第26話 混沌のマスカレード-7 主人と侍女。踏み込んだ一線

「お前がっ!」


「ギッ!」


 食用ナイフテーブルマナーセットとはいえ、銀食器はやすやすと眼孔に深く刺さった。


「お前もだ!」


「ヌグッ! ガァッ!」


 それを引き抜く。


 次に彼女の目に入った敵の、首から顎の間を下から差し込んだ。

 そこから口腔内は、舌を貫き、上あごを貫く。

 先端は、鼻の内部にまでいたっているのだろうか。そこに異物が辿り着いているのだと本能的にわかったからなのか、刺された男の目は顔の中心へと寄っていた。


 根本まで刃が深々と刺さっている。顎には、目玉・・が触れていた。

 それは別の男の眼孔からナイフを引き抜いたとき、一緒に持ってきたもの。


「アァアァァ! ッヒャアッァァァアアァ!!」


 あまりにも対照的。

 顎にナイフが刺された男は既に絶命。目を抉り取られた男は……天を仰いで泣き叫んでいた。泣き? その涙は、もちろん透明であるはずがない。


「黙れっ! 黙れぇぇぇぇっ!」


 GAJAAAAAAAAAAAAAA!!


 渾身の気合を込めて彼女は吼え上げる。生まれたのは、闇を感じさせる光の柱。


「ヒッヒィィィィ!」


「無詠唱魔儀! どうして人間族以外がっ! それも封印枷かせすら付けられていない!」


 襲撃者たちの顔色が変るのは仕方のないこと。

 穴。光の柱に貫かれ、目玉をくり貫かれた男は黙ってしまったから。


 ほんの一瞬の静寂。

 やがて綺麗に先が見えた胸の位置に開いた穴からは、ブシシャッ! と赤い洪水が飛び散る。ゴトッ! という重く鈍い音が、一瞬と間を置かずに生じた。


「貴様……らぁぁぁぁぁぁっ!」


「助けてくれっ! フワァァァッ!」


「ギャァァッァァッ!」


 たった一人の女が、会場内の状況を大きく変えた。

 剣を振りかぶられた。振りかぶった腕に食用ナイフテーブルマナーセットを刺込み、引き抜き、腕が上がったままあらわになった敵の喉に銀食器を穿うがった。

 

「調子に乗るなよ!? この穢れた……コヒュ……」


 無事に武器を振り切れたとして、それでも彼女は最後まで敵にセリフを言わせることをさせない。

 真横に流れた剣。身を低くし、剣閃をい潜ったそのまま身体をひねる。

 逆手に握られた食用ナイフテーブルマナーセットは、回転した勢いに乗り、まるで裏拳を叩き込むような流れで敵のわき腹に埋まった。たどり着くは心の臓。


「よくも私にっ! 旦那様のあのような顔を、見せてくれたなぁぁぁ!」


 既に絶命。力を失い寄りかかってくる敵を、うっとうしげに殴りころがし、彼女、シャリエールは一喝を轟かせる。


 たった一人、魔族の女がこの会場を飲み込んだ。

 天井に向かって猛る彼女、会場の空気はビリビリと振るえる。その場にいるもの全てを沈黙させた。


 フゥッとシャリエールは姿を消す。次に悲鳴が上がったことで居場所を知った者たちが目にするのは、首もと、脊髄に銀のナイフが突き立てられ、前のめりに倒れるところ。


 AGYAAAAAAAAAAA!


 魔に染まった光線で、腕を持っていかれた泣き叫ぶ襲撃者が……


 RUGAAAAAAAAAAAAAAA!!


 次の咆哮を耳に認めるか否かには、胸より上が消失していた。遅れ、血が吹き出る。倒れる。倒れたのち、床板に広く紅を広げていった。


「魔族か」


「汚い口で言をっ! 吐くなぁ!」


 思いのたけを殺戮にぶつけるさなかだった。

 不意に背にかけられた声。振るおうとしたナイフは、持ち手そのまま握られ、止められた。


 GARURAAAAAAAAA! 


