あやかし双子は高校生
椎名蓮月
15歳の秋
1
アルバイトは月に一度くらいしかやらない。
といっても自分たちで調整しているわけではなく、話を持ってきてくれる
(俺よりおまえのほうが想像力が逞しいと思うのは、そういうところだ)
双子の兄、
(70だっけ。でも70でも)
(いや、そういう話はもういい)
晴はいやそうな顔をして手を振った。
広間の壁沿いに置かれたふるぼけたソファに仰向けに寝転がって、晴は文庫本を手にしていたが、わざわざそれを片手で持つようにしてまで手を振ったのだ。この年代の男にしては、晴は生臭い話を避ける傾向があった。単に、顔がほぼ同じくらいよく似ている弟の自分とそういう話をしたくないだけなのかもしれないとも嵐は考えたりもした。嵐も、友だちと下世話な話をするのは特に気にならないが、兄とそういう話をしたいと思ったことはなかったし、会話の内容を想像しただけでなんとなくもやもやした気持ちになったことがあった。
しかし、晴はどうか知らないが、嵐は長いあいだ、兄と自分が別人であることをいまひとつ得心していなかった。
いや、事実として知ってはいる。それに、今は兄が何を考えているかわからないときのほうが多い。
昔はそうでもなかったから、別人だという認識が薄かったのかもしれない……
「ふしぎね。あなたたちの年代の男の子だったら、兄弟なんて、そんなにベタベタしないものではないの?」
目の前で、華奢な持ち手の紅茶茶碗を取り上げる女性を、嵐は思わず見た。
「ベタベタ? 僕たちはべつに、ベタベタなんてしてないよ?」
取り分けてもらったサンドイッチはふたつ。細く切ったキュウリをマヨネーズで和えたものをはさんだものと、サーモンをはさんたもの、その二種類だ。おいしいが、とてもちいさくて、高校生の嵐には少し物足りない。
目の前にいる女性は、五十代くらいだっただろうか。少し肌が衰えているものの、それを化粧でうまく隠しているため、ぱっと見の年齢はよくわからない。嵐も、聞いていなければ三十代から四十代だと思っただろう。
「でも、あなたいつもお兄さんの話をしているわ。双子だからかしら」
ひどく美人というわけではないが、整った面差しに、微笑が浮かぶ。彼女の微笑みは、とてもそつがないと、嵐は思う。嘲りも感じさせないし、下品でもないが、上品すぎることもない。絶妙に安心できる。
「ほかに話すこともないからねえ」
嵐は肩をすくめた。サンドイッチは食べ終えたので、中段の皿に手を伸ばす。のっているのはスコーンが二種。まだあたたかかった。さめたスコーンはパサパサしておいしくなくなるのを知っているので、嵐は少しだけ急いだ。スコーンを手にとり、半分に割ってクロデッドクリームを塗る。それを再びあわせて、もぐもぐ食べた。
もともとひとつだったものをはんぶんにしたのに、それをひとつに戻して食べる。
兄と自分も、もともとはひとつだった。それがふたつに分かれた。しかし、自分たちが再びひとつに戻ることはないのだろう。戻りたいわけではないが……ときどき嵐はそれを奇妙に思う。
どうして、ふたつに分かれたら、二度とひとつにはなれないのだろう?
「あなたはよほどお兄さんが好きなのね」
そう言われて、ふたつめのスコーンを割っていた嵐はきょとんとした。まだ口の中にはひとつめのスコーンが入っている。それをきちんと咀嚼してのみ込んでから、嵐はスコーンから彼女に目を向けた。
「好き?」
「そう見えるわ」
彼女はうなずいた。慈愛に満ちたまなざしに、嵐は母を思い出す。母も、たまにこんな目をして自分たちを見てくれた。もうずっと昔の話だが……記憶でいちばん新しい母は、ぼんやりと生気のない顔をしていた。
今は元気になっているはずだが、たとえ再会しても、二度とこんなふうに自分たちを見てくれることはないだろう。
「そんなこと、考えたこともなかった!」
嵐は純粋な驚きを込めて告げる。「兄と僕はべつの人間かもしれないけど、僕にとって兄は自分も同然だと思っているから……自分のことを好きとか、きらいとか、思ったりしなくない? そうでもないのかな」
嵐の答えに、今度は彼女が目を丸くした。
「でもあなたは、お兄さんとは違う人間でしょう?」
「まあ、そうだけど」
「一緒に生まれても、一緒には死ねないわよ」
彼女は気の毒そうに言った。「そのときに、お兄さんと自分が別人だとわかるより、今のうちにちゃんと理解しておいたほうがいい気がするけど」
諭すような言葉に、嵐はややムッとした。まるで自分が物知らずであたまの悪い子どもだと言われた気がしたのだ。彼女が危惧したことくらい、知っているつもりだ。
「理解はしてるつもりだけど……」
嵐はやや控えめに答えた。苛立ちを表に出す気はない。彼女と会うときはいつも、自分ひとりでは入れないような店に連れてこられる。食べたことのないものを食べたり、行ったこともない場所に連れて行かれる。それはそれで、ありがたい。
最初に会ったころの彼女の『死んだ弟に似ている』との言葉を信じていないわけではないが、害のない若い男の子を連れ回したいという気持ちが、ある種の女性になくはないことを、嵐はこれまでの人生で感じ取っていた。
援助交際、とニュースで見かけるが、あれは女の子がおじさんを相手にすることであって、しかも生々しい関係も持っているようだから、自分はそれとは違う、と嵐は思っている。それに、食事やお茶を奢ってもらう程度で、残るものは一度ももらっていないし、嵐もねだったりはしない。たいして話すこともない。
こうした、あたりさわりない時間を持つ相手が何を考えているか、嵐は特に気にしたことはなかった。きっと、時間やお金に余裕があるのだろう、くらいしか考えていない。嵐のほうは、ただの暇つぶしのときもあったし、何か食べたかったり、学校や家族以外の誰かと話したいときもあった。
さびしさを共有しているわけでもない。こうした関係は、らくちんだ。
だが、兄とのことをとやかく言われるのは、嵐にとってルール違反だった。とはいえ、兄の話ばかりしている自覚はあったので、自業自得であることもわかっている。
「ねえ、それより、僕、これくらいじゃあ、すぐおなかがすいちゃうよ」
だから嵐は話を変えた。少し幼さを演出してそのように告げると、彼女は苦笑した。
「わかったわ。でも、食事はそれを食べ終えてからね。それと、少し公園を歩いてからでいいかしら? わたしはおばさんだから、あなたと違ってすぐにおなかがすいたりしないのよ」
彼女も、踏み込みすぎたと思ったのかもしれない。嵐の求めに応じて、食事まで提供してくれると保証してくれた。これで今夜は安心だ。嵐は内心でホッとした。
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