発条王の悔悟
桐央琴巳
第一話 「発条王の憂鬱」
「断られたって――、それは一体、どういうことですの、ああたっ!」
その時、王宮が震撼した、と、エヴァンスランスは感じた。
びりびりと、痺れるような空気の源は、逆三角にした碧眼の上で柳眉を逆立てている。額に青筋を立てていても妻の
否、怒れば怒るほど、妻の美は凄味が増してゆくのだということを、エヴァンスランスは幸運にして――、或いは、不幸にして、結婚するまで知らなかった。若き日のエヴァンスランスを、ぽーっとのぼせ上らせた白鳥の如き姫君は、エヴァンスランスの身分の変遷に伴って、世界に冠たる技術大国ヌネイルの、 第二王子妃から王太子妃へ、やがては王后へと女人の位を極めゆく中で、事あるごとに夫をどやしつける、天下の悪妻になってしまった。
「ど、どうって、おまえ……、ユーラはまだ八歳だけれども、あちらの殿下はとうに二十過ぎなわけで……。御父君に寄せる年波が心配の上、御自身もあまり気長でないからと、笑ってかわされては如何ともしがたくて」
「それでああたは、簡単に引き下がられたわけですか?」
ぎろりとこちらを睨む妻に向け、ヌネイル国王エヴァンスランスは、冷や汗を拭き拭き言い訳を試みた。
「いやええと、簡単かと聞かれれば簡単と言い切れるほど簡単ではなかったような気がしないでもなく。 あー……、余としても誠に遺憾でありいましばらく食い下がるべきだろうかと思ったり思わなかったりしてみたのだけれど。いー……、それでもあれだよ父親の身としては可愛い姫を十になるやならずやで嫁がせるのは嫌だなあ、すごく嫌だなあ、ものすごーく嫌だ、たとえ白い結婚であっても許せない! なんて悶々としていたところへ渡りに船であったというか。うー……、だからしてあちらの殿下に調子を合わせてやるのはやぶさかでなく、余は国王なのだからして、まして今回の事は娘の幸不幸に係わることだしたまには独断で物事を運んだりなんかしちゃってもいいかなあ。よ、よーし思いきってここは! だけど、積極的にご破算にするのはやっぱり不味いよなあ、またきっと后に怒られるよなあ……、とかなんとかかんとか考えているうちに、うやむやのまま話が流れていってしまったというのが真相といえるかもしれない」
「つまりああたは、気の利いた返しどころか、実になる会話は何一つお出来にならなかったと?」
「えー……、それはその、何をもって実とするかという問題がまずあってだね……、うん。デレスのアレフキース殿下にしてみれば、上品のヌネイル土産を求めるにあたり、余のうんちくというたいへん実のある話が聞けたといえるかもしれない」
「ああたっ!」
「はいいっ!」
こめかみの血管を切らしそうな顔つきをした妻に、閉じた扇でばしん、とテーブルを叩き付けられて、どうにもこうにも座りが悪いエヴァンスランスの腰は、固まった形のままで長椅子からびくりと浮き上がった。
「何を得意げに語られるかと思えば! ああたが今、趣味の機械いじりの片手間に、のんべんだらりと玉座に腰掛けておいでになられるのは、一体全体誰のお陰と思し召しです! ああたがご自分で決めてよいことなど、万に一つもございませんことよ!!」
「そんなこと、声を大にして言わなくても……」
妻のきつい物言いに、エヴァンスランスは声も身体もいじいじとして小さくなった。いくら人払いをしたところで、この妻の大声量では、控えの間にいる近衛や女官たちに、罵倒の内容まで丸聞こえだろう。
「大事なことなのにお忘れのようですから。さあ、ああた、いじけていないでお答えなさいませ。妾腹の君エヴァンスランス、ああたが今、嫡出の大公グロウワットを差し置いて、国王陛下と呼ばれておいでなのは?」
「名宰相、リリアゴタールのお陰様」
「彼がああたの味方でいるのは?」
「我が愛しの后、アンリシャンテのお陰様」
「そうでございましょう? だからああたはあたくしに逆らってはならないの。思い出していただけた?」
白の大陸中央部にて栄える、『華の工芸三国』の
「あたくしの父母は十四違い。それに、あちらの国王御夫妻だって、十ばかり歳が離れておいでだったはずですわ。そもそも政略結婚に年の差など、たいした問題ではございませんでしょうに、長らく気を待たせて下さったわりには、陳腐な断り文句でしたわね」
アンリシャンテは不満げに、『硝子細工の都』クルプワを王都とし、こちらもまた『華の工芸三国』の一国としてヌネイルに比肩する、隣国デレスの対応を非難した。同時にその眼差しは、不甲斐ない夫を責め立てている。
