神戸八州嶺ホテル

 私は、タダ飯に釣られて、のこのこと神戸までやってきました。


 新神戸駅から、バスと八州嶺鋼索鉄道を乗り継ぎ、虹の駅で下車します。ホームから振り返ると、神戸の街並みは遙か遠く。斜面に強いケーブルカーとはいえ、よくもまあこんな急斜面に敷設したものです。


 ま、こういうところが気になってしまうのも、元鉄道員の職業病というところでしょうか。あと、うっかり他の客に会釈をして気味悪がられるのとかも……。



 一緒に下車した観光客の一団は、そそくさとロープウェー駅のほうに向かいます。しかし、私の目的地はそちらではありません。駅直結の階段を降り、コンクリートで舗装された通路を抜けると、木々の間から白い建物が見えてきました。神戸八州嶺ホテルです。


 見るからに古いコンクリート造りの建物ですが、しかし、なかなかに凝ったデザインです。垂直の角が所々曲面で面取りされており、それでいて、水平の輪郭が全体の印象を引き締めています。丸い窓や梯子もあり、まるで艦船のデッキにいるかのようにも感じられました。ここが「軍艦ホテル」と呼ばれているのも頷けます。


 橋を渡ると、いきなりビアガーデンと大ホールがおでましです。むむ、展望レストランはどこだ。


 フロアマップがありました。ここは四階。展望レストランは――。


「……三階ですか」


 階段を降ります。


 高天井のまっすぐな廊下。両脇には木製の扉が並びます。行き止まりにフロントがあり、展望レストランはその左手にありました。その入り口に、高槻千夏前社長の姿を見つけました。


「祝園アカネ、久しぶり」


 彼女は、いつものように、腰に手を当て自信に満ちた笑顔を見せます。まさに威風堂々。何となく社長時代よりも貫禄が増したような。とても現役大学生とは思えません。


「どうも。ご無沙汰してます」

「会えてうれしい」


 仕立ての良い明るくシンプルなデザインのスーツがまぶしく感じます。私なんか九年ぶりのリクルートスーツですからね。色々と格差を感じます。


 店内に入ると、ややくたびれた感じの案内係が、私たちを出迎えました。


「高槻様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 案内係に従います。



 高槻さんは、「ごきげんよう」とか、「でしてよ」とか言いませんが、実は京姫鉄道の創業家の出身です。古い言い方をすれば、いわゆる地方財閥のご令嬢ですね。


 彼女は高校卒業と同時に、二年限定で京姫淡急ホールディングスの社長に就任しました。表向きは話題作りでしたが、実際は、淡鳴急行の事業譲受による業績悪化の責任取って辞任する筋書きだったのです。スケープゴートですね。しかし、震災と感染症が直撃し、任期を延長。そこで、彼女の経営者としての才能が開花しました。


 不可能と思われる施策を次々と実現し、業績悪化を食い止め、上向きの兆しが見えはじめたのです。さあこれからだと思った矢先でした。彼女は退任に追い込まれたのです。あとは当初の予定通りスケープゴートの役目だけ果たせということだったのでしょう。その後、新社長のもとで業績は再び悪化。内心は、相当悔しかったに違いありません。


 でなければ、私を巻き込んでまで、こんなことを計画するはずがありません。


「こちらです」


 私たちは、窓際の席に案内されました。


 さて、ここから見下ろす神戸の街と海は息を呑むほど美しい絶景……なのですが、内装とかボロボロなんですよね……ここ。窓には埃が積もってますし、絨毯も何かかび臭いですし。客がいないのも納得です。


 ああ、Gとか出たらやだなあ。


「へえ、こんなホテルがあったんですね。私初めて来ました」

「知らなかった? ここは、数年前に京姫淡急グループの傘下に入ったのだけど」

「あぁ、ってことは、元々淡鳴急行グループのホテルだったんですね」

「そう。今は京姫淡鳴ホテルズがオーナーになってるから、一応京姫鉄道のグループってところ」


 これからハッキングについての話をしようというときに、わざわざグループ会社を打ち合わせ場所に選ばなくても。


「こんなところで話してて大丈夫なんですか?」

「大丈夫。実際は土地と建物のオーナーってだけで、このホテルの運営は、灘ホテルマネジメントという独立の運営会社に丸投げ。だから、本体の目は届いてない」

「そんなもんなんですかね」

「元システム課長ですら把握してないぐらいでしょう」

「あぁ……」



 注文した料理が運ばれてきました。


 まずは一口。まあ、可もなく不可もなく。盛り付けも若干雑ですし、値段の割には、うーん。まあ、ここまで食材を運ぶコストもそれなりでしょうから、こんなものなのかもしれませんが。ただ、これでは閉業待ったなしといったところでしょうか。


 実際、周りを見渡す限りの空席。貸し切り状態です。秘密の作戦を立てるには、悪くないのかも知れません。



「で、本題ですけど、どうするんです?」



 すると、高槻さんは、鞄の中から何かを一つ取り出し、机の上に置きました。


 レモンイエローの絵の具をチューブから搾り出して固めたような単純な色。丈の詰まった紡錘形の格好――間違いありません、レモンです。


 ……はて。

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