第37話 秘め事

「フム、このような時間に珍しい。如何なされました? 先の夕方ごろお目覚めになったと聞いております。もう動いても構わないのですか?」


 責任の所在は別として、あの襲撃が自領内で勃発したことには変わりない。

 その事後処理の一環、種類の作成に、眠い目を擦ったラバーサイユベル伯爵は、執務室内に確かに聞こえたノック音、そして部屋を照らす幾つものろうそくに灯った火が、ノックに答えたラバーサイユベルの許可によって一瞬激しく揺れたのを認め、そのきっかけとなった方へと目をやった。


「トリスクト伯爵代行?」


「夜分遅くに大変失礼致します」


 火が揺れたのは、執務室への入室によって廊下の空気も併せて流れ込んだからだ。


 両手を体の前で重ねた、姿勢正しくピンと背筋張って立った、ルーリィがそこにいた。

 俯いていた。瞳には憂いを帯びていた。


 美しい。ラバーサイユベル伯爵にとって、いま目の前に立つルーリィに思うのはそればかり。

 ゆえに、自分のその眼で見た光景のはずなのに、この美しき伯爵代行が数日前、望むままに殺戮を繰り広げた襲撃者たちと槍を持って渡り合ったことが信じられなかった。


「お気遣いいただき有難うございます。その、こちらにお世話になって数日、あれから……エメロード様は戻られていないと伺いましたものですから」


「エメロード様ですか? トリスクト伯爵代行はお優しい。あの方も良いご友人を持ちましたな」


 同盟に動いているそのさなか、隣国の貴族がこの国の公爵令嬢を思う。いい流れではないかと感じたラバーサイユベルは笑って頷いた。


「いまはどちらに?」


「いま……ですか。余人が知らぬ私の知己のところで保護されております。ご安心を。ある意味では絶対に安全な場所です」


「ある意味では?」


「お許しをトリスクト伯爵代行。保護先については何も聞かず、エメロード様の父君たるアルファリカ公爵閣下も私を信じて託してくださった。ゆえに保護の先を知っているのは私だけ。貴女であっても教えるわけにはまいりません」


 話はエメロードのこと。そして保護先については話すわけにはいかない。

 だからラバーサイユベル伯爵も、わざわざルーリィが来るほどのこの話題も終わったものとして、また書類に目を落とした。


 その様子を目にした、執務机を挟んでラバーサイユベル伯爵の正面に立つルーリィ。

 重ねた手を、今度は胸に当てなおした。一つ、大きく息を吸って吐いた。


「その保護の先。山本・一徹・ティーチシーフが、数年以上前から面識のある……私にとっても知己であると言ってもですか?」


 ピクリと、ラバーサイユベル伯爵は確かに書類を翻し、署名する手を止めた。予想外とでもいうような表情をルーリィに向かって持ち上げた。


 驚いたのに違いない。そう確信したルーリィは、しかしながらすぐに己が驚くことになってしまった。


 ルーリィを見つめるラバーサイユベル伯爵の表情は、やがて驚きから焦りと恐怖に歪んでいったから。

 小刻みに揺れる瞳と、顔中から汗が拭きでる様子。

 いまラバーサイユベル伯爵が何を考えているのかが分からなくなったから、見逃さなかったルーリィも、唾を飲み込んでしまった。


                +


 翌日……

 いまやもうほとんど使われていないことで荒れ果てたとある街道。


 ルーリィが馬を駆ったその後に上がる砂埃の凄まじさは、どれほど急いでいるかを分からせた。

 気持ちが流行って仕方ない。一徹がその先にいるはずなのだから。


 偶然の好機がルーリィに訪れた。

 その日から数日間、もしくは一週間ほど、アーバンクルスもローヒもルーリィの側から離れることになった。


 件の襲撃事件の話が瞬く間に国中に広がり、《タベン王国》王家の耳にも入った。国王自らが、国賓に対して詫びを入れたいとのこと。

 そういうことで王都からはるばる使節がやってきた。他、国と王家の紋章が入った豪華な馬車。護衛の騎士数名。

 アーバンクルスはその申し出に乗り、王都へと旅立った。


 「謝罪する側は鎮座し、謝罪を受ける側がわざわざ出向くことになるとはね」とは言っていたものの、そこは王家の人間としての理解があったのだ。


 ただ、ルーリィは帯同を申し出ることはしなかった。

 少し前なら、何があっても騎士の一人として護衛のためについていったはずなのに。今回ばかりは黙って事の成り行きを見つめていた。


「ずるいな私も。アーヴァインなら私の体を気遣って連れていくことはないことを分かっていた。そのうえで私は……」


 アーバンクルスが動くとなるなら、ローヒもついていくに決まっていた。そうなると予想して、その予想は現実なものとなった。


「二人の心配を無碍むげにし、こうして一人で街の外へと出てしまった」


 全ては、一日でも二日でも自分だけの時間が欲しかったゆえ。

 養生先のラバーサイユベル伯爵邸から街を出るなど、いまはアーバンクルスが許さない。ローヒも心配するだろう。

 しかしながらその思いがある二人は、いまのルーリィには邪魔だった。


 決して喜んではいけないが、50人はいた《ルアファ王国》からアーバンクルスとともにこの国に立ち入った騎士たちも、もうローヒと、ルーリィ以外にはいない。

 ならばいまだけは、無理をするルーリィを止める者はいない。ルーリィが今、望むものを取り上げる者、一徹と再会できるかもしれない好機を取り上げかねない者が。


 さぁ、馬を飛ばし1時間ほど。そろそろ見えてきた。

 ラバーサイユベル伯爵が教えてくれた、一徹の住処ある廃都市、呪われた街、《ベルトライオール》に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る