真相
「お久しぶりです。再びお目に掛かるとは、実に光栄です」
私は満面の笑みを浮かべます。
会議室には、梅雨明けの眩しい日差しが射し込んでいました。
立場はまるで逆転しました。私がクビを宣告された席には、ただ一人、肩身狭そうに座る人事部長の姿があります。一方こちら側には、私と私の仲間が座しています。
「
「な、何なんだ、一体。君は退職したはずじゃ」
「ええ、解雇されました。解決金も無事支払われ、あと数年は働かなくて済むはずだったのですが、残念ながら監査役として出戻ることになってしまいました。今後ともよろしくお願いします」
部長は、目を泳がせ、微かに震える手で汗を拭いました。
「さて、今回の監査の目的は、情報セキュリティに関するガバナンスが何ちゃらかんちゃらです」
「何ちゃら……?」
「まあ、そんな感じのやつです。我々は当社のシステムに対して擬似的なサイバー攻撃を行ないました。その結果、BigBrotherの脆弱性により、ほぼすべてのPCを乗っ取れるリスクを発見しました。そのBigBrotherの導入を決裁したのは社長ですから、その導入から現在に至るまでの経緯を検証しているところです」
「は、はあ……」
「当初、我々は、社長の独断により決定が行なわれ、経営企画部のイエスマンの皆様がゴリ押ししてBigBrotherを導入したと考えていました。でも、記録を調べたところ、そうではなかった。堅下部長、そうですよね?」
「……ああ、私が推進した。テレワークでサボりが問題となっていたからな」
「しかし、経営企画部はアップデートの予算は出さなかった。導入当初、私が約束を取り付けていたはずなのに、反故にされました。そのため、私は当時システム課長として、BigBrotherの効果が薄いことを実証し、廃止を進言しました。ところが、その提案も承認されることはありませんでした」
「……承認されるはずがない」
「そうです、承認されるはずがなかったんです。実は、それ以前の経営会議で、既に廃止の方針が決定されていたからです。だからアップデート予算が下りなかったし、廃止提案の承認もされなかった。内々に廃止が『既に決まったこと』だったからです。ただ、あなたが強硬に反対したために、保留となっていたのです。いやあ、私もすっかり勘違いしていました。つまり、会社が私をクビにする理由なんて一つもなかったわけですよ」
「……」
「さて、部長。ここからが本題です。あなたは、なぜそこまでして、BigBrotherに固執したのでしょうか? 賄賂でも貰いましたか?」
「違う! 断じてそんなことは!」
「まあ、そうでしょうね。聞いてみただけです」
「何だそれは!」
「ということは、覗き趣味でしょうかね」
「人聞きの悪い! 人事部としても勤務状況を把握――」
「では、もう一つ。システムの記録によると、あなたのIDにより社内のシステムに対して、不審なアクセスが継続的に行なわれていたことが明らかになりました。思い当たることは?」
「……」
部長は突然押し黙ってしまいました。何か後ろめたいことがあるようですね。
「では、思い出して頂きましょう。記録をいくつかピックアップしたのですが――これなんかすごいですね。社内の全PCに対してランサムウェアを感染させようとするなんて。人は見かけによらないものですね」
「らん……さ……?」
「ランサムウェアです。ご存じない」
「ああ……何なんだそれは」
「ファイルを勝手に暗号化して読めないようにし、『ファイルを返してほしければお金を払え』と脅迫するタイプのマルウェアのことです。お金にでも困っていましたか?」
「そ、そんなことしてない! ぱ、パソコンが乗っ取られてたんだ」
「ほう、乗っ取られた。なぜそんなことが分かるんです?」
「いや……その」
「乗っ取られていることに気付いていたなら、CSIRT(シーサート)に報告するべきでは?」
「バレるだろう! ……あ」
「バレる――つまり何か隠ぺいしなければならない事情があったのでしょうか?」
私の問いに、部長の顔から血の気が引いていきます。まるで酸素不足の池を泳ぐ鯉のように、口をパクパクとさせていました。血圧が大丈夫かちょっと心配になります。
「……で、どうなんですか?」
私が身を乗り出して尋ねると、部長は観念したかのように項垂れました。
「……ああ」
「聞きましょう?」
「会社のパソコンで……その、いかがわしいサイトを――」
うわぁ、ドン引きです。他にだれも出社していないことをいい事に、サボりたい放題だったのは部長だったのです。ま、テレワークだろうが出社しようが、サボる人はサボるという話ではありますが。ああ、背筋がぞわっと。ムリムリ無理。
堅下部長の話は続きました。
当時、めっぽうお楽しみにあらせられた堅下部長殿は、突如ピンチに陥ります。
