第六話 「発条王の反発」

 ヌネイルという国は、湖沼が多い。

 そもそも、ヌネイルという国号そのものが、『湖の国』――という意味の古語である。


 今では古詩に語られる群雄割拠の時代に、王城として建設されたベンジーニ塔は、王都メリーナからそう遠くない、湖の畔にそびえ立つ古城である。

 そこは後世、幾度かの増改築を加えられ、最後に大きな時計塔が建てられて、今ある不気味な監獄となった。かつては王を守護していた堅牢な古城は、囚人たちを絶望させ、ヌネイルという国の秘密を閉じ込めてきた。



*****



 宮廷医師の許可が出るやいなや、エヴァンスランスは馬車を飛ばし、グロウワットの面会に訪れていた。負傷による発熱と貧血が引いた、事件から四日後のことであった。

 グロウワットは最上級の貴賓牢にいた。専属の見目の良い小姓が付き従い、贅を凝らした家具調度が揃えられ、続き間の浴室まである、至れり尽くせりの豪華な部屋だ。

 しかしそこが、確かに牢であることを示すように、石造りの壁には鉄窓が嵌められ、部屋は見張りの獄吏が常駐する入り口側と、奥にある囚人の居住空間とを、頑丈な鉄格子で仕切られている。


 自分から入牢しておきながら、その後の尋問には極めて非協力的であったというグロウワットは、しかし待ち兼ねていたように、エヴァンスランスには饒舌であった。

 牢の中央付近に据えられた、安楽椅子にゆったりと寛いで、鉄格子向こうの長椅子に、近衛を連れたエヴァンスランスを迎えたグロウワットは、開口一番からかうようにこう言った。



「おや叔父上、お早いお越しで」

「早い……、かのう? 余はもっと早くに、そなたに面会したかったところであるよ。何ら不自由はしておらんか?」


 グロウワットの身なりは典雅に整えられ、拷問を加えられた様子がないことに、エヴァンスランスは安堵した。

 もっとも、宰相派の者たちにしたところで、いくら大公憎しといえども、この国で最も高貴な血が通う、玉体を痛めつけるのには抵抗があっただろう。グロウワットが自ら罪を認め、大人しくベンジーニ塔に入ってくれているならば、それだけで上々といったところだろうか。


「ご婦人をお招きすることこそ叶いませんが、この通り、好みの銘酒を取り寄せて、可愛い小姓に酌を取らせられる程度には恵まれておりますよ。王后陛下に疎まれながら、王宮に逗留しているよりかよほど快適です」

「ならよかった……のかのう?」

「よいのですよ。罪人に多少なりの不自由さは必要です。然るほどに、被害者が加害者にかけられるお言葉ではありませんね。叔父上は私が何を仕出かして、鉄格子の内にいるのかお忘れですか?」


 軽く曲げた指先で、傍らの卓上にある酒瓶を弾いて、グロウワットはりんと音を立てた。その音を合図にでもしていたのか、小姓が飾り棚を開け、そこにあった杯を二つ銀盆に乗せて、卓の横までやって来る。


「忘れたくとも忘れられぬよ……。利き手なのに、腱を切ってしまって、親指がのう、ろくに動かせん。医師から元通りになるかどうか保証できぬと告知された」

 包帯を巻かれた右手を、痛まない程度ににぎにぎとさせながら、エヴァンスランスは眉を寄せた。グロウワットに刺された傷が原因というよりも、床に倒れた時におかしな風に手をついてしまったものらしく、それは自身のせいでもある。


「……左様で」

「む。それで終いか? グロウワット。頭を冷やす時間はたんとあったであろうに。余に手を上げたこと、そちはちいとも悔やんでおらぬのか……?」


 下がり眉をさらに下げ、悲しげに尋ねるエヴァンスランスの眼差しを、グロウワットは静かに見返した。長い隧道ずいどうから抜け出しでもしたような、すっきりとした気色であった。


「悔やむべくは唯一つ。何故なにゆえにもっと早く、行動を起こさなかったか――それだけですよ。私という首がなくなれば、大公派は消滅する。これでヌネイルは一つになれる」

「一つに……とな? グロウワット、そなたは国を一丸とするために、かような暴挙に及んだと申すのか?」


 驚くエヴァンスランスに向けて、肯定も否定もせずに、グロウワットはただ、微笑した。

 エヴァンスランスの手が送り出す、発条仕掛けの玩具に明るい笑声を上げていた、濁りない子供時代の彼を髣髴とさせるような、歪みのない端正な笑みだった。



「同盟評議会で、議題に取り上げられていたはずです。北方において、一度は和約を結びながら、武力を蓄え牽制し合ってきた、ロジェンターとゾライユの均衡がとうとう破れた、と」

「……ふむ」


 北西に多くの属国を抱えるロジェンター王国と、北東の小邦そして遊牧部族の集合体であるゾライユ帝国は、白の大陸北方を二分する強国である。

 ヌネイル、デレス、トレイクという、大陸中央部の代表国家である『華の工芸三国』とは、【天を担ぐ巨人】アズナディオス山脈と称される長大な高峰で隔てられ、簡単には侵略されない地理関係にあるのだが、同盟国の内には、そういった天然の長城に護られておらず、北方からの圧に度々脅かされてきたような国々も存在する。

