第29話:争い

 激しく揺さぶられていたトーリは、徐々に怒りがこみ上げてきてカナタを突き飛ばす。


「お前、何をするんだ!」

「それはこっちのセリフだろ! もう少し支援魔法が遅かったら、俺達はゴブリンの餌食になっていたんだぞ!」

「ぐっ!」


 カナタの主張に間違いはない。トーリもそのことに気づいているので言葉に詰まってしまう。

 自身の迷いのせいで魔法が遅くなったのだから、何を言われても仕方がない。それでも怒りがこみ上げてきたのは、貴族だった者のプライドがそうさせたのかもしれない。そして、反論してしまった。


「そ、それはお前だけの話だろう! 僕達には関係ない!」

「トーリ……それは、本気で言ってるのか?」

「——あっ!」


 カナタの表情を見て、トーリは自分の失言に遅れて気がついた。その表情は怒りではなく——悲しみに満ち溢れていた。

 顔をくしゃくしゃにして、それでも視線はトーリから外すことはなく、真っ直ぐに見つめている。


「……す、すまん、今のは——」

「本気なのか?」

「違う!」

「……違うんだな? 俺は、トーリのことを信じていいんだよな?」

「違う、すまなかった! 僕が、悪かった……」


 トーリは人が変わったように、カナタに懇願するかのように違うと訴えかける。

 はたから見ると二重人格ではないかと思うかもしれないが、相対しているカナタも、トーリの背中を心配そうに見つめているアリサにも、大きな変化は見られない。

 まるで普段と変わらないといった感じでやり取りを繰り返していく。


「一旦、戻ろうか」

「……あぁ」

「それがいいね」


 三人の意見がようやく帰還で一致した——その時である。


 ——ブブブブブブ。


 通路の後方から羽音が聞こえてきた。

 音の方へ目を向けると、そこにはランダムモンスターであるキラービーが三人を複眼で見下ろしている。更に後方からもゴブリンが五匹現れた。


「こっちに来て、アリサ!」

「わ、分かった」


 カナタの声に反応してアリサが駆け出し、トーリの腕を掴もうとしたのだが——


「う、うわああああああぁぁっ!」

「ちょっと、トーリ君——きゃ!」


 突如としてパニックになったトーリはアリサを突き飛ばし、陣形を取ろうとするカナタの横を抜けて、更に奥へと駆け出してしまった。


「おい、トーリ!」


 カナタの呼び掛けも虚しく、トーリは曲がり角を抜けて奥へと行ってしまった。

 慌てて追い掛けようとしたカナタだが、目の前では突き飛ばされたアリサへとモンスターの視線が殺到している。

 最初のパーティで、最初のダンジョンで、最初の冒険でこのような選択を選ばなければならないとは夢にも思っていなかった。

 しかし、悩んでいる時間もなかった。目の前のモンスターが一斉に駆け出して来たのだ。


「アリサ、立って! そして魔法を!」

「分かった!」


 指示を飛ばしながら駆け出したカナタ。

 立ち上がったアリサが魔法の詠唱を開始する。

 先頭のゴブリンがナイフをアリサの胸元めがけて振り下ろした。


 ——キンッ!