「それはまあ、そうなんだろうけれどね、うん……。
「ですからこそ、まとめる価値のある縁談と、父が推したのではありませんか。そもそもが、
「アンリシャンテ! 滅多なことを!」
「滅多なこと? 自国の王宮で王后が、思ったままを口にして、一体何がいけませんの?」
「いけないもなにも、余の心臓がこうきゅーっとだね」
「のみの心臓ですものね」
夫の小心をせせら笑い。アンリシャンテは広げた扇をゆったりと翻した。
「ご安心あそばせ。あたくしの部屋に、デレスの耳などついておりませんわ。シャンポー宮であればいざ知らず」
「シャンポー宮って……、ねえおまえ、グロウワットといま少し歩み寄ってはくれぬものかね? あちらの陛下にしてみれば、グロウワットは実姉の忘れ形見、血を分けた甥子であるからして、あれが不遇に見えてしまうのもご不快なのであろうよ」
「不遇? 嫌みたらしくかこち顔をして、陰気な故宮で燻っているのは、グロウワットの怠慢であり身勝手ではありませんか。心と体の古傷を理由にして、ろくに公務もこなさぬ怠け者に、何故あたくしの側から譲歩してやらねばなりませんの?」
「何故って……、ねえ、おまえ。グロウワットがこのメリーナの王宮を出て、シャンポー宮に居を移してしまったのは、おまえが恐ろしくぴりぴりと、グロウワットを警戒していたからではないかね? 『大公派』の者たちは、『宰相派』の最先鋒であるおまえが、グロウワットを都落ちさせたと憤慨しているよ」
現在このヌネイルの宮廷は、先王の時代に起こった王太子夫妻の突然死をきっかけにして、妾腹の第二王子であったエヴァンスランスを担ぎ上げ、国の実権を握ることに成功した『宰相派』と、当時嫡出の王太子夫妻の遺児として残された、グロウワットの正統性を、政争に敗れながら今なお主張し続けている 『大公派』とに割れていた。
自分を輿に乗せ上げて国王にした者たちが、『国王派』ではなく『宰相派』と名乗るところに、実情がよく表れていると思うエヴァンスランスである。
「あたくしの可愛い王太子が、今年五歳になろうというのに、『大公派』などと称する者たちが、諦め悪く数を減らしていないのですもの、警戒するに越したことはございませんでしょう? 少し話を戻しますけれど、もしもユーラをデレスに嫁がせられましたなら、『大公派』よりかの国という、大きな頼みを奪う事ができるのです。グロウワットと歩み寄れとおっしゃるのならば、穏便に『大公派』を解体できますよう、ああたもたまにはお役に立って下さいまし」
せっかく逸れたと思った話が、ぐぐいっと引き戻されてしまった。いつにないアンリシャンテのしつこさに、エヴァンスランスは頭を抱える。
「しかしねえ、おまえ。まるでその気の無いアレフキース殿下に、子供のユーラをごり押しするのは難しいのではないかねえ……。おまけに口利きをして差し上げた、商人からの情報によるとだね、アレフキース殿下は若い娘が好みそうな品物ばかりを、メリーナの土産として、実に気前よく買っていかれたそうなのだよ。それらしい噂が流れて来ないところをみると、表には出せないような身の上の、寵姫でも囲っておられるのではないかねえ? 玄人のご婦人と、上手に遊んでいるというのならともかくとして、若い身空で隠し妻を持つような男に、ユーラを嫁がせるのはどうかのう――」
「ああたっ!」
「な、何かね? おまえ」
「よろしくて? 公然にできない女など、ものの数ではございませんわ。そのようなことは誰よりも、妾腹にお生まれになった、ああたが誰より身に沁みておわかりでしょうに。それにお若いアレフキース殿下が、一体どんな女に入れ上げているのだか知りませんけれど、ユーラファミアはこのあたくしが腹を痛めて産んだ姫。今はいささか凡庸かもしれませんけれど、年頃になればあたくしに似て、絶世の美女になるに決まっています!」
「そ、そうかもしれないね。うん……」
「かもしれないじゃなくてなるんですっ!!」
「はいっ」
その昔、白鳥姫と呼ばれていたアンリシャンテは、ほっそりとした首筋が魅惑的な実に優美な美少女で……、まさかこれほどまでに勝気な性格をしているとは、エヴァンスランスは思ってもみなかった。もっとも、アンリシャンテに言わせれば、「ああたがしっかりして下さらないから」こうなってしまったらしいのだが。
そんな二人の娘ユーラファミアは、良くも悪くも父親にそっくりである。善良なところも、十人並みであるところも。
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