 爆ぜるは光線。だがそれも、自分を捕らえた男が大きく上半身を反らせたことで避けられた……


「ッガ! ……カッ……ハッ……」


 だけではない。

 上半身を戻す勢いに乗り、下から振るい上げられた拳はシャリエールの腹を貫く。

 インパクトは絶大。もろに受けた彼女は溜まらず息を漏らす。

 終わらない。

 そのまま、男に両腕を引っ張り上げられ、体を宙に吊り下げられた。


「非奴隷の存在か。封印術練り込んだ首枷の無い魔族が、これほどに厄介だったとはな」


 片手で、シャリエールの身体を持ち上げる。その怪力具合、図体がそれを納得させた。

 大男。人の身としてはあまりに上背が高く、肉も厚い。


「グゥッ! アッ!」


 腕をとられたシャリエールは今や動かぬ的だ。宙ぶらりんの状態で、大男からもう一方の腕による拳打を幾多浴びせられる。


『さ、さすがだぜ大将!』


『隊長! 殺された奴らの恨み、晴らしてくれっ!』


「貴様は我らが目的ではない……が、同胞はらからをこれほどられたこと、汚らわしい魔族如きに、人間族が玩具おもちゃにされることは許せんからな」


 巨石を思わせる拳骨を食らい続け、呻くシャリエールに語る大男。シャリエールが捕われたことで集まった、襲撃者仲間の想いを受けたこともある。

 言葉と共に、表情すら変えず、おもむろに腰からハンドアックスを抜き放つ。


 ……ハンドアックス? いや、大戦斧だった。男のあまりの巨体は、それをハンドアックスのように錯覚させるほどということ。


「では……」


 水平に振りかぶられる。


「ケジメを取ってもらお……!」


 そして思い切り振り抜かれん横薙ぎの斧頭はシャリエールの腰に吸い込まれる……


「なぁっ!?」


 はずだったのだが、もう後わずかに届き沿うというところ、一瞬、その動きが止まった。


 GAJAAAAAAAAAAAAAAAAAA!


「クソッ!」


 その隙をシャリエールは見逃さない。

 自身を捕らえる太い腕に向かっての咆哮。生まれた光の柱に、大男は舌打ち交じりに構わず斧を振り切った。


 一瞬の出来事。

 まだ両手首を握る男の拳が支点となっていたから、腹筋と振り子の要領で、大きく足を持ち上げたその勢いにシャリエールの体は上に流れる。これによって何とか戦斧の一閃をかわしきった。


 大男と言えば、光の柱に溜まらず、シャリエールの腕を放してしまって……


「逃っがすかぁっ!」


 しかし彼女が逃げ切ることは許さない。手放すもすぐさま、シャリエールが間合いを取る暇もなく距離を詰め、彼女のドレス、胸の生地に掴みかかり……


「おおおおおおおおおおお!!」


 振りかぶり……


「キャァァァアァァッ!」


 ビリリィ! と生地が裂ける音。ドレスごとシャリエールを力任せに投げ飛ばしたのだ。


 豪腕。それはシャリエールを持ち上げる以外でも発揮した。

 数メートル以上先、投げ飛ばしたシャリエールを、凄い勢いで壁に叩きつけるほどの力。


「クッ! ウックゥッ……!」


「な、なんだったのだ。いまの……得も言われぬ悪寒は!」


 焦りの混じった、声を上ずらせた大男。対して、壁に叩きつけられ、後に重力に身体をとられ床へと崩れ落ちたシャリエール。

 叩きつけられた壁の箇所から、パラパラと零れる欠片を浴びながらも何とか立ち上がって……


「え……?」


 絶句した。


「あ……」


 パーティ会場生存者たちもそう、襲撃者たちもそう。全員が言葉を失わせ、視線を集めてきたから。


 その中に、エメロードがいた。一徹にとって、シャリエールにとって不愉快な騎士の女と、そしてその恋人であり、女とともに戦っていた男も。


『なぁにアレ。火傷のあと?』


 たったの一言。誰かの発したその言葉に、ズグンと全身に波打った感覚を得たシャリエール。意識を己に向け……見開いた。


 足首から、腿から、腰、腹、胸まで広がった、ただれて黒ずんだ肌。


『……気持ち悪い』


「……あ……やめ……」

 

 かろうじて下の内着のみを残し、全てがあらわになっていた。


『チョット待てよ。あれ、焼印か?』


「ッツ!」


 またたったの一言にシャリエールは反応した。

 |焼印(ソレ)を言及されてしまったから。乳房から脇にかけ、所有物であり、所有者がいることを示すソレを。


「だ、駄目……」


 両腕を持って、二房の実りを、忌まわしき焼印を覆い隠す。


『何で魔族がいるの?』


『奴隷でもない自由な魔族がこの会場にいるというのか?』


『いや、あれは確かに焼印があったぞ。奴隷だ!』


『奴隷如きと同じパーティにいたというの?』


『あの青紫の肌、なんて気持ち悪い』


『あのドレスを着た女なんだろう? 声を掛けてしまった。私はなんてことを』


「嫌だ。嫌っ!」


 そして、しゃがみこんだ。大男に投げられる際にドレスを剥がされたことで肌が顕わになってしまったからだけではない。


『御覧なさいあの大きな火傷痕。なんて気持ち悪い』


『さっきの戦いを見た? やはり魔族、恐ろしい存在』


『気持ち悪い』


『汚らわしい』


『恐い』


『気色が悪い』


『恐ろしい』


『穢(きたな)い』


 その目だ。


「も……見な……いで……」


 向けられた目。恐れの目、嘲りの瞳、侮蔑の視線、嫌悪の意識。そして敵意。


 よく覚えのある感情(いろ)。


「私、私は……お願……」


 かつて向けられた、まだシャリエールが愛玩奴隷だった頃……


「……れるな。お前がどれだけ得がたい存在なのか。その価値は、俺だけが知っていればそれでいい。何か問題が?」


「あ……あぁ……」


「お前が過去の自分を理由に己をとぼしめる。許さない。それはお前を選んだ・・・俺に、『見る目が無かった』と言っているのと同義だ」


「ダン……」


 いや、過去に向けた意識を、シャリエールは引き戻された。


「この国が、どれほど腐れているのかを俺は知っている。だから俺はこの国ではなく、《タルデ海皇国》の籍を選んだ」


「旦那様……」


「ご来賓らいひんの客人たち。いまだ皆様が息出来ているのは、たったいまアンタ・・・たちが『気持ち悪い』だの『恐い』だのさんざんこき下ろしてくれた、《俺のシャリエール・・・・・・・・》が戦ってくれたからだということがまだわからないか?」