 間一髪、カナタの剣がゴブリンのナイフを捉えて弾き返すと、更に一歩踏み込んで渾身の袈裟斬りを放つ。

 上半身を両断されて絶命したゴブリンが白い灰になると、灰を吹き飛ばしてファイアボールが飛び出した。

 爆発を起こしたファイアボールだったが、巻き込めたのは二匹だけ。

 魔法の連続行使でアリサの顔にも疲労の色が滲み出てくる。

 一階層でこれほど消耗するなんて思ってもいなかった。考えが至らなかった。ダンジョンを——甘く見ていた。

 そのツケが、全滅という現実味を帯びて返ってこようとしている。

 二人の警戒は目の前に迫るゴブリンに注がれていた。仕方なかったのかもしれない。この状況では責められないだろう。

 一番警戒しなければならない存在を忘れていたことを。

 ——上空からキラービーの毒針がカナタめがけて急降下してきたのだ。


「カナタ!」

「えっ?」


 気づくのが完全に遅れた。今の状況で毒針の一撃を浴びればひとたまりもないだろう。

 だが、回避は間に合わない。

 カナタはこの瞬間、確かに死んだと確信していた。


 ※※※※


 三人が通路を引き返すことも考えて大きなくぼみがあるところまで下がっていたロンドとアルバスは、そのまま先に進んだのを見て内心で驚いていた。

 口に出さなかったのは、声が三人に聞こえる可能性を考慮したのだ。

 お互いに視線で会話をしながら、付かず離れずの距離保ち、忍び足で進んでいく。

 程なくして再びの爆発音。

 戦闘が始まったと理解して更に近づく——その時、脇道からゴブリンの群れにランダムのマジシャンが現れた。


「ちっ、こんな時に」

「ここは僕が——」

「いや、小僧は先に行け」


 ショートソードを抜こうとしたロンドを静止して、アルバスがクレイモアの柄に手を伸ばす。


「今は時間が惜しい。それに、俺が行くよりも小僧が行った方がガキ共も安心するだろうさ」


 アルバスなりに気を使っているのだ。

 そのことに気づいたロンドはすぐに踵を返す。


「終わったら追い掛ける、さっさと連れ戻せよ」

「はい!」


 ロンドの姿が見えなくなったのを確認すると、アルバスは野獣のような表情に豹変した。


「雑魚相手じゃあ一瞬だろうがな、久しぶりに本気でこいつを振ってやるよ!」


 モンスターには知性というものが存在しない。オートはもちろんのこと、ガチャで手に入れたモンスターも基本的には同じである。

 だが、アルバスの闘気を浴びたモンスターは自然と後退りしていた。


「来ねえのか?」


 言葉も分かるはずがない。そのはずだが、挑発されていることは伝わった。


「ギュルルララッ!」

「ホホーッ!」


 モンスターの衝動に従い、ゴブリンが我先にと駆け出し、レベルの上がっているマジシャンから魔法が放たれる。

 先行していたゴブリンの頭上を抜けて、氷魔法——アイスニードルがアルバスに迫った。


「遅い」


 大上段からの一撃。

 クレイモアの刀身がアイスニードルと衝突。

 力負けしたのは——まさかのアイスニードルである。

 一メートルに迫る巨大な氷の塊は粉々に砕け散り、白い靄となった冷気が周囲を覆い尽くす。

 流れるように体を捻り、速度を乗せた横薙ぎが放たれれば、間合いに入った五匹のゴブリンの胴体を臓腑を引きちぎりながら切断した。


「はっはあっ! 楽しいなあ、おい!」


 何処に隠れていたのか、通路から溢れるのではないかと思われる程のゴブリンが殺到している。

 カナタ達やロンドであれば物量に押しつぶされていたかもしれない。だが——


「オラオラオラオラッ! 死ねやコラァ!」


 嬉々としてクレイモアを振るうアルバス。

 その姿からは冒険者を引退した過去の人間とは思えない程、気迫に溢れている。

 隻腕になる前、全盛期の頃を目の当たりにしていれば、廻も今のように接することはできなかっただろう。

 それ程までに、今のアルバスの迫力には恐ろしいものがあった。

 ゴブリンの群れを斬り捨てる中、乱戦の間断を縫ってマジシャンの魔法も放たれているものの、その全てを粉砕して傷一つ負っていない。

 それどころかズンズンと前に進んでおり、マジシャンを間合いに捉える間近になっていた。


「そろそろ終わりにするか!」


 普段の歩幅で進んでいたアルバスが大きく一歩を踏み出す。

 マジシャンにはまだ遠い——はずだったが、さらに体を前のめりに倒して距離を稼ぎ、無理矢理に間合いへと捉えた。


「オラアッ!」


 隆起する右腕の筋肉が、クレイモアを高速で斜めに振り抜く。

 マジシャンは気づいただろうか。自身の体を刀身が通り抜けたのを。

 人間が出せる限界の速度で降り抜かれたクレイモアは、その破壊力を地面に伝えて爆砕。

 白い灰になったマジシャンを風圧で吹き飛ばすと、周囲にはゴブリンの灰も混ざり合い白い世界が作り上げられた。


「……まあ、ゴブリンとマジシャンだからな。こんなもんか」


 先程までの嬉々とした表情は影を潜め、つまらなそうに周囲に目をやる。


「この辺りには、もう何もいないか。俺も先に行くかな。あー、面倒臭いなぁ」


 クレイモアを背負い直したアルバスは、頭を掻きながら一人で正規ルートへと戻って行った。

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