会に出席させてしまった。お相手を見つけていただき、その影・・・さえ消し去ることができたら、新たな一歩を踏み出すきっかけになると思ったから。さすればかつての旦那様に戻っていただけると思った」


「かつての一徹か。今の様に、仕事も身分も立場も権力一切をも他人に譲渡した、『スローライフを望む』なんて戯言ざれごとを垂れる前の彼」


「フッ、言い訳ですよ。『前の旦那様に戻っていただきたい』……なんて方便。私がただ、私にとって誇らしかったかつての主だった旦那様の騎士として、もう一度生きてみたいと願ってしまった故。ですが傲慢でした」


 木製のジョッキに入った強めの酒を一気に煽ったヴィクトルは、ジョッキの底テーブルに叩きつけ、深く息を吐く。そしてハッサンを睨みつけた。


「旦那様は……トリスクト嬢にその存在を知られましたぞ」


「へぇ?」


「あの場で、旦那様は素顔を晒したのです」


 だが睨みつけられても、そしてヴィクトルの声に一層のドスが感じられても、寧ろハッサンは口角を吊り上げた。


「……ヴィクトル殿、相談があります」


 話がそこに至るなら、自分の考えを述べなくてはならず。せめてハッサンは、雰囲気だけでもヴィクトルに気圧されるわけには行かなかった。


「一徹には、シャリエールがいいとは思いませんか?」 


「ハッサン殿……まさかあのパーティ開催の目的はソレ・・ですか?」


 正直二人の間に渦巻いた空気は穏やかじゃない……から、それでなお崩れない微笑というのは雰囲気のミスマッチによるギャップが強いのか、一種の凄みをヴィクトルに感じさせた。


「少なくとも私はそう想っている。私だけじゃない。我が妻殿、一徹の兄フローギスト殿、さらに奥方ガレーケ。一徹と肩を並べる私たちにとって、シャリエールこそ一徹に相応しいと考えた」


「今回、旦那様とルーリィ・トリスクト嬢との再会の場として・・・・・・・、ラバーサイユベル伯爵に仮面舞踏会を設けさせたのはそれが難しいゆえですか?」


「難しい? そうですね。いまだ断念はしていないのです。問題は貴方たち一徹の使用人たちだけ。いや……ヴィクトル殿だけですか?」


「ッツ! 確かに言い返すことが出来ません……が、それは旦那様も分かっているゆえ」


「そう、言葉にはしませんが、一徹は意識的か無意識的かシャリエールをその対象・・・・として見ようとしない節がある。なら《一徹の剣》たるヴィクトル殿が、主人の思惑に応えないわけがない。それが……一徹に想いを馳せ、行動に移ろうとするシャリエールの脚を貴方が引っ張り続ける所以です」


「旦那様とシャリエール、その関係・・・・は、これまで育んで来た主人と使用人の主従関係を壊してしまう。あの家だってこれまで通りではいられなくなりましょうぞ」


 同盟関係の構築に向けた懇親を期待して? とんでもない。

 多くの貴族を巻き込み、盛大に開催され、大きな襲撃を受けてしまった仮面舞踏会。


 すべては、一徹のために仕組まれたことだということを、そのためにハッサンはラバーサイユベル伯爵に開催までこぎつけさせたことを、一徹自身がわかっていない。

 その事実を知っているのはハッサンとヴィクトルだけ。


 寧ろ、あえて一徹には伝えてこなかった。

 離れたところで、依然一徹は楽し気に笑っている。彼を中心として周囲は騒がしいほどに盛り上がり、陽気に満ち溢れている。

 それに反して二人の醸し出す雰囲気というのはあまりに対照的で、ズンと沈んでいた。


 一徹が心からその生還を喜ぶその様が、ハッサンとヴィクトルに強い自己嫌悪をもたらしたのだ。


「シャリエール・オー・フランベルジュが本当に駄目なら、ルーリィ・セラス・トリスクトも候補に入れていいと考えています」


「だから3年ぶりの再会に向け、旦那様にも隠し、貴方は暗躍した。どうしてなのですか! 旦那様や私が、今の環境セカイが壊れる事を恐れているというのはお伝えしたでしょう!? 本末転倒ではないですか! トリスクト嬢は他国人なのですよ!? 旦那様に『《ベルトライオール》を離れろ』とまで言いなさるつもりか!?」