「ッツ!」


 背筋を走るこのゾクゾクとしたもの。

 衆目あるなかで、真剣な瞳を向け、神妙な顔で声高に叫んだのだ。このタイミングで、待ち望んだその一言・・・・を。


 ファサと、両肩から掛けられる。コートだった。

 寒空の下、彼がこのパーティに着てきたコート。それがいまシャリエールに羽織らされたことによって、さらしていたになった肢体を包み隠した。


「恥じるなよ。下を向くな」


「旦那様ぁ……」


「胸を張れ。前を向け。凛として誇り高く、そして強い。お前は……綺麗だよシャリエール。この会場のほかの誰よりも」


 柔らかい声。ポンと、優しく頭に手を置かれた。されど、少しだけ強い力でワシワシと髪をなでられた。


「って、比較対象が会場内の、この国の愚物にんげんぞく共ってのはそりゃ、お前に失礼か……って……ん? んんん? うわっハズッ! ハッズカスィ! めっちゃ恥ずかしいこと言った!」


 確かな力、「ここに主人が居る。だから心が揺れることなど許さないぞ」と、シャリエールに思わせた。

 数秒もない。一徹が自らが発言したのに気づき、慌てふためいたのは。きっと無意識にその言葉が出たのだろうか。それがシャリエールには嬉しくて……


「いや、今のはいわゆる《言葉の綾》って奴でだなぁ。いや、綾ってか、『得難い』ってのは本心なんだが……」


 みようによっては挙動不審の表情で取り繕おうとする彼が、とてもかわいく見えた。 


 だから……


「い……一徹様・・・、お手を、腕を……怪我してございます。火傷が!」


「んん? あぁこれ?」


 踏み込んだ・・・・・。ちゃんとわかっていながら、シャリエールは一徹のことを、《旦那様》ではなく《一徹様》と呼んでしまった。


 自らに頭に乗せられた手。己が両手で包み込み、自らの顔の前まで持ってきたシャリエール。


「ま、これくらいならまだ何とか。今日は髪飾りリングキーもいる」


 が、出てきたのは無粋。シャリエールはギリッと歯を食いしばった。一徹の口から、今のタイミングでその名前を聞きたくはなかったから。

 

「火傷か。お前の火傷も、あのとき俺が癒してやれれば……」


「私が、一徹様を癒して差し上げられれば良いのに」


 シャリエールの思惑に気づくことが出来る余裕はない。先の素肌を晒したこと、酷く殴りつけられたこともある。だから見せた気遣い。

 最後まで言を紡ぐことはできなかった。シャリエールの一言が一徹の発言を塗りつぶしてしまったから。

 それだけではなかった。


 顔の前、己の両手で包んでいた一徹の掌。シャリエールは自らの頬に寄せた。自分の意思で、行為で、一徹に己を触れさせた。


「な、なーに言ってるの? お前は、いつだって俺のこと助けてくれるじゃない。さっきだってそう。お前が出てきてくれたから、詠唱魔技の一斉射出されてなお生きている」


 それこそ予想だにしない展開。明らかな驚きを見せた一徹など、焦ってならないのか汗をカキカキ耳も真っ赤。

 だがそれも……やがて言葉をつらねていくうち。


「そんでもってそれは……」


 シャリエールの頬から指を離す。触れていた手を離し、腕もだらりとおろした。


「い、一徹様?」


 シャリエールに向けていた視線も、襲撃者たちへと向いていた。

 瞬間だった。ジャッコアッ! という音とともに、袖口内に隠していたのか食用ナイフテーブルマナーセットが、一徹の指の間それぞれに一本ずつ現れたのは。


「この場を切り抜けるときも変らない」


 両手合わせて八本。そのさま、まるで大きな鍵爪が拳に生えたが如く。


「さっきのデカブツはいい。まずはその他大勢からだ」


「かしこまりまして……」


 SHAGUWAAAAAAAAAAAAA!


 声を受け、改めて敵に視線をやるシャリエール。再び咆哮を上げた。敵の密集地帯、無詠唱魔技が通った後には混乱が満ちていた。


 そこに……一瞬とも間をおかず、一徹が姿を現した。

 シャリエールが敵の体勢を崩し、後詰の一徹が意識を刈り取る。


 止まらない。シャリエールは、笑みが零れて止まらなかった。


 誰も、満足に対応ができない自分たちの連携。誰もがついていけない自分たちの関係。

 それはある意味で誰しもが立ち入ることの叶わない、二人だけの状況セカイ


 いまだけは一徹が自分だけのものになった感覚。だから興奮から、シャリエールの生み出す無詠唱魔技は、無情にも命を奪うものなのに、途轍もなく、気持ちがこもっていた。

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