協力

 こんな状況になって、思い出した古い記憶がある。


 僕は小さい頃、保育園に通っていた。そこで、年長の時、『となりのトトロ』を歌ったのだ。手話をつけて。

 音楽に合わせて歌いながら、手話をダンスの感覚でしていた。ただその時は楽しくて、遊びの一部だと思っていた。


 先生が『手話は耳が聞こえない人にとっての声だから、ちゃんとみんなの声を聞かせてあげてね!』みたいなことをいっていた。

 僕はそれをそのまま受け止め、手話を覚えた。パスポートのところがちょっと難しかったり、右と左が逆になったり、悪戦苦闘しながらもなんとかついていっていた気がする。


 そしてある日、それを年長組で発表した。そういう人たちの前でやったのか、近くの老人ホームの人の前だったか、それとも単純に保護者が見に来ただけだったか、さすがに覚えていない。しかし、その発表会は大成功だった。先生も褒めてくれた。


 嬉しくて……僕は、それ以上を考えなかった。


 その日の帰り道、僕と――は同じ道を、お互いのお母さんと一緒に歩いていた。

 僕が、今日の発表会がどうだこうだって言っていたら、ポツリと、――は呟いた。僕に聞こえるかどうかくらいの声の大きさで、


『……耳のきこえないひとは、音がわからないんだから、ぼくらがどんな曲を歌ってるか、分からないんだよな』


 そう、いっていた。

 彼は、僕なんかより、一歩も二歩も先を見ていた。そして、正しかった。僕らがどんなに声をあげて歌っていったって、聞こえなければ、それがどんな音程で、どんなリズムで、どんな音質で……そういうことが、全て分からないのだ。


 あの日の発表会……もし、あの場にいたのが全員ろう者だったとしたら、あの場は……楽しかっただろうか?

 あの場で楽しかったのは……僕だけじゃないのか?

 そんなことを、微睡みの中で思い出していた。



◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈



「はい、じゃあこんばんはは?」


「えっと……外がだんだん暗くなって……こう!」



 ポロンくんが腕をぐるっと回し、それから、人差し指の先をちょん、と曲げる。



「もっと力抜いてもいいけどな、形はあってるよ。じゃ、ごめんなさいは?」


「鼻つまむ! だよね、アリア!」


「あぁ、正解だ!」


「やったぁー!」



 僕らは、アリアさんに、簡単な手話を教わっていた。……個性の塊'sとのわだかまりは、もう仕方ないと僕らは受け入れた。僕らが自ら外れることを選んだレールだ。車線は切り替えられ、もう戻ることは出来ず、加速を続けていく。……いまさらだ。


 だから、もう隣を見るのは止めて、前を見ることにしたのだ。テラーさんの魔法の効果は気になる所ではあるけれど……。

 前には、僕らが信じたものがある。……だから、手話を学びたいと思った。少しでもコミュニケーションがとれるように。



「じゃあウタ、ありがとうは?」


「こうですね」



 僕は右手を顔の前に少しあげ、左の手の上にまっすぐに下ろす。



「そうだ。いいじゃないか、みんな覚えがいい」



 と、その時、扉を叩く音が来た。



「誰だ……?」


「僕行きますよ」



 一度、覗き窓から外を見る。そこに立っていたのは、白銀の髪と瞳を持った女性。



「れ、レイナ様!?」


「レイナか?」



 僕はすぐに扉を開いた。すると、レイナ様は少し目を見開いてから、少し微笑み、手話で「こんにちは」としてから、優雅にお辞儀をして挨拶をする。

 僕も手話をしながら挨拶した。



「こ、こんにちは!」



 優しく笑うレイナ様の手には、一冊のスケッチブックと、ペンがあった。文字を書くのだと直感的に思うと当時に、ふっと、マルティネスでの出来事を思い出す。



「とりあえずあがれ。立ち話もなんだろう?」



 アリアさんが手話で伝えると、レイナ様は部屋に上がり、促されるままに椅子に腰かけた。



「どうしたんだ? 今日は」



 アリアさんが訊ねると、レイナ様はスケッチブックに文字を走らせる。少し筆圧が弱く、丸っこい女性の文字だ。



『ロインのことで、気になることがあるの』



 そう綴り、一度僕ら見てからさらに続けて書く。



『ブリスが言うには、ロイン、あの日、遺跡の方に向かっていたみたいで、それから連絡がとれないの』


「遺跡?」



 僕が首をかしげると、ドラくんが説明を挟む。



「ミネドールとの国境近くにある『ベネッド遺跡』だな。確か、7600年近く前のことだというか? この世界は原因不明の災悪に見舞われたそうだ。気温はマイナス30から50度まで上下し、多くの生き物が滅んだ」


「その時代、人は巨大な山を切り崩してなかに空洞を作り、その中に住んでいたんだ。気温差も少なく、少し出掛ければ食料もあった。その場所を、今は『ベネッド遺跡』って呼んでるわけさ。


 ……でも、なんでそこにロイン様は向かっていたんだ? 老朽が激しくて立ち入り禁止になっているような場所だぞ?」



 レイナ様は、顔を伏せ、スケッチブックに文字を綴る。



『わからない』



 そして、少し躊躇いながら、もう一行付け足す。



『明日、遺跡に行くの。一緒に来てくれない? ブリスもいるけれど、やっぱり不安で』


「……ウタに任せる」



 僕は、少し考えた。遺跡……なんか、嫌な予感がする。だけど……。



「分かりました、協力します」


「……そうか」



 アリアさんが手話でそれを伝える。それに、レイナ様は『ありがとう』の手話で返した。

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