 勢力拮抗することで、互いの軍事行動の妨げとなってきた、領土欲の強い北方二大国の形勢が片方に重く傾げば、共存共栄を理念とし、同じ神の名の下に集った中央諸国の平和にも、作用することは必定であった。


「北方の勢力図が塗り替えられ、同盟は重きをなそうとしております。よりいっそうの国際協調が求められる中、ヌネイルは既に国内で割れている。のみならず、大公派と宰相派は、決して埋まらぬ溝を深め続けている。愚かしい……! 同盟盟主を持ち回る、中央諸国の指導国である我が国が、このげきを拭い去らずにいてどうするのか!」


「グロウワット……」

 国賓の接待には駆り出されながら、同盟評議会そのものには席を用意されていなかった、グロウワットの鋭い卓説に、背後に控えた近衛たちが、びくりと畏まるのをエヴァンスランスは背に感じた。

 そうしてまた、エヴァンスランス自身も、予想を越えた事由に冷や汗をかいていた。動機不明であったあの襲撃の根底には、これより先の国際情勢を懸念する、グロウワットの深謀があったのか。



「私が短慮に叔父上を襲い、国王殺害未遂の現行犯として捕えられ、裁かれたとあれば、父母が亡くなった時のようには、デレスも嘴を容れることはできぬでしょう。お悩みになる必要はいささかもございません。叔父上は大義名分に則って、致し方なく私に、自決をお命じになるのです。国家転覆の大罪を犯そうとした、大悪党であるこの私に」


 まるで他人事のように、本人の口から教唆された断罪の筋書きに、動揺したエヴァンスランスの喉はカラカラになった。それは一国の王として、果断すべき事柄なのかもしれないが、人として叔父として、反発必須の提案であった。


「馬鹿を申せ、グロウワット! それに、だっ。そちに命運を預けてきた、大公派の者たちはいかにするっ? そなたを信じ、そなたのためにと尽くしてきた者たちであろうっ?」

「さあどうでしょうか? 大公派が奉ってきたのは、彼らにとって都合のよい私。私が乱心している間に派閥を作り、我が意を曲解してくれた点において、大公派も宰相派も大差ありますまい」

「グロウワット!!」


 それは、あまりにも切ない見解であった。派閥の主張や形成が、打算含みであろうことはいなめないが、誠心誠意グロウワットに寄り添おうとし、その凋落を本気で憤って、忠誠を誓ってきた者たちもいただろうにとエヴァンスランスは思う。


「此度の私の犯行に、大公派の者もそうで無い者も、誰一人として加担しておりません。それは被害者でおいでになる、叔父上こそがご存知であられましょう?

 こうして私に裏切られ、呆然としているであろう彼らは、罪科つみとがの無い叔父上の臣民です。 宰相から濡れ衣を着せられて、一掃されてしまわぬように、叔父上が救い上げてやって下さい。義理に縛られ、時流を読み違えてしまった者たちですが、正しく評価し、適所に配置してやれば、これからのヌネイルに役立つ人材も少なからずおりましょう」


「それは、しよう。約束しよう。必ずや……! 余は、罪無き者たちが冤罪にかけられるのを見とうない! しかしグロウワット、改めて問う、何故……? それだけ国を思うそなたを、余よりもよほど、出来の良いそなたを、余はそなたの真意を知った上で、何故処断せねばならぬのか?」


 エヴァンスランスの問いに対して、グロウワットは心底不思議そうな顔つきをした。


「何故? 何故とおっしゃられましても、御身こそがこのヌネイルの、王だからですよ、国王陛下。遠き日に、父母を亡くしたことは耐え難い不幸でした。あの日人生が狂わなければ、私は順当に王太子に、そしていずれは国王になっていたのでしょう。

 けれどもそれは夢想でしかないのです。現実の私は、もう回復の見込みはなかろうと、祖父を失意のまま逝かせてしまった不孝者にすぎず、代わりに玉座を埋めて下さった叔父上を、追い落として王になりたいと願ったことは無い……。

 たとえ叔父上が、発条王であられることを選ばれましょうとも、それが御身の望む国の有り様であるのなら、私は国王陛下の御意に恭順しましょう。宮廷に不穏な分裂を招いてしまっている、この身命を呈しましょう。愛する祖国ヌネイルのために」


 グロウワットは小姓に視線を送り、卓に置かせた二つの杯に葡萄酒を注がせた。その一つがグロウワットの前に、いま一つが獄吏を介して、鉄格子の外にいるエヴァンスランスの手元に、運ばれる。

 思いがけず仰せつかった大役に、銀盆を抱えた小姓の手は、畏れのあまりカタカタと震えていた。


「辞世の杯です。乾杯して頂けますか?」

 勧められた杯を、立ち上がりざま真っ青になってエヴァンスランスは叩き落した。

「よせ! 早まるでないっ! 痛たー!!」


 怪我を忘れて鉄格子を掴み上げ、悶絶するエヴァンスランスに忍び笑いを漏らして、グロウワットは悠々と杯を掲げると、

「ヌネイル万歳! 発条王に栄光あれ!」

 誇りに満ちた表情で、高らかにそう、謳い上げ、躊躇いなく一息に飲み干した。

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