「ヴィクトル殿たちには申し訳ないとは思っています。が、最悪私は、一徹に次なる一歩を踏み出すキッカケが与えられるならそれでもいいと思ってます」


「なっ!」


「なにが大事なのか、今一度お考えなさい。それは……」


「それにトリスクト嬢の旦那様の再会はっ! なぜならご令嬢はアーバンクルス第二王子殿下と!」


「……少し黙りなさい」


「貴方だって、パーティ開催のきっかけとなった、数年ぶりのトリスクト嬢との再会で何か感じたものがあったはずでしょう!?」


「ヴィクトル殿?」


 さぁ、それこそがヴィクトルがハッサンに怒る理由だった。

 一徹の命の危機に晒すことは、一徹が生きて帰ってこれた以上「結果オーライ」とでもいえるから、重要視しない。


「私はね、これでも本心から『彼女に申し訳ないことをした』と思っています。かつて私が没落まで仕向けた伯爵家のトリスクトが殿下に見初められた。願ってもないチャンスじゃないですか。確かに、謝罪の念と後ろめたさに縛られる私にとっては喜ばしい、そう思うべき光景だ」


 だがそれでなお、ハッサンが一徹の知らないところで一徹や誰かをコントロールしようとしているところ、そしてその話をヴィクトルに告げ、巻き込もうとすることで、主人に秘密をこれ以上作りたくないヴィクトルにとって心苦しくさせるから溜まらなかった。

 それでまた、一徹を再び危険に晒すことだって十分にあり得るのだ。


「正直ね、私だって迷っているところはあります。彼女との再会で、私はトリスクトの一徹への想いを知ることが出来ました。だが、3年も経っている。私は知っています。トリスクトが探し続け、会いたいと強く願う山本・一徹・ティーチシーフという男は、私たちが知る一徹とはもはや違う男なのだと」


 だが、それでヴィクトルがハッサンを殴り飛ばすことはできないのが、ストレスを更に溜めさせた。


「会わないほうが良いのでしょう。さすればトリスクトの幻想、《思い出のなかの一徹像》は壊れることはない。自分が大きく変ったことを自覚する一徹だって同様。トリスクトから変りようをどう見られるか恐れる必要だってない」


「ご覧になったはずですハッサン殿。それを推し進めるというのなら、アーバンクルス第二王子殿下からトリスクト殿への寵愛に、立ち入ることになります。また壊してしまうことだって……」


「私だって望みませんよ。殿下とトリスクトの関係が崩れたら、彼女にどのような影響が及ぶかは正直想像も付きません。彼女を想うからこそ何もしないかもしれませんが、その思いは転じて同じかそれ以上の憎しみにもなりうる。しかしながら、反省した私は……それでも再びトリスクトの人生セカイを崩壊させることを望む」


「そこまで分かっていながら……良いではないですか! シャリエールでもない、トリスクト嬢でもない! 別の選択肢! これまで旦那様とのしがらみが一切ない女性を……」


 完全にハッサンが状況を振り回す。そう見受けられたからヴィクトルは少しずつ声が大きくなっていった。

 宴会によってあちこちで喧騒が沸き起こっているのが救いだ。でなければヴィクトルの声はとうに周囲へ届いていたはず。


「出来ないことも無いでしょう」


「でしたら……!!」


「ですが時間が掛かる。それに、第三の選択肢がいたとして、弱い可能性がある」


 声が大きくなる毎にフラストレーションが高ぶっているのがハッサンにもわかっているのか、返すハッサンも言葉を選んだ。


「弱いですって?」


「ヴィクトル殿、私とてこれで考えて行動しているつもりなんですよ?」


 何とか、冷静さを演じた。


「弱い。それは一徹が捕われ続けるリングキー・サイデェスの亡霊に対し、一徹が送る想いの強さと比べて。それより弱い想いしか送れない相手オンナなら、受け入れても意味がない」


「意味がないとまで言いますか!?」


「ありません。彼に嫁取りをさせる目的は何ですか? 一徹にリングキー・サイデェスという鎖を引きちぎらせ前に進めさせるためです」


「ですが!」


「だから我ら一徹の隣に立つ者たちは、貴方たち一徹の傍に控える使用人を鑑みず、シャリエール・オー・フランベルジュを選んだ」


「どうしてです!」


「シャリエールにはくだんの亡霊と同じ共通点がある。人間族リングキー・サイデェスが魔族に陵辱されたのとは反対に、シャリエールは人間族に乱暴を受けた過去がある。その屈辱と、何度心を殺された経験が、一徹に取ってリングキー・サイデェスを重ねるファクターとなる。その上で二人は共に生きていく。リングキーを見るようにシャリエールを見つめる一徹は、やがて二人で歩むさなかにリングキー以上に想いを送ることだってあり得ます」


「あ、貴方はっ! シャリエールをリングキー・サイデェス嬢の代替品になさるおつもりか!」


「別に一徹のシャリエールへの気持ちの入れ方が、リングキーを重ねた形になっても構いません。ですがシャリエールが相手なら、一徹は確実に愛せます。しかしそれをヴィクトル殿が望まないのならば、トリスクトに頼るしかない」


 ハッサンの言いたい事もわからないわけではない。思惑があったから、シャリエールの行動を阻害していたのも事実。

 だからそこまでハッサンに言い切られては、ヴィクトルも怒気こそ孕ませるものの、返す言葉は見当たらなかった。


「もう一つ、トリスクトを候補として見定めた理由もありまして」


 殴りかかることが出来ないから、怒りを見せる以上のことがハッサンにできないヴィクトル。

 もう、きわどい発言ばかりをしながらも、慈愛に満ちた笑みを崩さぬハッサンには溜息をつくしかない。


「仮にシャリエールと一徹が結ばれたとして……子供を成そうとした場合です」


「……私は、ソレ・・も見越して人間族の妻を旦那様には見つけていただきた」


「やはり……」


 今度黙ったのはハッサンだった。結構な話をしている。そしてこの話の終わりどころがなかなか見えないから、表情は別として心にはキていた。


「旦那様に……『魔族シャリエールと子を成せ』と言え、と仰られるか?」


「そう。それが大きな懸念でした。子を成すというなら、一徹はシャリエールと交わる必要がある。我ら《灰色の側》の者たちにとって、これまで希望を作ってきた一徹は、そのとして生きる者たちの絶望と痛みを、常にその目に焼き付けてきた。その最たる例がかつて一徹が育て、彼の元から離れてしまった彼の息子。の間に生まれた、混血児を息子として受け入れ、数年にわたり育てるさなか、一徹はどれだけの苦悩、苦痛、葛藤を味わったのか。この世に、その子供を産み落としたのが《全ての始まり》、リングキー・サイデェスの魔族からの陵辱だということ」


「だから旦那様は、シャリエール、そして今は亡き使用人だった魔族の者と出会う前まで、全ての魔族が滅ぶことを心の底から望むほど憎んでいた。間違いなく旦那様は思われる。もしシャリエールを抱いたならば、かつて憎んで足りなかった魔族たちと、旦那様も同じ存在になるのだと。かつて愛玩奴隷だった頃のシャリエールを弄んだ、腐れた人間族と同じことをするのだと」


 ついに、ハッサンの笑顔は崩れ、顔を現したのは一刻も早くこのような話を止めたくてたまらないというキツい顔。

 それでも、止まらなかった。


「しかしトリスクトならそのリスクはない……だけじゃない。確かに一徹を想っている。かつて一徹が《ルアファ王国》にいた頃、かつての彼女たちの共通の敵だった《昔の私》を協力して倒した実績がある。同じ目標を持ち、達成した事に対して喜びを分かち合う経験はどちらにも深く印象に残したはず。私はね、期待しているんですよ。ルーリィ・セラス・トリスクトという女は、シャリエールのようにリングキー・サイデェスに重なることは無い」


 フゥ、と疲れたのか息を吐き、空いたジョッキを弄ぶように手をもって揺らすハッサン。


「恐らく一徹への思いはシャリエールにも負けておらず、そしてトリスクトなら、シャリエールとは別の角度から一徹に気持ちを込めることが出来る。そうなったらもっといい。リングキー・サイデェスと重なるシャリエールなら、シャリエールへの思いのほうが強くなっても亡霊の思い出はいつまでも付いて回る。だがトリスクトならもしかしたら、一徹を完全にリングキーの呪縛を解き放つことが出来ると思うのです」


「だとしても、いや、もし旦那様にとってそれほどになりうる女性なのだとして、喜びますか!? 旦那様が! トリスクト嬢の今後にありえたかもしれない未来セカイを壊すということを!」


「喜ばないでしょうねぇ」


 そうして、ハッサンはどこか、腹を決めたようにゴクリと唾を飲み込み、またゆっくりと口を開いた。


「ですが、私も覚悟をしています」


「覚悟?」


「一徹から恨まれ、嫌われ、見損なわれる覚悟です。リングキー・サイデェスの呪縛から解放されるなら、私はいくら一徹から恨まれても構わない」


「どうして、そこまでして……」


 少し、どころかハッサンの執着は相当な異常。

 目論み、考え、そしてそれを口にするハッサンの凄み。圧倒され、息を飲んだヴィクトルは……


「そこまでする意味がある。もしかしたら私たちは急がなければならないから」


「何を言って……」


 冷や汗が噴出した。

 理解できぬことを告げるハッサンの瞳が、鋭くなっていくからだった。


「恐らく、《王》を迎える必要があるだろうから。予言された《白と黒の大戦争(おおいくさ)》。人間族が王を頂くなら、魔族は魔王を擁す。備えて欲しいから、一徹に、いつか……《灰の王》として君臨してもらうための、覚悟と、心の備えを」


 だがその目的が、ヴィクトルの目を見開かせた。

 正直、それが答えというのであれば、もはや呻くしかない。

 確かにそれは、「そこまでする」理由だ。


 ダークエルフの妻を持ち、その妻との子供も持つハッサンだから。


 人間族でありながら、人間族以外と共に生きるヴィクトルだから。


 己が種族に対する絶対的な誇りが強すぎるこの世界で、ハッサンもヴィクトルも、すでにたくさんの、種族の枠から炙れた異種族との交流を常として生きている者たちを知っていた。


 獣人族の枠を超え、ダークエルフを妻としたフローギスト。妻たるガレーケ自体が、エルフと他種族の混血児。


 他種族と深いかかわりを持った者を種族の裏切者コウモリと呼ぶ世界。

 2種族以上の血を引いた者を忌子と呼ぶ世界。

 これら2タイプをこの世界の《灰色》の側と見ている二人だからこそ、ハッサンの思惑には強い説得力があった。


「久しぶりに再会したあの時、私を殴り飛ばすほど、感情を爆発させるほど、一徹がトリスクトの中に残ってさえいなければ、私もこんな考えは持たなかったのかな?」


 世界に忌み嫌われる彼らだからこそ、孤独を生きるのだ。《灰色》の者たちの人生は凄惨だ。ゆえに人を信じられないことが多く、いかに《灰色》の者同士が遭遇したとして、それが即、同志となるわけでもない。


 だとするならば、この拠点や《ベルトライオール》の様に《灰色》の者たちが共に生きるこの環境をどう説明するべきだろうか。


《ベルトライオール》はフローギスト夫妻が管理する。


《メンスィップ海運協業組合ギルド》はラチャニー夫妻が管理する。


 そして、フローギストとハッサンの隣には、常に一徹がいた。


 混血児を孕んでしまったことで、リングキー・サイデェスなる女は死んでしまった。だから忘れ形見である混血児を息子とした一徹は、そんな将来的に種族のアイデンティティで葛藤するであろう息子が、「生きてもいいんだ」と思えるような環境セカイを作りたいと願い続けた。


 その思いにフローギストもハッサンもあてられた。今の彼らの状況は、そういうことだった。


 だが、その思いはこの世界の風習を考えると修羅の道。

 その思いを貫き通そうとすればするほど、敵ができ、争いになってしまった。

 

 いつだったか自分の存在が一徹の負担になったのではと絶望した彼の息子は、一徹の元から離れてしまった。 

 だから一徹は、全てを投げ出した。


 だけどそれでもやっぱり一徹は、そんな《灰色》側の物たちにとっては《始まりの存在》で、特別な存在。


 それゆえだ。ハッサンは一徹に《灰の王》を称してもらいたかった。

 

               +


 死臭と断末魔が満ち溢れたここは地獄だ。


―う、嘘だっ! 嘘だぁぁぁっ! あぁぁぁぁぁ!―


 そのなかで、鼓膜を破りそうなほど一際大きな叫びが耳を叩いた。

 腕の中に抱くは一人の少女。細く開いた目に宿る光は、次第に弱く失われていく。弱弱しく半開きになった口からはツツッと血が筋を作っていた。


 否応もなく分かってしまう。体温の、優しい暖かさが、急激に失われていくのを。


―間に……合わなかった……―


 その理由は分かっている。

 いま吠えた男の妹を、自分は救えなかったから。


―私、救えなか……―


 ふと、己の手に視線を落として絶句する。おびただしい程の地にその白い手は汚れていたから。そして、ありえないというのに、その手を汚す血は広がっていく。増殖するように。

 やがてその色の手袋をはめたがごとく両手全てを染め上げた血液は、意思があるかのようにうごめき始める。手から手首へ、肘へ、腕へ、そして……首。


「イヤッ!」


 全ては悪夢。最近毎晩見るあの時の光景あくむ


 夢から逃げるように、目を覚まし飛び起きたのはエメロード。

 ブランケットを握りしめ、胸の位置まで手繰り寄せたのは心細かったからだ。

 だから闇に彩られた室内をぐるぐると見回し始めたエメロードは、着の身着のままベッドから離れ、その部屋から飛び出してしまった。


 顔を、一目でも見たかったから部屋から探しに出てしまった。彼なら守ってくれるから。

 拠点外の宿で寝泊まりすると言っていた彼も、今日ばかりはエメロード歓待の宴というのもあって、《海運協業組合ギルド》拠点に滞在することはわかっていた。


 ニヘラっと笑って「大丈夫ですよぉ」なんて言ってもらって、そしてあの大きな掌で撫でてもらうのだ。そうしたら絶対に安心できることを知っていた。


 《ベルトライオール》から離れてこの港町に今日到着するまでに早一週間。最近は、よくそうして・・・・・・もらっている・・・・・・のだから。


 まだ一徹は、ヒーヒー言いながら《海運協業組合ギルド》メンバーの酒に付き合わされているのだろうか?

 そんなことを考えながら、エメロードは足早に廊下を歩き去った。

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