次のページを開いた瞬間、パソコンからけたたましい警告音が鳴り響いたのです。
――お使いのコンピューターは、3個のウィルスに感染しています
――サポートに連絡し、情報の流出を防いでください。
そんな合成音声が再生され、サポートに連絡するよう促された部長は、表示された電話番号に電話を掛けてしまったのです。
《こんにちわ!ツ゚ヌ亍ムサポー卜サービヌてず》
『ぶ、部下が、コンピューターのウィルスに感染させてしまったようで、何とかならないでしょうか?』
《八亻、何とデもなリまヌ。てずが、贵樣は、サポー卜料金が必要てず。支払方法は、プ刂へ亻ド力ードゐみお使いてきマず》
『プリ……ペイド……?』
《コソビニて、プ刂へ亻ド力ードを买っ亍、番号を教えゑ。よろレい力?》
はい、みなさんご存じの通り、サポート詐欺というやつです。往々にして、人間は愚かです。人間は愚かである故に、冷静さを失います。冷静さを失った人間は、こういう分かりやすい詐欺にも引っかかってしまうのです。
プリペイドカードをコンビニで買って、そのコードを伝えた部長でしたが、そこで終わりとはなりませんでした。犯人は、遠隔サポートという名目で遠隔操作を行なった際、重要インフラを担う鉄道会社の社内PCであること、BigBrotherを使用していること、そして、そのバージョンが脆弱性を持つバージョンであることに気がついたのでしょう。その後、犯人はトロイの木馬を設置し、さらにはBigBrotherの脆弱性を利用して、こっそりと情報を盗み続けていたのでした。
「――ところが、私が、BigBrotherの停止を強行した。それでどうなったのですか?」
「メッセージが届いたんだ。『すべて見ている。BigBrotherを復活させなければ、恥ずかしい映像を公開する』と」
驚きました。本物のパターンもあるのですね。
無差別にばらまかれた偽の
しかし、BigBrotherの復活のみを要求するなんて斬新なパターンがあるとは驚きです。恐らく、他にもっと大きな目的があったのでしょうね。
「なるほど、それで私をクビにしたと」
「……ああ」
そして、網干さんがハニーポット環境を作った際、犯人らが仕込んだマルウェアが仮想環境を検知し、バレたと思った犯人は、証拠隠滅も兼ねた最後っ屁として、ランサムウェアを残していこうとしたのでしょう。
「俺は何もしてない。そうだ! むしろ君が犯人で、金目的で俺を脅したんじゃないか?!」
まあ、この件で金銭的に得をしたのは犯人と私だけですからね。しかし、部長殿は何を勘違いしていらっしゃる。
「いやぁ、そんな回りくどいことしませんってば。そもそも、システム課長の権限があったので、攻撃する必要もありません。それに、脅迫目的なら、BigBrotherを停止するはずがないじゃないですか。BigBrotherにはあなたのWEB閲覧履歴がバッチリ残っているんですから」
「バッチリ……?」
「ええ、他人のPCを覗き見るとき、他人もまたあなたを見守っているのですよ」
私は、その場でBigBrotherのログを検索し、その画面を部長閣下にチラリと見せました。
「あああぁあ……どうなってるんだぁ……」
部長閣下は目を見開き、半開きの口から情けない声を漏らしました。
ま、BigBrotherにも感謝というところでしょうか。結局、ツールは使い方次第なのです。
「ヒアリングにご協力くださり、ありがとうございました。もう結構ですよ」
「どうか、処分だけは、処分だけは……! 私の子どもが大学に……」
土下座して懇願する哀れな部長。ああ、困りました。私が土下座を強要したわけじゃありませんからね。
「……何か勘違いされていませんか? 私は部長を直接監査する立場にはありません。監査役の監査対象は、あくまでも取締役なんです。本件については取締役の内部統制に問題があるとして、ホールディングスの取締役会で改善を促すことになるでしょう。その先のことは、社長が判断することです。懇願する相手は私ではありません」
「そこを何とか!」
何とかと言われましても、何ともできないのですが、話を聞いていたのでしょうか。
とはいえ、私も鬼ではありません。
「……ところで、例の『解決金』ですが――」
私がそう切り出すと、部長はびくりと身体を震わせます。
「――堅下部長、あなたに全額を返金するよう弁護士に伝えておきました。会社からの支出ではなかったのですね、あれ。立場上、そういうお金を受け取るわけにはいかないので。お子さんの学費に充てられてはいかがですか?」
……結局、私は弁護士費用分だけ損したってことになりますけどね。年収が二倍に増えたので、まあ良しとしましょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます