第4話 シャリエール転じてシェイラ
「いやぁほんっと、助かりました」
人懐っこい声を受け、女は戸惑った。
こんな主人の雰囲気や、向けてくれた声を、彼女は受けたことがなかったから。
「それに驚きました。普通黙ってコトの結末を見守るだけでしょうに。貴女は助けてくれた……と、申し遅れました。山本・一徹・ティーチシーフと申します。ご令嬢はえっと……」
「シャリ……シェイラと申します」
我ながら危なかったと、シャリエールの脳裏に過った。
シェイラではない。シャリエール・オー・フランベルジュ。
ヴィクトルと同じく、一徹の使用人の一人。その立場が一徹に対して偽名を持ち出すことを選ばせた。
「シェイラ様ですか。ご令嬢もやはりどちらかのお家の一員で?」
「いや、その……」
「だとしたら心苦しい。私は貴族家に
傍若無人な振る舞いを見せた女やエメロードたちから、一徹を遠ざけるまではよかった。シャリエールの問題はそこから。
別にシャリエールがこの場にいることは、おかしいことじゃない。
一徹の友人、ハッサン・ラチャニーがシャリエールのため、エメロードとは別の主催者に、出席枠の一つを設けさせた。
それを一徹は知らない。何も知らないから、一徹はシェイラに笑顔を見せた。
その表情が、シャリエールにとっては青天の
「それにしても宜しいのですかシェイラ様。パートナーとしてお救い頂きました。ですが本当は、シェイラ様にも共にいらっしゃったパートナーがいるのでは?」
頼もしく優しい、主としての笑顔ではない。一人の女性を相手に、失礼が無いよう振舞う紳士的な貌。
侍女という立場であれば、絶対に一徹が見せてくれない貌。
彼は仮面こそかぶっているが、それでもシャリエールにはわかった。
「シェイラと」
「は?」
「どうぞ、シェイラとお呼びください。『様』という敬称は好きではありません。呼び捨てでも構わないのです」
だから心の浮つきが抑えられない。
とはいえ、「話し相手になれていない」と一徹は言ったが、何を話せば良いかわからないのは実はシャリエールの方だった。
使用人として暮らしてきた中での話しかできないシャリエール。一徹にも黙ってこのパーティに出席した身。正体が知れてしまうことだけは避けたかった。
「で、では、えっと……シェイラ?」
一徹といえば、初対面での呼び捨てを許されたことが気恥しい。
しどろもどろ、ぎこちなさそうに名前を呼ぶ一徹。母性本能か、その様子に可愛げを見出してしまったシャリエールは、一瞬胸が焦がれるような熱さを覚えたが、それが何かのきっかけか。
「さ、先ほどのパートナーのお話っ!」
とんでもないセリフが飛び出した。
「実はその、私も一人での参加で。先のことでわかる通りお節介な性格がたたり、パートナーとして声をかけられたことも、かける相手もおらず……ご、ごめんなさい! いきなり変なことを言ってしまい」
「『お節介』ですか? 助けられた私には、
「えぇっ?」
なんとか会話を成立させなければならないとシャリエールは必死だった。
とはいえ話せることはあまりにも少ない。焦る。だからか、話題の選択肢が少なすぎる状況は、思わずシャリエールの本音を引き出した。
「……宜しいのでしょうか?」
「是非。急場しのぎの形になって申し訳ありませんが、これならお互い孤立することもない。さすがにパーティにパートナー同士で参加されている招待客たちを、一人ポツンと眺め続けるのは心に来る物がありますから。そうなると、ご令嬢には本日二度も、助けてもらうことになってしまいますね。なんとも情けない」
しかしそのとっさの一言が、シャリエールにとって正解だった。
そう口にする一徹の仮面からのぞける口元が、柔らかく歪む。それは喜んでいる証。
すこし意外というか、ガッカリしたところもある。シャリエールがシャリエールではなく、シェイラとなっただけで、一徹は女性として扱った。
「私も、パーティに取り残されるのはあまり嬉しくはありません。一徹様さえ宜しければ……」
仮面一枚かぶっただけ。
それだけで、一徹が使用人シャリエールに見せ続けた、時折彼女にはうっとうしくてならない、優しい主人という一面はなくなった。
だがそこで言葉がとぎれた。一徹が、仮面越しに黙って見つめてきたからだった。
「あ、あの、一徹様?」
「
「ッツ!」
その言葉を聞いた途端だ。シャリエールが拳を固めたのは。
「私と」
右掌を胸に当て、そして一徹に、力ある言葉で申し出た。
「私と踊ってくださいませ。一徹様」
「あ、え? 宜しいのですかシェイラ? と、言いますか……正直あまりお勧めできません。私の踊り、とても女性を付き合わせるほどのものでは……」
シャリエールは知っていた。優しい語気で一徹が懐かしむ。一つしかなかった。
無意識な発言。だからこそ残酷。
一徹はシェイラ、もといシャリエールを前にして、かつて彼が失った、別の女のことを思い出した。
「私は、貴方と踊りたい」
《一徹様》、覚えのある呼称。
一徹がかつて
己の無意識的な発言で、シャリエールが憎くてならない女の記憶を一徹に呼び覚まさせたこと。
自分を前にしながら、一徹には心を占める別の女がいること。
「あのー、いや、シェイラ?」
その状況にシャリエールはいてもたってもいられず、それが真剣な目で、一徹の目を見つめさせることになった。
「……ご歓談中失礼を」
回答に困る一徹。ここで、別の声が二人の会話を遮った。
「お楽しみいただけておりますかお二方。大変申しわけありません。こちらの殿方を、しばしお借りさせていただきたく」
「は? エメロード様?」
眉を潜めながらも美しい笑顔。しかしあからさまな営業スマイルだと思わせる、公爵令嬢エメロードの襲来。
「ほ、ホヒ、確かに主張してくるこの……感覚。じゅ、十八歳のお、オ……オッパ……」
その声に視線を移し、シャリエールが歯ぎしりを見せたのは……一徹の腕にエメロードが両腕を絡ませていたため。
「では、これにて」
シャリエールの射貫くような視線など、どこ吹く風とでもいうように、軽く会釈したエメロードは、すました表情をしていた。
ちなみに、一徹の表情は……酷くただれている。
「さぁ、こちらに。山本・一徹・ティーチシーフ殿?」
「ちょっまっ! も、申しわけありませんシェイラ! 少しばかり……ってエメロード様!? どんだけ力込めて!」
「い・い・か・ら!」
困惑した一徹といえば状況をうまく呑み込めず、一方ではエメロードに怒られながら、一方でシャリエールに謝罪を見せて、その場から引きずられていった。
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