第17話 《ダンスマラソン》-4 対決 ルーリィ・セラス・トリスクト

 不思議な空気に満ちていた。


 ここはパーティ会場。その目的もあって、先ほどまではあれほど賑やかだったのに、今は誰も声を発しない。

 ただ聞こえるのは二つ。

 テンポの速い音楽、そして床を踏み鳴らすステップの音。


 魅了。それが一切の物音を立てることができないほどに釘付けにされた者たちの状態。


 その対象はたった一組のダンスカップル。この《ダンスマラソン》で、現在最後の一人として勝ち抜くべく熾烈に争っている男女二人。


 絶対に勝利してみせるという強い熱意がムワァっと観客に伝わってくるから、見る者すべてに固唾を飲ませた。


「ここまで随分と踊り続けてきた。先ほどまで『体力がどう……』など言っていた気がするが、いつまでしがみつくつもりだ?」


「だから既に言ったじゃないですか。早々に転ぶか何かしてくれると幸いだって。猛烈に辛いですよ。それよりも……」


 これはダンスだ。本来楽しくあるべきもの。

 しかし、どこか剣の試合でも見ているかのような雰囲気を二人が放つから、観客たちは手に汗を握った。

 いや、もはやそれはダンスではないのかもしれない。


「さすがに肘はいけない。それも《回転後ろ回し肘・・・・・・・》は」


「ッツ!」


 互いに追い詰め、負かしたいという気持ちが行動に現れ……過ぎていた。


「わざとじゃない」


「そうですか?」


「だが、いまからはわざとでも繰り出してやりたいと思えてならない」


 無意識的なもの。だけど無意識であっても、仮面をつけた一徹の唇は、知らずのうちに同じく仮面を取り付けたルーリィの、顕わになった耳もとから一寸(3センチ)のところまで近づいていた。


 致し方ないことだ。一徹の腕、そして胸の中、向き合っていたはずのルーリィが踊るさなかに覚えた窮屈感から逃れようと身をよじった弾みで、グルリと一回転したその矢先、遠心力に弄ばれたかのように流れたルーリィの肘が、一徹の側頭部目掛けて飛んでいったのだから。


 一徹はこれを見ることもなく、肘が飛んでくる方の手をおもむろに上げ、手のひらで包み込んだ。

 肘が当たる前に止められ、身を捩ることが出来たとはいえ一徹の腕の中にいるは変らず、それによって背を一徹の胸につけながらリズムに乗るルーリィの耳元には、一徹の口。


 ……これを目に、悔しさと怒りで拳を握ったのが、いまや観客として二人を見つめることしかできないアーバンクルス。

 不愉快でしかない。見ようによっては、ルーリィが、件の《不愉快男》に後ろから抱きとめられ、耳元で囁かれているようにしか見えないから……


「簡単に私に触れられると思うな!」


 向き合っていれば触れられるのは背中。だが背を向けるとあっては《不愉快男》の不愉快な指が、みぞおちあたりを触れてくるから、自身に絡みつく腕から逃れるように、ルーリィはホールドを引きちぎり、離れた。


 素振りそぶりも見せないで及んだ行為。だから突然のことに《不愉快男》も困惑することで、一気にルーリィは距離を置けた……はずだった。


「ハッ! じゃじゃ馬だねぇ!?」 


「な……にっ?」 


 線の細いルーリィ。しかしながら女流騎士とあって脚力は並ではない。故に、かなりの距離を開けることが出来たと確信した上で振り返ったのだ。が……


「どこにいかれるおつもりで?」 


 振り返った。ゼロ距離。

 愉悦に口元をゆがめた黒衣の男の仮面が、ルーリィの目の前にあった。


「それとも棄権なさるということで宜しいか?」


 近すぎた。まだ耳元に唇が来るくらいなら、何かの拍子として見なすことも出来た。 

 さすがに、己の唇に男の口が触れそうなところまで来るなら話は別。

 楽しそうなだけではない。疲れによって高ぶった体温に当てられ、同じように熱くなる吐息が、鼻に、口に掛かるのが嫌だった。


 ……そんな二人のダンスを目の前に、ギュッと、自分の組んだ両手に力を込めた者、エメロード。


 心は、決して穏やかじゃない。

 自分にとっていい玩具である筈の一徹が、自分以外の者と組むと、己といるときよりも楽しげで、生き生きしたところを見せるから。


 シェイラと踊ったとき、一徹のダンスのあまりの違いを見せ付けられた。自分だけのいい玩具であるはずの一徹を、取られた気がしてならなかった。


 別にとられたというわけではないが、それで一徹が「このパートナーの方がいい」とエメロードに匂わせるような表情をするから許せなかった。


 それなのに今、一徹のダンスパートナーは……ルーリィ。

 エメロードは、ルーリィがこの国にまかり越して親友になったから知っている。

 かつて……彼女が一徹に想いをはせていたことを・・・・・・・・・・・・・・・・・


 どういうわけだか一徹は、《タルデ海皇国人》として生きている。

 それを知らないルーリィは、行方不明者として一徹のことをずっと心配していた。


 もし、二人が仮面をはずし、お互いの正体を曝け出してしまったら? 

 ルーリィは喜ぶだろうか? 怒りだすだろうか? 悲しむだろうか?


 どうでもいい。そんなこと、エメロードにはどうでもいい。


 それよりも重要なことがあった。

 一徹が、再会したルーリィに、《ルアファ王国》へ連れて行かれないか……ということ。


「それは……いや!」

 

 いま舞踏か、武闘か、互いに働きかけあう二人。潰しあっている二人の醸しだす空気を全身に感じながら、それでもエメロードは二人が互いにただ誤解し合っているだけなのだとわかっているから、その恐れが拭えない以上気が気でなかった。


 一徹は自分だけの玩具でなければならない。


 安心してエメロードが付き合うことの出来る、唯一エメロードを恐れず、このパーティが開催される少し前まで《悪徳公爵令嬢》と囁かれ、周囲から孤立してしまっていたエメロードをちゃんと見ようとしてくれたのが、一徹だけだったから。


 やっと自分が進むべき方向性を見つけられたのだ。一徹が与えてくれた。

 それなのに、それなのにもし、一徹が連れていかれたとしたなら、誰が認めてくれるというのか?


 それを思ったら、たとえ一徹の腕のなかにいるのがエメロードの親友であり、心酔、憧れの対象であるルーリィに対してですら、向ける眼差しは冷ややかなものになっていった……


「あれ、ダンス……なのよね?」


 誰かの不安げな声が聞こえて、ルーリィは舌を打った。

 自分でもわかっていたから。既にもう、ダンスの形を成していないことに。


「勘弁……して欲しいのですが。突けば矢の如く目に留まらず、蹴れば大鎌に薙がれる気分に襲われる。問題はこれが《ダンスマラソン》の競技中での行為ということ」 


 もはやルーリィは《不愉快男》の腕の中に無い。ホールドのために指を絡ませることも無い。

 ただ少し間合いの離れたところで立ち尽くし、相手を見据えていた。 


「これじゃダンスというよりは組み手です。さすがは騎士のお一人、一発一発が鋭い。まぁでも……?」


 そう、既に間合い・・・という言葉を使った通り、いつのまにか二人は、戦闘のイメージ沸く物々しい剣呑とした空気に包まれていた。

 いや、二人ではない。正しくはルーリィだけ。

 踊っていたときはゼェハァと息を切らしていた黒衣の《不愉快男》など、苦笑していた。


「組み手というなら、まだ……」


 目の前で苦笑して……  


「俺向きか?」


 瞬きしてしまったルーリィの背後から、言葉を連ねた・・・・・・・・・・・


「い、いつの……」


「『いつの間に!』……ですか?」


 驚き、慌てて床を蹴って間合いを開けようとしたルーリィ。許されなかった。

 後ろに飛んだタイミングで差し込むように、《不愉快男》が自身の身体を前へと滑らせたから。


 男の声を聞いたとき、その顔は、後ろに飛ぶことでのけぞったルーリィの胸元すぐの所まで来ていた。

 セリフまで先読みされてしまってはルーリィも絶句するしかない。


「そうか。ただの下衆ゲスではないことがよくわかったよ。ハッサン・ラチャニーの名代とか言っていたな。奴の親友だと。その関係性に動き。貴様、奴の護衛でもしていたのか?」


「貴女に、答える必要が?」


「……素材ソーサリー開放……」


「お、い……」


 しかし次に衝撃に言葉を詰まらせたのは一徹の方。


「言いたくないなら構わない。喋りたくなるようさせるのも一興」


「ちったぁ……待ってくれ? まさかご令嬢、パーティ用の靴に、魔獣の素材ソーサリー組み込んで。じゃあそのお履物、魔脚装具ウェイブソーサリーっ!?」


 パァン! と乾いた音が炸裂した瞬間、その場にいる全員が鼓膜を保護するために耳を塞ぐ。そして目にした。

 「あっ!」というその間、ルーリィの掌底が空を切っていた。

 穿った空間、たったいままでルーリィにとっての《不愉快男》の顔があったところ。


「ド畜生っ! これだけの鋭さ、怪我じゃすまねぇぞ!」


 大慌てで黒衣の男は頭を振ることで避けた。そしてその勢いに流れるように、足元はふらつき、やっと床を踏みしめ、ルーリィに睨むときにあって怒声を張り上げた。


「これも避けるか。正直驚いたよ。これで並以上の男は何人も倒してきたつもりなんだ」


「人の話を聞けって!」


「だがよかった。私も運が良い。《ルアファ王国》からこの国にきてもうじき半年。最後の訓練から離れて久しくてね。どうにも体が訛ってしまった。ここで勘を取り戻したい。幸い貴様なら、相手にとって不足はないようだし……壊しても、構わないだろう?」


 とんでもない場面を見せつけ、とんでもないことを口にしたルーリィ。

 唖然と開いた口の下がらないの様相の《不愉快男》を前に、トーントーンと真上にステップを踏んで見せた。


「ご令嬢貴女は、いやお前は……」


 ステップだ。だが魔道具ウェイブソーサリーの一つである魔脚装具によって一つ軽く床を踏むたびに、人の膝の高さ辺りまでその身を浮き上がらせていた。


「こっちが本性かっ!」


 一喝。

 低い体勢から一気に距離を詰めてきた女の、顎に向けた閃光のような突き。超反応で片手によって捌いた一徹。

 全身が寒気立った。《ルアファ王国》から来たという鼻持ちならない女。


 体勢的に、今度は一徹が見下ろす形となった。そうして認めた。

 線が細くスタイルの良い女の、猟奇的な笑顔と仮面から除く爛々とした瞳の光。

 冷や汗は止まらず、しかしながら一徹は体温が高ぶるのを禁じ得ない。


「人のことを言えた口か? 楽しそうだよ。ダンスなんかよりも」


 だから、ルーリィにやり返された。

 

 当然だ。


 それは、状況に興奮した一徹も、知らずのうちに禍々しい笑みに顔をゆがめていたからだった。

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